第20話 国粋公社【スキルアップ研修】
右、左、旋回して飛翔。
目の前に現れた護衛艦の「浮袋」を
さっきの演習は明らかに「月光の局」をベースにしていたからどう動けばいいかは明白だったが、今回のケーススタディはどの騎譜をベースにしているのだろう。「波濤の局」の応用編だろうか。彼はどうふるまえばいいか迷いながらも、目の前の隔壁を破壊しながらまずは仲間との合流を急いだ。
時折現れるパンスラヴ社の戦闘員を引き裂きながら艦内の中心部へと進んで行く。質量炉まで五〇〇を切ったところで右舷から侵入した仲間と合流する。瞬時にお互いの原票データをやり取りし、階級順に隊列を組む。その時に後方から援軍が来ていることを知った。
「警戒宙域外にあるメガフロートからの援軍です。十子の到着は二〇〇〇秒後の予定です」
シュウサクは思わず心のなかで舌打ちをする。これはまだ予習したことのない騎譜だと確信した。この状況下で遠方からの援軍を待つような展開はまだ見たことがない。
「二〇〇〇か、遠いな」
シュウサクがつぶやくと、先駆けの戦闘員は「援軍の到着を待っていては遅くなってしまいます。私たちだけで行けるところまで行きましょう。残りの二子も艦体のちょうど反対側にいるので合流している余裕がありません」と言った。シュウサクの同意も得ないうちから手鎖の出力を上げて先を急ぐ。シュウサクは慌てて本部に対して行動計画書の即時提出を行うと、先駆けの戦闘員に続いた。
「一八三三、〇一班、作戦行動開始します」
先駆けが隔壁を破壊し、
いったん止まるよう先駆けに指示をすると、シュウサクは全方位的に測量を行う。天井と床から通常よりもかなり高い熱エネルギー反応を確認する。部屋の奥には敵戦闘員の姿。一息に引き裂いてやりたいところだが、知っている。これは罠だ。ここはケイマと行きたいところだが、サガるのが正解。「蜘蛛の巣」に、もしこのまま突っ込んでいったなら、中心に進むにつれて気体が重くなり、まるで蜘蛛の糸にからめとられたかのように身動きが取れなくなる。そして、くぎ付けにされたところを嬲り殺しにされてしまう。
「これは『蜘蛛の巣』だ。われわれ二子だけでは突破できない。迂回しよう」
二人は罠のある部屋を迂回し、備蓄倉庫側から質量炉を目指す。第二層への侵入を拒もうとする
「まもなくだ。あと三〇で質量炉にたどり着く」
「わかりました」
先駆けがそう答えながら隔壁を破壊する。その瞬間、網膜にアラートが表示される。
二人が身を翻したのはアラートとほぼ同時だった。部屋の中央にいた敵戦闘員が放水機のようなもので二人を狙い撃つ。身体の脇を何かが勢いよく通過していく。天井付近を旋回しながら振り返ると、タールに似たねっとりとした黒い液体が壁に吹き付けられているのが見えた。粘質エボナイト。それ自体はまったく無害だが、あたると鳥黐のようにからめとられてしまって飛翔が極めて困難になる。そして、捕まれば死は免れない。
二人は、勢いよく噴射される粘質エボナイトをかわしながら、敵戦闘員を手際よく引き裂く。逃げようとした一人を捕まえると、粘質エボナイトの海に放り込んだ。
第二層の最終隔壁を破壊し、質量炉のある動力室に侵入する。部屋の中央で稼働し続ける質量炉。特有の重低音と細かい振動が部屋全体を満たしている。
「まだ援軍が来るまで九〇〇秒近くあります。このまま質量炉を破壊しましょう。先延ばしにする理由がありません。私が最高出力で炉を破壊し、そのまま反対側の隔壁を突破して脱出します」
シュウサクはあいまいに首をかしげる。
先駆けはあくまでも「返し」から逃げきれると思っている。たしかに実技演習では手鎖を最高出力にして飛翔すればスレスレのところで返しを回避できるように設定されているのは事実だ。おそらく、質量炉に手を下した戦闘員が返しによって必ず命を落とすようなシナリオになっていては
