Ⅲ 出会いは突然に

「――ということで、古くは地・水・風・火の四大元素がこの世界を構成している素子と考えられていたわけなんだが、現在、この四大しだいは物質の四態を表すものとして解釈されている」


 今日はアインシュタインの相対性理論的に案外早く時間も過ぎ去り、いつの間にやら日も傾き始めて六時間目の授業の時間……長く退屈な一日の仕事も最後の一コマを残すだけとなり、俺はいつもの如くヘルメス神の杖〝ケリュケイオン〟を襟と背に赤く染め抜いた専用の白衣を着て、やはり普段通りに授業を淡々とこなしていた。


 私立昌平坂高校は江戸時代、幕府の儒学を教える学校だった湯島聖堂の東どなりに位置し、そことも関係深い、儒教思想の普及だかを行っている財団法人が運営している高校だ。


 「だかを…」って、そこに雇われてる身としてはどうかとも思うのだが、特に興味もないので俺もよく知らん。聖堂の西側には東京呪医・歯牙呪医大学のスレート煉瓦で覆われた高層建築が堂々とそびえ立ち、北には関東の鎮守・平将門公を祀る神田明神、聖橋を渡って南にはロシア正教のニコライ聖堂なんて珍しいものもあったりなんかする。


 そんな神聖な堂宇と学舎がなぜだか集まっているこの奇妙な場所で、俺、土御門晴美は錬金術の教師をしている。


 といっても、別に小さい頃から教師になりたかったのだとか、学問を教えることに生き甲斐を感じているのだとか、そういった立派な信念を持った類のものではない……とあるよんどころない理由によって、仕方なく高校の教師になったのだ。


 仕方なく…などといったら、真面目に教師をやっている司馬や他の先生方にぶっ飛ばされそうな感じだが、俺に限っていえばそうしたやる気のない、まことにふざけた教師なのである。


 あ、ちなみに司馬は俺と同じくこの四月から昌平坂高校に採用された同期で、日本史と世界史の授業を受け持っている。歳も同じ22だし、教師になってまだ二月と経たない新米同志なので、お互い何かと話をする数少ない友人の一人だ。


「つまり温度の変化によって変容する物質の相を言っているのであり、〝地〟とは個体、〝水〟とは液体、〝風〟とは気体、そして気体をさらに熱し火相サラマンドラ――即ちプラズマ化したものが〝火〟であるということだ。また古代インド哲学では元素を五大としてこの四大に〝空〟を加えるが、今の四態の解釈からすると、この空は物質の第五の状態ともいわれる…」


 キーンコーンカーンコーン…。


 俺が黒板の前で四大の現代的解釈についてそこまで講釈を垂れた時、ウェストミンスターのチャイムが意図したように鳴った。と同時に、生徒達はまだ俺が何も言う前からガタゴトと騒音を発して席を立ち上がり始める。


「それじゃ今日はここまで! 次は五大における第五の状態についてやるからな! 今日やったとこはちゃんと復習しとくように!」


 順序が逆であるが、俺は生徒達の行動を追認するかのように大声で言った。


「おい! 部活の後、カラオケ行こうぜ、カラオケ!」


「お、いいねえ。久々にパ~っと盛り上がりますか」


「ねえねえ、近くに新しくスィーツのお店できたの知ってる?」


「えっ? どこどこ? あたし、行ってみたーい」


 だが、彼・彼女らはまるで聞いちゃあおらず、それぞれの話題で盛り上がりながら、早々に魔術室を後にして行く。まあ、どこの国でも高校生なんてこんなもんなんだろう。校訓として、一応、礼節を重んじることになっているこの昌平坂高校においても然りだ。


「先生、そんじゃね~♪」


「ハルミン、バイバーい!」


「しーゆーとぅもろお~」


 中には挨拶をして出て行く生徒もいるが、それにしても完全に教師に対する態度ではない。


 馴れ馴れしくも〝ハルミン〝などと親類・縁者にも言われたことのないようなカワイらしい愛称で呼び習わし、どうやら俺のことを友達か何かだとでも思っているようだ。特にこの、今朝も校門で手を振っていた式部紗貴しきぶさき納言清香なごんきよか孝標更那たかすえさらなの三人は輪をかけてそうである。


 まあ、普通にいけば大学出たての歳だし、確かにさほど歳も変わらない若輩者ではあるのだが……どう見ても、俺はこいつらに舐められている。


「ああ、じゃあな。ちゃんと復習しろよ」


 それでもやはり礼儀として、俺も素っ気なくではあるが挨拶を返して彼女らを見送ると、傾きかけた西日の射す魔術室内には、世界から取り残されたかのような静寂と俺のみが残された。


「………………」


 感傷に浸るなど俺らしくもないが、この教室という名の空間を満たす、どこか寂しさを感じさせる一種独特な空気……6時間目の後というのはいつだってこんな感じだ。


 ……と、この日も思ったのだが。


「……?」


 ふと見ると、魔術室の後方、元素表や古典的錬金術の寓意図などが貼られている壁の前に、独りの女生徒がぽつんと突っ立っていた。中学生のようにも見える小柄な女生徒で、銀色の髪をショートにした、ハーフのような顔立ちの美しい少女である。


 その女生徒が、身じろぎもせず無表情に、碧の瞳でじっとこちらを見つめている。紺色のシノワズリーな制服を着ているので昌平坂高生に違いないのだろうが、どうにも見かけたことのない生徒だ。こんな子、俺の授業を受けてる中にいただろうか?


