ⅩⅧ 盗人稼業

「――フン。ここへ来るのも久々だが、まさか、こういう形で訪れることになるとはな……」


 自宅でのミュオニック・ジ・アクアの練成実験に成功した日の翌日…いや、もう翌々日になろうとしている深夜0時近く、俺はアテナと、それからもう一人グラウクスの隊員だという長身・長髪の男とともに東京皇国大学の閉ざされた門の前に立っていた。


 といっても名建築師・伊藤忠太による本郷キャンパスの正門でも、かの有名な旧加賀藩邸の赤門でも、はたまた医学部に所縁ゆかり深い鉄門でもなく、北東に位置する浅野キャンパスの、しかも門と呼ぶのも疑わしい、住宅街にひっそりと開く南東側の裏口の門である。


「では、いくぞ……」


 その裏口で、俺は頭からすっぽりフードを被るとスカーフで覆面も施し、背後の二人に合図を出して扉もない門から敷地内へと潜入する。


 なぜ東京皇大は東京皇大でも、その顔ともいうべき安田講堂や赤門のある本郷キャンパスではなく、この世間一般にはマイナーな浅野キャンパスの方なのかといえば、ここに工魔術部や大学院工魔術系探求科の関連棟が集中しているからだ。


 そして、こんな時間にこんな所からこそこそと構内に忍び込む目的は他でもない……賢石機関に必要な原質の片方を手に入れてからまだ間もないのであるが、もう一方の原質〝ソーマ〟の方も早々に調達してやろうという魂胆なのである。


「この装束ほんとに効果あるんだろうな? でなきゃ、ただの恥ずかしいコスプレだぞ?」


 俺は背後に二人を従えると周囲を警戒しつつ、キャンパス内を忍び足で進みながら尋ねた。


「心配ない。わたし自身、もう何度となく使って実証済みだ」


 すると、すぐ後にいるアテナがなんの迷いもなく、そして、相変わらず抑揚なくそう答える。


 なんとも気持ちの籠っていない言い方だが、まあ、この娘は気休めを言うような器用な真似できそうにないので、とりあえずその言を信じてもよかろう。


 現在、俺達は三人とも忍者とキリスト教の隠修士を加算して最大公約数を導き出したような、極めて怪しい黒尽くめの格好をしている。


 一見、何かアニメのコスプレのように見えなくもないが、この装束はガイア騎士団の開発したけっこうな優れもので、闇夜に紛れて目立たないばかりか、赤外の光やレーザーを用いたセンサー類にも一切引っかからない素材でできているらしい……つまりは人間用隠形マリーチシステム、いわば〝天狗の隠れ蓑〟と言ったところだ。


「まさか、こんな魔術まで開発しているとはな。まったく、おまえらの組織には恐れ入ったよ」


 俺はなおも目指す建物の方へと用心深く進みながら、後を振り向きもせずに呟く。


 間者スパイはもちろん盗賊の手などに渡ったら厄介なことこの上ない危険な代物だ……って、俺達もその多大なる恩恵に与り、現在、その盗人稼業の真っ最中なのであるが。


 俺達が目指しているのはこの浅野キャンパスのほぼ中心に位置する、賢石力探求総合センターである。その建物内に設けられたあのクソジジイ――東京皇大工魔術科賢者の石専攻教授・賀茂保雄博士の実験室ラボラトリウムの中に、お目当ての〝ソーマ〟が入ったエーテルタンクがあるからだ。


〝プロヴィデンス〟にごく僅かな原質しか残っていなかったことを知っている米帝軍や衛兵団は、当然、ガイア騎士団がそれを奪いに来ることを予測して、そうした物の置いてあるような施設を監視しているに違いない。しかし、講義の実験用に少量のソーマを置いているだけのここならば、当局も警戒を怠るのではないか? とまあ、そう考えたわけである。


「だが、賢者の石に関わるものはトウカイムラとかいうとこの方にあるんじゃないのか?」


 背後の暗闇の中から、今度はアテナの方が小声で訊いてくる。


 近年、賢石力専攻の講義や研究は、主に茨城県東海村の方にあるキャンパスで行われている。向こうには自前の賢石炉なんかもあったりするので研究者にとっては恵まれた環境なのだが、どうやらアテナはそのことを言っているらしい。


「まあな。だが、賀茂のジジイはこっちでも院や学部の講義を持ってるんで、ここにもやつの研究室が用意されてるんだ。ま、そこが狙い目なんだがな。おまえらを血眼になって捜してるヤツらも、さすがにここまではノーマークだろう」


「なるほど。それでここなわけか。だが、ちゃんと対象の所在地はわかってるんだろうな? いざ行ってみて場所がわからんでは話にならんぞ?」


「フン。俺がちょっと前までいたことを忘れたか? ここのことなら建物の間取りから野良猫の徘徊経路まで、すべてこの頭の中に入っている。目を瞑っていても歩けるほどだ」


 俺は顔だけを後に向け、自分の頭を指で示しながらアテナにそう答える。不本意ながらもう3日も一緒にいるせいか、失礼極まりないこいつとの会話にもだいぶ慣れてきたようだ。


「あとは番犬ケルベロスシステムに引っかからずにどう忍び込むかが課題だったが……」


 それもこの忍者コスのおかげでノープロブレムとなり、俺は暗い外灯だけが灯る夜のキャンパスを二人の賊をつき従えて悠然と突き進んだ。


 忍び込むには不向きかもしれないが、今宵の空はよく澄み渡り、満月に近い蒼々とした月が地上の静寂を写すかのように煌々と輝やいている。平日ならばまだしも、日曜の真夜中となるとさすがにどの建物にも明かりは見えず、静かな構内には俺達以外に人の気配もまるでない。


 最初は警戒しながら歩いていたものの、なんだか夜の散歩でもしているみたいでウキウキと足取りも軽くなってきた頃、俺達黒尽くめの不審者三人組は、早くも目指すクランク形の大きな建物前へと到達した……賢者の石力探求総合センターである。


「ここだ。鍵は任せた。少し前なら俺でも・・・開けれたんだがな」


「ああ、了解した」


 当然のことながら番犬ケルベロス装置がONになっている閉ざされた扉の前で、アテナは背負っていた黒いリュックを開き、お尻から延びるコードに雷子手帳みたいな機器の付いたカードを取り出すと、平然とドアに付いたロックのスリット部分にそれを差し込む。


「よし、開いたぞ」


 僅かの後、部外者が強引に開けると発報して警護会社がすっ飛んで来るはずのドアは、年端もいかぬ少女の手によってなんなく簡単に開けられた。


 見た目はまだ子どもでも、さすがはガイア騎士団のエスピオンだけのことはある……っていうか、こんな非合法な行為を目の前にしても平気でいるとは、俺もずいぶんと悪党の片棒担ぎが板に付いてきたものだ。


「おい、とっとと案内しろ」


「ああ、わかってるって。そう焦るな」


 相変わらず命令口調なアテナにこちらもぶっきら棒に返し、俺は懐中雷灯を点けて真っ暗な建物内へと足を踏み入れる。 


「そういや、なぜ米帝は〝プロヴィデンス〟の協同開発をここでやらなかったんだ?」 


 そのまま、消火栓の赤いランプと避難誘導の淡い白色光だけが灯る廊下を早足に進みながら、ふと浮かんだその疑問を暇つぶしがてらアテナにぶつけてみた。


「不本意ながらも賀茂のジジイの本拠地だし、東京皇大だってゴーレム工魔術系の研究はしてるんだから、むしろこっちでやった方が便利だったんじゃないか? いや、いっそ衛兵団の研究施設でやった方がいいだろ? 相模原もあるし、近場なら目黒の艦艇装備研究所もある」


「この国では賢石力兵器の所持が禁止されているからな。そんなゴーレムの開発を衛兵団の施設でやるのは何かと支障がある。大学でということならイメージ的にもソフトだし、万一バレた時も表向き民間利用のためとかなんとか言い訳もできる。それにここもだが、サガミハラやメグロは運搬するには内陸すぎだ。その点、篠浦工魔大は海にも近いし、秘密裏に運び込むには好都合だ。次世代ゴーレムの研究開発に力を入れている大学でもあったしな」


「なるほど、そういう大人の事情か……ま、おかげでこうしてソーマにもありつけるし、皇大内では意見する者さえいなかったあのクソジジイが、他人さまの土地でデカい顔できなかったのは少々小気味いいがな。その上、おまえらのおかげでとんだ騒動に巻き込まれてしまったというわけだ。ハハハっ! 実にいい気味だ!」


