ⅩⅨ キャットウォーク作戦

「――まったく、なんで、わしがこんな真夜中に来ねばならんのだ」


「仕方ないじゃないっすか、先生が管理責任者なんすから」


 無事、〝ソーマ〟のエーテルタンクを失敬し、あとはトンズラするだけとなった俺達であるが、突然、誰もいないはずの夜のキャンパス内で微かな話し声が聞こえる。


「…?」


 予期せぬ人の話し声に俺達三人は身構える。建物入口の左側は構造上すぐにカクっと90°折れており、その裏側からやって来たので接近を許してしまったようだ。


 しかし、なぜこんな時刻に人がいる? 探求者や院生だって深夜0時にわざわざ出て来るような物好きは考えられん……。


「明日の朝じゃいけなかったのか? なにもこんな時間に取り来んでもいいだろ?」


「巡回も兼ねてっすよ。お偉い魔術師先生は知らないかもしれませんがね、賊が狙って来るとしたら、みんなが寝静まった真夜中と相場が決まってるんすよ」


 どうやら2人連れらしき人物達はこちらにまったく気付くことなく、世間話をしながら近付いて来るようだ。


「それに、そもそも寝る前に思い出したとかなんとか言って、先生が電話かけて来たのがいけないんじゃないっすか。ここにもソーマあること忘れてた先生の自業自得っすよ」


「いや、まさか、そのまま連れ出されるとは思わんかった……」


 突然のことに、すぐさま逃走を図るプロ・・のアテナ達よりも一歩遅れてその場に立ち尽くしていると、建物の角を曲がったその人物達はいきなり俺の正面に現れた。聞こえた声は2人だったが、その背後にはさらに6名ほどの屈強な男達も控えている。


「……!」


「じゃが、ほんとにここが狙われ……んん?」


 そして、入口に灯る非常灯の薄暗い光の中、その者達と俺の目が合う。


「な……?」


 俺は驚きのあまり温度が凝固点を下回った物質の如くその場で凝り固まる……いや、それほどまでに驚いたのは予期せず人と出くわしたことだけが原因ではない。その人物達の内、最前列にいた1人――それはなんと、誰あろうあの賀茂のクソジジイだったのである!


 噂をすれば影というやつか……その魔術的根拠のない法則性についても、その隠れた因果律を改めて検証してみる必要がありそうだな……。


「ああっ…?」


「おまえっ…!」


 場違いな感想を抱いたのも僅かゼロコンマ一秒余り……幸い覆面をしていたので賀茂に俺とは知れなかったろうが、このどう見ても怪しい黒装束に彼らも賊と判断して表情を硬直させる。


 バギューン…!


「逃げろっ!」


 だが、賀茂のとなりに立つ衛兵団士官と思しき制服の男が腰のフォルスターに手を伸ばすよりも早く、彼らの足下には拳銃の弾が撃ち込まれ、そんなアテナの叫び声が聞こえた。


 その声で我に返り、俺も反転して走り出すと、彼女とミミズクはもうすでに3メートルほど向こうまで行っている。


 俺も全力疾走してそこまですぐに追い着いたが、ふと賀茂への積年の恨みが頭を過り、その場で急に立ち止まると振り返ってクソジジイへ中指を突き立てた。


「ハッハハ! ざまあ見ろっ! おまえのこれまでしでかしてきた悪行への報いと知れ!」


「おい! 何やってるんだ? 早く逃げろ!」


 …パン! パン! パンっ…ギューン…!

