第10話 国粋公社【懇親会】

 シュウサクは社外居留地の呑み屋街を歩きながら、そこにいる人々のふるまいを冷ややかな眼差しで眺めていた。彼らには礼儀や遠慮というものがなく、悪い意味で家族のようだったからだ。

 店先の公道に許可なく持ち出されたプラスチック製のイスとテーブル。集まった客は公道を自室の居間と勘ちがいしているかのように大声で騒ぎながら呑み食いしている。剥いた豆のサヤを放り投げたり、呑み残しの麦酒を足元に流し棄てたりしている。なかには店の食器を手にしたまま、お会計もせずに別に店にいる知り合いの元へ行って話し込んでしまう輩もいた。酩酊状態のまま道端でうずくまっている者や店と店のあいだの細路地に向かって立小便をしている者までいる。どうやらこの町の秩序は日没とともに明日の朝までペンディングになってしまったらしい。


 立ち並ぶ店はどれも安普請で、金属板を継ぎ接ぎしていたり、基礎部分がむき出しになってしまっている店舗も多かった。ただ、どの店も看板だけは新しくて、新しい店ができては潰れ、そのまま居抜きで次の店が入るといった循環構造ができあがっていることがうかがい知れた。

 目につくところ、安い酒を呑ませる居酒屋がほとんどで、なかにはめずらしい海産物を食べさせる店や培養肉を取り扱っている店もあるようだった。排気ダクトから立ち昇る油煙。廃油や香辛料のにおいに人のにおいが混じりあって、町中噎せ返るような臭気に包まれている。


「割引クーポンお配りしてます、どうぞ」

 目抜き通りの真ん中でひときわ目を惹く女。肩と太ももが露わになったバレンシアオレンジ色の制服と真っ赤な長い髪が完全に悪目立ちしている。彼女は周囲の視線を気にする様子もなく、足元に置かれたボール箱から取り出したポケットティッシュを熱心に配っている。

 お手本のように整った顔立ちや立ち居ふるまいからして、彼女が自動人形カラグリであるのはまちがいなかった。この町の人も馴れているのか、酒を呑みながら彼女を眺めている者はいても、彼女に近づいて話しかけようとする者はいないようだった。彼女は減らないポケットティッシュを手に持ったまま、道行く人に声をかけ続けている。シュウサクは彼女の笑顔に手繰り寄せられるように近づいていった。

「割引クーポンお配りしてます、どうぞ」

 シュウサクがポケットティッシュを手に取ると、彼女はシュウサクの目を見つめ、満面の笑みを浮かべる。

「ありがとうございます、ぜひいらしてください」

 シュウサクは気まずくなって目をそらすと、ポケットティッシュを雑嚢のなかにねじ込み、その場を立ち去る。


 近づいてくる野犬を追い払いながら目抜き通りを奥へ進む。目のさめるような鮮やかな色の果物を店先に陳列している青果店。看板には「くすもとフルーツ」と書かれている。この店を左折。シュウサクは事前に指示されていた道順を辿りながらインセキの待つ店へと向かう。そろそろのはずだ。

 暖簾屋台の並ぶ細い通りをさらに奥に行ったところにその店はあった。長屋の一階には理髪店や貸金庫といった業種のちがう店舗がいくつか入っていて、そのうちの一つがインセキの待つ「居酒屋ゴカイショ」だった。インセキはカウンターに座ってひとりで麦酒を呑んでいたらしく、シュウサクの姿を見つけると「ここです」と手をあげた。

 シュウサクは一瞬戸惑う。シュウサクが父からもらったデータでは、インセキはきれいに撫でつけた髪の毛を後ろで束ねており、顔だちも精悍で小綺麗な身なりをしていたのだが、目の前の彼女は髪がボサボサなうえに着ている服もかなりくたびれていた。そして何よりも、目に生命力がなかった。女流特有の相手を刺すような目力がなく、彼女はありていに言うと目が死んでいた。網膜に映った「照合OK」のメッセージがなければ本人だとわからないくらいだった。

「遅れて失礼。馴れない道だったもので」

「大丈夫。練習してただけだから」

 インセキは麦酒の器をトントンと指で叩く。「二階の座敷に上がりましょう」


 二人は階段を上って二階の座敷席へと移動する。二階は畳張りの広間になっていて、四席のうちすでに三席が埋まっていた。一階のカウンターの賑わいといい、人気店なのだろうとシュウサクは思った。

「麦酒にする?」

 インセキの問いかけにシュウサクは首を振る。

「俺は炭酸が苦手なんだ」

「ではギンジョウ酒にしましょう」

 インセキが卓上のパネルで注文を入れる。そのあいだシュウサクは彼女の身なりをじっと眺めていた。

「何かご不満でも?」

「父から送られてきたデータと実物に乖離があったものだから、つい」

「写真よりブサイクだって言うならごめんなさい。これが実力」

 感情のこもっていない声でそう言われ、シュウサクは動揺する。何をどう説明しても墓穴を掘りそうで「いや、そういうことじゃなくて」と否定するのがやっとだった。

「先生から聞いた通り、まじめ人間なんだね」

 インセキが「先生」と呼んでいるのが父のことだと気づくのに一拍時間がかかる。気づいてから、まじめ人間とはどういうことか質問する。

「仕事中でもないのに黒衣くろづくめを装備しているみたいだから」

 インセキはシュウサクの黒装束を指さしてそう言った。

「いつ敵が攻めてくるかわからないからね」

「ね、だからまじめ人間」

「そうでもない」

 シュウサクはバカにされた気がして少し気を悪くする。


 ピンポーン。

 急に耳の傍でチャイムの音がして、シュウサクは身体をこわばらせる。目の前には「新感覚マッサージ」とド派手な色の文字で書かれた映像が表示されている。「日々の疲れがたまったあなたに」という文字が表示されたかと思うと、疲れた男が綺麗な女の人の手で身体を揉みほぐされ、緩み切った笑顔を浮かべている映像に切り替わる。

