Ⅷ ひとつ屋根の下に

 ――チュン、チュン……ピチチ……


 カーテン越しに柔らかな朝の光が俺の顔の上に射し込み、窓の外では小鳥たちのさえずりがほどよい賑やかさで聞こえている。


「ふぁ~あ……」


 俺はベットの上で上半身を起こすと、あくびとともに毛伸びをした。


 枕元の大理石でできた置時計を見ると、いつもの起床時間である6時半までにはまだ10分もある。なぜだか今朝は、目覚ましが鳴るよりも早く覚醒したようだ。


「ああ、おまえも起きたか」


 そんな俺の耳の中に、すぐ近くで誰かの発した音声が鼓膜を震わす微かな空気の振動となって入って来る。どこか聞き憶えのある、妙に大人びた調子なのに、どこか幼い印象も受ける不思議な声だ。


 そう思ってそちらに首を捻ると、ベッドの脇には純白の小ぶりなパンツだけを身に着けた半裸の少女が一人、同じく白のタンクトップに首を通そうとした格好のままでその動きを止め、無表情に寝ている俺のことを見下ろしていた。胸はまだブラを着けるまでもない、つるぺたな幼児体型である。


 少し視線を下にずらせば、床には水色のパジャマが乱雑に脱ぎ散らかされている。古典的錬金術における各惑星の象徴記号を散りばめた柄の、俺が持っているのと同じものだ。


 ……そうか……アラームが鳴る前に目が覚めたのは、枕元で彼女がガサゴソと着替えをしていたためか……。


 まだ覚醒したばかりで脳細胞が不活性の中、俺の潜在意識はこの状況にそんな解釈を下し、もう少しばかり二度寝しようと再びベッドに横になった……が、心地よい眠りの縁へ堕ちて行こうとする意識の片隅に、ふと、うっかりスルーしそうになっていた重大な問題点が不意に引っかかる。


 ……ん? ……少女? ……裸の? ……しかも、つるぺたの?


「なっ…?」


  俺はまさに「ガバっ」という擬音通り、ベットから飛び起きた。


 そして、白のブラウスに袖を通す少女の顔を、間抜けに口を半開きにしたまま見つめる。


「……ん? なんだ? どうかしたか?」


 そのハーフのような顔立ちをした銀髪の少女は、男に裸を見られたというのに悲鳴を上げるわけでもなく、逆に「何か問題でも?」というような平然とした態度で、固まった俺の様子に碧い眼を訝しげに細めている。


 そんな少女としばし見つめ合った後、俺はようやくすべてを思い出した。


「ハァ……なんて、非魔術的なんだ」

 

 寝癖のついたボサボサの頭を押さえ、俺は大きく深い溜息を吐く。


 話は昨夜遅く、とりあえず今後の方針を定め、ヤツらのアジトで再び目隠しをされた後、自分の家まで送り届けられたその時から始まる――。





「――ここがおまえの家か?」


 日が落ちると自動で点灯する、古風なランタン型の照明が門柱の上に灯るハーフティンバー様式の家の前で、昌平坂高の制服を着たロリータ・デンジャラス少女――アテナが俺に訊いた。


「ああ。一人暮らしにしては広すぎるがな」


 俺はアテナの方も振り返ることなく、ズボンのポケットから鍵を取り出してそう答える。


 俺をせた彼女らガイア騎士団の使っている偽装コンテナ車「引っ越しのフクロウ便」が指示通りに田園調布まで来ると、正確な位置を教えるために俺は目隠しを外された…ああ、言っていなかったが、俺の家は田園調布にある。南側の扇状に広がっている、当初の計画都市として開発された方だ。


 なぜ俺のようなしがない一介の高校教師がそんな日本を代表する高級住宅街に住んでいるのかと疑問に思う者も多いことだろう。


 だがなんのことはない。それは俺の曾祖父がとある大手霊薬会社の創業者で親父はそこのCEOだったからだ。


 しかし、そんな親父も俺がMIMの大学院を卒業した年に母親とともに事故であっさりと逝き、亡き祖父母も含めて他に家族もいなかったために、この高級住宅街の一軒家はただ一人残された俺のものになったというわけだ。


 相続する際に家政婦も解雇してしまったので、一人暮らしの身には持て余す広さの大きな家屋敷だが、ハーフティンバー様式という白壁に木の骨組みを剥き出しにした古風な英国風の外観はけっこう気に入っている。


「それなのに、なぜおまえは高校教師なんかやってるんだ? 親の会社は継がなかったのか?」


 玄関の鍵を開けながら俺がそう説明してやると、アテナが無遠慮にそんな個人の事情を訊いてきた。


「まあ、腐っても親父はCEOだったからな。確かに会社の株も大量に相続して、俺も一応、筆頭株主というやつになった。だが、会社の役員達は親父の死を機会に目の上のたんこぶだった創業者一族の追い出しを謀ってな。ま、俺の方もさらさら家業を継ぐ気なんかなかったんで、株は全部売却して金に替えた。ついでに他の有価証券なんかもな」


「ならなおさらだ。それだけの金があったら、なにも薄給の教師なんかしなくてもいいだろ? その気になれば一生遊んで暮らせるくらいだ。芦屋の話では教師の仕事もただ事務的にこなしてるだけのようだしな。何か信念を持って教育者になったようにも思えん」


 カワイイ顔して猛禽のように鋭い目だけを動かし、アテナは屋内を油断なく観察しつつ再び俺に尋ねる


「フン、言ってくれるな……だが、その通りだ。俺が教師をやってるのは、無論、そうしなければ食ってけないからだ。金がないからな」


「金がない? 遺産の金があるだろ?」


 何気に教師としての俺を全否定してくれているアテナだが、本当のことなので苦笑いを浮かべてそう答えると、彼女は訝し気に薄い眉を「ヘ」の字にした。


「その金なら私的な錬金術の探求費に全部使った。大学の探求室を追い出されたんでな、だったら俺個人でも大学や国レベルの探求をしてやろうと思って、この家の地下に専用の実験室ラボラトリウムを作ったんだ。だが、それで遺産は食い潰してしまったんで、糊口をしのぐためにやむなく高校教師になったというわけだ」


「そんなことのために莫大な遺産をすべて使い果たしたのか? 計画性がないというかなんというか、なんとも無駄金使いの贅沢な遊びだな」


「フン。そのお蔭でおまえ達もミュオニック・ジ・アクアが手に入るんだから、俺のその贅沢な趣味に感謝するんだな」


 やはり無礼なコメントを平然としてくる少女らしくない少女に、「後先考えずゴーレムで川へ飛び込んだやつにそんなこと言われたくない」とちょっとムカつきながら俺も言い返し、洋風の家ではあるがここは日本なので、ちゃんと靴を脱いで玄関を上がる。


「……なんだか空気が埃っぽいな」


 玄関から続く薄暗い廊下を進む途中、背後でアテナがまた呟いた。確かに古い板張りの床やガラス窓の桟などには薄らと白い埃が積もっている。


「なんせ、この広い家に一人暮らしだからな。それに俺は仕事と探求で忙しんだ。なかなか掃除にまで手が回らん」


 俺は振り向きもせずにそう答え、とりあえず寛ぐために居間へと入る。外観同様、英国のカントリー・ハウスを思わすような、アンティーク家具の置かれた瀟洒な部屋だ。


「ここもまたずいぶんと散らかってるな。いくらなんでも掃除しなさすぎだぞ」


 すると、続いて入って来たアテナが、あちこちに本やら論文の紙の束やら俺の普段着やらが散乱する居間の中をぐるりと眺め、またしても余計なお世話な感想を述べてくれる。


「フン。これは一見散らかっているように見えるかもしれないが、実はカオス理論的な法則性に基づいて最も俺が使いやすいようにすべての物が配置された、極めて論理的で魔術的な……」


