第12話 国粋公社【過去実績】

「おエライさんの考えることは次元がちがうな」

 シュウサクは徳利を手に、インセキのお猪口にギンジョー酒を注ぐ。艶々とした澄んだ液体がお猪口のなかで波打つ。ギンジョー酒に映り込んだインセキの顔が揺らぎ、笑ったり怒ったりといろいろな表情を見せる。

「ありがと」インセキはギンジョー酒をひと口呑むと、今度はシュウサクのお猪口に酒を注いだ。


「わたしは仕事柄いろんな騎譜を目にする機会が多いんだけど、特にスケールの大きな騎譜を見ていると人の命にどの程度の重さがあるのかわからなくなってくるの。『ああこれは悪手だな』と冷静にジャッジした後に大勢の戦闘員が死んでいたことがわかったりすると自己嫌悪になる。自分がまちがったことをしているような気分になるの」

「騎譜を見るのも大変だな」

「おもしろさもあるんだけどね。スケールはちがえど、相似の関係にあるおかげでおなじように検討ができるし」

「なるほど」

「騎譜の研究を長年やっている専門家のなかには、騎譜のスケールを拡大していくとゆくゆくは完全なフラクタル構造になるのではないかと考えている人もいるくらいだから」

「部分が全体をあらわし、全体が部分に収斂される日がいつか来る、ということか」シュウサクはうなる。「つくづく俺は騎譜が下級戦闘員ジツヨウに公表されていないことが不思議でならないよ。これはすべての戦闘員が知っておくべき基礎知識だ」

 シュウサクの言葉に、二つ返事でそうだと回答してくると思ったが、インセキは少し考えてから「私もそうは思うけど」とやや引っかかる言い方をした。

「基本的に、戦闘員は騎譜を理解したうえで戦うべきだとは思う。自らの頭で考えて戦わなければ単なる作業になってしまうから。でも、上層部はそれよりも、下級戦闘員がよけいなことを何も考えずにとにかく身体で戦闘を覚えることを重視している。それにも一理あると私は思ってる」

 インセキがあたらしいデータを転送してくる。展開してみると、見たことのない騎譜が格納されていた。


「これは過去の騎譜のなかでもわりと有名な『決死の局』と呼ばれている一局。レベルで言えば師団長クラスの騎譜になる。この戦いは中盤まで先番であるパンスラヴ社が優勢だった。左辺に厚い模様を築かれ、右辺の攻防も分が悪かった。しかし、五八手目で起死回生の一手が打たれた」

 指さされた一手は盤の中央だった。

「この一手は相手の連絡を絶ち、薄かった右辺を生き残らせる妙手だった。過去の対局から、最強手はここしかないと諜報局でも考えていた。しかし、この一手は相手の懐に丸腰で飛び込むようなものだったの。当然、被害は大きく、投入された三○○近くの戦闘員のうちほぼ全員が戦死した」

 シュウサクは自然と顔が険しくなる。

「彼らの犠牲によって、この戦いは一気に形勢を盛り返すことができた。したがって、必要な一手ではあった。しかし、もし仮に自分たちがにされるとわかっていたら、戦闘員たちはいつものように全力で戦うことができたと思う?」


 シュウサクは黙ってしまう。たしかに交戦によって命を落とすことがありうることは戦闘員ならば誰だって理解しているし覚悟もしている。でも、のとはわけがちがう。事前に下級戦闘員たちがこの一手の意味を知っていたとしたら、おそらく最強手は最強手足りえず、作戦は失敗に終わっていたにちがいない。

「知らない方がいいこともある」

 シュウサクは黙ってしまう。今の彼はインセキに返す言葉を持っていなかった。


「ちなみに、巡洋艦がアギトプンクトにたどり着いたことは知ってる?」

「俺たちが大破させた護衛艦以外の二隻は航行不能になったと聞いたぞ?」

「それは事実じゃないから」

インセキは「酒と食べ物を追加しましょう」と言って、別のギンジョー酒と三色粥、それにイトマキガイの酢漬けを注文する。注文が来るまでのあいだに二人は交代でお手洗いに行き、小便を済ませる。


「それではあらためて」

「どうも」

 二人はギンジョー酒のぬる燗を呑みながらイトマキガイの酢漬けを食べる。コリコリとした食感を愉しみながらも、シュウサクは話の続きが気になって仕方がない。

「さっきの巡洋艦のことだけど」

「はいはい」インセキは口の端からイトマキガイのが飛び出したままうんうんとうなずく。「諜報局には本因坊レポートの骨子を作成する担当が存在するの。諜報局には戦績にかかわるあらゆる情報が集まってくるから、そこから情報を選別し、レポート内容を編集する仕事を任されているわけ。編集作業の過程で、都合の悪い事実はと見做され、黒塗りにされる。大本営レポートにしか触れ合うことのできない一般の準戦闘員および下級戦闘員は好むと好まざるとにかかわらず、いわば創作された戦績を日々鵜呑みにしているのです」


