第2話 国粋公社【規定・通達】

 シュウサクは空になった黒樂茶碗チョウジロウを客付きに返す。

 父はそれを縁内へりうちに取り込むと湯ですすぎ、茶筅ちゃせんを水で清めた。茶巾、茶筅、茶杓ちゃしゃくとテンポよく片付けていく。たおやかな手つきからは想像もできないが、袖から覗く手首の痣(戦痕)と手の甲に刻印された雪の結晶は、彼がかつて上級戦闘員ユキジルシとして手鎖ニギリを意のままに操り、宇宙空間を翔びまわっていた証だった。しかも、結晶のなかでも樹枝六花じゅしろっかといえば、名人まで登り詰めなければ許されない特別な印章だ。


 予科練の同期生はみんな、武勲を立てて上級戦闘員へ昇進することを至上命題にかかげている。入神して後世に自分の名前を残せるならば死んでもかまわないと本気で思っている連中も多い。彼らにとっては、父のように名人の称号を許されながらあっさりとその地位を棄てて隠居してしまうような生き方はおよそ信じられないだろう。

 名人の段位を持っていれば引退後も相談役として軍部局の枢軸で活躍できたはずだし、もしくは育成顧問として後任を育てることもできたはずだ。エリートだけが手にすることのできる特権をわざわざふいにする人間は、そうそういない。


 シュウサク自身も、父の生き方にはどうしても賛同できなかった。かつては数々の華々しい戦績を残し、名人として多くの人に称賛されたこともあったのだろうが、今となっては父はただのお茶好きの変わり者でしかない。戦うことをやめてしまった人間に対し、社会はとことん無関心だ。

 シュウサクは、常に最前線で戦っている者こそが最もえらい、という考え方を支持していた。生きることとは戦うことに他ならない。ただし、そうした態度は常に死ととなりあわせであるのもまた事実だった。


「ほんとうに無事で何よりでした。またひとり、お茶をふるまう相手がいなくなったかと心配していたので」

 踏込畳ふみこみだたみを通って茶道口の外へ茶道具を片づけに行った父は、水屋から炭斗すみとりと灰器を手に戻ってくると、安堵の色を滲ませた声でそう言った。彼自身も、シュウサクが自分の点てたお茶を飲む姿を見て、ようやく息子の無事を身体の芯から実感したらしい。

「おあいにくさま。俺は不死身だから」

不沈ふちんを公言していた仲間はみんな死んでいきましたよ、念のためにお伝えしておきますけど」

「息子の実力を信じろって」シュウサクは脚を崩して畳の上にあぐらをかく。「心配性が過ぎるね。歴戦の勇士とは思えないほどの弱気な発言だ」

「ある種の臆病さがあったからこそ、生き延びることができたという説もあります」


 父はから釜を引き上げると、火箸でじょうを落とし、まだ火の残っている炭を中央に集めた。炉に湿し灰を撒き、お香を炊く。茶室に白檀の酸味のある香りが拡がる。炭斗から輪胴わどう丸毬打まるぎっちょ割毬打わりぎっちょといったかたちのちがう炭を注ぎ足していくと、にわかに火が力を取り戻していくのがわかった。


「シュウサクにはまだわからないかもしれないけれど、長年戦闘員をやっていると退役したあともなかなか当時の習慣が抜けないものでして」父は火が大きくなっていく様子を見つめながら言い訳がましくそう言うと、急に声を張り上げる。「本戦の総括を求める」

「国粋公社からリーバイ社に向けて四億キロ進んだ警戒宙域で接敵、すぐさま交戦状態に突入。哨戒艇一隻が任務遂行中に制御不能に陥って敵駆逐艦に衝突、二隻とも大破したよ。艦載戦闘員三六もくは全員死亡。しかもご丁寧に、大破した艦体の残骸が警戒宙域の内側にあったメガフロート衛星基地に直撃したおかげで、デブリによる二次被害がメガフロート内の第三企業区に起きてる。準戦闘員への被害規模は現在も調査中。ただ、すくなくとも九八人が死亡、四六六人が医学的処置を受けている。中級駆逐艦及び中級護衛艦籍の戦闘員の内、敵艦内掃討段階で戦死したのは全部で四一子。交戦準備段階での戦死が一九子。無事に帰艦できた戦闘員は全体の四割を下回ってる」


「悪魔的な数値ですね」父は首を振る。「目標勝率は?」

「六・八九ポイント」

「バカげてます。昔は戦闘に向けた準備期間も長かったし、一回の戦闘に投入される戦闘員の数も多かった。それでも目標勝率は三ポイント程度でした。今はろくに準備もせず、投入される戦闘員の数も極端に少ない。そんななか、戦闘員ひとりで相手を七人も殺処分なきゃいけないなんて無茶です」

「戦闘の効率化が求められる時代だからね。戦い方改革」

「今は昔と違って戦いを仕掛けられる頻度が冗談みたいに多いし、ほんとうにシュウサクたちは厳しい時代に生きていると思います。同情します」

「そうでもない。俺はそれほど悲観すべき状況だとは思ってないよ。戦闘機会が多いってことはそれだけ戦績を上げるチャンスがあるってことだし。ピンチをチャンスに変えることのできる戦闘員が今求められてるんだ」

