Ⅸ 密着監視
……とまあ、昨夜は何かやろうとする度にそんな想定外の事態が発生し、俺はひどく疲労感を残したまま今日の日の出を迎えたというわけだ。
「……で、やっぱり高校にもついて来るつもりか?」
俺は重厚な英国アンティーク家具のテーブルで朝食をとりながら、昨日同様に昌平坂高の制服を着たアテナに尋ねた。
「もちろんだ。それがわたしの任務だからな」
彼女は俺の対面の席に座り、苺ジャムを塗ったトースト方手にその質問に答える。
また冷蔵庫を勝手に漁られてもアレなので、先手を打って彼女の分もトースト、ジャム、牛乳を用意してやったのだ。質素な朝食だが、別に彼女だけ差別しているわけではない。俺も普段から朝はそんな軽めの食事である。
「…ゴクリ……しかし、生徒でもないのにどうやって俺を見張ってるつもりだ? 昨日はうまく潜り込めたようだが、いくらうちの制服を着てたって、見たこともない子どもが長時間に渡って校内にいたら、さすがに教師や生徒達に怪しまれるだろ?」
俺は一口、牛乳を飲むと、とりあえず彼女がついて来ることは諦めるとして、そんな疑問に思っていたことを訊いてみる。
「しかも、その目立つ日本人離れした容姿だ。もし見咎められでもしてみろ。どう言い繕っても部外者が生徒になりすましていたことを正当化する説明にはならないし、警察にでも通報された日にはそうとう厄介なことになるぞ? それに俺はいくつも授業を持ってるから、その間、ずっと俺の傍で見張っているなんてことは…」
「それなら大丈夫だ。そのために蘆屋がこれを用意してくれた……ほら」
早口に問題点を順次指摘してやる俺の口を封じて、アテナはそう言うとブレザーのポケットからパス・ケースのようなものを取り出して俺に渡す。
「……?」
受け取って見てみると、ケースの中身は彼女の昌平坂高校在学を証明する学生証だった。ちゃんと制服を着た上半身の写真が貼られ、「
「はらすあてな……おまえ、日本人だったのか? いや、その顔立ちからすればハーフか?」
「ん? ……ああ、名前のことか。いや、アテナというのはあくまでわたしを識別するためのコードネームにすぎん。その生徒名はコードネームの由来になったギリシア神話のアテナ女神をもじったものだ」
学生証の写真と実際の彼女を見比べながら尋ねる俺に、さらりとアテナが抑揚なく答える。
「アテナ女神? ……原守愛天奈……はらす……パラス・アテナ……ああ、なるほど……」
古代ギリシアで、アテナ女神は〝パラス・アテナ〟とも呼ばれていた。〝原守愛天奈〟というその名前は、それを日本の学校に通う女生徒らしく漢字表記にしたということか。
「てか、ダジャレか? もっとなんか捻れ!」
「…モゴモゴ……いろいろ捻りは入れてあるぞ? 無論、日本人でも日系ハーフでもないが、一応、日本人と米帝人のハーフという設定にしてある。その方が日本にいる言い訳もしやすいからな。それから学生証だけでなく、昌平坂高校のデータベースにもハッキングして、わたしという生徒が以前からいたことにもちゃんとなっているからなんの問題もない」
ツッコむ俺に、その原守愛天奈さんは特に悪びれるでもなく、平然とトーストをかじりながら非合法なことをすらすらと口走る。
はあ、左様ですか……昨日の今日でなんとも手回しのいいことだ……その見た目やふざけた言動からすっかり失念していたが、こんな
「というわけで今日からよろしく頼むぞ、土御門せ・ん・せ・い」
「うぐ……」
ある種、感心して彼女の顔を眺めていた俺は、こんなヤツの心配などしてやる義理じゃなかったことも思い出した――。
そして、その日の一時間目……。
「――ええ、この前は四大元素の現代的解釈について話したが、それに加えて古代インド哲学の五大における〝空〟は何になるかというと、物質の第五の状態とも呼ばれる〝超流動〟や〝超雷導〟がそれに当る……」
俺は黒板に板書しながら、時折、ちらちらと振り返って教室の一番後・窓際の席を見やる……そこには、ノートをとるでもなく、ただじっと座って、飽きもせずにこちらを監視し続けている生徒になりすましたアテナがいる。
