第9話 パンスラヴ社【職責手当】

 スロヴィオはウンザリした気持ちで作業卓の前に座ると、ディスプレイに候補者の情報を一覧表示した。ズラリと並ぶ顔写真。騎譜の解析を急ぐなら、ソシュールだけではなく他にも対話ヂアロークの対象者を拡大した方がいいのだろう。ただ、こないだも事故があったことを考えると気がすすまなかった。


 そもそも騎譜について理解を深めたいのであれば、対象者を軍事関係者に絞らなければならない。そのなかでも有益な情報を持っているであろう諜報関係の仕事をしていた人間は、社員五○○〇万人のうち、二○○人もいなかった。おまけに、そのうちの半数は一次試験でホムンクルスに暴力的な傾向が確認されており、危険性が高い人物として「不適合」に認定されている。残りが百人になるわけだが、こないだそのうちの一人に首を絞められたばかりだった。


 もうやめよう。

 スロヴィオはディスプレイの一覧表示を消す。たかが仕事で死んでいられない。ソシュールにはもうしわけないが、今しばらく頑張ってもらうしかなさそうだ。

 彼女は核晶フルスターリにアクセスし、ソシュールの精神状態ドゥーフを確認する。桃色の気流に赤い縞模様が混じっている。疲れは残っているようだが、明日ならなんとか対話を実施できそうだった。彼女は作業卓を操作し、ソシュールとの対話のスケジュールを登録する。


 イスに背を沈め、スロヴィオは大きくため息を吐く。所定労働時間はまだあと二時間は優に残っているが、もうたくさんだ。今日はこれ以上働きたくない。

 スロヴィオの心の動きを見透かしていたかのように、研究室のベルが鳴る。招かざる客。どうやら正体は上長のシレジアらしい。ロックを解除し、上長を招き入れる。部屋に入るなり、彼は辞令データを転送してくる。

「おめでとう、昇進だ」

 スロヴィオはファイルを視床スクリーンに投影する。上長の言う通り、職位がひとつ上がっていた。

「ありがとうございます」

「ずいぶん気の無い反応だな 今回はかなり厳しい競争のなかで勝ち抜いたというのに」

「すいません」

 スロヴィオは「上長のおかげです」と定型文を口にしようかとも思ったが、めんどうになってやめた。「誰か部下は来るのでしょうか」

 一番気になっていることを確認する。しかし、上長は無表情のまま首を横に振った。

「人は来ない。むしろ職位が上がったわけだから、これまで以上に効率的に成果を出してもらう必要がある」

「わかりました」


 実際のところ、まったく意味がわからなかった。これまでだって人は足りていなかった。それなのにこれからはもっと素早く成果を出さなければいけない。職位が上がったからって急に職能が倍増するわけもなく、今日までの自分が明日もいるだけなのに、どうしてみんなそんな簡単なことがわからないのだろう。

 結局、上の人間は自分の評価のことしか考えていないのだ。少ない人件費で成果を出せばそれが自分の評価につながる。それに、会社は人件費を抑えることしか興味がない。結果、こうして自分は望んでもいない昇進と引き換えにまた明日からもひとりで仕事に取り組まなければいけないというわけだ。ささやかな手当てがついたからといってそんなもの何の気休めにもならない。


「ところで、午後のタイムラインが更新されていないようだが」

「すいません、午前中の打ち合わせを踏まえて更新するつもりでした。午後は次回の対話に向けた質問票やその他の課題整理を中心に行います」

「忘れずに更新しといてくれ」

「はい」

 いつも思うが、この管理監督者はタイムラインを更新させることが部下の勤務管理だと勘ちがいしているところがある。お望み通り、このあとすぐに予定を更新しておくつもりだが、中身についてはこちらの好きにさせてもらおうとスロヴィオは思う。

 研究室のなかでの活動は端末の操作ログや生体ログが残るのでサボるのも難しいが、閉架書庫ビブリオチェーカ内であればモニタリングの対象外だ。もう今日はそこに入り浸ってやり過ごそう。


 スロヴィオは研究室の奥にある昇降機を使って地下の閉架書庫へと向かう。扉のロックが生体認証で解錠されたのを確認し、両手でハンドルを回す。重金属製の耐火扉が開くと、彼女はなかに入ってからしっかりと施錠した。

 閉架書庫には、これまで父が蒐集してきたデータが収められた筐体がいくつも陳列されていて、一見すると機械室然としている。しかし、前室を抜けて奥へ行くと、急に景色が一変し、床から天井まで壁一面に書籍が並ぶ「図書館」へと変貌する。


 父は昔から文書保管の重要性を繰り返し説いていて、データとは別にハードコピーを必ず用意するようにしていた。手間暇がかかる分、作業効率は低下するが、演算処理のなかでいつ腐食・破損してしまうかわからないデータだけを筐体管理するよりもよほど確実だと本人は信じていて、どれだけ会社側から予算圧縮の要請が来たとしても、文書管理費には決して手を付けなかった。


 父は、閉架書庫を研究成果の保管庫としてだけではなく、個人的な「サロン」としてとらえていた。長机やラウンジチェアだけでなく、ティーサーバーや音響設備まで用意する力の入れようだった。

 スロヴィオは、父が勤務時間外にチャイを飲みながらラウンジチェアに座ってハードコピーの本を読んでいたのをよく覚えていた。ページをめくる時の紙が擦れる音は彼女にとっては子守唄がわりで、父が本を読んでいるとなりで眠りについてしまうこともままあった。

 父はよく、パンスラヴ社ができるずっと前の古い作家の書いた物語を読んでいて、何冊かスロヴィオも勧められたが、夢中になることはできなかった。今ではすっかりホコリをかぶったままになっていて、今後それらの本が開かれる見込みもなかった。


 スロヴィオはティーサーバーからチャイをカップに注ぐと、ひとつは自分用、もうひとつを父が座っていたイスの前に置いた。

「いただきます」

 静かに湯気を立てている父のカップを眺めながら、スロヴィオはチャイを飲む。身体のなかに温もりが伝わっていくにつれてさっきまでのクサクサした気持ちが和らいでいく。


 視床スクリーンに十二時半を知らせるメッセージが映る。エサをあげる時間だ。

スロヴィオは席を立つと、昇降機に乗って自室のリビングへと向かう。扉をあけてなかに入る。寝具と最低限のインテリアだけが揃った清潔な病室のような部屋。彼女が部屋に入ったのに反応して、ソファのうえに留まっていたフクロウがこちらを向く。彼女を見ながら何度も瞬きをする。

「ごはんの時間だよ、父さん」

「ごはんクワセロ。おそい、ボケ」

 フクロウは食事の時間に理解を示そうとするかのように羽根を拡げたり閉じたりしながらわめき声をあげる。スロヴィオは保冷庫のなかから下処理済みのラットを取り出すと、手のひらにのせてそのまま差し出す。ラットを夢中でついばむフクロウ。その様子を眺めながら、いっそ自分もフクロウだったらどれだけ気が楽だったろうかと彼女は思う。

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