第15話 パンスラヴ社【ヒアリング】

「休憩時間中にもうしわけない」

 シレジアはもうしわけなさそうな素振りを微塵も見せずにそう言った。スロヴィオの目を見つめたまま、相手が折れるのを待っている。彼女は上長のそんな態度に反抗したい気持ちがふつふつと沸き起こるのを感じながらも、「いえ、かまいません」と口では応えてしまう。

「こちらは兵甲省特派大使のブニェヴァツ氏だ。先日の軍事戦略予備会議にもご参加いただいた」

「よく覚えています。ケガはもうよくなられたんですね」

 スロヴィオは顔に保護グテープをグルグル巻きにしていたブニェヴァツの姿を思い出してそう言う。社交辞令のつもりだったが、ブニェヴァツは「おかげさまで」と平板な声で応えたきりでずいぶんと不愛想だった。

「ブニェヴァツ氏は対話ヂアロークがどのように行われているのかに興味を示されている。実際にその目で確かめられたいと」


 スロヴィオはブニェヴァツの顔を見る。鋭い目でまっすぐこちらを凝視しているが、うなずきもしない。彼の目は琥珀色で目元が鼻頭に寄って吊り上がっているせいか、オオカミのような印象を受ける。前に突き出た段鼻も攻撃的で、あまり長い時間顔を突き合わせていたくないタイプの顔だった。

 彼女は上長のシレジアに目を向ける。彼は取り澄ました顔をしていたが、「おとなしく言うことを聞いてくれよ」という無言のメッセージを投げかけていた。


「こちらへどうぞ」

 スロヴィオは二人を研究室へ招き入れる。ブニェヴァツが目の前を通り過ぎる時に彼のやけに大きな頭に自然と目が行く。後頭部は通常よりもさらに肥大化し、横から見ると直角二等辺三角形のように見える。かなり容量の大きい補助脳がインプラントされているらしい。髪を完全に剃りあげているかわりに、手術痕が目立たないよう人工皮膚を貼り合わせているようだった。

 彼は背が高く、三メートルちょっとのスロヴィオと比較すると、もう五十センチはさらに上背がありそうだった。小柄なシレジアと比較すると親子のようにすら見える。

 服装も威圧的な雰囲気に一役買っていて、第二種礼装をしていた。詰襟のジャケットは宇宙空間を思わせる深い黒色で、飾緒がついた肩章が金色に輝いている。胸元には受賞歴を示す略綬が並んでいて、彼が有能な人材であることを物語っていた。腕にはパンスラヴ社の社章である世界樹をあしらった腕章が巻かれている。


 スロヴィオは国防省内の力関係についてまるで詳しくなかったが、ブニェヴァツの目つきや身なり、立ち居ふるまいから彼が本社内でもかなり影響力のある人物であることが想像された。相手に有無を言わせず、自分の意のままに動かすことに馴れている。彼女の苦手な種類の人間だった。


 三人は昇降機に乗って軍事研究棟の地下一階へと向かう。生体認証ロックを解除し、二重の鉄扉を開けると、扉の向こうにはが拡がっていた。ブルーグラスやクローバーのあざやかな緑に交じってハナシノブが可憐な淡い紫色の花を咲かせている。頭上には立派な青い空が拡がり、のような白い雲が浮かんでいた。

「なんだ、ここは?」

 ブニェヴァツが不審そうにつぶやく。まさか地下空間で草原を目にするとは思っていなかったらしい。

「私の研究室です。天井には高精細モニターで空を映し出しています。広さはだいたい十ヘクタールくらいあります。もちろん足元に生えている草は本物です。奥の小高い丘のうえに見える白い石目調の建物が研究所ラボです」

「手前に見える萌黄色の建物は?」

「あれは被験者用の詰所です」

「被験者と言うと――」

「リーバイ・ディベロップメント社の社員ですよ」


 三人は丘の中腹に建てられた詰所に向かって歩いていく。詰所は、萌黄色の下見板張りが特徴的な木造建築で、二階に大きな張り出し窓とサンルームがつくりこまれている。建物の周りにはイヴァン・チャイの花が群生していて、風に吹かれて葉がこすれるサワサワという音が聞こえてきた。歩きながら、仕事なんか放ってこのままここで昼寝をしていたいとスロヴィオは思う。

 壁に寄りかかって座っている男の姿が見える。小脇に犬を従えたまま本を読んでいる。男は三人の気配に気がつくと、本から顔を上げて無表情なまま客人を見つめた。

「ソシュール、本を読んでいたの?」

 スロヴィオが「共通語」でそう訊くと、ソシュールは「ええ」と返事をし、立ちあがる。金色のウェーブした髪の毛を左手でかきあげると、風の流れに目を凝らそうとするように草原へ目をやった。

