ⅩⅩ 彼女の正体

「――痛むか?」


 それから、もうやつらも追っては来れない安全な場所までしばらく走った後、扉も閉め、通常の安全運転でGMEのアジトへと向かうトラックのコンテナの中、俺はアテナの傷の応急処置を手伝っていた。


「大丈夫だ。かすり傷だと言ってるだろう? このくらいはいつものことだ」


 ガーゼで止血した傷口に包帯を巻いてやりながら尋ねる俺に、アテナはいつもの素っ気ない態度でそう答える。


 幸い、弾丸はアテナの右上腕の肉を切り裂いただけで体内に残ることはなかったが、それでも彼女の台詞を鵜呑みにできるほどの軽傷ではないはずだ。


「………………」


 熱機関インゲニウム音とガタゴト、トラックの揺れる音だけがまたもコンテナ内を支配する。


 ミミズクはなんだか要らぬ変な気を回し、ソーマのタンクを残して前の助手席へ移動すると、フクロウ達と野郎三人で狭苦しく並んで座っている……つまり、今、窓もないこの密閉された空間には俺とアテナの二人きりしかいないわけだ。  


 なんか、ものすごく気マズい……。


「……どうして自分の身体を張ってまで俺を助けた?」


 気マズい沈黙から逃れようとするかのように、俺はさっき聞けなかった答えを改めてアテナに訊いた。


「当然だ」


「えっ……?」


 アテナのその言葉に、一瞬、微かな期待と淡い不安を抱いた俺の予測を見事裏切り、アテナは続けて言う。


「おまえは賢石機関を再覚醒させるのにまだ必要だからな。ここで死なれては困る」


 それは嘘や冗談ではなく、アテナの本心だろう。彼女は照れ隠しに嘘を言うような人間味のあることはしない。否、そうした〝照れる〟という感情自体、どうやら欠如しているようにも思われてならない。


「極めて魔術的な答えだな……だが、おまえはどうなんだ? おまえだってプロヴィデンスの使役者として必要なはずだ。そんなおまえが大怪我を負っては……」


 俺は魔術師として、彼女の明確で論理的な答えを認めた上でそれでも反論を試みる。


「いや、現在、賢石機関を直せるのはおまえしかいないが、XLPG‐1の使役はわたしでなくてもできる。それに、そもそもわたしは消耗品だ」


 消耗品? 確か前にもそんなこと言っていた。消耗品ということは、つまり使い捨ての駒にすぎないということか? 彼女はそう教え込まれ、エスピオンとして育てられたのだろうか? ……いや、それにしたって、この多感な歳頃の少女ならば、いろいろ思うところはあるはずだ。なのになんなのだ? この年齢に沿ぐわない死生観というか、達観した世界の見方は?


「どうしておまえはそんなに自分の命を軽視する? おまえだって人間だろう? だったら、自分のことを少しはかわいいと思わないのか?」


 俺は、いつもの俺らしくもないのだが、なぜだかアテナのその合理的な物の考え方が納得いかず、いつになく非魔術的に喰ってかかった。


「おまえは一つ誤解をしてる」


 だが、アテナは俺の常識など完全に無視し、その質問の意図とはまるで違う、想像を絶するような答えを口にしたのである。


「わたしは人間ではない・・・・・・


「え……?」


「わたしは、ホムンクルス・・・・・・だ」


「なっ……?」


 何をバカなことをと思ったが、いつもの無表情に語る彼女の顔にその疑いは一瞬にして瓦解し、俺は口を半開きにしたまま息を飲んで絶句する……アテナはそんな冗談を言うような社交的なやつではない。こいつは、真実を言っているのだ。


 ホムンクルス――つまりは自然な生殖ではなく、人の手によって作られた人造人間ということだ。


 無論、中世の大錬金術師パラケルススが記述しているような古典的錬金術でいうそれではなく、遺伝子操作と人造受胎によって造られた現代的な意味でのものであろう。


「そ、そんなこと、蘆屋もニコラも、一言も言ってなかったぞ?」


「あいつらは知らない。秘密の首領シークレット・チーフ直属のわたしのことについて訊こうとしないからな。言ったのはおまえが初めてだ。話さねば、おまえを納得させられない」


 それを嘘とする論拠は次々に取り除かれていく。


「だ、だが、ホムンクルスの製造はできないはず…」


「それは魔術的にできないのではなく、倫理・法的にやれない・・・・だけだろ? わたしは秘密の首領シークレット・チーフによって人間兵器として造られた。だから、わたしの命よりも任務の遂行が優先される。おまえ達、自然に生まれた人間とは命の重さも違う。わたしは、わたしを造った秘密の首領シークレット・チーフの指令に従って戦う兵器……いわば機械人形であるゴーレムと同じだ。それ以上でもそれ以下でもない」


 魔術的な批判ではなく、その事実を認めたくないというただの感情から発した反論もわけなく一蹴し、アテナは淡々と続ける。


 ……そんな……まだ見た目は中学生かそこらだっていうのに……肉体の構造は遺伝子レベルから人間と寸分違わぬ造りだというのに……普通の人間のように自分の頭で考え、自分の言葉でしゃべるというのに……それが、ただ戦うだけに造られた、使い捨ての、命あるものとすら見られていない、人の造りしだというのか?


 だが、そう考えれば納得いくところも多々ある……この起伏に乏しい表情や口調も。これまで社会生活を送って来たとは到底思えないその常識のなさも……そして、どこか欠落しているその感情もすべては彼女が人間ではないからだとすれば……いや、しかし、そんなことは……。


「……なら、そのご主人さまに死ねと言われれば、はいそうですかと死ぬというのか?」


 俺は、最早、ただの足掻きとばかりにアテナに訊く。


「当然だ。もしそうした指令があればそうする。わたしはそうした存在だからな」


 ……くっ……そんなこと……そんなことがあってたまるか!


「フン! なんとも非魔術的な考えだな! おまえは優秀なゴーレムの使役者なんだろ? そんないいパーツをむざむざ失うなんてバカげている! 無駄もいいところだ! おまえを育てるのに投資した金額や時間も考えて、これからはもっと自分を大事にしろ!」


 やはり、いつになく感情的に納得のいかない俺は、それでも心の内の本心は隠し、魔術的に理詰めでそうアテナを叱りつけた。


「………………」


 そんな、いつもと違うやり場のない怒りに上気している俺の顔を、アテナは不思議そうに小首を傾げ、碧の透き通った瞳で眺めていた。

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