 さっきから何かとうるさくコメントを挟む少女に、その見た目に騙され、本質を見極められぬ愚かさについてあれこれ諭してやろうとそこまで語ったその時、俺はふと、今更ながらにあることに気付く。


「ちょっと待て……おい。なんでおまえまでここにいる?」


「ん? なんでも何も一緒にコンテナ車でここまで来ただろ? もしかしておまえ、驚くほど記憶力がないのか?」


 ネクタイを緩めかけていたその手も止め、わなわなと震える声で尋ねる俺に、アテナは「おまえはアホか?」というに等しい口調でさも当然というように答える。


「そうじゃない! 一緒に来たのは憶えてる…ってか、俺は三歩歩けば忘れる鶏か? そうじゃなくて、俺が言いたいのはどうしておまえまで家に上がり込んでるかってことだ!」


 小バカにされているようで非常にムカついたので、俺は声を荒げて再度アテナを問い質す。


「俺が家に着くのを見届けて、もうおまえの用はすんだはずだろ? だったらとっとと帰れ! 銃突きつけてくるようなテロリストに、まあ、まあ、そんなお急ぎにならず、お茶でも召しあがっていって…などと親しい言葉をかけてやる義理はないぞ!」


「ああ、そういう意味か……いや、別に茶がほしいわけではない。わたしがここにいるのはおまえが裏切らないよう見張るためだ。おまえは我々の最重要機密を知ったからな。野放しにしておくような危険は冒せん」


 招かれざる客を追い払うべく、俺は冷たく彼女に言い放つが、アテナも感情のない冷徹な声の調子で淡々とそう述べる。


「ああ……」


 その盲点だったもっともな理由に、大人げなく少々熱っぽくなってしまっていた俺も一気にトーンダウンした。


 なるほど……確かに彼女達がそう考えるのにも一理ある。


 もし俺がつい今しがた見てきたゴーレムのことを警察にでもチクれば、賢石機関が直る直らん以前に、そこで彼女らの計画も一巻の終わりだ。アジトの場所がわからぬよう、俺に目隠ししていたのもそのためである。


 おまけに俺は同僚の蘆屋が実はテロリストの一味であることまで知ってしまった。彼女達が用心するのも無理ないことであろう。


 ……しかし、だ。


「フン。まるで信用がないな。だが、安心しろ。俺の望みは賢石機関を探求することだ。せっかくの軍事用小型炉に触れられる絶好のチャンス、俺がみすみす逃がすとでも思うか? おまえ達のことを他人に話すことは俺自身としてもメリットがない。どうだ? これ以上に魔術的で信用できる要因はないだろう?」


 俺は改めてネクタイを解きながら、裏切る可能性のないことを論理的に証明してやった。


「ま、それでも信用できないというのなら、うちに泊まってもらっても構わん。どっかその辺の空いている部屋にでも…」


 それでも彼女らの心情を鑑み、心の広い俺はそう譲歩案を提示してやったのだが……。


「いや、片時も目を放すわけにはいかんからな。これからは賢石機関が直るまで、毎日24時間、常におまえが視界に入る範囲で行動をともにさせてもらう。無論、今夜も一緒の部屋で寝かせてもらうぞ」


 彼女は、そんな俺の寛大な心も一瞬で元素崩壊させるような、賢爆の破壊力にも等しい爆弾発言をさらっとしてくれた。


「………………はあっ?」


 俺は彼女の方を見つめたまま再び動きを止め、数秒後、目を見開いて大声を上げる。


「なっ……なぜ一日中、おまえと一緒にいなきゃならん! それに同じ部屋に寝るなんて絶対に却下だっ! 却下!」


「心配するな。おまえが妙な行動をとらん限り、ただ監視しているだけで撃ったりなどせん。それに周囲にも怪しまれないよう、学校ではほら、こうして学生に変装する用意もしている」


