SF(サラリィマン・フィクション)
イナミ ユキヒデ
第1話 国粋公社【人事評価】
シュウサクは
「お服加減は?」
父の問いかけに、シュウサクは「いつもどおり、不味いよ」と即答する。
シュウサクは戦闘任務が終わると必ず、父がひとり暮らしをしているタワーヴィラを訪れ、ヴィラの最上階を一室をまるごと改装してつくりあげたこの茶室で濃茶をふるまってもらうことにしていた。自らの安否を父に知らせるという大義名分をかかげていながらも、実態としては自分自身の荒んだ心を癒す目的の方が大きかった。ふだん心から気を許せる相手のいない彼にとって、多少距離はあっても利害関係のない家族という存在は精神衛生上欠かせないものだった。
父が「雪月庵」と名づけたこの茶室は広さ四畳半の小間で、わざわざ壁を土壁に塗り替えて
床の間には青磁の花入れに活けられた
「このお茶の味がわからないと」父は畳の上についていた手を離して腕組みすると、あきれ顔でそう言った。「今日は抜群にうまく点てられたんですが……」
「通用しなくてもうしわけないとは思うけど」
「飲んですこしは落ち着きましたか?」
「はじめから取り乱していません」
嘘でもそう言い張る。正直なところ、いつだって交戦直後は自分を保つので精いっぱいだった。生きるか死ぬかのストレスにさらされるなかで、精神は汚水のしみこんだ
たしかな効能にはちゃんと理由があって、それは「混ぜ物」だった。本人は気づかれていないと思っているようだが、父がお茶の粉に強い精神安定作用のある漢方をこっそり混ぜていることをシュウサクは知っていた。たとえ話ではなく、心が洗われるのは紛れもない事実で、お茶が不味いのも飲む側の味覚がポンコツなのではなく、不純物のせいだった。
「でも、この不味さはまちがいなく健康にいいと思ってるよ。飲むと目がさめたような気分になるし」
「目がさめたような」父は注意深く言いなおす。「そもそも毎日眠れてるんですか?」
「四時間くらい」
軍部局が定めているガイドライン(七時間)を大きく下回っていることを父に指摘されたが、実は四時間というのもはったりで、ほんとうは三時間眠れればいい方だった。せっかく睡眠導入剤の助けを借りて眠りについても、いつも二時間もすると目がさめてしまうのだ。そして、一度起きてしまうと、そのあとふたたび眠りにつくことは決してできなかった。
「眠りが浅いのは過剰なストレスが原因です。私も経験してきたからよく知っている。そして、ストレスの常態化は精神を蝕む。気づいたときには手遅れになっているケースも多い。一度、軍医に診てもらったほうがいいですよ」
父はシュウサクを見据えたまま気難しい顔をしている。顔の中心で鋭く一文字を描くフラットな鼻に弓なりの眉、それに黒目がちな目はシュウサク自身も色濃く遺伝子を受け継いでいる。
一方、三日月を仰いだような澄んだ口元はシュウサクのもったりとした厚い唇が並んだ口とは対照的で、きっと自分の口は母に似たのだろうとシュウサクは昔から思っていた。彼は父の三日月口を眺めながら、父と自分がちがう存在なのだというあたりまえの事実をつよく意識する。
「軍医に診てもらうには、必ず上官の承認が必要なんだ。評価に響くからできない」
「上官に知られたくないなら町医者に行けばいいんです。もしくは産業医という手もある。昔の知り合いで腕のいい医者がいますよ」
「軍属以外の医者に診てもらったことがバレたらもっと評価に響く。父さんだってよく知ってるはずだ」
いつものやり取り。自分が
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます