第13話 国粋公社【WinWin】
インセキがターミナルバンデイジで現在時刻を確認し、「今日はそろそろ帰りましょう」と散会を提案する。彼女の言う通り、軌道車輌の最終便が近かった。もし乗り遅れたら寮の門限に間に合わなくなってしまう。そして、門限を破ることはイコール寮母さんにこっぴどく叱られることを意味していた。
二人は会計を済ませて店を出ると、まだまだ大勢の人で賑わっている目抜き通りをフワフワとした足取りで停留所へ向かう。
町はすでにある種の閾値を超えてしまっていて、市民に落ち着きを取り戻すよう要求する冷静な態度は通用しなくなっていた。自分の声を相手に届けようと思ったら喧噪に負けないくらいに大きな声を出すしかないし、誰かを黙らせようと思ったら力づくで口を封じるしかない。
すでにいくつかの店では客同士のいざこざがはじまっているらしく、怒号や食器の割れる音が聞こえてきた。これから夜が深まるのにつれて、町は無秩序という行動原理に従ってますます混迷の度合いを深めていくだろう。まともにやりあっても秩序に勝ち目はない。巻き込まれないようにするには、その場を立ち去るのが一番だ。
「ちょっと遅くまで話し込んじゃったみたい」
インセキが通りに転がっている労働者や麦酒の瓶を避けながらそう言う。
「また呑めるか? 騎譜についていろいろ教えてほしいんだけど」
シュウサクがそう訊くと、インセキは彼に向き直ってうなずく。
「ただし条件がある」
「俺にできることなら」
「コンバットレコーダーの記録映像を横流ししてほしいの」
「どうして?」
シュウサクは思わず大きな声をあげる。
コンバットレコーダーは戦況を記録するために
「あなたに説明する義務がある?」
インセキは冷ややかな目を向けてくる。よけいな詮索を完全に拒否するまなざしだった。
「できると思う」シュウサクはしぶしぶ応える。
「それならよし」
二人はしばらく無言のまま歩く。シュウサクは咳払いをしてから自然な態度を装ってインセキに気になっていた質問を投げかける。
「インセキは昔戦闘員だったって父さんから聞いたんだけど、あってる?」
「ええ」インセキは興味なさそうに応える。
「どうしてやめたんだ?」
「肉体労働にうんざりして頭脳労働に切り替えたの。それだけ」
インセキの態度はかたくなで、それ以上のことを話すつもりはなさそうだった。シュウサクも質問を控える。父から知らされていた彼女の個人的な事情について真偽のほどを本人に確認したいと思っていたがどうやらそれは適いそうになかった。
父がリークした情報によると、彼女は昔女流戦闘員だった時に婚約者を戦闘で亡くしていた。女性活躍の代名詞だった彼女はそれを期に二年ほど病気休職で仕事を休み、復帰のタイミングで今の部署に異動したらしかった。
不憫な背景がデマだと思っているわけではないが、心に傷を負った人間がコンバットレコーダーの記録映像を求める理由がシュウサクにはわからなかった。彼女は自分の「可哀想な過去」を利用して好き勝手をしているのではないかというのが彼の穿った見方だった。
「今日は遅くまで引き留めてわるかった。記録映像の件も承知したよ」
「今日の分」
インセキは首を斜めに傾けながらシュウサクの前に右の手のひらをさし出す。「なんかあるでしょ。こっちも機密情報を提供しているわけだから、ちゃんと約束を守ってもらえる相手かたしかめておきたいの」
シュウサクは少しためらってから先日の交戦で失った部下のデータをインセキに転送する。今後のマネジメント改善を目的に上官から受け取った機密データでもちろんセキュリティレベル高の個人情報だった。
「サンキュ。ちょっと確認」
インセキが受領したデータを網膜に展開する。腕を組んでじっくりと映像に見入っている。彼女の目に力が宿っていくのをシュウサクは見逃さなかった。眉間にしわが寄り、口元にはうっすらと笑みすら浮かんでいる。彼はその態度に胸くそが悪くなる。
「交渉成立」しばらく映像を再生してから、インセキはうれしそうに手をさし出してきた。
「それはよかった」シュウサクは嫌悪感が表に出ないよう注意しながらさし出された手を取り、握手を交わす。「たすかるよ」
「いいの。前にもちがう人と似たようなやり取りをしていたんだけど、その男が見事戦死しちゃったから私の方も困ってたの」
軌道車輌の停留所で二人は別れた。インセキは企業特区方面へ向かう下りの鈍行車輛に乗り込み、一方のシュウサクは戦闘員向け居住区へ向かう上りの急行車輛に乗り込む。
上りの最終便だったせいか、車内は酩酊状態の軍人で混雑していた。誰も彼もが大きな声で他愛のない話題に盛り上がっている。財布のひもが緩くなった軍人から小銭を巻き上げようと孤児たちが弦楽器を演奏しながら社内を練り歩き、目につく人すべてに見物料を要求していた。
シュウサクはしばらくのあいだ車窓に映し出された宣伝広告を見るともなく見ていたが、酒が回ったのか馴れない社外居留地を歩いたことで緊張したのか、そのうちに激しい頭痛がしてきた。我慢できずに彼は黒衣の胸ポケットから経口薬を取り出して飲む。
まだ到着までしばらくかかることを確認すると、シュウサクは頭痛をやり過ごすために目を閉じた。軌道車輛のなかだって決して安全ではないにもかかわらず、薬が効いてきたのか、知らず知らずのうちに彼は居眠りをしてしまった。
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