 

 思わず大人げないことをしてしまう俺の腕を掴み、アテナはそう大声で急かしながら、追って来ようとするその者達へ牽制の銃弾を浴びせる。非常灯の照らす範囲に入ったのを見ると、彼らも皆、迷彩の野戦服を着た衛兵団の兵士だ。


「ハッハッ…見たか? あのハトが雷磁投射砲レールガン喰らったようなアホ面!」


 敵が怯んで身を屈めた隙を突き、再び全速力で走り出す俺だったが、こんな危機的状況であるにも関わらず、嬉々として笑いが込み上げて来てしまう。あの銃弾にも反応せず、一人だけ放心状態で突っ立ってる賀茂の姿はなんとも傑作だ。


「なに笑ってる? 気でも狂ったか? 雷磁投射砲レールガン食らったらハトは一瞬で消し飛ぶぞ?」


 そんな俺の顔を訝しげに見上げながらアテナもタンクを背負うミミズクの背中を追い、俺達は夜のキャンパス内を疾走した。


「発砲を許可する! なんとしてもヤツらを捕えろ!」


「し、しかし、沖田三尉、こんな場所で銃を使うのはさすがに……」


「なあに、今の俺らはどんな不祥事だって揉み消し放題だ。それから本部へ応援の要請だ!」


 ……パン…! ……パン…!


 背後からは、そんな問答する声とともに乾いた銃声と複数の足音が迫って来る。


ギィィィーン…!


「ひっ…」


 さらにその中の一発はミミズクの背負ったソーマのタンクをかすめ、夜の闇に眩く綺麗な火花を散らす。運よく無事だったようだが、もし引火でもしたらそれこそ大爆発だ。


「あっ! あいつら、貴重なソーマが漏れたらどうしてくれるんだ? ……しかし、さすがにちょっとマズい状況だな。ひとまずどこかに身を隠すか……」


 思わぬ仇敵との遭遇にいつになく興奮気味の俺も、ようやく冷静さを取り戻すにつれ事態の深刻さを認識し始める。


「そうだな。何か打つ手を考える時間がほしい」


「あ! あそこへ隠れましょう」


 俺のその提案にはアテナ達も賛同し、探求棟の角を曲がって、一瞬、追手の視界から消えるその僅かな好機を逃さず、敷地の隅に植わる大きな木の裏へと三人同時に飛び込む。


「待てえっ!」


「ん? どこへ行った? いきなり消えたぞ?」


 月明かりを遮り、大樹の影が作る暗闇の中から様子を覗っていると、追い着いた兵達が懐中雷灯の光線ビームを忙しなく振り回しながら右往左往している。


「遁法とは忍者みたいなヤツらじゃない……捜せ! 必ず近くに潜んでいるはずだ!」


 どこかこの鬼ごっこを楽しんでいるかのような指揮官の指示で兵達が全員散ったのを確認してから、俺はこの状況を打開すべく、小声で作戦会議を始めた。


「もとの道を帰るのは困難なようだ。それに、このまま3人一緒に逃げるのも得策ではない……とりあえず最優先すべきはソーマだな」


「だな。その重たいタンク背負って逃げるのも大変だろうし……よし。ここは俺とアテナとで囮になる。ミミズクさんはしばらくここに身を隠して、辺りに誰もいなくなるのを待ってから逃げてくれ。ちょうどこの裏の柵を越えると、なんとかいう寺の墓地だ。そこを抜ければ、トラックの止まってる住宅街に出られるだろう。先にフクロウの旦那達と合流してから俺達を拾ってくれ。合流地点ランデブー・ポイントはあとで連絡する」


 アテナの意見に俺も頷き、地の利の活かしての作戦と役割分担をすばやく立案する。


「俺は別に構わないが、そっちは大丈夫なのか? アテナ嬢はいいとしてもDr.はこの道に関しちゃ素人だ。囮みたいな危険な役回りをさせるってのはどうも……」


「フン。古の時代、軍師は風水の術も心得ていた……なぜだかわかるか?」


 その案に対して難色を示すミミズクに、俺は一見関係ないようでいて実は関係ありありな話をし始める。


「はい?」


「いったいなんの話だ?」


「それは風水が地形や地勢を読み解き、それを己が味方につけようとする魔術だからだ。地の利を得た者にこそ戦の女神はほほ笑む……俺はこの浅野キャンパスを知り尽くしているからな。全員無事逃げおおせるためには俺もアテナと一緒に行った方がいいだろ?」


