二人の語らい


 勅使との会談が無事、終わったあと。

 月影げつえいは一人、庭先で、お茶を飲んでいた。


◆◇◆◇◆


 これが、僕の宮廷での身分か…………。

 月影は、心の中で、ぽつりとつぶやいた。

 次いで、勅使から手渡された珮玉はいぎょく(礼服や官服着用時に、腰におびるたまのこと)に目を落とす。

 そこには、“はく月影。後嗣こうし許婚候補”と、刻まれていた。

 これからは、単なる後嗣許婚候補に過ぎなくなるのだろう。特権貴族の子息ではなく。

 朝廷は、一定の敬意を持って接してくれるではあろうが、あくまでもそれは、自分が後嗣許婚になるかもしれないからだ。

 だから必然的に、あつかいも今ほど手厚くはないだろう。もしかしたら、あまり良いものではないかもしれない。

 まあ、これでも四斎家が一つ、珀本家当主の孫息子だ。ひどい目には、合うことはないと思いたいが。

 そんな風に、月影がこの先の我が身を憂いてたら。

「月影。こんなところにいたか」

「兄上」

 実兄の風雅が、月影のもとにやって来た。

 彼は、燭台が一つしか灯されていない薄暗い中、弟の姿をはっきり見ようと目を凝らす。

 それから、夕闇に吸い込まれそうな黄昏たそがれの大地の狭間はざまに、月影の姿を認めると。風雅はそっと弟のそばに近づいた。

 風雅は思った。弟はずっと黙って、夕焼けを見ていたのだろうか。

 その証拠に、彼は庭先に立ったまま、自分から口を開こうとはしない。きっと、自分が声をかけたりしなかったら、微動だにせずに今もそのまま、そこにたたずんでいただろう。

 そう思えてしまうくらい、月影の影が薄く感じた。まるで、彼の影法師が風景と一体化してしまったようだ。

 それは、何だか月影が遠くに行ってしまいそうで…………。

 風雅は、そんな嫌な予感を払うようにかぶりを振ると、火打石で庭先に設置されている他の燭台にも火を入れた。気が付くともう、辺りは真っ暗だった。

「月影。いよいよ三日後だな」

 風雅が、持参した酒杯を傾けながら、つぶやいた。

「…………はい。すでに、覚悟はしています」

 月影は、しっかりとうなずく。

 彼は、左手に持つの珮玉を、ぎゅっと握りしめた。

「…………そうか。でも、無理はするなよ。自分一人ではどうしょうもなくなったら、誰か、信頼できる人に頼っていいんだからな。何でもかんでも自分一人でやろうとしなくていい。俺は…………大して何も、してやれないが、お前を気にかけることくらいなら、できる」

 そんな月影の強い意志を察した風雅は、余計なお世話かもしれん、と思いながらもそう言った。

「兄上…………。ありがとうございます」

 月影は、頭を下げていた。

 この兄は、いつもどんなに遠く離れていたとしても、自分のことを気にかけてくれる。自分は、本当にいい兄をもったものだ。

 月影は、実兄の気遣いに心から感謝した。

「いいか月影。伏魔殿で、飲み込まれないようにしろ。あそこは、権力を欲する魔物の住処だ。いや…………権力自体が、魔物だな」

 そこでいったん言葉を切った風雅。

 彼は、酒を飲みながらする話じゃないな、と少しばかり後悔しつつも、再び口を開いた。

 ここで言わなければ、いつ言えるのか? そんな想いが、彼を突き動かした。

「いいか月影。これは大切な話だから、もう一度言うぞ。権力は、魔物だ。それを上手いこと使えばこの上ない武器にもなるし、人々を護る大きな力にもなる。しかし、権力に魅入られたら最後、自滅するしかない。そんな、とても危険な魔物なんだ」

「それは…………。さい魁宇かいうさまも、同じことをおっしゃっておられました」

 月影は、兄とあの青年官吏が同じようなことを言ったことに、驚いた。

「そうか…………。やっぱりあの人も、官吏だな。公人おおやけびととしての権力を使って、人々を護る側に立つ人間だ」

 風雅は、納得したようにうなずいた。酒杯に入った酒の残りを、あおるようにして飲む。

 先ほどの兄の忠告をしっかりと胸に刻んだ月影は、風雅に穏やかに笑って見せた。

「兄上…………。僕を気にかけてくださり、ありがとうございます。僕は、大丈夫です。なぜなら、僕にはたくさんの大切な人がいますから」

「たくさんの、大切な人?」

 風雅は、首を傾げた。

「そうです。だから、大丈夫」

 月影は、もう一度大丈夫、と繰り返すと、満面の笑みを浮かべた。

 大丈夫、大丈夫、大丈夫…………。

 そうか。そうかもしれんな。

 風雅は、不思議とそう思えてきた自分がいることに気が付いた。

「わかった。ありがとう」

 風雅は、簡潔な言葉で弟に礼を言った。これ以上、多くを語る必要はなかった。彼は、月影の頭を撫でる。

 月影は、短いが兄の気持ちが多く詰まった言葉に、嬉しそうにうなずいたのである。



 それから二人の兄弟は、宵が更けるまで、語らいあった。

 それを、夜空に輝く星は、優しく見守っていたのであった。 



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