第14話 パンスラヴ社【休憩時間】

 目を開ける。目の前に女がいる。不安そうな顔でこちらを見ている。どうして?

 わからない。

「父さん、大丈夫?」

 目の前の女が自分のことを父さんと呼ぶ。そうか、この女は娘だ。覚えている。俺は彼女の父親だ。彼は身体を動かそうとして、ひどく違和感があることに気づく。自分の身体が赤茶色のギザギザした羽根におおわれている。足の先には鋭い爪が四本あって、足元の止まり木をその爪でしっかりと掴んでいることを知る。自分は目の前にいる女の父親のはずなのに、どうして姿かたちがぜんぜんちがうのだろう。わからない。

「事故にあったの。父さんが乗っていた艦船が国粋公社に攻撃されて大破して。かろうじて身体を回収することはできたんだけど、損傷がひどかったみたいで」


 脳精神移植によってフクロウへと姿を変えたスロヴィオの父は、目の前にいる娘が話していることの意味も彼女がなぜ泣いているのかも理解することができなかった。何かを考えようとするのだが、まるで濃い霧のなかにいるように思考の焦点がさまよったままうまく一点に収束せず、そのうちに自分が何を考えようとしていたのかはっきりしなくなってしまうのだ。


「泣いたりしてごめんなさい」スロヴィオはハンドタオルで涙を拭うと気を取り直してフクロウに問いかける。「自分が置かれている状況を正確に把握できる? ここは病室」

 娘の質問にフクロウは首を振る。右に二七〇度。左に二七〇度。理解しない。娘は自分に何を期待しているのだろうか。わからないことを相手に伝えようと思うのだが、ホウホウという鳴き声が響くばかりで言葉というものが出てこない。彼はしゃべり方を忘れてしまっていた。「何か話してみて。器質的にはできるはずだから」と娘に言われても、頼りない鳴き声をあげることしかできない。きっとできるはずだからと何度繰り返されても、できないものはできなかった。目がさめてからすっかり忘れてしまった夢を思い出そうとするようなものだ。もしこれが悪い夢なら今すぐさめてほしいのだが、どうやらそうもいかないらしい。やがてフクロウは鳴き声をあげることもやめてしまった。


 娘が泣いている。自分は娘を悲しませているようだと知り、フクロウはとてもいやな気分になる。彼はこの場から逃げ出したい衝動にかられ、羽ばたいて窓際へと移動する。背中に感じる娘の視線が痛い。


 しばらくして振り返ると、すでに泣き止んだ娘はさっきよりも穏やかな顔になっている。

「さっきはいろいろごめんなさい。わたしは父さんの一部が無事だっただけでじゅうぶん。ずっと一緒にいましょう」

 娘に背中を撫でられる。彼女はもう悲しんでいない。フクロウは背中を撫でられているうちに自分の気持ちが落ち着いていくのを感じる。

 しかし、フクロウは、自分には何かが欠落していることを知っていた。こうなってしまう前、自分には何か目的があったはずだ。自分は何かを求めていた。でも、それが何だったのか思い出せない。その事実が彼を悲しい気持ちにさせる。彼は抱きしめられた娘の腕のなかでイヤイヤをする。

「もういいの。何も考えないで。父さんはこれまでじゅうぶん考えてきた。そうでしょ? 森の哲学者さん」

 娘の言葉は彼の心に届かない。むしろ、自分は不完全な存在なのだという思いが募ってしまう。自分は賢者ではなく、ただの白痴だ。自分を取り戻したい。私はどこにいる?

 フクロウはまるで種火に手をかざすように、内面世界へと沈み込んでいく。目をつぶり、そのままふたたび眠りにつく。


 ――かわいそうな父さん。もっとちがう記憶を。――


 風のにおい。ススキの揺れる音。それにかすかな眠気。

 スロヴィオと父のスロヴィンツはドムの裏手にある「見晴らしの丘」から「三日月湖」を眺めていた。湖は透明度が高く、光を浴びて水面がターコイズブルーに輝いている。湖は対岸が見えないほど大きく、ここからだと海にしか見えない。

 湖の上空には玉ねぎ型をした別荘ヴィルラやホテルがいくつも浮かんでいる。パンスラヴ社が誇る景勝地であるこの三日月湖周辺には通年多くの観光客が集まるが、ここに住むことができる人間は一握りしかいない。スロヴィンツにとって、三日月湖の見えるこの地に邸宅を構えることができたのはほんとうに幸運だった。何よりも一人娘のスロヴィオがこの地を気に入ってくれているのがうれしかった。