 なに訳わかんないこと言ってんだ? という顔の二人を無視し、俺は自信満々にそう続けた。


 このように大勢の屈強な兵達に追い回され、その上、銃まで撃ちかけられてるなどという最悪極まりない状況に直面した場合、人間、恐怖や不安、絶望といったマイナスの感情に襲われるのが普通であろう……しかし、非魔術的なことにも今の俺は、あの憎たらしいクソジジイと鉢合わせしたためか? それともこの非日常的な雰囲気に飲み込まれているからなのか? なんだかシャーロック・ホームズやあの〝鞭持った闘う考古学者〟に憧れを抱いていた子どもの頃のように、この真夜中の冒険を楽しむワクワクした心持ちに支配されていたのである。


「……わたし一人の方がいいと思うんだがな」


「フン。その言葉、あとで前言撤回させてやる。それに一人では囮としてボリューム感にかけるだろう? 二人の方がある意味目立っていい」


 とても迷惑そうな顔をしたアテナが水を差すようなことを言うが、俺も負けずに理詰めで言い返してやる。


「……わかった。Dr.の言うことにも一理ある。その作戦でいこう」


 すると、中立の立場に立つミミズクも覚悟を決めた黒い目で頷き、俺の作戦に賛同した。


「仕方ない。だが、足手まといになるなよ?」


「フン。せいぜい迷惑かけないようがんばらせていただくよ……では、決まりだ。先ず俺達は敵を惹きつけながら逆方向の西へ向かう。1、2、3でいくぞ?」


 そうと決まれば善は急げとばかりに、俺はまた失礼な発言をするアテナに答えると、2人の顔を見比べて心の準備を促す。


「……1、2、3、作戦ミッションスタートだ」


 そして、合図とともにミミズクをその場に残し、アテナと藪の中から飛び出した。囮なので敢えて隠れようとはせず、むしろそこはかとなく目立つよう、月明かりの射す小道を駆け抜ける。


「あっ、いたぞ! こっちだ!」


「そっちに回れ!」


 すると時を置かずして、俺達を見つけた衛兵団の兵士が集まって来た。こちらの狙い通りだ。


「撃たんならこっちからいくぞ」


 パン…! …パン…!


 全速力で走りながらも、アテナは後方の追手に向けて容赦なくベレッタを放つ。


「うがっ…!」


「ぐおっ!」


 その弾は的を外さず、見事、追手二人の足を貫いて彼らを転倒させた。


 前々から危ないやつだとは思っていたが、やる時は本当に情け容赦なく引鉄を引くようだ……こうして実際に彼女が生身の人間を銃で撃つ姿を目の当たりにすると、さすがの俺でも衝撃を覚える。もし、このような危機迫るシチュエーションでなかったならば、もっと大きなショックを受けていたに違いない。


 だが、今はそんな感傷に浸っていられるような場合でもない。


「やむをえん。こちらも撃ち返せ! 敵は本物のテロリストだ!」


 ……パン! …パン! ……パン…!


 大学の敷地内であることから躊躇っていた相手方も、アテナの攻撃にいい加減、自衛のための拳銃を使い始める。


「くっ……」


 再び振り向きざま狙いを定めるアテナだったが、近くの地面に当って跳ねる敵の弾に、彼女も身を屈めて銃を持つ手を引っ込める。


 こうなると、多勢にアテナ一人ではこちらに分がない。いくら衛兵団といえど常時携帯はしていないらしく、小銃相手でないのがせめてもの救いだ。


「こっちだ! そこの隙間に入れ!」


 次第に数を増しながら迫り来る追手に、俺は近くの建物と建物の隙間を指差して、そこに素早く逃げ込んだ。


「……ハァ……ハァ……とりあえず作戦の第一段階は成功のようだな」


 その咄嗟の方向転換に気付かず、前にいるはずの俺達を追ってやつらが横を通り過ぎて行くのを見送ってから、俺は息を整えつつ口を開いた。


「これだけ引き付ければもういいだろう。ミミズクも敷地外へ逃れた頃だ。あとはこちらがどう脱出するかだが……何か策はあるのか? まあ、今の人数なら再び分散させて、各個撃破していくことも不可能ではないがな。ただし、応援を呼ばれていてはちょっと厄介だ」


