星流夜
夢月七海
星流夜
「おとうさん、うちにもサンタさん、来るかな?」
ホットミルクを飲み干したうららが、口に白いひげを付けたままでそう尋ねてきた。
俺は、そのひげを指摘するのも忘れて、娘の一言にどきりとしてしまう。トーストを持った右手が止まっていた。
「そうか、もうそんな季節か」
しみじみと呟いてしまう。
仕事が立て込んでいて、すっかり季節を忘れていた。
「ねえ、来るかな、サンタさん?」
「ああ、もちろん、来るぞ」
「うふふふふふ」
朝食中はいつもテレビに夢中になっているうららが、嬉しそうに笑いながら体を上下させる。
こんな反応は初めて見るなと思っていると、サンタクロースはいい子の所に来るという話を思い出した。
「わたし、いい子だったんだねー」
自画自賛しながら、うららは両手で持ったチーズのかかったトーストをぱくりと食べた。
俺は、その様子を見て苦笑しながら、冷めてきたコーヒーを飲み干した。
「ただ、最近風呂に入る時間が遅くなっているから、怪しいかもな」
「えっ! 今日は早く入るよ!」
うららが慌てて弁明しているのを見て、俺はまた笑ってしまった。
子供の頃の俺は、サンタクロースとかプレゼントとかに固執していなかったから自覚が無かったが、いい子にさせるこのツールを世の中の親たちが手放さない理由がよく分かった。
「うららは何が欲しいんだ?」
「一輪車!」
二枚目のトーストにマーマレードを塗りながら尋ねると、うららが元気よく答えた。
この答えは意外だった。うららならきっと、この前のハロウィンの時のように、テレビのキャラクターのぬいぐるみを欲しがるんじゃないかと思っていたからだ。
「なんで一輪車なんだ?」
「のぞみちゃんがこんど、自転車をサンタさんからもらうって言ってて、私はまだ自転車にも乗ったことないから、一輪車からかなーって思って」
うららがにこやかにそう説明してくれた。のぞみちゃんというのは、同じ団地に住んでいる、うららの一つ上の友達、石田望という子のことだった。
自転車よりも先に一輪車からもらうというのは面白い発想だとか、五歳でも自転車は乗れるだろうかとか色々考えている間に朝食を食べ終わり、俺はうららの昼用の弁当を用意して、出社する準備も始めた。
「ねえ、おとうさん、サンタさんって、わたしが一輪車ほしいってこと、知っているのかな?」
「んー?」
スーツを着て、洗面台で歯を磨いている所へ、うららが入ってきて、そう不安そうに尋ねてきた。
普段なら、食後の皿を流し台に持っていた後はずっとテレビに夢中なうららが、わざわざこっちに来てそう訊いてくるなんて、かなりサンタクロースの事が気になってしょうがないらしい。
俺は子供の頃は、サンタクロースに物をねだったことが一度も無かったので、周囲から聞いたことのある話を必死に思い出しながら、サンタクロースとの連絡方法を考えた。
眉に皺を寄せたまま、口をゆすいで、鏡越しに妙に神妙な顔で俺の言葉を待っているうららの方を見た。
「……確か、サンタクロースに手紙を出せばいいはずだ」
「わかった!」
踵を返したうららは、またどたばたと朝食を取っていた居間に戻っていった。
タオルで口元を拭きながら、今日のうららは一日中手紙を書いて過ごしそうだと考えていた。もちろん俺も、サンタさんとしての役目を果たさなければならない。
□
今年のクリスマスイブが土曜日で本当に良かった。
初めて二人で過ごすクリスマス、朝はゆっくりして、昼間は一緒にどこかへ出かけようと考えていた。
「うららは今日、どこに行きたい?」
「戸ノ内デパート!」
カーテンを開けて、澄み切った青空を一緒に見上げるうららにそう尋ねると、喰い気味に答えてきた。
ハロウィンの時に、一緒に仮装して出かけた思い出のデパートだった。実はそこで、三日前に一輪車を買ったばかりだったため、少しどきりとしてしまう。
昼前に家を出発した。
今日は、団地の棟に囲まれた公園で遊んでいる子供も少ない。イブの日なので、家族で出かけているのかもしれない。
手を繋いだまま電車を乗り継いで、三駅隣のデパートへ着いた。
まずは混んできていたファミレスで食事を摂る。三十分くらい待たされたが、こういう時にぐずらないうららは、我が子ながらにえらいと思う。
それからは、新しいうららへの洋服を買ったり、うちで作っている菓子のクリスマス用詰め合わせを買ったり、意外と出費が多い。ボーナス後で良かった。
三階でピエロのショーを見たり、屋上の遊具で遊んだりもした。無意識に、うららの笑顔をスマホで撮っている俺がいて、結構親バカなんだと気付かされた。これは後で、イギリスのお袋に送っておこう。
日が暮れ始めた頃にデパートを出た。
うららは赤いブーツ型の菓子入れを、まるでヨーヨーのように跳ねさせながら歩いていて、俺は肩から洋服の紙袋を下げて、左手はケーキの箱を持っている。
もちろん、お互いの右手は繋いでいる。
ただ、これから予約していたチキンも取りに行かないといけないのだが、それはどこで持てばいいのだろうか。
「町がきらきらしているね」
頬を赤くしながら、うららが呟いた。白い息が、赤のタータン・チェックのマフラーから漏れる。いつも通りのおかっぱに、先程買った灰色のニット帽を被っている。
夜が始まったばかりの町では、街路樹や店先のイルミネーションが灯り始めていた。トナカイが首を上下させているイルミネーション、窓で光る星のイルミネーション、それらをうららは物珍しそうに眺めている。
「やっぱ、ツリーっていいなあー」
手を振るサンタクロースの人形に手を振り返した後、立ち止まった交差点の先の白いクリスマスツリーを眺めながら、うららがぽつりと呟いた。ちかちか光る、青い豆電球をまとっている。
俺はそれを聞いて、しまったと思う。二部屋だけの団地の室内では、ツリーは狭いかと思い、用意していなかったのだ。
「デパートでも小さいのが売っていたから、それを買えばよかったかもな」
「次のクリスマスは、ツリーがあるの?」
デパートの巨大ツリーと背比べするように両手を伸ばしていたうららが、その時と同じ瞳で俺のことを見上げてきた。
ツリーだけでなく、飾りつけも一緒に買えばいくらぐらいするのだろうかとか、そもそも狭いあの部屋のどこに置けばいいのだろうかなど、一瞬でそれらを計算してしまう。しかし、期待のこもったうららの顔を、失望で曇らせることは出来ない。
「ああ。クリスマス前に飾りつけもしような」
「やったー」
うららははしゃいで、大きく万歳する。
俺は単純に、うららとまた来年の約束を交わせたことが嬉しかった。
いつも駅で電車を降りて、すぐ近くの店でチキンを貰い、そのまま真っ直ぐに家路を歩く。
家に着いたらクリスマスパーティーだと言っているので、浮足立ったうららがこのままだとスキップし始めそうだ。手を強く握っておく。
「正月、おばあちゃんが帰ってくるって言っていたよ」
「ほんとに? たのしみだねー」
うららとそんな話をしながら、団地の敷地内に帰ってきた。
時計は六時半を差していて、辺りもすっかり暗くなっているのに、中庭の遊具で何組かの親子連れが集まっている。街灯が少ないここでは、この時間ではもう誰もいないはずなのに、どうしたのだろうかと首をひねりながら近付いてみた。
「うららちゃーん」
滑り台の上から、うららの友人である松尾
うららが両手をメガホンのようにして、茂明君に尋ねる。
「何してるのー?」
「お星さま、すごくよく見えるよー」
茂明君が、夜空を指差しながら答えた。
見上げると、彼の言う通り、澄み切った冬の空には大小さまざまな星がそっと瞬いていた。都内で、ここまで星が見えるのは珍しい。
「うららちゃんもこっちで見ようよ」
「うん!」
茂明君に誘われて、俺に持っていた荷物を預けたうららは、彼の待つ滑り台へと登っていった。
子供二人がやっと真横に並べられる滑り台の上で、うららと重明君は肩を寄せ合って夜空の星を見る。
「
「こんばんは」
滑りだのそばへ歩み寄ると、目の前にいた松尾君の母親が振り返って、挨拶をした。俺も頭を下げる。
少し話をすると、松尾さんたちも外出の帰りにこの星空に気が付き、思わず足を止めたという。他の家族も、きっと似たような経緯で集まっているのだろう。
「流れ星、流れないかなー」
「わたし、流れ星、見たことない」
「ぼくはあるよ! この前、キャンプに行った時に!」
「いいなー」
茂明君の自慢話を聞いたうららは、心底羨ましそうに頬を膨らませていた。それから滑り台の手すりにつかまって、じっと目を凝らす。
俺も、うららにつられて夜空を見上げた。丁度、その時だった。
「あ!」
一つの星が、暗闇の中で白い弧を描き、さっと流れて消えた。
うららが、それを指差しながらこちらを見た。
「おとうさん! 流れ星!」
「ああ、見えたよ」
「えっ! 流れ星、どこどこ?」
うららと俺の言葉を聞いた茂明君が、慌ててうららの指している先を見た。
するとまた一つ、星が流れていった。
「わ! 流れた! お母さん、見えた?」
「ええ。今日って、流星群の日だったかしら?」
不思議がる松尾さんが見上げている間に、またもう一つ、星が流れる。
突然流れ出した星たちに、他の人々も驚き、喜び、そのざわめきが中庭内に広がっていくようだった。
「おとうさん、きれいだね」
「ああ。珍しいものが見れたな」
うららと顔を見合わせて笑い合う。
流れ星が見れたことよりも、その事をうららと共有できたということが、何より嬉しかった。
十二月の寒さを忘れてしまったかのように、ここの人たちは息を潜めて目を凝らして、イブの夜空を見上げている。
またこの静寂の中、一際は白い輝きを放った星が、すっと流れるのを見た。
□
十一時も過ぎて、サンタさんが来るまで待つと言っていたうららも、居間の布団の中で寝息を立てていた。
その間にそっと部屋を抜け出して、同じ階の伊藤さんの部屋へ向かった。
「遅くにすいません。安來です」
「いらっしゃい、
チャイムを鳴らすと、母の友人である伊藤さんがにこやかに出迎えてくれた。眠る準備をしていたのか、頭にカーラーが付いている。
こんな時間に来るなんて非常識だとは分かっているが、うららへのプレゼントをここに置いているのだから、仕方ない。
「預かってくれて、ありがとうございます」
「いいえ。うららちゃん、喜ぶといいね」
玄関口で、サドルにリボンが結ばれた青い一輪車を受け取った。
ぺこぺこと頭を何度も下げる俺に、伊藤さんは優しくそう言ってくれた。
うららへのプレゼントが決まったものの、それをどこに隠すかという問題に酷く悩まされた。
一輪車はとても大きく、押し入れにも入りそうもない。なんとか押し込んでも、うららが俺の仕事中にこれを見つけてしまう可能性があった。
イブの三日前、その事を考えながら帰宅していると、夕方にウォーキングしている伊藤さんに会った。
その時に俺の悩みを聞いた伊藤さんが、イブまで一輪車を預かってあげると買って出てくれたのだ。
「今日は何していたの?」
「デパートに行って、家でチキンとケーキを食べました。ああ、帰りに流れ星をいくつも見ましたよ」
「そう。良かったわね」
お袋の友人だからというだけではないだろうが、伊藤さんはいつも俺とうららのことを気にかけてくれる。
まるで孫の話を聞くかのように、目を細めて頷いていた。
伊藤さんの家から出て、音を立てないように自分の部屋に戻る。
ドアや襖の空く音にもひやひやしながら、何とかうららが眠っている今まで戻ってきた。
さて、一輪車はどこに置こうかと、今の端っこで考える。
イメージでは暖炉から下げた靴下や、クリスマスツリーのそばにありそうだが、室内にそれらは無い。ここは無難に、テレビとベランダへ出られる窓の間に置いた。
その時、うららが寝返りを打ったので、心臓が止まるかと思った。スースーという規則正しい寝息を聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。
明日の朝、これを見たらうららはどんな顔をするだろうか。それを想像しただけで、顔が綻んできた。
ふと、背後のカーテンをめくって、外を眺めてみた。
丁度また、星が流れる瞬間だった。あ、と声が出そうになるのを、左手で押さえる。
流れ星に願い事をすれば叶うなんて、そんな非科学的なことを信じている訳ではないけれど、思わず願ってしまっていた。
これからも、うららと平穏な毎日を過ごせますように、と。
星流夜 夢月七海 @yumetuki-773
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