「いや、そういう問題じゃなくてだなあ……いや、それも大いに問題だが……ってか、高校でもずっとくっ付いてるつもりかっ?」


 さもまったく問題はないとでもいうような顔をして、着ているうちの制服を見せつけながら言うアテナに、俺はドーパミンが多量に放出されるのを感じながら、さらに声を荒げる。


 確かに俺は彼女達の運命を左右する重大な情報を知ってしまったのだが、だからと言って、なんで四六時中、こんな危険極まりない小娘に付きまとわれなければならない? しかも今の口振りじゃ、常時、俺の半径5メートル圏内にはいるつもりだろ? それもプライベートな時間はおろか、高校での勤務中までもだ。


 それに年頃の…いや、それよりもちょっと幼児体型だが……とにかく! 若い娘が血気盛んな妙齢の男と一つ部屋に寝泊まりしようなどと……。


「と、とにかくだ! そんな迷惑この上ないことされたら、仕事もおちおちやってられん! 高校なら蘆屋もいるし、校門と裏門を見張ってれば仮に俺が外出しようとしてもわかるだろ? 雷話する危険性を疑うならケイタイを預けといてもいい。それからこの家で寝るにしても、せめてとなりの部屋か、別にいいなら廊下に…」


「ハァ…まったく、うるさういヤツだなあ……仕方ない」


 早口に捲し立てる俺に、アテナは表情に乏しい顔をいつになくしかめると、面倒臭そうに溜息を吐く。どうやら俺の懸命な説得にようやく彼女も諦めてくれたらしい。

 

 ……と、思ったのだが。


「殺すわけにもいかんし、これを使うか」


 物騒な台詞を口にする少女は、膨らんだスカートのポケットからなんだか拳銃のようなものを取り出す。拳銃のような形をしているが、普通の拳銃とはどこか違う黒い金属の塊だ。


「ちょっと待て……なんだ? その手に握っているものは?」


 その危険な香りのする物体を目にし、俺は先ず間違いなく悪いことだけは確かな予感を覚えながら、それでも一応、おそるおそる彼女に尋ねてみる。


「スタンガンだ。うるさいから今夜はこれでおまえを眠らせておく」


 ああ、あれか……あの棒状の近接格闘用のものではなく、引鉄引くと銃の先端からビョ~ンと雷線を伸ばしながら一対の突起物が飛んで行って、それが刺さると雷気がビリビリっと流れて相手を気絶させるっていうヤツだ……。


「大丈夫だ。死にはしない。それじゃ、また明日の朝会おう……」


「スミマセン! 24時間傍で監視していただいてけっこうです!」


 無慈悲な顔でスタンガンを構える少女に、俺の方が説得を諦めた――。





 ……とまあ、そんなこんなで抵抗も虚しく、やむなく昨夜は彼女と一緒に過ごす羽目になってしまったわけなのであるが、その後、俺は軟弱にもスタンガンに屈してしまったことを大いに後悔することとなる。


 例えば、夕食の時も……。


「――おい、自分だけ食うのもなんだから一応、礼儀上勧めてやるが、飯食うならおまえの分も作るぞ?」


 と、ダイニング・キッチンでフライパンを握り、市販の冷凍フィッシュ・アンド・チップスを調理していたエプロン姿の俺は、首だけを背後に向けてアテナに訊いてみたのだが……。


「ああ、構わんでくれ。適当に自分で食うから」


 彼女はそう答えると冷蔵庫の方へと歩み寄り、中からチーズやらをソーセージやらを堂々と物色して食べ始めた。


「ああ、そうか。それじゃ、なんのお構いもせんぞ……って! 他人ん家の冷蔵庫、勝手に漁るなっ!」


 また夕食の後、風呂に入ろうとした時も……。


「――さてと。それじゃ、俺は一風呂浴びてくるからな」


 今日一日、教師の仕事ばかりかテロリストに拉致されるなどという非日常的な体験までして疲れ切っていた俺は、熱いシャワーでもゆっくり浴びて、疲労困憊した身体をほぐそうかと思ったのであるが。


「ああ、それならわたしも一緒に入る」


 案の定、アテナは俺の背後にぴったりとくっ付いて、風呂場にまで同行しようとする。しかも、ついて来るばかりか〝一緒に入る〟って、どうゆうことだ?