 ソシュールの目はいつも少し眠そうに垂れさがっていて、そばかすだらけの赤みを帯びた頬と相まって彼を実年齢よりも幼く見せていた。背も彼女たちと比較するとずっと低く、二メートルにも満たないほどだった。もっとも、身長に関しては六連星で暮らしている種族は総じて低かったので彼だけが特別というわけではなかった。


「風が気持ちよかったので」とソシュールは応えた。

「そうね」

 空気を循環させるために地下空間には空気の流れができていて、それが不思議と自然の風のような佇まいを見せていた。スロヴィオは風で乱れた髪を手で直しながら、三日月湖のほとりにあった見晴らしの丘をふと思い出す。

「対話をやろうと思うんだけど、今日は見学者もいて。かまわない?」

「私は、かまいません」

 ソシュールは、マナーとして一応見たほうがいいから見ましたという程度の無関心なまなざしを二人に向けると、すぐ足元に視線を移す。

「この子を家のなかに入れるので少し待っていてください」

 ソシュールはライカ犬を抱えて立ちあがると家の扉を開けてなかに入っていく。

『なぜここに犬がいる?』

 ブニェヴァツがソシュールに聞こえないように電気信号でメッセージを送ってくる。

『あのライカは自動人形オートマトンです。被験者が問題行動を起こさないように監視しているんです。もっとも、被験者自身はほんものの犬だと思ってかわいがっていますが』


 スロヴィオは後ろの二人を促してソシュールのあとへ続く。詰所のなかには、もともと父が趣味で揃えた変わったかたちの家具が並んでいた。無理やり引き延ばされたような長い背もたれが特徴的なダイニングチェアやタコの触手みたいな脚のテーブル、それに蜂のお腹のように曲線が重なり合ったかたちの布張りのソファが置かれている。出窓には裾のラインが貝の縁のようにアーチを描いた白いスカラップレースカーテンが飾られている。窓が開いていて、風が吹くたびにレースカーテンがフワリとなびいた。


 ソシュールの腕から解放されたライカは、自分の定位置とばかりにソファのうえに腰を下ろすと、そのまますぐにうずくまって寝息を立てはじめる。それを見届けると、ソシュールは壁に掛けられた真鍮製の十字架に向かって祈りをささげる。

『彼は何をやっているんだ?』

 ブニェヴァツはふたたびメッセージを送ってくる。

『神に祈っているんです。一種の宗教的な習慣です』

 不思議そうな顔で祈りの姿を見つめるブニェヴァツ。それを見て、スロヴィオは彼が神に無関心な人間のひとりであることを知る。本社ではすでに神への信仰が廃れつつあると聞いたが、どうやらほんとうらしい。敬虔だった父ほどではないにせよ、彼女には神の存在に無頓着な人間の心理がわからなかった。


 祈りを終えたソシュールと三人は詰所を出て、奥の研究所に向かって歩いていく。先頭を歩くソシュールは特に急ぐこともなく、ゆっくりとした足取りで丘を登っていく。ブニェヴァツは文句こそ言わなかったが、なかなか対話がはじまらないことに痺れを切らしているようだった。


 大きな錠前を開けてなかに入る。研究所のなかには実用性を重視したインダストリアルな調度品が置かれている。キャスター付きのスチールワゴンやパイプシェルフ、それにステンレス製のカウンターチェアが四脚並んでいる。ターコイズブルーのワークテーブルは経年劣化で天板がいたるところで剥げている。その上にはタブレット端末や実験記録を記したノートが散らばっている。

 スロヴィオはガラスキャビネットに格納された機材の電源を入れると、壁を這う配管に適当に巻き付けていた黒いケーブルを引き延ばし、全員に手渡した。ケーブルを手にワークテーブルを囲むようにしてカウンターチェアに座る四人。ソシュールは「それではお先に」と言うと、三人を待たずに耳の後ろにあるコネクタにケーブルを接続する。突然ワークテーブルに突っ伏したかと思うと、そのまま電池が切れてしまったかのように動かなくなってしまう。

「これは?」

 ブニェヴァツの質問に、スロヴィオは「対話のために必要な工程です。ご心配なく」と回答する。あわせて、二人にもケーブルをコネクタに接続するよう促す。

「対話は被験者の深層心理のなかで行います。われわれは彼の深層心理に流入しなければいけません。ここにある機材はすべて被験者の深層心理にわれわれのゲシュタルト(精神)を流し込むための、いわばのようなものです。この黒いケーブルをコネクタにつなぐことでそれが可能になります」

 半信半疑な表情を浮かべながらも、二人はコネクタにケーブルを接続する。二人がワークテーブルに倒れ込み、無事に仮相領域に流入したのを見届けると、スロヴィオも接続を開始する。ジャックインと同時に意識がふっと遠のく。

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