「安心しろ。逃走経路もちゃんと考えてある。ここが俺の庭だということを思い知らせてやる」


 月影も届かぬ真の暗闇に潜みながら、俺はアテナの問いに答えると今いる建物の隙間をさらに奥へと歩き出す。


「学生や教師達しか知らない、野良猫の通るような所を抜けて移動するのさ。さしずめ〝キャット・ウォーク作戦〟と言ったところだな。それから、この際、銃使うのもよしとするが、くれぐれも無益な殺生はするんじゃないぞ? 下手に殺されてはこっちの寝醒めが悪いからな」


「ああ、なるべく気を付ける」


 人には不向きな狭い道をカニ歩きしながら注意する俺に、アテナはいつもの淡々とした口調でしごく簡潔に答える。なんか、その淡泊さがリアルで怖い……ほんとに気を付けてくれるんだろうな?


「……ん? ああ、こちら土御門……そうか。それは上々だ。こっちは今から北東入口の門に向かう。そちらは門から東に少し行った弥生坂に曲がる角辺りで待機していてくれ……ああ。何かあったらまた連絡する。それじゃ、また後で」


 そんな時、覆面の下に着けた俺とアテナのインカムに、ミミズクとソーマを無事回収したという報告がフクロウから入った。ついでなので、こっちも計画と合流地点ランデブー・ポイントを伝えておく。


「北東の門から出るつもりか?」


 今の会話の内容に、まだ行き先を教えていなかったアテナが尋ねる。


「ああそうだ。大回りでまた東に戻ることになるがな。あそこなら今、フクロウ達がいる位置からも近いし、もし門を見張られていたとしても、すぐ近くに隣接していくつか寺がある。そこの境内を抜けて逃げることも可能だ。ここら辺は意外と寺が多いんだ」


 そうアテナに説明すると、俺達は巧みに裏道を使って捜索の目を逃れながら、北東の入口目指しゆっくりと、だが確実に進んで行った。


「おい! そっちにいたか?」


「駄目だ。見付からん。この近辺からもっと細かく捜そう」


 途中、なかなか動いてくれない相手に行く手を塞がれることもあったが。


「クソっ、邪魔だ……ここはいいから早くどこかへ行ってくれ……」


「任せておけ」


 パン…! …パン…!


「ぐあっ!」


「うっ…!」


 アテナは言うが早いか、さらっと拳銃でその二人の兵を狙い撃つ。


「くっ……こ、こっちだっ! こっちに来て…うごっ…」


 …ドフ…! …ボガ…!


 そして、物影から素早く躍り出るとアクロバティックな回し蹴りで仲間を呼ぼうとした二人の口を一瞬で塞ぎ、何事もなかったかのようにまた歩き出す。


「おい! 無暗に撃つなって言ったろ?」


「心配ない。おまえの言う通り、ちゃんと殺さないようにしている。それより急ぐぞ。応援の兵が来るようであれば、そんな悠長にもしていられないからな」


 慌てて後を追いながら叱責する俺に、アテナはさも当然というように言って退け、その間にも足を止めることなく先を急ぐ。


 まったく、なんてガキだ……しかし、今見たところでは確かに兵達が撃たれたのは足や腕などの急所を外した部分だった。さっき走りながら後方に迫る追手を撃った時もそうだったが、素人目でもわかるくらい、彼女の射撃の腕前はかなりのものだ。


 ……などと、呆れるやら感心するやらする内にも、俺達はそこを下れば北東入口まで目と鼻の先という、木の茂った土手の見える位置にまで到達した。


「よし、あと一歩だ! あの茂みに入れば敵の目も眩ませるしな」


 ゴールが目前に迫った喜びと、安全圏に早く入りたいという本能的な願望に、一瞬、気の緩んだ俺は不注意にも建物の影から走り出す。


「伏せろっ!」


 だが、突然のパン! という乾いた銃声とともにアテナが俺を突き飛ばした。


「痛っっ……いきなり何す……」


 一瞬、何が起きたのかわからず、文句を口に倒れた地面から起き上がろうとした俺の目に、白煙の立ち上る銃口をこちらに向けて、10メートルほど先に立つ一人の男の姿が映る。あの賀茂と話をしていた、若い衛兵団士官らしき男だ。


「……うわっ!」


 その光景に呆然と固まるよりも早く、アテナが俺の腕を引っ張って、今、飛び出たばかりの建物の影に再び逃げ込んだ。


「すまん。助かっ……」


 危ないところをアテナに助けられたとようやく理解し、礼を述べようとする俺だったが、彼女の方へ顔を向けた瞬間、結局、俺はまた呆然とその場で固まってしまう。


「くっ……」


 アテナは血に濡れた右上腕部を手で押さえ、覆面の隙間から苦悶に満ちた眉間の皺を覗かせていたのだ。


「おまえ、撃たれたのか? ……俺の……代りに……」


 それは、俺にとってかなりの衝撃だった……彼女が撃たれたという現実もさることながら、それ以上にあのアテナが、俺のことを身を挺して守ったという事実が信じられなかったのだ。


「かすり傷だ……問題ない……」


 俺に心配をかけまいとしてか……いや、こいつはそんな気遣いのできるやつじゃないと思うが、その言葉とは裏腹に強く傷口を抑えるその小さな左手が、そうとうな苦痛をともなっていることを俺に教えている。


「さあ、ウサギちゃん達、楽しかった鬼ごっこももうおしまいだよ? もうじき応援も到着するしさ。諦めて潔く出てきなよ」


 そんな士官のどこかゲームを楽しんでいるかのような声が、複雑な感情に襲われる俺の心を現実へと引き戻した。


「残念だけど、おとなしく捕まってくれれば、もう痛いようにはしないからさあ……でないと、今度は本気で狙い撃っちゃうよ?」


 バギュゥゥーン…!


 その脅し文句とともに、士官の放った銃弾が俺の顔近くの壁に当って跳ね返る。


「いや~近藤さんが警護する場所増やすのやだって言うからさ、わざわざソーマを持ちに来たんだけど、まさか、ここが君らの本命だったとはねえ~。ほんと、今夜の俺はツイてるよ」


 バキュゥゥーン…!


 続け様に、ふざけた台詞を吐きながら士官はさらに銃を放つ。ここは市街地の、しかも大学の敷地内だというのに、そんなのはもうお構いなしの容赦もなしのようだ。


「沖田三尉ーっ!」


「ああ、こっちだっ! 応援はまだか?」


 さらに追い打ちをかけるようにして、残り兵士2人も騒ぎを聞いて駆けつけて来る。こんな時にどうでもいいことだが、賀茂のジジイはあのままあそこでまだ固まっているのだろうか?


