その2

 その後、我々も深町さんの自宅へ移動し、刑事課の方々と現場検証を行なった。滞りなく、これ以上ないほどスムーズに終わった。

 そりゃそうだ、自殺した本人が生きてて、全部説明していくのだから。「死んでいるのにすいません」と警官の一人が、深町さんに丁寧に頭を下げた。


「で、私はこのソファから飛び降りて、床に固定したナイフに背中から刺さり、自殺しました」


 深町さんの言葉を警官たちは頷きながら手帳に書き込んでいく。警官の一人が「他殺の線はありませんかね?」と空気を読んで投げかけた。その先輩らしき男も、空気を読んで「うーん」と一瞬、考えた。

 深町さんはすでに自殺した事になっているので、『いかにも深町さんはこの場にいない』というていで話を進めるための、要するに無駄な演技である。


 側から聞いているこっちは、頭がこんがらがって来る。


「あなた!」


 と、そこに玄関から親子らしい女性二人が、物凄い勢いでリビングに入って来た。どうも、深町さんと離婚した元奥さんと、娘さんのようだ。

 二人にも、警官の隣にいた深町さんが目に入ったであろうが、空気を読んで、床に残っている血の跡へ目をやり、地面に突っ伏して大泣きしだした。


「こんな事になるんなら、離婚なんてしなければよかった。わたしのせいです」


 空気を読んで涙を流しながら元奥さんが言った。その後ろで娘さんも我々に背を向けて、小さく泣き出した。

 それを見ながら深町さんは、離れた位置で申し訳なさそうにしていた。既に死んでいるので、元家族の二人に話しかけられないのだ。


「それで、主人は誰に殺されたんですか?」


 元奥さんが警官に尋ねた。空気を読んで、『自殺した』って解って玄関から入って来るのは不自然だと判断したようだ。


 警官は、元奥さんらに、深町さんが自殺した状況を説明しだした。死んだ本人から聞いたばっかりのホヤホヤの情報にも関わらず『どうやら、自殺のようです』と、自分たちで調べたかのように話した。


