第16話 パンスラヴ社【ニーズ】

――接続完了――


 目を開けると、そこは工場のなかだった。ベルトコンベアや射出成形機、油圧シャーリングといった工業機械が並んでいる。ついさっきまで稼働していたのか、マシンから伝わってくる放射熱がじんわりと暖かい。それに機械油のねっとりとした臭いが工場内に漂っている。

 人の気配がしてうしろを振り返ると、シレジアとブニェヴァツが怪訝そうな顔で立っていた。

「ここは?」とシレジアが言う。

「彼の家族が所有している工場です。工業用自動人形オートマトンを製造しています」

「この工場が彼の深層心理のというわけか?」

「いつもというわけではありませんが、彼にとってここはとても大切な場所のようです」

「本人は?」ブニェヴァツはまわりを見渡しながら訊ねる。

「どこかにいるはずですが」

 どこにもソシュールの姿はない。物音もしない。三人は工場のなかを様子をうかがいながら歩いた。

 造管機のそばに転がる溶接管。V字ホッパーがついた充填機に溜まったバルク。床に転がったままになっている製造途中の自動人形の腕。欠陥があったのか、製造ラインから外れた部材が巨大なアルミバスケットに打ち棄てられているのが見える。


 ガチャガチャと音がしてそちらへ顔を向けると、射出成形機の向こうから人影が表れる。よく見ると、完成品の工業用自動人形がこちらへ歩いてくる姿だった。乳白色のボディーは工場の水銀灯に照らされてつるりと光っている。無表情なフェイスガードはどことなくソシュールの顔に似ていた。一歩、また一歩。歩くペースは常に一定で、手には銃のようなものを四つ抱えている。それに気づき、ブニェヴァツが警戒心をあらわにする。

「大丈夫だよ。別に危害を加えるつもりはない」

 声がして、三人はうしろを振り返る。そこに一人の少年が立っていた。健康的に日焼けした浅黒い肌。挑発的に逆立てた真っ赤な色の髪。そして自信に満ちた目。着ている服は誰か大人から譲り受けたのだろう、シャツもスラックスもサイズが大きすぎて、すっかり持て余している。

「ソシュール」

 スロヴィオがそう呼びかけるのを聞いて、横にいた二人は驚いた顔をする。

「この少年が? さっきの被験者?」とシレジアが問いかける。

 目の前の少年は、顔立ちや身長だけでなく身なりも雰囲気もまるで別人で、二人には少年と被験者の共通点を見つけ出す方が困難だった。

「この少年が被験者のホムンクルスです。ホムンクルスは必ずしも本人とまるっきりおなじ姿や性格をしているわけではありません。年齢や性別も人それぞれ。時には人の姿をしていないこともあります」

「おどろいたな」とブニェヴァツがつぶやく。


 ホムンクルスとは人のゲシュタルトの核を担う「無意識領域」を支配する存在だ。個人の生まれ持った気質や育ってきた環境、それに霊的な潜在能力に応じて本人が意識しないうちに深層心理のなかで育っていく。本人ですらホムンクルスがどういった姿かたちをしているのか意識することはできない。

 しかし、スロヴィオの父は言語研究の過程で、言語形成に影響を与えるホムンクルスをより深く知るために個人の深層心理に触れる実験を成功させてきた。被験者の深層心理を仮想空間に投射し、そこに施験者の意識を流入させることで疑似的に被験者の深層心理を覗く方法を考案した。これによって、本人が思い出すことのできない無意識領域だけで記憶されているさまざまな情報を引き出すことに成功した。


「誰? その二人。何話してるの?」

 ソシュールはちょっと面倒そうにブニェヴァツとシレジアをあごでさす。

「この二人は私の上司。ホムンクルスと本人のあいだに外見や内面のちがいがあることに驚いているみたい」

「そんなことも知らないなんて、ちょっと罪深いほど無知だね」

 ソシュールはさらっと言い放つ。スロヴィオは少しドキッとして二人の顔を見るが、特に反応はない。言葉がわからないのだから当然だ。二人が「共通語」を理解していなくてよかったと思う。


 いつのまにか自動人形は三人を通り過ぎ、少年の傍までたどり着いている。手に持っていた四丁の銃のようなものを少年に渡すと、そのまま今度は向こうへ遠ざかっていく。

「二人は君に興味があってここまで来たの。お客さんを連れてくるのはまずかった?」

「別にどうでもいいけど」ソシュールは心底どうでもいいという顔をする。「今日もいろいろ訊きたくて来たんだよね?」

「ええ、騎譜について知りたくて」

「騎譜ね、アレね」ソシュールはふんふんとうなずく。「じゃあ、その件についてはゲームの勝敗いかんで話し合おうか。ちゃんとそっちの二人の分も用意したから」

 ソシュールはそう言うと、手に持っていた銃のようなものを三丁スロヴィオに渡す。

「これは?」

 スロヴィオが訊くと、ソシュールは自分が手に持っている一丁の引き金を引く。すると、射出口から小さな赤い弾が勢いよく放たれる。弾はスロヴィオの右肩を大きく外れる軌道で飛んで行ったにもかかわらず、途中でぐりんとカーブを描き、彼女の肩の付け根に命中する。痛みはなく、ゴムボールが当たったような衝撃だった。見ると、粘度の高いスライムが肩にへばりついている。

「身体に害はないからご心配なく。ちなみにこの射筒に装填されている弾は自ら思考して軌道修正する自律誘導タイプなんだ。だから今みたいにある程度狙いが外れていても目標を狙い撃つことができる」

「初心者向きね」

「そのとおり。今から四人でこの射筒を撃ち合う。弾が当たったら負け。もし俺が負けたら騎譜についてよろこんで情報を提供しますよ」


 スロヴィオは二丁の射筒をうしろの二人に渡すと、ゲームのルールを説明する。

「我々も参加しなきゃいけないのか?」二人は文句を言う。

「ここはあくまでも被験者の支配する精神世界なんです。彼のホムンクルスがゲームをしたいと言えばそれに従うしかありません。彼自身がルールです」

 シレジアとブニェヴァツは困惑した様子で黙り込む。「これも対話を行うための必要な工程ですから」とスロヴィオが説得すると、渋々といった態度で射筒を手に取った。

「私たちは負けなければいい。あってる?」スロヴィオがソシュールの目を見て確認する。

「あってるよ」

「わかった」

「弾は全部で五〇発装填してある。そちらは三人合わせて一五〇発。ぼくはさっき一発使ってしまったから残り四九発。ハンデです」

 ソシュールは笑みを浮かべる。どうやらよほど勝つ自信があるらしい。

「それでは今から工場を稼働させてきます。そうしないと静かすぎてどこに誰がいるのかバレバレすぎておもしろくないので。生産ラインが動き出したらゲーム開始にしましょう。いいですか?」

 スロヴィオがソシュールの言葉を翻訳し、二人に伝える。二人がルールを理解したのを確認すると、ソシュールを振り返ってうなずいて見せた。

 ソシュールが工場の奥へ歩いていく。やがて柱の陰になって見えなくなると、ほどなくガガンという大きな音が聞こえ、工場中の機械が稼働しはじめた。

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