第3話 国粋公社【キーパーソン】

 シュウサクは床の間の前まで歩いていくと、掛け軸に描かれた「六連星」と地球の画をあらためて眺める。そこにはかつてのふるさとへの憧憬と自分たちでつくりあげた新天地に対する誇りがない交ぜになって表現されているように見える。彼は、自らの境遇を嘆くよりもあらたしい未来をつくっていくことに心血を注いだ先人たちを尊敬していた。


「俺たちは入社してからずっと、目の前のやるべきことをやればちゃんと結果がついてくる、よけいなことは考えるなと常々上官たちから教え込まれてきた」

「その教えは私が入社した時からずっと変わってません」

「それなりに結果も出してきたつもりなんだけど、この教え、いつまで愚直に守ってればいいのか最近疑問で」

「不満ですか?」

「俺はいつまでも駒として使われる側じゃなくて、駒を使う側に回りたいんだ」

「すばらしい心意気ではあります」


 父は障子窓の傍から離れる。水屋から新しい黒樂茶碗チョウジロウと道具を運んでくると、点前座てまえざに座ってあらためて自分のためにお茶を点てはじめる。


「なるほど、ちょうど昇進のタイミングに差し掛かってるわけですね」と父は言った。

「今の段位が六段。ここまでにふるい落とされてしまった同期生も多いなかで、自分でもよくやってきたとは思ってるんだ。でも、六段から七段上手にうまく上がれるか上がれないか、ここが一番大事なところなんだ。ライバルが多いうえに狭き門だから」

「たしかに、七段上手への昇進は、職位が中級戦闘員ツキジルシに上がることを意味します。直属の部隊を持つことになるわけだから、今までの環境とガラッと変わることは事実です」父は茶筅を振るいながら「ただし」と言葉をつづける。「職位みたいなものにはあまり期待しないほうがいいですよ」


 シュウサクも床の間を離れ、小間の中央に切られた炉の前にあぐらをかく。「どうして?」

「結局のところ、いくら職位が高くなったところで、シュウサクの言う『駒として使われる』ことには変わりないからです。自分の上官たちから使われるのはもちろんですが、直属の部下たちだって実は上官を駒として使ってます。おなじことの繰り返しです」

 シュウサクは生返事をする。職位が上がったにもかかわらず、『自分が駒として部下に使われる』という感覚がうまく飲み込めこめなかった。

「そうなのかもしれないけど、俺は当座のところ七段上手への昇進を望んでいるけどね。それもつよく」

「どうぞご自由に」

「問題は、この想いと比較すると、正直、俺の実力が決め手に欠けるってことなんだ」

 父は黒樂茶碗を回してからお茶をひと口飲む。シュウサクのいるところまでお茶の香ばしい匂いが漂ってくる。


「ここまで勝ち上がってきた同期生はいずれも強力なライバルだし、おなじランクには当然ながら諸先輩方もいる。そこから頭ひとつ抜けるには、何かがないと厳しいことは自分でもわかってるんだけど、今のところ俺には何もない。由々しき問題なんだ」

「みんな大変ですね。私のときはそんなこと何も考えてませんでした」父は飲み終わった茶碗を回して膝前に置く。「切り札ですか」

「父さんにはがあったからね。悩むこともなかったんだと思う」

 どうかなと首をかしげる父に対し、シュウサクは絶対にそうだと断言する。


 父はヨミの天才と言われていた。彼はどんな状況でも常に敵の一歩先を行き、決して自分を窮地に追い込むような誤った選択をすることがなかった。弱い戦闘員は地を稼ごうと躍起になるあまり、ヨミを怠る。気づいた時には八方塞がりになっていて、巻き返すことができないまま命を落とすことも多い。その点、彼はまったく戦い方がちがっていた。一見、とんだ見当外れに見える行動をとっていても、それが後々になってニラミを利かせることになり、逆に相手を追い詰めるのだ。彼は次々と戦績を積み上げていき、あっという間に段位を登っていった。ついに入神まで登り詰めたヨミの深さの真因は情報量だとシュウサクは睨んでいる。

 父は下級戦闘員ジツヨウだったころから、あらゆる分野において研究熱心だったと聞いている。戦闘には直接関係ないと思われるような文化人類学や芸術に対する造詣も深かった。それが父の行動様式の礎になっており、他の戦闘員にない強さを引き出していたことは想像に難くない。


「褒めてもらえるのはありがたいですが、私のヨミがはたしてほんとうに深かったのか、今となってはわかりません」

 父は白髪をかきあげる。右の眉の端から目尻にかけて大きくえぐれた傷跡が露わになる。それは十五年前、まだ彼が現役の戦闘員としてパンスラヴ社と交戦していたときに受けた傷だった。


 当時、父は上級戦闘員ユキジルシとして、敵艦隊の殲滅作戦を指揮する立場にいた。彼は「不沈艦」の異名を持つほど優秀で、向かうところ敵なしだった。仲間内では、ヒトではなく戦神の生まれ変わりではないかと囁かれるほどだったという。

