第11話 国粋公社【原因分析】

「それは、なんだ?」

 シュウサクは口のなかに食べ物をたらふく詰め込んだまま、箸の先でインセキが木箱から取り出したものを指す。分厚い木の板に四本の脚がついている。ミニチュアのテーブルのようにも見えた。

「ゴバン。とても古いもの」インセキはゴバンを畳のうえに据えると、今度は蓋のついた器を二つ木箱のなかから取り出す。「こっちは耳なじみのある名前だと思うよ。っていうの」

 ゴケだって? シュウサクはギンジョー酒で口のなかを洗うと、座りなおしてその見馴れない器に向き合う。ゴケといえば、われわれ戦闘員を運ぶ艦船に他ならない。

「これは、はるか昔に存在した『ゴーゴー』という遊戯に使われていた道具。ゴバンとゴケ。ゴケのなかに入っているのがゴイシ。貝殻でできてる」

 インセキはゴケの蓋を開ける。なかには円盤形の小石のような物体が入っている。一方の器には白一色の石、もう一方の器には黒一色の石が入っている。特に白い石はゆるやかなカーブを描くように表面に細かい縞目が走っていて、とても貝殻からつくられたとは思えないほどの美しさだった。


「かつてわれわれの祖先が故郷である地球にいたころは多くの遊戯があった。しかし、その多くは失われ、今は残っていない。ゴーゴーも失われた文化のひとつ。しかし、ゴーゴーは完全には死に絶えず、意外なかたちで命をつないだ」

「それは騎譜の話?」

「そう。遊戯としてのゴーゴーは廃れたけど、そのフォーマットや考え方は国粋公社のなかで今も最前線で活用されている。軍事戦略の要として」

「これまでの作戦行動はすべて騎譜に記録されていると聞いたが、ほんとうなのか?」

「ほんとうです」

「じゃあ、こないだ俺が参加した作戦行動の騎譜もあるってことか?」

「あります」

「軍部局は作戦は大成功だったと本因坊レポートで報告している。しかし、父さんはジゴだろうと言っていた」

「そうねぇ」インセキは言葉を濁す。「もしかすると、今後の展開次第では敗戦だったと評価されるかもしれない」

 インセキの言葉にシュウサクは眉をしかめる。

「それはないだろ。俺たちは現場で戦っていたからわかる。あれは決して敗戦じゃなかった」

「最前線で戦っていた一部の下級戦闘員ジツヨウの視点から見ると、たしかにそうなのかもしれない。しかし、もう少し上の視点から見ると、こないだの戦いはちがう見え方をしてくる」

「どんな見え方だ?」

「それを説明する前にまずは先日のあなた自身の戦いを振り返ってみる必要がある」

「俺個人の戦いを記録した騎譜があるのか?」

 シュウサクが驚いて質問すると、インセキはうなずく。

「全戦闘員の戦いは騎譜として記録されているから」


 インセキが限定公開タグ付きのデータを転送してくる。シュウサクはすぐにそれを展開する。網膜に立方体の映像が表れる。立方体のなかには、十九×十九マスのグリッド線が規則正しく走っている。どうやらこれが騎譜のもとになるフォーマットということらしい。目の前のゴバンと一緒だ。

「データを参照しながら、この盤上で再現していくから見てて」

 インセキはさっきまで座布団のうえに横座りしていた脚をあぐらに切り替えると、泥色をした麻のシャツの胸ポケットからゴムを取り出し、ボサボサになった髪を束ねて括る。ギンジョー酒をひと口あおると、ゴケのなかから白石と黒石を取り出して一つひとつゴバンのうえに並べはじめる。その様子をシュウサクは驚きながら眺めていた。


 シュウサクは彼女の顔を見て、にわかに生気がよみがえってきているのを感じた。土色をしていた頬に赤みがさし、父から受け取った写真のような若々しさが漂ってくる。毛量の多い黒々しい眉は意思を持ったように上下に動き、その下で長いまつげを揺らしながら黒めがちな目は潤いを取り戻してきている。低くて小さい鼻は勢いよく空気を吸っては吐き出し、への字をした口はいよいよ角度が鋭角になって融通が利かなそうな印象を与えている。さっきまでの薄い印象が一変し、父にもらったデータから受けたイメージに近い彼女が目の前にあらわれた。


「どうかした?」

 インセキは盤上から顔を上げると、あごの下を右手の小指でポリポリとかきながらそう訊く。彼女の目には力があり、かつて彼女が女流戦闘員だったころのおもかげが垣間見えた。

「いや、続けて」

 網膜に映っているフォーマットに白と黒の円盤形のマークが加えられていく。それぞれのマークには1、2、3という数字が振られている。それに合わせて、インセキがゴバンのうえに石を並べていく。

「ゴーゴーとはゴバンと呼ばれる盤のうえに二人の対戦相手が交互に石を置いていき、自分の石で囲んだ陣地――「地」と言うんだけど――をより広げた方が勝ちとなる遊戯なの。先の交戦を再現するにおいて、黒石は先番、パンスラヴ社になる。白石が後手番、あなたです。石に書かれた数字は打たれた手順のこと。こうして石を置きながら一手目から終局までの着手点を示していくわけ」

「この一手一手が俺の戦いの軌跡ということか」

「まあ、この一手のなかにも実際は複数の情報が詰まってるんだけど」と言いながら、インセキは騎譜を解説していく。「あなたは突入後、順調に相手の懐へ攻め込んでいった。サンサンに打ち込まれそうになった時も連隊を組んだ仲間をうまく使ってハネています。六十三手目で相手をシチョウに追い込んだのもよかった。ここから質量炉まで雪崩れ込んでいく筋も悪くありません」