「なんだこれは?」

 動揺するシュウサクを見て、インセキが「どうかした?」と声をかける。急に目の前に現れた映像の話をすると、彼女は「ここに来るまでに何か受け取った?」と言った。

「これを受け取った」

 次々と聞こえてくる音と目の前でチラつく映像に邪魔されながらも、シュウサクは雑嚢のなかからポケットティッシュを取り出し、インセキに渡す。

「ああ、これだ」

 インセキはターミナルバンデイジを使って何やら通信をはじめる。すると、ほどなく音と映像が消えた。

「びっくりした。何だったんだ?」

「このポケットティッシュにアドビーコンが仕込まれていたの。おそらく受け取ったときに勝手にあなたのターミナルに接続要求をかけて承認させていたのでしょう。お店の広告が定期的に表示されるような設定に書き換えられていた。アドビーコンは無効化しておいたのでもう大丈夫」

「おそろしいな」

 シュウサクはポケットティッシュを畏怖のまなざしで見つめる。もしインセキがいなかったらずっとあの調子で目の前に広告が表示され続けるところだった。

「無闇に町中でモノを受け取らないほうがいいよ。ここは社領の外だから」

「ここにはよく来るの?」こんな物騒なところなのに、という言葉をシュウサクは飲み込む。

「それほど頻繁にではないけど、いい店が多いから」


 注文した酒が運ばれてくる。頭に藍染の手ぬぐいを巻いた店主らしき男がテーブルのうえに徳利とお猪口を置く。

「同意書にサインを頼むよ」

 網膜に同意書の映像が映し出される。何かと思って読んでみると、どうやらこの店で出した商品を口にすること及びそれによってもたらされた健康被害について店側は一切の責任を持たないという内容が記載されていた。どういうことかと思ってインセキの顔を見ると、彼女は当たり前だという顔でうなずいて見せる。

「社外居留地では食品に追跡義務が課せられていないから、その分自己責任で口にする必要があるの。大丈夫、この店は何を食べてもうまいから」

「ほら、とっととサインしてくれ」

 男に急かされ、シュウサクは同意書にサインする。データを受け取ると、男は「まいど」と言って頭に巻いた手ぬぐいの位置を直す。

「あんた、インセキさんの知り合いか。見たところ、軍人だね」

「わかりますか?」

 シュウサクは驚いて男の顔を見る。男は当然だという顔をしている。男の左肩から下、機械構造が丸出しになっている義手に目が行き、そこでハッとなる。機械むき出しの義手をぶら下げたまま生活する人間の多くは軍人だ。彼らはそれを戦いの証として勲章のように見做している。

「もしかして、あなたも元軍人ですか?」

 シュウサクはそう問いかけながら自然と生身の右手に目をやる。右手首の戦痕、そして手の甲には雪の結晶が刻印されている。扇六花おうぎろっか樹枝六花じゅしろっかほどではないが、かなり高位の戦闘員だった証だ。「ユキジルシの方だったとは、失礼しました」

「昔のことだよ。今じゃこうしてしがない居酒屋を切り盛りするのがやっとだ。幸運なことにインセキさんやあんたみたいに、国粋公社の軍関係者がお忍びで使ってくれてるから何とかやっていける」

「とんでもないです」

「まあ、今日はゆっくり呑んでいってくれ」

「ありがとうございます」

「食べ物も注文していい?」インセキは気軽な雰囲気で店主に話しかけると、食べ物をいくつか注文する。「それと、をひとつ持ってきてほしい」

 店主は「まいど」と返事をし、階段を下りていく。シュウサクは後姿が見えなくなるまで店主から目が離せなかった。


「おどろいたよ。元ユキジルシの戦闘員が店主をやっているなんて」

 シュウサクはインセキが徳利から注いでくれるギンジョー酒をお猪口で受けながらそう言った。

「彼は元ユキジルシの戦闘員じゃないよ。むしろ元軍人ですらない」

「え?」

「わたしは一度彼の経歴を社のデータベースで調べてみたことがあるの。でも、該当するデータはなかった。あの刻印は見せかけ」

「そうだったのか」

 シュウサクは拍子抜けする。てっきり尊敬するユキジルシの戦闘員かと思ったら軍人ですらなかったとは。若干気分を害しつつ、お猪口に注がれたギンジョー酒を口に含む。その瞬間、口のなかに拡がった豊かな香りに思わず声をあげる。「すごいな、これ」

「でしょう? 彼の経歴は偽物だけど、出てくるものは本物なの。社領のなかで呑めるものはギンジョー酒といっても基準が緩み切ってしまっているから。混ぜ物もふんだんに使われてるし製法も厳密じゃない。ここは昔ながらの製法でつくっている」

 たしかに、うまい。シュウサクは普段はあまり呑まない酒をグイグイと身体のなかに流し込む。運ばれてきた料理も文句なしにうまかった。ダイオウシャモの串焼きやオドリガニの素揚げといっためずらしい料理がテーブルのうえに並ぶ。彼は本来の目的を忘れて箸を進めた。

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