 どこか懐かしい香りと静寂だけが支配する闇の中で、俺は忍び込んでいることも忘れて思わず高笑いを響かせる。苦虫を噛み潰したような顔で地団駄を踏むヤツの様を思い浮かべると、なんだか胸の痞えが取れるような、スカッと爽快な気分になる。


「……お、ここだここだ。こいつも鍵を頼む」


 そうこうして、とても盗みに入っているとは思えない緊張感のなさで建物内を進軍して行くと、いつの間にやら最終目的地の実験室ラボラトリウムに着いていた。


 早々、慣れた手つきでアテナがドアの鍵穴に専用の器具を差し込み、ここもなんなく解錠する。


 さっきの手腕も見事だったが、こんなカワイイ顔して…あ、いや、別に女性として顔立ちがよいとか、そういう意味的なものではなくてだな……と、とにかく、つまりはこんなガキのくせして、きっと、こうして今までにも何度となく不法侵入を繰り返してきたに違いない。


「で、ソーマはどこにある?」


 そんな感想を抱きつつ、その手慣れた指の動きにしばし見惚れていると、アテナが振り向きざまそう俺に訊いてくる。


「……あ、ああ。そっちの棚だ」


 不意に彼女の透き通った碧の瞳と目があったので、俺は慌てて顔を背けると部屋の奥にある大きく頑丈そうな金属の棚を指差した。


「しかし、何も変ってないな……」


 こんな真っ暗闇の中を訪れるのは初めてだが、やはりこの雰囲気と空間を満たす空気にはなんともいえない懐かしさを感じる。


 室内は俺の実験室ラボラトリウムと同じように元素加速器やその他様々な計測機器、それらから伸びるコード類などで埋め尽くされている。一つ違うのは、俺の所には螺旋式元素加速器(サイクロトロン)と連環式元素加速器(シンクロトロン)があるのに比べ、ここには直線型の加速器しかないことだ。ちょっと優越感……ま、元素専攻の試験場に行けばあるし、東海村にはウロボロス炉まであるのだがな……。


 そうして俺がいろいろな意味で感慨に浸っている内にも、頑丈に掛けられた扉の錠前をすんなりと開け、アテナはすでに中を物色し始めている。


「これか……ミミズク、頼む」


「おうよ」


 そして、中に並べられた「soma」と胴に記してあるフラスコ型のタンクを見つけると、ここへ来るまでずっと無口だったグラウクスの男に運ぶよう頼んだ。


 そもそも彼は小柄なアテナや非力な俺になり代り、ソーマのタンクを背負って帰る役割で一緒に来ているのだ。ちなみに南東側裏口よりちょっと行った住宅街の中には「引っ越しのフクロウ便」トラックに乗って隊長のフクロウとコノハズクという背の低い隊員も待機している。


「……よし。では、ズラかるとするか」


 そのガタイのいい隊員ミミズクがソーマの詰まったタンクを背負い、もう完全に盗人な台詞で合図をする。


 今は覆面をしているのでよく顔が見えないが、ミミズクも他の隊員達同様、日系人だ。日本での作戦のためか、グラウクスのメンバーは全員日系人で構成されているらしい。


「フン。賀茂め、ソーマをタンク一本紛失したことで責められるがいい。そして、あわよくば、その責任を取らされて辞職に追い込まれろ」


 すぐには盗まれたことに気付かれないよう、アテナが鍵をもとに戻すのを待って、俺は呪いの言葉を吐きながら二人とともに早々その場を後にした。


 実験室ラボラトリウムを出た所でまたアテナがドアを施錠し、もと来た暗い廊下を足早に駆け抜ける。戴くものを戴いたら、もう長いは無用だ。


「……これで番犬ケルベロス装置も入ったはずだ。あとは車まで無事帰るだけだな」


 例の器具で建物入口のロックもONに戻し、黒いリュックを背負いながらアテナが呟く。


「まあ、もともと不安要素はなかったが予想以上にうまくいったな。こうもすんなりいくとなんだか拍子抜けだ。品行方正に生きてきた俺としては初めての非合法行為だったというのにな」


「昨日の錬成実験も何かと引っかかってると思うぞ?」


 あとは歩き慣れたキャンパスを再び戻るだけとなり、なつかしさを感じる既視感デジャヴュとともに、油断し切ってアテナとそんな会話を交わしている時のことだったーー。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る