 しかし、彼も他の戦闘員とおなじくまったき人間であり、全知全能というわけにはいかない。ある時、彼は特別警戒宙域でパンスラヴ社と交戦中に自分の誤った判断によって一個連隊を全滅させてしまった。一個師団を任されていた彼は、作戦本部であったメガフロートを拠点に宇宙空間で全方位的に繰り広げられていた戦いをそれこそ八面六臂の活躍で有利に進めていたのだが、難しい戦いを強いられているいくつかの連隊を指揮することに専心するあまり、お膝元の連隊が危機に陥っていることに気づかなかった。見え透いた陽動作戦。不注意以外の何ものでもなかったが、気づいたときにはすでに手遅れだった。

 鹵獲ろかく艦四隻に囲まれたメガフロートにはほとんど防御機構はなく、戦闘員を除く全職員に特務艇で即時非難するよう命令を出したうえで、メガフロートは放棄。黒衣くろづくめ手鎖ニギリだけを頼りに戦闘員四九子を率いて自ら宇宙空間に飛び立った。結果、連隊は全滅。彼自身も戦火のなかで顔に深い傷を負った。

 全滅した連隊のなかには、当時中級戦闘員ツキジルシだったシュウサクの母が含まれていた。彼女は父にとって愛する妻であり、それ以上にもっとも心を許せる唯一無二の友人だった。二人のあいだには生まれて間もない「シュウサク」という名の子供がいた。

 自分のせいで妻を死に追いやってしまったという事実は、彼の人生を大きく変えることになる。彼はその後、まるで自分を罰するかのように、休みなく戦地に赴いた。そのいずれも、軍部局のなかでも「筋が悪い」と嫌煙されるほど絶望的な戦局に陥っている戦いばかりだった。そのような過酷な状況下で彼はいくつかの歴史的あるいは奇跡的とも呼べる大勝利をおさめた。当時は誰もが未来の軍部局総司令官候補はあいつにまちがいないと父のことを噂していたらしい。しかし、まるでそうした噂話を嘲笑うかのように、父は突如として除隊した。


 彼は自分一人で子供の面倒をみた。シュウサク自身はまだ年齢的に幼かったせいか、母のことをほとんど覚えていなかった。生活を共にし、ひとかどの戦闘員になるまで育て上げてくれた父こそが、シュウサクにとっては唯一の親なのだった。


 顔の傷については、シュウサクを含めてまわりの人がどれだけ勧めても、父は医学的処置を施すことを断固として拒否した。

 母親を失い、国有院預かりとなっていた幼いシュウサクの身元引受人となった父は軍を退役した後、軍での指導者としての職を蹴り、自宅に茶室を構えると、文化人類学者を名乗りながら半ば隠遁生活を送るようになった。人懐こかった性格は一変し、誰とも一定の距離を置くようになった。実の息子とすら敬語で話すようになったのもこのころからだが、シュウサク自身は物思いがついたときにはすでに父は敬語しか使っていなかったので特に違和感を抱くことはなかった。


 生活面では、幸い入神を果たした父には退役後も勇退補助金が軍部局から交付され続けたため、金銭的に困ることはなかった。しかし、それでも隠遁生活は多くの人の目には没落と映った。彼は軍にいたころはヨミの天才だったが、人生をヨムことに失敗した。多くの人が陰でそう言っているのをシュウサクは知っている。


「父さんのヨミが天才的だったのは事実だ。除隊なんかするべきじゃなかったんだ。なんであんなバカな真似をしたのかって、みんな思ってる」シュウサクは謙遜する父にそう言った。

「齢をとったんです。昔は争いごとによって得られるものが魅力的に見えました。しかし、それよりも争いごとによって失われてしまったもののほうが大切だったと思うようになったんです。それに争いは争いを呼ぶ。私はその連鎖から距離を置くことにしました」

「その発言ですらうらやましいよ。一度戦闘員として登り詰めるところまで登り詰めてからじゃないといえないセリフだ」

「ファッションで言ってるわけじゃないですよ」

「知ってる。非難するつもりはなかったんだ」シュウサクは素直に非礼を詫びる。「俺も父さんみたいな切り札が欲しくて」

「私のやり方を手本にするつもりですか?」

「いや、きっと俺にはおなじことはできない」

 自分は父とはちがう。天性の才能があるわけでもなければ、独学でいろいろな分野を研究する意欲もない。それに昔と今では時代もちがう。最短コースで登り詰めるためには、寄り道せず、実戦に直接関係のある領域に絞って自分を深化させていくのがベストだ。

「俺は同期生たちがまだ触れ合ってないような情報を手に入れたい。父さんが持っているノウハウのなかで、何か俺にとって切り札になるような知見があるといいんだけど」


 父は腕を組んだまましばらく考えごとをしているようだったが、やがて口を開いた。

「昇進のために下駄をはかせるのがほんとうに正しいことなのか私にはわかりませんが、今シュウサクが求めている種類の情報を提供できる人間をひとり知っています。私が持っている陳腐化したノウハウなんかよりもずっと役に立つはずです」

「それは誰?」

「社中に諜報局勤務の女性職員がひとりいます。シュウサクとおない齢です。元戦闘員のかなりできる方です。互先たがいせんで話せるちょうどいい相手だ。彼女に会いなさい」

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