しかし、現実には返しは実技演習の時とは比較にならないくらいあっという間にわれわれを捕える。逃げ切るのはまず無理だ。一瞬で氷漬けになって、そのまま砕け散ってしまう。
シュウサクは前回の交戦で自分の部下が死に急ごうとするのをうまくコントロールできなかったことを気にしていた。戦績はもちろんだが、交戦において人的被害を最小限に抑えることもまた業務遂行における重要な要素であり、人事評価で重視されるポイントだ。「質量炉の早期破壊」と「人命尊重」の両立というむずしい課題を前に、彼はどう判断すればいいものかと頭を悩ませる。
「私に任せてもらっていいでしょうか」
先駆けの言葉にシュウサクは沈黙で返事をする。先駆けがフェイスガードの向こうで顔をしかめるのがわかる。どうやらシュウサクに自分の行動力を信用されていないと思っているようだ。実際は個人の資質というよりもマネジメントを気にしているだけなのだが、まさか自分からそう白状するわけにもいかない。
シュウサクは現在時刻を確認する。援軍到着まであと八六〇秒。そろそろ援軍が艦内に突入したころであることを考慮し、班長の中級戦闘員とコンタクトを取ってみるという選択肢を検討する。彼らの装備次第では先駆けの命を引き換えにすることはないかもしれない。
彼が通信を秘匿回線に切り替えていると、横で先駆けが動く気配がした。直感的にヤバいと気づく。しかしそう思ったときには先駆けはシュウサクの指示もないままに飛び出していた。緊急チャネルで呼びかけるが、反応はない。手遅れだった。
先駆けが手鎖を振りかざし、球体の質量炉に手を下す。外殻を破壊され、崩れ落ちる質量炉。船体が揺れる。そして、聞き覚えのあるキーンという金属音が聞こえてくる。
シュウサクは出力全開で現場から退避する。空間を満たしていた過冷却誘導物質が反応し、すでにいたるところで凍結がはじまっている。氷漬けはごめんだ。
逃げ切った。肺が痛い。振り返ると、遠くまで一面氷結した世界が拡がっていた。先駆けは間に合ったのだろうか。シュウサクは首を振る。気を取り直し、護衛艦の外へ出ることにする。ここは寒すぎる。このままここにいては自分の気持ちまで凍りついてしまう。
距離二八〇の地点で破壊音。そこではじめて援軍のことを思いだした。しまった、すでに質量炉は破壊されたのだから、艦体が爆発する前に艦内にいる戦闘員に対して退避連絡をしなければいけなかった。シュウサクは秘匿通信を使って援軍に連絡を取る。心配は杞憂だった。彼らはすでに退却をはじめているところらしい。どうやら氷結した艦内を見て、すでに質量炉が破壊されていることを察知したようだった。
本部へ作戦行動完了の報告を行う。哨戒艦から放出された回収艇に乗って帰艦するよう指示が下る。了解の旨を連絡。シュウサクは、飛び出した先駆けがうまく返しから逃げ切れたのか気になったが、結局問い合わせるのはやめた。どうせ実技演習だから失敗したとしても死ぬことはないし、逆に成功していたとしても彼のマネジメントミスが不問になることはない。彼は大きくひとつため息を吐くと、艦外に待機しているはずの回収艇を目指し、黙々と飛翔する。
――演習終了――
帰還ピットへ戻ったシュウサクは、シミュレーターを外して技術スタッフに返却すると、ラウンジへと向かった。
研修棟の一階にあるラウンジでは、彼とおなじように実技演習を終えた戦闘員たちが休憩をするために集まっていた。みんなで飲み食いしながら下卑た話で盛り上がっている。彼もその輪に加わるべく、足早にフロアを歩いていく。
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