第8話 パンスラヴ社【企業年金】

 会議が散会し、スロヴィオは円球公会堂チアートルから退出した。円球公会堂のある軍事研究棟の最上階は低重力空間になっていて、ゲートを潜り抜けた彼女はそのままふわりと下層階への出入り口へ向かって浮遊する。

 ホールの床に降り立つと、彼女は後ろを振り返って見上げた。黒色球体。サブスペースへとつながる「連絡通路」の役割を果たすそれは、ホールの中空に静かに浮かぶブラックホールのように見える。また来週この球体の向こうへ行かなければいけないのかと思うと憂鬱で仕方なかった。


 低層階行きの直通エレベータに乗り、居留階層にある自分の研究室へと戻る。

 ワークチェアに腰掛け、壁面ディスプレイに映し出されている系統樹を眺める。言語が派生していく様子を視覚的に示した有根系統樹の根には、古代我々の祖先が話していたとされる言語が記されている。父はその共通祖語こそ「ことばの起源」だと考えていた。


 言語学を研究していた父は昔から、人類はかつて神によってただ一つのことばを授かったという説を支持していた。はるか昔に袂を分かったたちの話す「共通語」もまた、われわれの言語とおなじ語族であると父は考えていて、事実、共通の音韻法則や類似する単語が多数存在することを父自身が研究のなかで確認していた。

 文部省から国防省に異動したころの父は、国防省直轄の特務組織で敵性言語の解析や通訳に携わるだけでなく、戦略顧問も兼務していた。激務でありながら活き活きしているようにも見えたのは、「ことばの起源」というロマンが彼に力を与えていたのかもしれない。


 父の追い求めていた信念が力を失うことなく、死ぬまで追い求め続けることのできる対象であり続けたのは彼にとって幸せだったとスロヴィオは思っている。もし国粋公社について理解を深めていたら、父はきっと苦悩したはずだ。そもそも、パンスラヴ社は国粋公社になんか手を出すべきではなかったのだ。


 目の前の資源を手に入れたい国防省は、リーバイ・ディベロップメント社の実効支配に成功したあと、すぐににある国粋公社への侵攻を戦略会議で提起した。

 当時は、長年の交戦で全社的に疲弊ムードが漂っていて、さらなる侵攻に対して厳しい意見もあったなか、父ははじめから全面的に賛成の立場を表明したらしい。今となっては誰にも真意を確かめる術はないが、おそらく父は言語学者としてのさがから国粋公社への侵攻を支持したのだと彼女は考えている。父は六連星で話されている言語をすべて系統樹にプロットし、言語神授説をより強固なものにするつもりだったのだ。

 しかし、道半ばにして父はこの星で命を落とした。国粋公社との交戦に巻き込まれて戦死したのだ。父が文部省にいたころから仕事の手伝いをしていた自分がこの星にいなかったら、父の研究データは完全に失われていたかもしれない。それに、脳も。


 系統樹から遠く離れた位置にポツンと紙魚しみのようにプロットされた記号。国粋公社の社員が話す「標準語」はあまりにも異質すぎて、どう贔屓目に見てもわれわれとおなじ等語線上に位置づけることはできない。

 しかし、彼らは決して異種族ではなく、われわれやリーバイ・ディベロップメント社の社員とおなじく地球という共通の故郷から旅立った人類の末裔であることが確認されていた。だとすれば、ちがうのは語族であり、「神が人類に与えたことばは一つである」という父の説は揺らぐ。父がもし今生きていたら何て言っただろうか。


 スロヴィオは壁面ディスプレイの映像を消す。ブラックアウトしたディスプレイに映る自分自身の顔を見て気持ちがさらに落ち込む。小さいころはみんなに褒められた金色の豊かな髪も今はすっかり艶を失ってカスカスしているうえに乱れている。緑色の瞳は連日の長時間労働で白目が充血している。隈もひどい。小ぶりな鼻は昔からコンプレックスだが、疲労の影響でいつもよりもう一回り小さくなっているような気がする。ディスプレイに映った自分が「あなたには休息が必要」と切に訴えていた。


 スロヴィオは集電装置ハブにアクセスし、現在時刻を確認する。一時間しかない休憩時間をすでにニ十分も割り込んでいた。

「最悪」

 サイドテーブルから経口栄養補助食エネルギーバーを取り出し、義務的にかじる。口のなかでサクサクとした食感に続いて甘みのある水分が拡がる。栄養分も水分も同時に摂取することができる優れモノ。食欲のない時にはこれに限る。でも最近、こればかりだ。もう何日、まともな食事をしていないだろう。