「……ええ、これは絶対零度に近い低温にすることで、元素のポテンシャルがゼロになる――即ち〝空〟になった時にボース・アインシュタイン凝縮またはフェルミ凝縮という巨視的な凝縮を起し、超熱伝導になる現象をいい――」
なにか、背中に突き刺さるようなその氷の如き冷徹な視線が痛い……俺が絶対零度に近付いて、超流動体になってしまいそうだ……。
続く、二時間目も……。
「――というわけで〝賢者の石力発雷〟というのは元素極合一を用いて雷気を造るものだが、それとは逆に元素極分霊による熱を利用した発雷法を〝愚者の石力発雷〟と呼んでいる。この方法では流出性元素であるウラニウムやその極分霊によって生まれるプルトニウムを……」
俺は説明の途中で振り向いて、ちらりとそちらを見やる。
「ええ、こちらも他の発雷法に比べて少量の原質で膨大なエナジーが得られ、また使用済みの原質も処理して再利用できるという、まさに永遠不滅のエナジー源とでもいえる特徴を備えていたことから、かつてはこれこそが伝説に云う賢者の石であると讃えられたのだが……」
そして、また見る。
黒板に向かって講釈を垂れながらも、やはり窓際最後尾の席がどうしても気になり、生徒達の様子を窺うのにかこつけて、ついついそちらの方へと目を向けてしまうのだ。
「………………」
まあ、見るまでもなく、その席には一時間目とまるで変わらぬ様子でアテナがこちらを見つめて座っているのであるが……。
「ええと、なんだったかな? ……ああ、そうそう。かつては極分霊の方も賢者の石と讃えられていたんだが、こちらは極合一と違い、現実的な処分方法のない、ほぼ永久に有毒な流出物質が多量に錬成されるという欠点や、
ちらり。
「ええ、極合一による賢石力発雷技術が開発された後は、その負の性格から愚者の石と称されるようになった。特に旧ソビエト神聖同盟のチェルノブイリで起きた発雷所の爆発事故以降、その利用にはいっそう疑問の声が上がり――」
もちろん授業中なので、彼女だけでなく他の生徒達も俺のことを見ているし、特に実害といえるような害もないのだが……どうにも授業に集中できん。
さらに三時間目も……。
「――つまり〝赤外の光〟とは、光をクリスタルに通してスペクトル分光した時に赤色のさらに外側にある、人の目には見ることのできない光のことで、より魔術的にいうと可視の光の赤色より波長が長く、雷波よりも短い雷磁波のことだ。さらにこの赤外の光は、波長の長さにより
いや、もう、見ても見なくても結果はわかっているのだが、かつてシュレーディンガーがその矛盾を指摘した霊子錬金術的な確率の〝重なり合わせ〟が
「………………」
やはり、
「コホン……ええ、例えば、遠つ赤外の光は対象物に熱を与えるため、こたつやストーブなどの暖房器具に利用できるし、また、すべての物体は遠つ赤外の光を少なからず発しているため、これを感知できる装置を用いた熱源センサーや
俺が言うのもなんだが……いい加減、そんなに俺の授業を受けていて飽きないのか?
もうかれこれ、これで三時間目だぞ? それに授業中ばかりか、休み時間も俺の後方約3メートルの位置を保ってずっと付いて来るし、俺がトイレに行く時も入口に立って男子トイレの中を覗いている(いや、あれにはさすがに一緒に用をたしていた男子生徒達が驚いていた…)。
まあ、うちの高校は単位制のカリキュラムなので、ずっと同じ教室で授業を受けていても、それほど目立つことはないのだろうが、どうやら彼女は本気で今日一日、俺にぴったり張り付いて監視しているつもりらしい……。
「ハァ……」
俺は独り、黒板に向かって大きく溜息を吐いた。
その後も、アテナは四時間目、昼休み、五時間目、六時間目と、放課後まで俺の監視をけして怠らなかったことは言わずもがなである。
だが、実は俺の気付かぬところで、逆にそんな彼女のことを恨めしく妬ましげな眼差しで見つめる者がいたらしい……。
そして、後々考えると、俺も我が身の自由を得たいがために恐ろしく短絡的なことをしてしまったものであるが、この日の放課後、アテナはその者達とまた一つ騒動を起したのである……。
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