 まあ、この学校のカリキュラムは単位制のため、学年・クラスを問わず様々な生徒が受講しているし、一人や二人、憶えてない顔が混じっていてもけして不思議ではないのだろうが……それでも、この印象深い容姿からして一目でも見ていれば忘れないように思う。


 さっきの授業中にも見た記憶がないので、今しがた気付かぬ内に入って来たのかもしれない。


 そんなことをつらつら考え、一瞬、この不思議な雰囲気を持った少女に図らずも見とれてしまっている内に、彼女は不意に動き出し、静かな足取りでゆっくりとこちらへ近付いて来る。


「土御門晴美先生……質問があります」


 そして教壇の前まで来ると、呆然としている俺の目を教師用の机越しに真っ直ぐ見据え、ひどく落ち着いた…というより、むしろ落ち着きすているという印象を受ける声でそう尋ねた。


「あ…ああ、何かな?」


 なんだ、質問があってわざわざ俺のところに来たのか……いつもと違うシチュエーションと少女の独特なオーラに飲み込まれ、何か身の危険を感じる、どこか動物的直観にも似たそこはかとない不安感を抱いてしまっていたのだが……それどころか、実に勉強熱心ないい生徒じゃないか!


 フッ…俺としたことが、なんの論拠もなしになんと非魔術的な……。


「すまない。憶えていないのだが、君の名前はなんと言ったかな? 俺に答えられることだったら、なんでも答えるぞ?」


「はい。ありがとうございます。それでは……」


 俺の返事に彼女は名を名乗ることなく、その代わり、なぜか机をぐるりと回り込むと、俺との距離を一瞬にして詰める。


「な…!」


 突然のその行動に、俺は唖然として仰け反るが、そんな俺に少女は……


「わたしと一緒に来てくれますか? 土御門晴美せ・ん・せ・い?」


 そう、殺気を帯びた眼差しを向けて言ったのだった。


「……え?」


 少女の言葉が耳に入るのと同時に、腹の辺りには何か冷たく硬い物が当っている感覚を覚える……間抜けな声を上げ、ゆっくり視線を彼女の顔から自分の腹部へと下ろすと、白衣の下に来た黒のジャケットの生地には、同じく黒色をした自動式拳銃が突きつけられていた。


「ぴ、ピストル? ……なんだ? この非魔術的なシチュエーションは?」


「もう一度質問する。わたしと一緒に来てくれるな? もちろんノーと言ったら殺す」


 素朴な疑問を思わず口にした俺の呟きを無視し、少女は改めて俺に尋ねる。


 だが、先程までのおとなしい口調とはまるで異なり、その見た目からは想像もできないようなひどく威圧的な声色で、なんの捻りもない直接的な表現を用いてさらっと怖いことを言ってくれている。いや、声ばかりでなくその表情も、さっきの幼い少女のものとはまるで別人だ。


「こっちも暇じゃない。さあ、とっとと答えろ」


 うちの制服を着た見知らぬロリータ少女が、俺の腹に銃を突きつけ、一緒に来るようガチな目付きで脅迫している……。


 これは何かの冗談か? それとも俺をびっくりさせようとしている生徒達のカワイらしい悪戯か?


 いや、腹の贅肉に当たるこの冷たく重量感のある感触は、どうにも玩具の拳銃などで表現できるようなものではなさそうだし、彼女の気迫に満ちたその言動も、とても芝居や演技の類のもののようには思えない……もしこれが演技だったならば、確実にアカデミー賞主演女優賞級の名演技だ。ならば悪い夢かとも疑ったが……残念ながらそうでもないらしい。


 この、あまりにも現実味のない嘘みたいな突然の展開……いったい何がどうなっているのかさっぱりわからないが、俺はこれでも魔術師の端くれだ。こんなふざけた状況に対しても魔術的に分析して最善の対応を心掛けるべきところであろう。


「……どういうことか、説明してもらおう」


 だから俺は呼吸を整えて心を落ち着かせると、努めて冷静な態度でそう少女に尋ねた。


「ついてくればわかる。なに、こちらの要求さえ飲んでくれれば悪いようにはしない」


 説明もなしか……せめて同行の理由くらい聞いてから判断させてほしいところではあるが、こちらに拒否権のないことだけは腹に当たる銃口が雄弁に語ってくれている。


「わかった。そのデートの誘い、謹んでお受けしよう」


 理由もわからぬまま、ここで命を落とすのはおもしろくない……やむなく、そう答えて少女の脅迫に屈しようとしたその時。


「おーい! 土御門ぉ~いるか~?」


 そんな声とともに、後方の出入り口の扉がガラっと開けられた。


「土御門、この後暇ならたまには飲み…に……」


 そこに顔を覗かせたのは、誰あろう我が朋友、司馬であった。


 彼は一歩、魔術室に足を踏み入れたところで、口をポカンと開けたまま阿呆面で固まっている……まあ、そりゃあそうだろう。なんせ同僚が女生徒に銃を突きつけられているのだからな。