 インセキの解説にはわからない用語がたくさん含まれていたが、シュウサクはゴバンのうえに並べられていく石を眺めているうちに、先日の戦闘の記憶がよみがえってくるのを感じた。たしかに質量炉までは極めて順調だった。問題はこのあとだ。

「九十一手目まではまるで問題のない、理想的な勝負展開でしたが、九十三手目が疑問手でした」と言って、インセキは8の四を指さす。「相手の誘いに乗るかたちで、あなたはノビの一手を打った。しかし、これが最強手だったかはでも議論が分かれています」

「検討?」

「対局の結果を振り返る行為のことね。全戦闘員の戦いは検討対象になっている。この騎譜ももちろん検討されたわけだけど、ノビの一手は悪手だったという意見があった。封鎖されたときに根拠がなくなってしまう。サガリを打つべきだった、つまりはいったん退くべきだった、という意見が出てる」

「あの時に一緒に連隊を組んでいた戦闘員の性質を考えると、仕方なかった。俺ももう少しうまくやれればよかったんだが、結果的には待機や後退して様子を見るようなマネはできなかった」

 シュウサクが反論すると、インセキはわかっているといわんばかりに手で制する。

「そういう意見もあったよ。あの状況ではサガリを打ってもその後の局面が難解になる一方で優勢に立つことができるとは限らない。ノビを打つのが定石に近い、と」

「その検討っていうやつは、これまでのすべての戦いで、すべての戦闘員に関して行われているのか?」

「そう。戦死した戦闘員を含め、すべて」

「嘘でしょ」

 シュウサクは気が遠くなる。前回の交戦でも二○○子以上の戦闘員が参加している。そのひとりひとりの戦いのすべてが最善の戦い方だったのかを検討しているなんてにわかには信じがたい。

「いくら人手があっても足りないな」

「検討専門の部隊がいるの。彼らは日々採譜し、検討を行っている。いわば軍部局の頭脳。ただし、初手からすべて人の頭で検討しているわけではない。基本的なところは自動人形カラグリが検討しつつポイントになるところだけ人の頭で検討しているわけ」

「それでもすごい」

 シュウサクはさめた酔いを取り戻すためにギンジョー酒を呑む。口の端から滴が垂れる。


「幹部も俺たち一人ひとりの騎譜を見ているのか?」

 シュウサクがそう訊くと、インセキは首を振る。

「いえ、幹部たちはおなじ騎譜でももっとスケールの大きなものを見ているの。見てみましょうか。あなたの騎譜はだいたいさっきのような感じで悪くない評価がされていることがわかったと思うし」

 インセキが別のデータを転送してくる。二種類。まず最初のデータを展開する。フォーマット自体は先ほどの騎譜と変わらない。

「例えばこれは師団長クラスが見ている騎譜。さっきとちがって白石は戦闘員一人ひとりを意味していない」インセキは並べ替えたゴイシを整えると、9の六の白石を指さす。「あなたが護衛艦と攻防した先ほどの騎譜のすべてが、この一手に集約されています」

 シュウサクは9の六の白石をじっと見る。自分の生死をかけた攻防がこのたった一つの白石で表現されていた。白石は彼の思いなんてどこ吹く風で、店内照明を浴びてやわらかい光を放ちながら静かに盤上にたたずんでいる。

「見ようと思えば、この9の六の一手をより細かく検討することができる。さっき見ていた騎譜ね。でも、基本的に師団長クラスはこのくらいのスケールで騎譜を検討している。先ほどの一手に関しては、右辺に厚みをつくるためのケイマツギは妥当だったということで悪くない一手だったと検討では評価されていた」

 悪くない一手。それでも、あの攻防で部下の戦闘員が命を落としたのは間違いなかった。


「想像がつくかとは思うけど、最後のデータは局長クラスが見ている騎譜」

 インセキは「ああ忙し」とうれしそうにつぶやきながらもう一度ゴバンのうえの石を並べ替える。シュウサクはそれを見ながら三つ目の騎譜を展開する。やはりおなじフォーマット。そこにはさっきとは違う手順が記されている。インセキの手によって指さされた18の二の白石。

「この一手が、先日の戦闘のすべてを表しています」

 さっき自分が見ていたのとまるでおなじ白石。しかし、その一手の重みはまるでちがう。

「この一手は、どう検討されたんだ?」

「相手の連絡を切ったところは評価できるけど逆に相手が今後模様をつくりやすくなってしまったという弱点もあって判断がむずかしい。よくも悪くもない、と言ったところかな。ただし、今後の展開次第ではやはり悪手だったと評価される可能性がじゅうぶん残っている。あとから振り返った時、あれは敗戦だったと判断されるわけ」

 先日の戦いでは一四六子が命を落とし、準戦闘員にも甚大な被害が出た。それでも、騎譜のなかではたったの一手でしか表されていない。そして、今後の展開次第であの時の作戦が成功だったか失敗だったかをニュートラルに判断しなければいけない。でモノを考えるというのもなかなか大変そうだとシュウサクは思う。もし今後自分がそういった立場になったとして、大勢の仲間の死を前に「あの作戦は失敗だった」と冷静に評することができるだろうか。あるいは、ある種の冷酷さを持った人間でないと幹部にはなれないのかもしれないと彼は思った。

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