「フン……」


 しかし、それしきのことぐらいで俺はもう驚きなどしない。若干なりと学習能力があれば、彼女がそうした言動をとることは容易に予測できるはずだ。


 そこで、俺は俺の身体が脱衣場のドアを完全に潜り抜け、続いてアテナの足が敷居を跨ぐまでの僅かな時間差タイムラグを逃すことなく、中に入るや否や、すかさずドアを閉めると一瞬の内にして鍵をかけてやった。


「ハハッ! 悪いが風呂はゆっくり一人で入りたいんでな。まあ、裸じゃ外に出ることもできんし、そこで見張ってれば問題ないだろ?」


 俺は満足げに笑みを浮かべながら、ようやく解放された思いで服を脱ぎ始めた。外ではアテナがドアを開けようと必死にガタゴト大きな音を立てているが、これでもう、さすがの彼女でも入って来ることはできまい。


「ま、後でおまえにも使わせてやるから、俺が上がるまでそこでおとなしくまってるんだな」


 身に着けていたものをすべて脱ぎ去り、一糸纏わぬ無垢な姿になった俺は、閉め出された無力なテロリストにそう言って聞かせつつ、安心して浴室へと通じる曇りガラスの戸に右手をかけた。


 先程来、ガタガタと揺すられていた入口の戸もピタリと静止したので、どうやら彼女も諦めたのだろう。


 ……ところが。


 バギューン…!


 次の瞬間、金属が高速で衝突して破裂したような甲高い爆発音が俺の背後でしたのだった。


「……?」


 一体何が起こったかと、俺は慌てて後を振り返る……するとそこには、ドアノブ部分の壊れたドアを開けて、何事もなかったかのように悠然と入って来るアテナの姿があった。


「………………」


 現状把握がまるでできず、俺は振り返った格好のまま、しばし無表情なアテネと見つめ合う。


「このドアおそろしく硬いな。ぜんぜん開かないんで、こいつを使わせてもらったぞ」


 さらっとそう告げるアテナの手には、愛用の自動式拳銃が握られている……なるほど。開かぬなら、開けてみせようホトトギス……開かない戸にいい加減頭にきて、そいつをドアノブ目がけてぶっ放ちやがったか……だが、なぜ鍵をかけられたという普通の発想には到らない?


「それじゃ、わたしも入らせてもらうぞ。そういえば、日本にはラテン風呂とかいう、野外に作ったバスタブがあると聞いているが、そいつはおまえの家にもあるか? しかし、なんでそれがラテンなのだ? 野外で裸になる乗りがラテンっぽいということか?」


 俺が呆れを通り越して関心すら覚えながら天然デンジャラス・ロリータを見つめていると、彼女はそう尋ねながら、着ていた制服の中華風ブレザーをおもむろに脱ぎ始める。


「んん? ああ、それはラテンじゃなくて露天風呂だ。ろ・て・ん。屋根がないというような意味だな…ってか、脱ぐなぁっ!」


 あまりにその挙動が自然すぎて、間抜けにも真面目に返答してしまった俺であるが、彼女がブラウスの第二ボタンにまで手をかけたところで、ようやくその重大事を認識して声を上げた。


「……?」


 だが、その直後、俺は自身の下半身を見下ろし、完全に失念していた、それ以上に一大事なある事態に今更ながらに気付く。


「ん? 股間がどうかしたのか?」


 俺の動きにつられ、アテネの碧の眼差しも俺の無防備な下半身へと注がれる。


「なっ……?」


 そういえば全裸だったりする俺は、慌てて股間と、それからなんだか勢いで胸まで手で覆い隠し、くるりとアテネの方に背を向けて、まるで恥じらう乙女であるかのように身体を縮めた。もう「キャ~っ! アテナさんのエッチ~っ!」状態である。