 インセキは蓮華を手に、お椀のなかで湯気を立てている三色粥をかき回す。白い粥が徐々に赤く色づいていく。酔って気分が高揚しているのか、彼女はお粥をかき回しながら「うまそー!」と何度も声をあげる。

 納得のいく色味になったところで、彼女は息を吹きかけて注意深く冷ましてからお粥をひと口食べる。どうやら辛いらしい。しかし、彼女は顔に汗をかきながらもその赤い粥を蓮華ですくって口のなかに運び続ける。


「中級戦闘員以上には大本営レポート以外の情報源が用意されているのか?」

「ええ、『提案』と『解明』という二種類のレポートが閲覧アクセス可能になる。提案は戦績を定量的に記したいわば成績表、解明は交戦結果に対する幹部のコメントが記されたいわば講評みたいなもの」

「やっぱ、下級と中級じゃ扱いがぜんぜんちがうな」

「それはそうでしょう。下級戦闘員は共済組合員、中級戦闘員は管理監督者なんだから。ちなみに諜報局員はもれなく非組合員です」

「組合員てのはみじめな存在だな」

 シュウサクは歯と歯のあいだに挟まったイトマキガイを指でこそぎ落としながらそう言った。

「そうでもないよ。組合員には公傷手当をはじめとするいろいろな手当てがつくから。中級戦闘員以上はすべて自己責任だし」

 トレードオフ。手当を取るか真実を取るか。もちろん手当も魅力的ではあるが、はゴメンだとシュウサクは思った。


「さっきの話けど、巡洋艦がアギトプンクトにたどり着いたってのは事実なんだな?」

「あなたにはもうしわけないけど」インセキは三色粥をかき回しながらそう断わる。さっきまで赤かった粥が今度はみるみる薄紫色に変色していく。

「事実は事実だ。インセキが謝ることじゃない」

「そうね」とインセキは言う。「たしかにあなたたちは護衛艦を大破させた。これまでなら護衛を失った巡洋艦なんてみたいなものだったんだけど、こないだの巡洋艦はまるっきりの新型だったの。優れた航行能力によって見事こちらの迎撃をかわして逃げおおせたってわけ」

「そうだったのか」

 インセキの言葉にシュウサクは眉をしかめる。九班だって自分を含めて四子しか生き残らなかった。自分たちが命がけで護衛艦を破壊したにもかかわらず、肝心の巡洋艦を取り逃がしていたとは。

「過去にも大破した艦体の残骸から巡洋艦の航行能力が向上しつつあるをこちらでも把握はしていたの。しかし、今回のお嬢さまはわれわれの想像をはるかに上回る桁違いの航行能力を保有していた」

 シュウサクは交戦後に巡洋艦の姿が見えなかったことを思い出す。自分たちがモタモタしているうちに巡洋艦は目的地に飛び立ってしまっていたのだ。


「でもさっき、今回の一手はよくも悪くもないと言っていたが、ほんとうにそう評価されているのか?」

 シュウサクは疑問に思う。巡洋艦を取り逃がしたのだとすると、作戦はあきらかに失敗だったと評価されて然るべきだ。

「そこ、まさにそこ」インセキは手にしていたお猪口でギンジョー酒をあおると、語気を強めてそう宣言した。「私も今回の失着を受けて、軍部局はおそらく作戦指揮者を更迭するだろうと思っていた。ところが、上層部はそう判断しなかった」

「なぜ?」

「これまでの騎譜と比較したときに定石からそれほど外れていないから。過去にも似たような展開が少なからずあった。そして、当時の騎譜を眺めてみるとその後の展開で十分に挽回できている。今回もじゅうぶん挽回可能と判断したみたい」

 それでいいのだろうかと疑問に思っていると、インセキはまるで気持ちを見透かしたように目を細めた。

「私もおなじ気持ち。過去の成功例が今回も通用するとは限らない。にもかかわらず実績のあるやり方を上層部は好む。そしてリスクを背負うことを極端に嫌う。それがうちの会社のなの」

「うーん」


 シュウサクはこれまで社の方針に疑問を抱くよりも目の前のやるべきことをやりきることを優先させてきた。それが自分のためにも社のためにもなると信じて疑わなかった。しかし今回の一件は正直疑問を抱かざるをえない。いくら社風とはいえ、前例ばかりを踏襲している会社に未来があるとはとても思えない。


 いや、とシュウサクは首を振る。幹部だってバカではないはずだ。それに彼らは戦闘員たちが毎日命懸けで戦っている時も、会社の未来をどうするかそればっかり考えるのが仕事なのだ。まさかこうしてわれわれが危惧していることくらい、一〇年前から議論していて然るべきだ。バカの考え休むに似たり。社の未来に頭を悩ませるのは幹部に任せて、末端の人間は末端の人間らしく、目の前のうまい酒とうまい料理に集中することにしようと彼は思った。

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