 スロヴィオは二本目のエネルギーバーをかじりながら窓の外を眺める。国防技術研究棟の外れにある兵仗製造プラントに次々と資材が運ばれているのが見える。六脚コンテナが重金属を地下施設に運び入れている。地下のプラントでは新型の重力等価砲が製造されているはずだった。モスグリーンの制服を着た作業員たちが廃材を敷地外に運び出している。

 兵仗製造プラントのさらに外れにある科学技術研究プラントへ向かう自走式四輪。荷台には濃いブルーのジェルが充填された水槽が積まれている。ここから目視確認することはできないが、ジェルのなかに閉じ込められているのは「試験体」だ。試験体に選ばれたリーバイ・ディベロップメント社の社員は今頃でも見ているに違いない。そして、彼らが夢からさめることはもう二度とない。


 スロヴィオは自然と自分の顔が険しくなっていることに気づく。試験体は化学班の手によって頭を切り開かれ、脳のなかに詰まっている情報を丸ごと引き出されてしまう。はじめて知ったときは化学班の連中が悪魔に見えたが、化学班で務める職員の多くがストレスによって精神を病み、自殺者も多数出ているらしいと聞き、逆にかわいそうだと思うようになった。自分が化学班の実験にかかわっていなくて本当によかったと思う。


 社も焦っているのだ。幹部は六連星との終わりが見えない交戦状態にいい加減しびれを切らしていて、異教徒を一網打尽にできるような「とっておきの情報」がないか調べるためにいろいろとおぞましい手段を試していた。しかし、そうした試みは今のところ、いずれもうまくはいっていなかった。悪魔の手先のようなことをさせられて、担当の社員たちはほんとうに気の毒だと思う。


 自分よりもひどい環境にある人間のことを考えると、「あの人たちよりはマシだ」と思える。しかし、その思いは今現在の苦痛を取り除く助けにはならなかった。下には下がいるのとおなじように、上には上がいるのだ。

 そもそも自分は働かないまま一生暮らしていけるはずだったのだ。功労年金が娘の手元に行き渡っていなかったなんて知ったら、父が地下世界(ナービィ)から生まれ変わってこの世に戻ってきたときにどれだけ嘆き悲しむだろうか。


 父は、パンスラヴ社がリーバイ社と交戦状態に入るずっと前から御用学者として社に貢献していた。言語学的なアプローチによる企業統治の推進。それが文部省勤務だった父の先端業務だった。文字記録よりも口頭伝承の文化が根付いていたパンスラヴ社には言語について研究している人間は皆無で、新たに「標準語」を普及させて企業統治を強化したいという会社の要望を実践的に検討できるのは父くらいしかいなかったのだ。

 六連星が発見されて程なく、父は国防省に異動になって敵性言語の分析や通訳を担うことになった。これまでの比較言語研究を活用した父の仕事ぶりは高く評価され、ついに戦略顧問まで務めるまでになった。


 ほんとうならば、戦略顧問まで歴任した社員が戦死した場合、遺族に対して功労年金が支給されるはずだったのだ。功労年金があれば、一生、生活費の心配はいらない。ところが、年金生活がはじまって一年も経たないうちに、パンスラヴ社からスロヴィオに功労年金の打ち切り通知が来た。その代わりとして、父のポストが用意されていたというわけだ。そんなひどい話があるだろうか。父は会社のために身を粉にして働いていたのに、まんまと会社に裏切られたのだ。今になって考えると、会社は父の代役をはたせる人間を何としても引っ張ってきたかったのだと思う。実績は無くとも、要領を心得ていて使いやすいスロヴィオを呼び戻したかったのだ。

 功労年金がなくなってしまった以上、働いて生活費を稼ぐしかなかった。父の手伝いで何の覚悟もないままにこの星まで来てしまったが、まさか自分がこの地で一人称で働かなければいけなくなる日が来るなんて思ってもみなかった。


 上長のシレジアは次回定期戦略予備会議までに騎譜の詳細についてレポートすることを出席者に約束した。もちろん彼が手を動かすはずもないから、次回までに自分で目処をつけなくてはいけない。

 スロヴィオは二本目のエネルギーバーを食べ終えると、窓に両手をついて寄りかかり、大きくため息を吐いた。

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