「ええいっ! 風呂はもうやめだあっ!」


 俺は女子のような悲鳴を上げる代りとして、そんな怒りの大声を大理石張りのローマ風な風呂場に響かせた。


 そして、さらに就寝の時には……。


「――ったく、なんで俺がこんな目に合わねばならん……おい、今日はいろいろな意味で疲れたから、俺はもう寝るぞ!」


 やむなく風呂も諦め、それでも恥ずかしい思いをしてまで裸になったことを意地でも無駄にしまいと、ついでにパジャマへ着替えた俺はそのまま寝室へ直行して眠ることにした。


 無論、アテナもついて来たが、もう一々抵抗するのにも疲れた。


「そうだな。明日も一日、おまえについていないといけない。わたしも少し睡眠をとらせてもらうことにしよう。だが、わたしはプロだからな。もしおまえが眠っている最中に逃げ出そうなどという愚かな考えを起したら、その時はすぐに気付くから安心しろ」


 朝、起きた時のままの状態で乱れているベッドを俺が直していると、背後でアテナがそう断りを入れてくる。


「俺としてはむしろぐっすり眠ってもらった方が安心なんだがな。ま、どうせ反対しても聞かないだろうから好きにするがいい。この部屋で寝るつもりなら、このブランケットかしてやるから、どっかその辺で…」


 こうまで迷惑をかけられても大人な俺は、そう言って余っていた毛布を一枚、取って彼女に渡そうと後を振り向いたのだが……。


「がっ…?」


 またしてもアテナは俺がいることおかまいなしに服を脱ぎ出していた。


 しかも今度は気付くのに遅れたため、ブラウスとスカートはすでに取り払われ、不必要なブラ代りに着ているタイトな白のタンクトップに関しても、すでに発展途上な胸の位置にまで捲くり上げられている。


「待てっ! なぜ服を脱ぐ!」


「ん? ……ああ、この服では寝苦しいからな」


 慌てて引き留める俺の言葉に、彼女はいつもの無表情でこちらを振り返ると、そんな微妙に納得させられる理由を答えた。


 まあ、確かに制服のままではあまり寝心地がいいとは言えんな。しかし、そうかと言って、ここで下着姿になられても……って、思っている内にまたタンクトップ脱ぎ始めるし!


「だからって、それまで脱ぐことないだろ?」


「これもキツくて邪魔だ。わたしは作戦行動中以外、寝る時は基本、全裸派なんだ」


 再び止めるも間に合わず、タンクトップはそのままさらりと脱ぎ捨てられる。いや、そればかりか、彼女はもっと聞き捨てならないことまで口走っている。


「ま、待て! せ、せめて、パンツだけは……」


 そう言いかけて、けして意図的ではない・・・・・・・にしろ、俺の視線は発展途上ながらも露わになっている彼女のつるぺたな胸に捉えられる。


 そして、僅かな時間差の後、俺は身体を180度急速反転させるとアテナに背を向け、ピンと背筋を伸ばした直立不動の体勢をとる。


 そうなのだ。パンツ云々以前に……いや、それは最後の牙城なので、なんとしてでも阻止せねばならんが……彼女はすでに小ぶりな白のパンツ一枚だけの、ほぼ全裸に近いあられもない姿になっているのである。


「………………」


「…ん? どうかしたのか?」


 突然、黙り込んでしまった俺の背中に、アテナが怪訝そうな声の調子で尋ねる。


「どうもこうもあるか! おまえも一応、女の子だろ! それが、そんな男の前で、は、裸になったりなどして、なんとも思わないのか?」


 俺としたことが非魔術的にも動悸を覚え、ドクンドクンとその音が聞こえるくらい、脈拍も速くなっている……。


 相手がまだ色気のまるでないガキとはいえ、やはり、こうしたちょっとHな漫画にしか出てこないようなありえないシチュエーションに実際遭遇してみると、俺のような人間のできた者であっても動揺を隠し切れずに慌てふためいてしまうものらしい……