「気持ちいい。海も綺麗」とスロヴィオは言う。

「今の季節は清々しいな。これがもっと寒くなると、それはそれで綺麗なんだ。湖面が完全に氷結して、いたるところにエメラルドブルーの氷柱が表れる。湖のうえを歩くこともできるし、水の透明度が高いから湖の深いところまで見ることができる」

「いいね、はやく見たい」

 スロヴィオは風で流された金色の髪を手で梳いて撫でつける。十歳になったばかりでまだ補助脳インプラントを受けていない彼女のフラットな後頭部は、スロヴィンツにはあどけなさや頼りなさを象徴しているように見える。


 ススキの穂のあいだからホシクズバッタが翔んできてスロヴィンツの義足に留まる。深い藍色の身体に白い斑点が大小散りばめられていて、まるで夜空に浮かぶ星のように見える。彼が捕まえようすると、ホシクズバッタはパチパチと羽音を立てながらススキ野に消えていく。

「脚、大丈夫?」

 スロヴィオは父の義足を見つめながら心配そうにそう言う。左膝から下はまだ神経接合テスト期間中でポリラバー製の脚型をはめ込んでいるだけだ。接合テストをパスすればきちんとそこから正式な脚型を取って培養皮膚を移植し、義足登録を完了させることになる。

「大丈夫。命を落とした仲間も多いことを考えると、文句は言えないよ」

「もう二度といかないで」

 娘の言葉にスロヴィンツは言葉を返すことができない。巡視艇に乗って六連星プリヤードゥイを視察する往復一パーセクの旅は平穏無事に終わるはずだったにもかかわらず、警戒宙域内でリーバイ・ディベロップメント社の哨戒艇と鉢合わせし、すぐさま交戦状態に移行することになってしまった。巡視艇は護衛艦の力を借りて何とか小破で免れたが、乗組員の多くが負傷した。危険は何もないからと娘と交わした約束は見事に破られる結果となったのだ。


「敵艦に遭遇したのは不運だったが、父さんは悪運が強いからな。ちゃんとこうして生きている」

 父親の発言を聞いて、娘はさらに不安そうな顔をする。「幸運は二度続かないよ」

「我々はずっとベールで身を包み、隠れて生きてきた。でも、この星の資源はもう限界なんだ。会社が存続するためには外へ目を向けなければいけない」

「父さんが考えなければいけないことなの?」

だよ。多くの人がパンスラヴ社とともにこの星で生きているんだ。それに父さんは戦略顧問になったわけだし」

「えらい人?」

「そうだ。文部省の御用学者から戦略顧問になった人間はこれまで一人もいなかったんじゃないかな。それだけ社は私に期待しているということだ。おかげで今こうして三日月湖の近くに住むこともできている」

「ここは好きだけど」

 スロヴィオは足元のススキをむしって放る。

「六連星はまちがいなく我々パンスラヴ社を救う存在になる。これを逃す手はないよ」


 パンスラヴ社の測量士たちは資源を求めてこれまで幾度となく調査船団を派遣してきたが、試みは一度も成功したことがなく、新天地を見つけ出すことができずにいた。このまま星が滅びるのと運命を共にするほかないという意見が社内でも公然と語られるほど事態は切羽詰まっていた。だからこそ、六連星の発見はまさに僥倖以外の何ものでもなかった。しかも、そこにはかつて地球で祖先をおなじくした人類が根を下ろしていて、潤沢な資源をもとに豊かな暮らしをしているという。彼らが独り占めしている豊かな資源を手に入れようとするのはパンスラヴ社幹部にとっては極めて健康的なものの考え方だった。


「地球からはるか遠く離れた宇宙空間でかつての同胞とふたたびまみえることになるとは世間は狭い」

「仲良くすることはできないの?」

「むずかしいだろうな。われわれは彼らの資源がほしい。彼らはそれを渡したくない」

「相手は怒ってる?」

「それはもう、ね」


 スロヴィンツは軍部局の戦略顧問として、六連星で一般的に使われている「共通語」の解析と翻訳を職務として担っていた。諜報局が傍受した通信記録を分析するなかで、彼らの情報ははやい段階からわかっていた。

