第9話 irritated


「それで、なにを話しに来た。終始しゅうし落ちつかない様子だったな」


 不意を突かれてはっとした。桐嶋さんがでていったのち、考えていてぼうっとしていた。じいちゃんに相談しに来たのを忘れてしまっていた。


結衣奈ゆいなさんのこと。この前話したかったんだがな」


 じいちゃんの表情が曇った。やはり、そんな顔になるだろう。


「それで」


「どうにかしてほしい。もう俺に干渉してほしくないんだ」


 彼はさらに苦い顔をした。重い一拍を置いて、思いだすたびこみあがる言葉を口にした。


「あの人、俺のやることなすことすべてにけちをつけてくる。写真もそう、部活もそう、バイトもそう。挙句のはてに人格まで。親なんて名ばかりじゃないか。それでもって、なによりたちが悪いのは、あの人がそれを侮辱ぶじょくと思っていないことだ。いいかえしたってさらに罵られるだけ。いつ壊れるかわかったもんじゃない。あの人の息子でいることすら汚らわしい」


 いった。いってしまった。ようやくその恨みつらみをぶちまけてしまった。いい終わって、息があがって動悸どうきがした。


「そうか。いままでずっとそう思っていたのか」


 じいちゃんは思いつめてしまった。


「そうだ、十五のときからずっと。馬鹿らしいと突っぱねるか、たしかにそうだがな」


「そんなことはいえるものか、畜生じゃあるまいし。しかしね、母さん曰く、わたしのせいでお前が不真面目になったんだそうだ。そしてわたしはその忠告を了承した。だから、なにも口だしできないんだ」


 知らなかった。そんなことを、あの親がいっていたとは。苛立って、机を叩いた。


「そんなことは関係ないだろ。じいちゃんの見舞いだって、入院手つづきのときしか来なかったような親知らずだぞ。それも面倒だ面倒だとひっきりなしにほざいてた。あんなやつに家族を名乗る資格なんてない。そうだろ」


「そういってもな、祐。わたしは母さんに嫌われている。わたしがなにをいっても、母さんが聞きいれてくれないことはお前が一番知っているだろう。お前の愚痴も嘆きも聞こう、だが母さんに抗議するのは、できない。すまない」


 刺すような沈黙だった。談話室の観葉植物だけが、それを彩ろうとしていた。痛ましいじいちゃんの表情を見ていると、罪悪感に囚われた。母を嫌っている表情でもなく、母を責めるような表情でもなかった。


「そうか。父親のじいちゃんにそんなこといってすまなかった。つまるところ、じぶんの問題は手前で解決するしかないってわけだ。俺ひとりで戦いぬかなきゃだめなんだな。わかったよ。疲れているだろう、顔色が優れない」


 そして席を立った。いままでの不満や苦痛、そしていまの裏切られたような感覚に、涙がこぼれそうだった。


「それはすこし違う。じぶんの問題はたしかにじぶんでしか解決できない。内面はだれにも見せられないものだ。でも人を頼らなくては解決できない問題の方が多い。人に話せばストレスは解消されるし、解決方法も得られるかもしれない。三人寄ればなんとやらだ。お前を慰めてくれるかもしれない。そうやって力になってくれるのだから、人を頼ることは忘れてはいけないよ。ただ、わたしは縛りつけられている。もっと別の問題なら」


「聞いてくれるだけで十分嬉しいさ。話せる相手なんていないから。ごめん」


 介助しながらじいちゃんを部屋に連れて行った。意気消沈するじいちゃんを見るのははじめてだった。弱々しい笑顔を浮かべて元気づけてくれたが、声は力なかった。じぶんも弱ったような気がして、足どり重く帰路へついた。敷地からでてすぐに煙草をふかした。夜闇が迫っていた。かすんだ世界には夜の重苦しさがよく馴染んだ。


 じいちゃんと母の関係は詳しく知らない。ただじぶんが中学生のとき起こした喧嘩沙汰が原因になったことだけしか。


 それでも、母のことは許せない。じいちゃんにも干渉してくるのはおかしい。じいちゃんの方がずっと色々なことを教えてくれた。本だって、月と六ペンスに出会えたのはじいちゃんのおかげだ。絵画のことだって、理学療法に進んだのだってじいちゃんのおかげだ。どちらが人生の糧になっているか明白なのに、そのくせ、あんなことをいっていたとは。


 だから個人はいやなのだ。じぶんの意見ばかり他人に押しつける。こちらのことなど、だれも気に留めていないわけだ。


 帰宅してから脇目も振らずベッドに倒れた。とにかく疲弊していた。桐嶋さんと出会ったのがひとつ、母の件にけりをつけられなかったのがひとつ。泥のように眠りたかったが、食事や風呂、翌日が期限の課題などに追われているうちに、颯紀さきから連絡が来た。あとで行くから、というものだった。きょうは、一吹いぶきさんが颯紀と遊ぶといっていた日だ。


 底なしの怒りに身体が震えた。いっそ鍵を閉めて寝てしまおうかと思ったが、そうできるほどの度胸もなかった。月と六ペンスのページをめくり、時に天井をながめた。

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