 いや、念のため断わっておくが、別に俺はそういう低年齢の少女に興味があるとかそういうわけではない。けして誤解のないように願いたい。


「……ああ、そうか。おまえ、わたしの裸を見て発情してるんだな?」


「んがっ…?」


 しかしアテナは逡巡の後、壁を向いたまま顔を上気させている俺にとんでもない判断を下す。


「だ、誰がそんな発展途上なつるぺた幼児体型に…?」


 そう反論しようとした俺は、うっかり彼女の方を振り向いてしまい、慌ててまた顔を背ける。


「まあ、人間の性癖は様々だからな。賢石機関さえ直してくれれば、別におまえがロリータ・コンプレックスでもなんでも一向にかまわん」


 その根も葉もない、火のない所に煙の立った誤解をなんとか払拭しようと試みる俺をアテナは珍しく理解ある態度でフォローしてくれる…


「って、誰がロリコンだっ!」


 フォローどころか、余計、誤解が深まるではないか! 俺の名誉と尊厳を守るために断固否定するが、天に誓って俺はロリコンなどではない!


「そうか。ロリコンだったか……仕方ない。余計な刺激はせんよう、パンツだけは穿いておこう……ああ、注意しておくが、わたしの裸に発情したとしも、くれぐれも夜ばい・・・しようなどとは考えるなよ?」


「だ、誰がするかあっ! それに断じて俺はロリコンではない!」


 俺は必死に弁明するが、アテナはまるで聞いてはおらず、早々隅のソファの上でブランケットを被って横になると、そんな破廉恥な疑惑までかけてくる。


「まあ、わたしはそうした性行為に関する訓練も受けているから、おまえがその歪んだ性欲に取りつかれて賢石機関の修理もままならないというのであれば、別に相手をしてやっても構わんがな。ただ、寝込みを襲われると、敵と間違えて撃ち殺してしまう危険性がある。もしそうしたければ起きている時にちゃんと断ってからにしてくれ。それじゃ、また明日」


「うう……」


 否定したいことやツッコミたいことは山ほどあるが……色々ありすぎて頭がまとまらず、口からは間抜けな呻き声が漏れるだけである。


 いったい、このアテナという少女はなんなのだ?


 こんなガキのくせしてガイア騎士団のエスピオンなんかやってることに起因するのだろうか? 年相応ではないといおうか、言動が妙に大人びているとは思っていたが、その性愛に対する考え方はもっと年長の女性であってもありえないくらいに達観しすぎている。


 まあ、ある種、その態度は極めて魔術的であり、「恋愛感情」だの「私の気持ち」だのといった非魔術的でくだらんことに根拠を求めんところは同世代の女子どもよりもむしろ好感を持てたりもするが、それにしても、その言動はあまりにも常識を逸脱しまくりだ。


 特に、なんでもすぐ銃を出して解決しようとするところはすぐにでも改めてもらいたい。あやうく日本では銃器の個人所有が法律で禁止されていることを忘れるところだったぞ?


 もう早々と眠りについたのか? 目を閉じて臥せる幼い少女の顔を覗き込みながら、俺はしばし黙考に耽る。


 ……だが、ガイア騎士団はなぜ、こんな子どもをエスピオンとして重要な任務に就かせている?


 体力的にも経験的にも、彼女の年齢ではまだ不十分だと思うのだが……いや、この容姿だから逆に潜入活動などに利点があるということなのか? ……うまく説明できんが、この少女にはどうにも何かがひっかかるものを感じる……。


「……ん? なんだ、やっぱり夜ばいする気か」


 いつの間にか、じっと彼女の寝顔を見つめる形になってしまっていた俺に、不意に目を開


いたアテナが再びつるぺたな胸も露わに上半身を起して言う。


「するかっ! ってか、俺のパジャマ貸してやるから、それ着て寝ろ! ――」

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