 司馬よ、さすがは我が数少ない友人の一人だけのことはある。なんともジャストタイミングで来てくれたものだ! これであいつが大声でも上げて人が集まって来さえしてくれれば……。


 俺はそう思い、この窮地から救い出してくれる可能性を秘めた人物の到来に、いつになく神と呼ばれる存在に対する感謝の念というものを多少なりと抱き始めていたのであったが。


「お、おまえ……こ、こんなとこで何やってんだ?」


 司馬は少女にではなく、なぜか俺の方へと視線を向け、見てはならないものを見てしまったというような顔をして尋ねてくる。


「……ん?」


 どうにも様子がおかしい……そこでふと、俺は自分の身の回りに目を向けてみたのだったが。


「……っ?」


 なんと驚くべきことに、先程までとなりで銃を突きつけていたはずの少女が、いつの間にやら0距離にまで間合いを詰めて、その発展途上なロリ体型を俺の身体にぴったり密着させているではないか?


 一見、この状況は放課後の教室で密かに寄り添い合う、禁断の恋に結ばれた男性教師と女生徒のようにも見えなくもない……否、どう見てもそれ以外の何物でもない!


「ま、まさか、土御門、お、おまえ、そ、その子と……」


 司馬がそう思うのも無理はなかろう。やつは目を丸くしたまま、案の定なことを呟いている。


「い、いや、これは…」


 当然のことながら、俺はすぐさまその誤解を解こうと口を開くが、すると腹に当たる黒い金属の塊がよりいっそう強く突きつけられてプニョプニョの贅肉に食い込む。司馬の位置からは仲睦まじいカップルのように見えていても、自分の身体の影に隠して、彼女の握る拳銃は俺に当てられたままなのだ。


「そうだ。見ての通り、土御門先生とわたしは命がけの・・・・仲なのだ」


 銃で俺の口を封じてから、少女は代わってそう答える。確かにある意味〝命がけ〟ではある。


「い、命がけって……おい、土御門、おまえ、そこまで本気で……」


 少女の言葉を司馬は違う意味に受け取り、信じられないという顔色をして密着する俺と少女を交互に見比べている。


「ああ、わたし達は本気だ。ねえ、せ・ん・せ・い?」


 そんな司馬へのダメ押しにとばかりに、少女は俺に有無を言わさぬ同意を求めてくる。彼女の〝本気〟というその言葉が、とても恐ろしく感じられる。


「……あ、ああ。俺達は本当の意味で、今、命がけの・・・・関係にある」


 腹に当たる銃口がそう答えろと命じているので、多少、皮肉を込めた言い回しで無駄な抵抗を試みつつ、俺は首を縦に振った。


「そうか……まさか堅物のおまえが教え子とそんな関係になっているなんてな……わかった。本来なら教職に身を置く者として反対すべきところなんだろうが、おまえ達がそこまで本気なら、俺はもう何も言わないし、何も見なかったことにする。もちろん、このことは誰にも話さないから安心しろ……それじゃあな。けして平坦な道程みちのりじゃないだろうけど、きっと二人で幸せになるんだぞぉぉぉぉぉ~っ!」


 しばし真剣な眼差しで見つめ合った後、おまえは友達の秘密を知ってしまって心の葛藤を抱く思春期の少年か! とツッコミを入れたくなるような叫び声だけをこの場に残し、司馬は猛スピードで魔術室を走り出て行ってしまう。


「……フゥ…それじゃ、ご案内願いましょうか? 名も知らぬ我が愛しのお嬢さん」


 アホウな心優しき友人にご親切にも放置された俺は、大きく息を吐いてから、ふざけた調子で少女に両手を挙げて見せた。


 ここまでくればもう破れかぶれだ。司馬に変な誤解をされたおかげでむしろフッ切れた。どうせ俺の命はこの少女の姿をした運命の女神が握っているのだ。いい加減、だらだらと教師をやっていることにも飽き飽きしていたところだし、どこへなりと連れて行ってもらおうじゃないか。


 それに……こんな状況ではあるが、俺の知的探究心はこのあまりにも非日常的で、きわめて非魔術的なことになっているその原因を知らずにはおれなくなっている……。


「で、どこまで行くんだ? もし遠くなら、そのまま家に帰りたいから支度をさせてくれ。なあに、そう言って逃げるような姑息な真似はしないから安心しろ。そんなことしたら、ほんとに容赦なく撃ち殺されそうだからな」


 そうして腹を括ると、人間、もう銃を突きつけられていることくらいでは恐怖心もなくなるらしく、俺は半分冗談、半分本気でそう尋ねてみたのだが。


「学校からは出ない。だからその必要もない。それから、わたしの名はお嬢さんではなく、コードネーム・アテナだ」


 少女は銃口で小突いて俺に歩くよう指示を出しながら、そう、淡々と答えたのだった――。


挿絵↓

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330668010478503

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