 リーバイ・ディベロップメント社は六連星の中心に位置しているリーバイ社の子会社で、そもそも意思決定権を持っていない。そして、当の本社は子会社が直面している事態を正確に把握することができていないまま、資源を渡すつもりがない旨を繰り返し子会社に通達していた。

 彼らの言葉はまったくちがう種族でありながら、言語的に似ているところも多く、祖先をおなじくしているところを色濃く反映させているなとスロヴィンツは思っていた。もともと彼は、言葉はかつて神が人類に対して授けられた祖語がもとになっていると考えており、今ではその仮説が確信に変わっていた。「言葉の起源」という概念は彼自身にとって信仰に近い存在であり、いよいよその真理に近づきつつあるという実感を得ていた。


「また行くの?」

「近いうちに」

「支持体だけで行くわけにはいかない?」

「そうできるならありがたいが無理だ。遠いからな。前回同様、この身体で行くことになる」

 スロヴィオは顔をしかめる。自動人形オートマトンに神経接続するだけの支持体なら万が一のことがあっても神経接続を切ればいいだけだが、直接本人が赴くとなるとそうはいかない。それはつまり、万が一の際には死を意味する。

「次に行くときには六連星に降り立つかもしれない」

 スロヴィオが驚いた顔をするのをスロヴィンツはおもしろがって眺める。パンスラヴ社は六連星の一番外周を回っているリーバイ・ディベロップメント社と長年交戦状態にあったが、ついに実効支配に成功しつつあった。リーバイ・ディベロップメント社はすでに六連星のなかで孤立状態にあり、本社からの支援もついに途絶えたらしいと国防省のなかでも大きな話題になっていた。六連星といってもしょせんは別々の会社であり、一枚岩にはなっていない。パンスラヴ社が新天地に足を踏み入れる日は近いというのはすでに多くの社員の共通認識になっていた。

「直接、その人たちとお話をするの?」

「そうだ」

「話せばわかる?」

「きっとスロヴィオなら仲良くできただろうな。お前は優しい子だから。でも、他の人にはむずかしいかもしれない、父さんにも」

「こわくないの?」スロヴィオは両腕で自分の膝を抱える。


 危険な業務に携わるうえでの本能的な恐怖はスロヴィンツにも当然あった。しかし前回、視察団の一員として巡視艇に乗って警戒宙域まで行ったときに図らずも彼らの姿をこの目で目撃することになり、見方が変わった。光をまといながら宇宙を飛び回るリーバイ・ディベロップメント社の戦闘員たち。その姿はまるで「天使」のようで、自分のなかで恐怖よりも好奇心の方が勝っていることに彼は気づいた。


「新しい挑戦にはリスクがつきものなんだよ、多かれ少なかれね。人間、一生のうちに訪れるチャンスは限られている。そして今まさに、そのチャンスが父さんに訪れていると思ってる」

 スロヴィオは黙ってしまう。もちろん彼女だって父親がよろこぶ姿を見たい。ただ彼女の直感が父を行かせてはいけないと告げていた。

カイシャ悔い改めなさい」スロヴィオはほとんど無意識に祖国の方言でそうつぶやいた。「今の父さんはちょっと欲望に突き動かされている気がする。『常に謙虚であれ、悔い改めよ』っていう言葉は父さんから教わったのに」

「そうだな、そうかもしれない」

 父は娘の言葉を否定しなかった。三日月湖を眺めながら何度かうなずく。

「三日月湖の近くまで行ってみよう。テナガアザラシがいるかもしれない。今の季節しか見れないからな」

 スロヴィンツは立ち上がり、尻についた草を手で払うとそのまま丘を下っていく。彼は自分の娘が自分のあとからついてくることを疑う様子もなく、大股でどんどん歩いていく。


 ――通信エラー発生。エラーコード四〇四――


 通信が分断。視界にアラートが表示されている。

 スロヴィオは仮相から実相へと引き戻される。ラウンジチェアから立ち上がってフクロウの首に接続したコネクタを外す。フクロウがゆっくりと目を開けて周囲をキョロキョロと見回す。

 ターミナルバンデイジで現在時刻を確認し、スロヴィオは舌打ちをする。まだ休憩時間中じゃないか。あと十分以上も残っている。アラートの詳細を展開してみると、どうやら上長のシレジアがこの部屋の前まで来ているらしかった。ベルが鳴っている。

 彼女はうんざりした気分で席を立つと、入口まで歩いていき、研究室のドアを開ける。ドアの向こうには上長のシレジアとその横に知らない男が立っていた。

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