ⅩⅠ 乙女のジェラシー

 恋する乙女な紗貴にとっては、今朝のことだけでも恐竜を絶滅に追い込んだ巨大隕石の衝突に匹敵するほどの充分すぎるインパクトであったが、運命の女神はなんとも意地悪なことに、恋のピンチはそれだけで終わらなかった……。


 今朝の出来事に不安を覚えながらも、きっと自分の取り越し苦労に違いないと思い直して受けた一時間目のこと。


 今日は朝から早々に土御門が担当する錬金術の授業であり、教壇に立ついつもと変わらぬ彼の姿を見れば、このぼんやりとした悪い予感もどこかへ吹き飛んで消え失せてしまうものと、ある種、楽観的に信じていたのであるが……。


「……?」


 紗貴は一瞬、目を疑った。清香や更那達とおしゃべりしながら魔術室に入り、いつも座っている後方真ん中当りの席に着こうとしたその時、紗貴はふと、なんの気なしに目をやった窓際一番後の席に、あの、謎の欧米系美少女が座っているのを目撃したのである!


「あの子……」


「あ! 今朝の子だ」


 清香や更那もそれに気付き、紗貴ほどではないが驚きを顔に浮かべている。


 なぜ、彼女がここにいる? ……いや、単位制だし、転校生なら今日からこの授業を取ったとしてもおかしくはないのだろうが、それにしたって……いったいなんだというんだ? この展開は?


 その後はもう、せっかくの土御門の講義もまともに受けられるような心理状態ではない。


「――特に超雷導の方はすでに様々な分野で応用されている。例えば、磁力浮上式鉄道マグレブなんかも、この〝空〟の相なくしてはできなかったものだな」


 ちょっと素敵だと思っている土御門の声も、今の紗貴の耳には入らない。同じく好みなタイプである彼の顔を存分に眺めることもできず、気になる謎の少女の方をちらちらと覗いながら、紗貴の一時間目は過ぎていった。


 そして、ふと気付けばチャイムが授業の終わりを告げ、紗貴も他の生徒達に混じって魔術室を出て行く時のことである。


「先生、それじゃまたね~♪」


 紗貴はいつものように親しげに、だが、自分が好意を抱いていることは表に出さぬよう留意しつつ、土御門に挨拶をした。


「ああ、お疲れさん……」


 こちらもいつもの如く、土御門も素っ気なく彼女に答えるが、今日は素っ気ないどころか、紗貴の方すら見てもいない。


 じっと彼が見つめる視線の先に紗貴も目をやると、そこにはいたのは案の定、あの謎の美少女だった。少女も瞬き一つすることなく、円らな碧の瞳で土御門の方を見返している。


 キーッ! なんだって言うの? 一体?


 紗貴はギリギリと歯軋りをしつつ、嫉妬の炎が燃え盛る目で二人を交互に睨みつける。もし〝邪視イーヴルアイ〟というものがこの世に実在するとしたら、さもありなんというような眼力である。


「く~っ……」


「あ、あのさぁ……お取り込み中のとこ悪いんだけど……」


 そうして見つめ合う二人に呪いをかけていると、おそるおそる背後から清香が彼女を呼んだ。


「なにっ?」


 紗貴は鬼のような形相で振り返り、キッと清香を睨みつける。


「ひっ! ……い、いや、次、健身の授業だし、そろそろ行った方がいいんじゃないかと……」


 その顔に一歩足を退いて慄きつつも、清香は勇気を振り絞ってご注進申し上げる。


「そうだよ? 健身の千葉っち怖いから遅れるとマズイよ?」


 更那も相変わらずの暢気な口調でそう紗貴を諭す。


「………………」


 このまま怪しげな二人を放っておくわけにはいかないが、移動や着替えとかもあるので、確かにそろそろギリギリの時刻である。


 健身の授業に遅れるのは厄介だ。健身教師の千葉はその古武士が如き外見通り、まだ若いくせして無駄に厳しいし、遅刻の罰にグランド一周や腕立て伏せをさせられるなど、優等生として通っている紗貴のプライドが許さない。


 ……いや、それ以前に遅刻した理由が、「憧れの教師と妙な雰囲気になってる女生徒のことが放っとけなくって…」などと、言えるわけないじゃない!


 それにこのままここにいたとしても、どうやって二人の間に割って入ればいいのだろう? カノジョでもないのに彼と見つめ合うなとも言えないし、ストレートにイチャモン付けては自分が土御門に好意を抱いていること明らかにバレバレだ。


 何かこう、もっと自然にさりげなく邪魔ができれば……そう。授業の内容について質問するとか……でも、この頭に血が上った状況で浮かぶのは「先生、その子とどういう関係なんですか?」という直球ド真ん中なものばかりである。


「紗貴、気持ちはわからんでもないけどさ……」


「紗貴ちゃん、行かないなら先行っちゃうよ? ……あ、今のダジャレじゃないよ?」


 戸口に立つ友人達が再度彼女を急かす。もう彼女達以外、今の授業を受けていた生徒は一人も魔術室に残ってはいない。


 ……ま、まあ、まだ二人がそういった関係だと決まったわけじゃないし……一見、見つめ合ってるように見えるけど、すべてが自分の思い過しだってことだってある……いや、きっとそうに違いない!


「くっ……」


 もう時間もないことだし、紗貴はそう自分を無理矢理納得させると、なおも視線を通わせる二人の方を何度も振り返りながら、友人達とともにその場を後にした。


 ……だが、やはり自分の心に嘘は吐けない。図らずもそうして問題を放置する形となってしまったことは、よりいっそう彼女の不安を増長させることとなった――。


 二時間目、健身の授業のためにあずき色のカンフー服とブルマに着替えた紗貴だったが、その騒ついた気持ちを切り替えることはなかなかできなかった。


 休憩中、体育座りでぼんやり空を眺めてはあれこれ物思いに耽り、自分の番が来て百メートルを走っては、ゴールを通り越してさらに百メートル余分にトラックを回ってしまう……けっこう恥ずかしい人だ。


「おおーい! 式部ーっ! どこまで行く気だーっ? 今日は二百じゃないぞーっ!」


 健身教師の千葉も、いつにない紗貴の間抜けな失敗に唖然とした顔である。


 また三時間目、古文の時間に『源氏物語』を読んでは、嫉妬のために生霊にまでなった光源氏の恋人・六条御息所ろくじょうみやすどころと己が身を重ねて目に涙し、四時間目の数秘術では、いつのまにやらノートの端に〝土御門先生+少女X=Y 土御門先生‐私=Y〟などという訳のわからん連立方程式を書いて、その解を求める超難易度の高い作業に授業そっちのけで没頭した。


 そして、午前中の授業も終わり、悶々とした気持ちのまま、野外でお弁当を食べるために清香や更那と一緒に中庭へ向かって廊下を歩いていた時のこと。


 紗貴は、またしても衝撃の場面に出くわすこととなるのである……。


「――でさあ、一部のアホな男子どもが文化祭で女子全員にネコ耳と尻尾を取り着けさせようと目論んでるらしいんだよ。ほんと、考えることがキモヲタって感じでしょう?」


「へえ~そうなんだあ~。やっぱ、ネコ耳の人気はまだまだ高いんだねえ~」


「………………」


「紗貴? ……もしもーし! 紗貴さーん? 聞いてますか~?」


 黙り込み、先程からなんの返事もしない紗貴の目の前で、清香は手を振って反応を確かめる。


「……え? あ、ああ、ちゃんと聞いてたよ。今度、ネコ耳・スク水でマラソン大会するんだって? いや~楽しみだなあ~」


「いや、話発展してるし……ってか、走れるもんなら走ってほしいわ……」


 ようやく我に返って答えるも、どうやら心はどこか遠くへ行ってしまったままのようである。


「もう! しっかりしてよ~。そんなにあの子のことが気になるんなら、直接ハルミンに訊いちゃえばいいじゃん」


「えっ? そ、そんなの無理に決まってるじゃない! そ、それに、べ、別にわたしはあんな子のこと、そんな気にしてなんか……あ!」


 清香の提案に慌てて首を振る紗貴だったが、そんなところへ折よくというか、いや折悪しくというべきか、なんとも奇遇にも件の人物達がこちらに向かって歩いて来たのである!


「――おい。念のため言っておくが、学食に行ってもおまえには奢らんぞ?」


「わたしは金を持っていない。奢ってもらわねば昼飯が食えん」


 振り向きもせずに話しかける土御門の三歩後を、少女が答えながら追いかけるというなんとも古めかしい亭主関白な歩行形態で、二人はズンズン廊下を歩いて近付いて来る。


「あ、あの、土御門せ…」


「フン。知ったことか。飯が食いたければ蘆屋にでも奢ってもらえ」


「蘆屋は保健室だ。それでは少なくとも5分前後おまえの傍から離れることになる。片時も離れたくはない」


 今朝同様、やはり彼女達には目をくれることもなく、その傍らをいそいそと通り過ぎて行く二人……そんな二人の会話が、彼らと交錯した瞬間、紗貴の耳にも聞こえた。



片時も離れたくはない……片時も離れたくはない……片時も離れたくはない……(※エコー)。



「んが…………」


 脳内に木霊するその言葉に、紗貴は口を大きく間抜けに開けたまま、石像のように強張った表情で固まってしまう。同じく清香も目を皿のようにし、更那は赤らめた頬を両手で覆ってキュンとしている。


「俺は5分でも離れられれば、せいせいすんだがな」


「そう意地を張らなくてもいいぞ? 本当は始終、ロリフェイスのわたしが傍にいてうれしいのだろう? なんといっても、おまえは幼女趣味だからな」


「誰が幼女趣味じゃっ!」


「じゃあ、ロリコン」


「同じ意味だっ!」


 だが、それでもやはり紗貴達を気にかけることなく、土御門と少女は羨ましくも痴話ゲンカをしながら、足早に廊下の彼方へと去って行ってしまう。


 あとには往来の真ん中にポツンと佇む、紗貴達三人だけが取り残された。


「片時も離れたくないなんて、なんて情熱て…うぎゅっ!」


 うっとりと胸の前で両手を組み、キラキラと輝く瞳で素直な感想を述べようとした更那の脇腹に、清香のエルボウがまたしてもクリティカルヒットする。


「さ、紗貴、気にすることないよ? きっと今のは三人一緒に聞こえた空耳だよ。そう。集団幻覚ならぬ、集団幻聴ってやつ? 世の中、不思議な現象ってあるもんだねえ~アハハハ…」


 空気読めなげな更那の口を塞ぎ、なんとか紗貴を立ち直らせようと努力する清香だったが、なんとも上手くない取り繕い方である。


「痛ててて……清香ちゃん、いきなり何すんだよ……だけどハルミン先生、なんかぜんぜん自分の方は気がないような素っ気ない態度だったよね」


「……え?」


 腹を抑えながらも再び口を開いた更那の何気ない一言に、紗貴は微かな希望の光をその青ざめた顔に取り戻し、清香は心の中でナイスフォロー! と拳を握りしめるのであったが……。


「先生、やっぱツンデレなんだね。でも、いつもは素直になれないくせして、重要イベントの時だけはデレデレにな…むぎゅうっ!」


 今日、三度目となる光速のエルボウが更那のボディに喰い込んだ。


「………………」


「紗貴さ~ん……お~い、帰ってこ~い……」


 更那の言葉が最終防御壁に最後の一撃を加え、最早、清香の声も届かぬほど、紗貴は完全に再起不能となった……。


 とまあ、そんなこんなで精神崩壊した紗貴は昼食も喉を通らず、五時間目の英語では、教師に当てられると自身の傷付いた恋心を英文ポエムにして黒板に綴ったりなどしつつ、現在、本日最後となる、六時間目の司馬による世界史である。


「――その開発が進んだのは米ソ冷戦時代ですね。赤外の光やレーザー誘導によるミッシレが使えない隠形マリーチ装甲材が開発されたことが大きかったようです。この冷戦時代に開発が進んだ魔法技術には、ゴーレムの他にも重要なものが二つほどあるのですが……ん? おい、式部。その二つとはなんだかわかるか?」


 教壇で生徒達の方を振り向いた司馬が、ぼんやり外を眺めている紗貴に気付いて不意にその名を呼んだ。


「………………」


 だが、悩める乙女な紗貴は呼ばれていることにすらまるで気付かない。


「おい、式部! 聞いてるのか、し・き・ぶ?」


「……え? ……あ、は、はい!」


 何度も名前を呼ばれ、ようやく気付いた紗貴は慌てて跳ねるように椅子から立ち上がる。


「いや、別に起立せんでもいいが……式部、その二つってのはなんだ?」


「え、えっと、それは……すみません。聞いていませんでした……」


 改めて質問する司馬に対し、紗貴は気まずそうにそう答えることしかできない。


「式部、優等生のおまえらしくないぞ? どうかしたのか?」


「いえ……ちょっと考えごとをしてただけです……すみません……」


「俺の授業よりも優先して考えなきゃいけないこととは、さぞかし重要な問題なんだろうな?」


「すみません……」


「……まあ、いい。もう他所見なんかせずに授業集中しろよ?」


「はい……」


 嫌味を言ってからかっても俯いて謝るだけの紗貴に張り合いをなくし、司馬が黒板の方へ再び向き直ると、紗貴も暗い表情で静かに着席する。


「えー、答えは愚者の石・賢者の石爆弾といった極兵器と天体開発ですね。天体開発における天津舟あまつふねは、弾頭に愚爆や賢爆を積んだ大陸間弾道ミッシレ〝インドラの矢インドラズ・アロー〟として軍事兵器に転用が可能ということで開発が進みました。この冷戦時代には、そうして何十遍と地球を滅亡させられる量の極兵器が作られ、現在もその多くがそのまま残っています。これほど人類の魔術は発達したというのに、後先考えずになんとも非魔術的なことをしたものですね…」


 今度は窓の外を眺めることもなかったが、再び語りだした司馬の声はやはり紗貴の耳に入らない。いや音としては聞こえていても意味をなす言葉として頭が理解しようとしないのだ。


「くっ………」


 紗貴は教科書の今やっているところより一ページ前の紙面に視線を落したまま、悔しそうに奥歯を独り噛みしめた。


 そして、この後、彼女はある大胆な行動に打って出るのだった――。

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