「軍部局の管理職が聞いたら泣いてよろこぶ発言ですね。幹部候補生の模範的な態度です。どこで習ったのか知りませんが」

「別に軍部局の受け売りってわけじゃないけど」シュウサクは顔を曇らせる。

「すいません。別に非難するつもりはありませんでした」父は炉に釜をかけると、炭斗と灰器を水屋に片づけた。「しかし、そこまで地が悪いと、厚みも模様もあったものじゃいない気もしますが、軍部局は戦果をどう伝えているんですか?」

本因坊ほんいんぼうレポートによると、今回の作戦は。敵艦隊においては、護衛艦三隻が灰塵に帰したほか、巡洋艦一隻を無力化、もう一隻の輸送艦とともに任務遂行意欲の粉砕に成功しているとのことだったよ。放逐した敵戦闘員の数は四○○をくだらないって」

「なるほど」父は正座したまま自分の膝を両手でさする。藍染されたつむぎの着物と手のひらがこすれてシャリシャリと音がする。頭のなかで何かを計算しているらしい。「ジゴ、と言ったところですね」

「まさか。引き分けってことはないでしょ」

 シュウサクが非難がましく声を上げると、父は「そうでもないから困るんです」と冷静に返す。


「軍部局の言葉に耳を傾けてはいけない」

「中枢にいた人間の発言とは思えんね」

「『部下は事実を伝える相手にあらず』この言葉は上級戦闘員のあいだでは半ば常識だったことをお伝えしましょう」

「軍規違反じゃないか」

「そうでもないですよ。局長通達第四号には『交戦結果については、戦闘員の戦意高揚を目的とし、これを総括したうえで速やかに報告することとする』と規定されています。これは、部下の士気を上げるために適切な情報を伝えよとしか言ってません。どこにも事実をありのままに伝えろとは書いてないんです」

「局長通達? 師団長通達じゃなくて?」

「知らなくて当然です。中級戦闘員ツキジルシ以下には局達は公表されていません。シュウサクたちが知ってる師達は、局達をもとにしてつくられた下位通達ですから」


 父は立ちあがると、茶室の障子窓を開ける。四畳半の小間に光が射し込むのを見て「いい天気ですね」とつぶやく。つられてシュウサクも窓際へ進む。眼下には準戦闘員専用居住区が拡がっていた。


 この茶室は、居住区内でも上流階級向けに用意されたタワーヴィラの最上階である九十一階につくられているため、町を遠くまで見渡すことができる。多層回遊式庭園を備えた豪奢な邸宅やスプロールタイプの集合住宅のあいだを軌道車輌がすべるように進み、企業特区の先に拡がる鎮守ちんじゅの森をかすめていくのが見える。

 鎮守の森のさらに奥には、高さ一キロ以上の大隔壁だいかくへきが間仕切りのように聳え立っている。大隔壁の向こうにあるのは非戦闘員向けの居住区。第一から第十九までグリッド状に区画整理された町には、背の低い灰色の集合住宅が整然と並んでいる。工場の煙突から立ち上る白い煙や幹線道路を走る自走式四輪は、そこでちゃんと人が生活していることを証明していた。


 国粋公社を中心とした企業連合体で成り立っているこの星では、シュウサクのような国粋公社本体の軍部局で勤務している「戦闘員」と国粋公社内の軍部局以外の部署や国粋公社以外の企業連合体で勤務している「準戦闘員」が社会の中心的な役割を担っている。

 一方、企業連合体に属していない一部の法人や個人は「非戦闘員」と称され、社会保障や公安、医療といった社会制度の管理対象外となっていた。非戦闘員の集まる居住区は企業連合体の行政権、司法権の及ばないいわば無法地帯であり、彼らは彼ら自身が独自につくりあげたシステムのなかで生活しながら緩やかに企業連合体とかかわっていた。

 非戦闘員たちは毎日、社会の第一規範である軍規とは無縁の生活を送っている。彼らは自分たちを隔てる巨大な壁の向こうで何が起きているかなんて知らないまま、一生を終える。シュウサクには想像もできない生き方だった。


「中級戦闘員以下の者にとって、軍規はです。でも、上級戦闘員以上の者にとっては、軍規は使だと認識されています。軍規を使って部下を動かすことができるものは『軍規の読める奴』として重宝される。いわゆる幹部候補生というわけです」父はうんざりした顔をする。「実にくだらないことに、私も昔はそのひとりだったわけです」

「くだらなくなんて、ない」

 言ってから、自分でも驚くほど声色に妬みの感情がこもっていて、シュウサクは動揺する。でも正直な気持ちだった。自分たち下級戦闘員ジツヨウは使われる側の人間だ。彼ははやく使う側の人間になりたかった。

「私はそうは思いません」

「なぜ?」

 シュウサクの質問には答えず、父はじっと黙ったまま眼下の居住区を眺めている。まるで「この町の在り様を見れば答えは明らかじゃないか」と言っているようだ。しかし、シュウサクがどれだけ目を凝らしても、そこには至極まっとうで健全な社会が営まれているようにしか見えなかった。

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