第18話 パンスラヴ社【生産性】

 工場の奥に事務室があり、四人はそこに置かれたワークチェアに腰掛ける。事務室のなかは一切の装飾がなく、薄灰色の壁に大きなディスプレイが設置されているほかは四脚のワークチェアがあるだけで、机すらなかった。無味乾燥な雰囲気は匿名的を通り越して記号的とすら言える。ソシュールの深層心理においては、この事務室はさほど重要な位置を占めていないらしいことがわかる。

「今日は騎譜について聞きたくて」スロヴィオが口火を切る。

「実は隅々まで知ってるってわけじゃないんだけどね。ぼくが知ってることはけっこう限定的でして」

「でも私たちよりは知ってるでしょう」

「そりゃね」と言って、ソシュールは腕を伸ばして欠伸をする。「ぼくたちリサーチャーにとって騎譜は重要な軍事情報だった。あいつらはすべての戦いを騎譜に収めているから」

「すべて? それは言い過ぎでしょう」スロヴィオは口を挟む。

「いや、すべてだよ。まちがいない。すべての戦いは十九×十九マスのグリッド線上に表現され、騎譜として記録されている」

「なぜ?」

「もちろん結果を検証するためにだよ。彼らは自分たちの戦い方が正解だったのか不正解だったのかあとから分析するんだ。専門の部隊がいる」

「嘘でしょ?」

「嘘じゃない。しかも騎譜は戦闘員一人ひとりの分がそれぞれ存在する」


 ソシュールは騎譜のつくりについて説明する。十九×十九マスのグリッド線で示されたフォーマットや白と黒のゴイシの意味、そして「地」と呼ばれる陣地の広さによって戦況の有利不利を表現する手法について。


 スロヴィオは説明を聞いて驚く。単純化された交戦結果のレポート方法も洗練されていて興味深いが、それ以上に戦闘員一人ひとりの戦いを騎譜のかたちで記録していることが衝撃だった。そんな細かいレベルで交戦結果を分析しきれるものだろうか。疑問を投げかけると、ソシュールもそれはそうだという風にうなずく。

「おそらく末端の戦闘員の戦いに関しては必要に応じて確認してるんじゃないかな。騎譜にはいくつかのレベルがあってね。上層部の連中は戦闘員個人の戦いを記録した騎譜ではなく、もっと上位レベルの騎譜を検証しているんだ」ソシュールはワークチェアに座りなおす。「例えば師団長レベルはチーム単位の作戦行動そのものを一つのゴイシで表現する。さらに上位の局長クラスになってくると、一回の戦闘のすべてを一つのゴイシで表現するようになってくる。検討するスケールが大きくなっていくわけです」

「なるほど」

「局長クラスの騎譜は最高機密なのでぼくたちも見たことはない。師団長クラスの騎譜や末端の戦闘員の騎譜はいくつか分析の対象としてぼくたちのなかでも出回っていて、その一部は軍事教練のなかで実際に教材として使われている」


 スロヴィオはそこまでの話をいったんまとめ、シレジアとブニェヴァツに説明した。二人も騎譜の構造に感心するとともに、すべての交戦結果が騎譜として徹底的に管理されているという事実には驚きを隠せなかったらしく、何度も本当なのかと訊き返された。

「パンスラヴ社にはそのような文化はないな」とシレジアは言う。

「マイクロ管理も甚だしい」ブニェヴァツも相槌を打つ。

「社風の違いですね」とスロヴィオは言う。

「騎譜のデータを手に入れることはできるか? それを使えば今後の軍事戦略を立てることができる」

 ブニェヴァツの問いかけにスロヴィオは「訊いてみます」と応える。

「騎譜のデータをもらうことはできる?」

 スロヴィオがソシュールにそう相談すると、ソシュールは「もう送った」と応えた。

 三人は転送されたデータを展開する。すると、そこには四十三の騎譜が収められていた。

「騎譜のなかには、彼らのなかで俗にと呼ばれている騎譜が存在してる。そのうちのいくつかはわれわれも入手に成功していて社内で繰り返し研究されているんだ。タグのついているデータがそれだよ」