「クソっ、これじゃ動けないな……あと一歩だっていうのに……やむをえん。ここは一旦、ヤツらの隙を突いて構内へ戻り、迂回して別のルートを探すか?」


「いや、ぐずぐずしてても取り囲まれるだけだ。わたしに考えがある。おまえの命をわたしに預けてくれるか?」


「あ、ああ……任せた……」


 痛みを堪え、覆面の下から覗く真っ直ぐな碧い瞳をこちらに向けて問うアテナに、思わず俺は考える間もなく頷いてしまう……まあ、考えたところで俺に解決策がない以上、どの道、彼女にすべてを委ねるしかないのだが……。


「あそこまで10秒といったところか……アテナからフクロウへ。聞こえるか? 現在地から弥生坂に出て西へ103メートル行ったポイントで、きっかり1分後にコンテナの左側を全開にしてくれ。わたし達が乗り込んだら即出発だ。わかったな?」


 俺の返事を確認すると、アテナはスマート・フォネで〝グルグル・アース〟の〝人造の月〟写真を見ながらインカム越しに指示を送る。


「おい? 何をする気だ?」


 承諾をした後では文字通り後の祭りであるが、何か嫌な予感がして俺は尋ねる。


「いいか? わたしが合図したら全速力であそこの柵まで走って飛べ。うまくいけば追手を振り切って脱出できる」


「飛べ……って、この位置だと確かあの柵の向こうは……」


 柵の向こう側は弥生坂という広い坂道なのだが、東に下るその坂と平らな大学の敷地とでは東に行くにつれて徐々に高低差が生まれ、それが最高潮に達するこの辺りでは下まで3メートルほども高さのある崖状態になっているのだ。


「心配ない。ちゃんと助走して飛べばコンテナまで届くはずだ」


「はずってなあ……」


「時間がない。10秒前になったら行くぞ? 20、19、18、17、16、15…」


 その非魔術的なありえない計画に俺は表情を曇らせるが、腕時計を見つめるアテナは有無を言わさずカウントダウンを始めている。


「…14、13、12、11、10、行けっ!」


「ええっ!」


 ダラララッ…!


 まだ心の準備ができていない俺の手を引っ張り、一緒に壁の影から飛び出すとアテナはベレッタを三点連射バーストさせて敵に浴びせる。


「おい、早く出て来な…うわっ!」


 その予期せぬ攻撃に2人の兵は銃弾を食らい、士官は辛くも咄嗟に身を屈めて避けたものの、そのことで俺達に逃げる隙を与えてしまう。


「くっ…距離がわからなくては射出角度も計算できん!」


 迷っている時間などない。俺は手を放したアテナの横に並び、文句を口にしながらも力の限りに柵へ向かって疾走した。


「ハッ! …しまった! 逃がすかっ!」


 パン…っ!


「飛べっ!」


「もうどうなろうが知るかっ!」


 士官が気付いて銃を放つのと、俺達が柵に足をかけて跳び出すのは同時だった。


 運よく弾は的を外し、僅か頭上をかすめて夜の闇を飛んで行く……。


 現象的には一秒にも満たないわずかな間の出来事だったが、相対的にゆっくりと感じられたその一瞬の内、俺はアテナとともに眼下の歩道の上を空中歩行しながら、さらにその歩道と車道とを遮る金属の柵も飛び越え、そこに停まったトラックの、段々に近付いて来る全開に扉の開けられたコンテナの中へと引力に任せて突っ込んだ。


「うくっ…」


「今だ! 出せっ!」


 床に墜落して呻く俺を尻目に、うまいこと受け身をとったアテナは瞬時に起き上るとフクロウに合図する。


「待てっ!」


 士官も柵の所まで来て拳銃を構えるが時すでに遅し。トラックは豪快な機関インゲニウム音を冷たいアスファルトの上に響かせて走り出す。


「痛っっ……クソ! なんて無茶苦茶な作戦だ……」


 傍らに見える足を見上げると、ミミズクがニヤリとグッジョブ・サインを見せている。


「くっそーっ! やられたーっ!」


 遠のくキャンパスの高台では、柵から乗り出した士官が悔しそうに雄叫びを上げている。


「やはり、俺にこうした肉体労働は不向きだな……」


 そして、突っ伏したままそう呟く俺を乗せ、扉を全開にしたトラックは信号も無視して真夜中の街を爆走した――。

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