「ありがとう」

「でも、師団長クラスの騎譜を読めるようになるには、まず末端の戦闘員の騎譜を理解できるようにならないとむずかしいよ。単純に見えてすごく奥が深いんだ」


 その後、スロヴィオはソシュールから騎譜の基本的な読み方を教わった。教わった内容を適宜二人に解説する。しかし、ケイマやシチョウ、コウといったいろいろな考え方は一度で理解できるものではなく、何度か解説を聞く必要がありそうだった。


「今日はこんなもんでいい? 疲れたよ」

 ソシュールはすでに顔に疲労の色が浮かんでいる。そろそろ接続を解除する必要があった。

「ありがとう、今日はこのくらいにしましょう」

 スロヴィオは二人を見やり、切り上げるよう促す。二人はまだもう少し続けたそうな顔をしていたが、彼女は譲らなかった。自分のコネクタへ手を伸ばす。


――接続解除――


 目をさますと、四人は工場の事務室ではなく、研究所ラボのなかにいた。

 ブニェヴァツとシレジアはコネクタから外したケーブルをワークテーブルの上に寝かせたまま、腕を伸ばしたり首を回したりとこわばった身体をほぐしている。スロヴィオも目頭を指で押してマッサージしながら大きく深呼吸をした。

 一方のソシュールはイスにうなだれたまま動こうとしない。それどころか、肩で息をしていて苦しそうだった。

「彼は大丈夫か?」シレジアがソシュールの顔を覗き込む。

「深層心理への介入は本人に負担が大きいんです。私たちは少しお邪魔しているだけだからそこまでの負担じゃないですけど。対話ヂアロークのあとは立ちあがることも難しいほどです」

「生産性が高いやり方とは言えないな」ブニェヴァツは苦言を呈する。「今日のゲームだって仮にわれわれが負けていたら騎譜の情報を手に入れることはそもそもできなかった。いつもいつもゲームに勝てるわけじゃないだろう?」

「五分五分といったところですね」

「もっとちがうやり方があるはずだ。何も深層心理にアプローチせずとも本人に口を割らせればいい」

「生身の相手に質問を投げかけるのは楽ですが、彼らは無意識に損得を計算して回答します。ほんとうの答えを聞くことは難しい。それに彼らの身体に埋め込まれているセキュリティデバイスの影響で社外秘についてはそもそも無意識領域の外に情報が出ないようになっているんです。仮に拷問を加えたとしても、彼らの口から騎譜の情報を引き出すことはできないでしょう。深層心理への対話はセキュリティデバイスをかわす唯一の手なんです。効率を求めるのも大切ですが、この任務については必要な時間はしっかりとかけて、粘り強く働きかけていくことが重要だとわたしは考えています」

「ならば彼だけでなく、ほかの被験者も試すべきだ」

「すでに試しています。しかし、ホムンクルスとはそもそも意思疎通が成立しないケースも少なくないんです。彼はとても協力的に話をしてくれるほうです」

 ブニェヴァツは納得がいっていない顔のまま黙っている。その様子を見て、シレジアは「課題はありますが、何かいい方法がとれないか検討してみます」と言った。

 スロヴィオは上長のことばを聞き流して立ちあがると、ソシュールのケーブルを外し、額の汗をタオルで拭く。コップに水を注ぎ、ゆっくりと飲ませた。

「身体の具合はどう?」

 ソシュールは目を開けると、何度か深呼吸をする。「大丈夫です。ありがとうございます」

「お二人は先に戻っていてください。私は彼を詰所まで連れて帰るので」

 二人は何か言いたそうだったが、あきらめて玄関から出ていく。

 二人がいなくなると、研究所はやけにとしているようにスロヴィオには感じられた。ソシュールの定期的な息遣いだけが聞こえてくる。彼女はカウンターチェアに腰掛けると、ワークテーブルの上で肘枕をする。自然と大きなため息が出て、そのまま目を閉じた。

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