 娘さんはショックで、前まで自分の部屋だった場所で少し休む事になった。

 私は彼女が一人になった隙を見て、深町さんも所在無さげにしているのに気付き、娘さんに話しかけた。


「今、お父さんも暇にしてるからさ、ちょっと話しかけてみたら?」


 しかし、私が言うと、


「は? なんで、父と話をするんですか?」


 泣いたフリを止めた娘さんが、私に向けて来た鋭い視線に、私の背筋は凍った。


「でも……お父さんと久しぶりに会ったんだよね? なら、募る話とかもあるんじゃ……ここは空気読まなくても」

「父は死んだんですよ。もう、この世にいないんです。話せるわけないじゃないですか。お巡りさん、空気を読んでくれますか? 私の父は自殺したんですよ」


 彼女はそう言って、また『父が死んで悲しんでいる』フリで、嘘泣きを再開した。


 それ以上は怖くて、私はもう彼女に話しかけられなくなった。




 翌日。

 警官らの空気を読んだ捜査のお陰で、深町さんの他殺の線は完全に消え、死んだ本人の供述通り、自殺だと断定された。


 その日の晩に深町さんのお通夜が行われる事となった。


 空気を読んだ深町さんは、誰に言われるわけでもなく会場に用意されていた白装束に着替え、誰に言われるわけでもなく、用意された棺桶の中に黙って入った。

 私と部下、あと数人の警官も、関係者と言う表向きで、そのお通夜に参加する事となった。

 実際は、だくだく法を違反する者がいないかを警備する役割であった。


 通夜が始まると、空気を読んでやって来た近所の方々、親戚の人々が悲しそうな顔で、お焼香をしていく。

 親族と同じ場所にいた私は、これからしばらく、棺桶に入っている深町さんのことが少し心配になった。あの狭い空間に長時間いるのは並大抵のストレスではないはずだ。


 まぁ、自分で蒔いた種なので、どうする事もできないが。


 空気を読んで何にも言わないようにしているが、本当は死んでいない人のために聞くお経の退屈さと言ったら無い。私の意識が眠りの世界に行きそうになった。

 その瞬間、部下が私のも服の袖を引っ張って来た。


「あ、すまん」


 と、私が垂れかけていたヨダレを口にしまうと、


「そうじゃありません。外から、なんか騒ぎ声がしてますよ」

「え?」


 と、受付の方に目をやる。

 ここからでは暗くて見えないが、何かガラの悪い声が聞こえてくるような気がする。


「どけ、オラァ! 」


 その声の主らしい二人組が焼香の列を蹴散らし、コチラへとやって来た。


「おい、お経やめぇ! ヤメェって言っとるやろ!」


 ヤクザらしい二人の声に驚いた住職はお経を中断し、後ろを振り返った。


「茶番は終わりや。深町出せ! 借金の期限過ぎとんのや、返すもん返してもらおうか」


 どうやら、二人は借金取りのようだ。

 金を貸していた人間がこんな事になってしまい、ある意味、ご愁傷様な人々である。


「あの、深町さんは昨日、自殺しまして……亡くなりましたが」 


 葬儀社のスタッフが借金取りに申し訳なさそうに言った。


 部下と警備のために潜り混んでいた警官らは、喪服の裏に隠していた拳銃に手をかけた。


「それは、嘘やろ。だくだく法やろ! みんなで空気読んで、深町が死んだことにしただけやろ!」


 借金取りの声に会場はざわめき出す。

 部下が「部長」と私に合図を送って来た。


 仕方がなく私は立ち上がり、痺れた足を引きずって借金取りの方へ向かった。


「あの、深町さんは昨夜、お亡くなりになりましたので、もう借金は返せません」

「おお、そうかい。わかったわ」


 と、私が言うと、借金取りの一人が親族のいる部屋に上がって来た。

 そして、その中にいた深町さんの娘さんの手を引っ張って連れてきてしまった。


「深町が死んだなら、娘に借金を返してもらおうやんけ。ワシらだって貸したもん、踏み倒されたら商売やってられへんのや!」


 借金取りに振り回され、娘さんが「きゃあ!」と、声を上げた。

 その瞬間、棺桶の蓋が少し開いて、隙間から深町さんが目だけを出した。が、私を含めた全員は空気を読んで、気付かないフリをした。


「深町さんと娘さんは、離婚時に親子の関係を切っていますので、娘さんに借金を払う義務はございません」

「そんな都合のいい話、通るわけないやろうが! ワシらの借金、どうすんや!」

「どんなに怒鳴ろうが、法律ですので、お引き取りもらえませんか?」

「ふざけんな! おい、深町出せ!」

「ですから、深町は死んで……」


 私がそう言った途端、借金取りは深町さんのいる祭壇に向かい、棺桶の中の深町さんを引きずり出して来た。


 畳の上に投げ飛ばされた深町さんは、思わず条件反射で「うわっ!」や悲鳴をあげ、受け身をとってしまった。


「おい、死体がこんな声を出すんか! お前らにはコイツが死んどるように見えるんか!」


 借金取りの怒鳴り声に我々は全員、目を逸らした。


「お前ら、頭おかしいんちゃうんか! よう見てみ! 深町は自殺なんかしとらんやろ、生きとるやん……」


 パァン!


 その瞬間、発砲音が会場に響き渡った。


 私の部下の発砲した銃弾に当たった借金取りは、そのまま地面に倒れ、畳に血が広がって行った。


「だくだく法の緊急処置により、空気を大きく脅かす恐れのある男を射殺いたしました!」


 部下が私に敬礼しながら言ってきた。


「ご苦労」


 私はその場の空気を読んで、何事もなかったかのように敬礼で返した。


 会場の人々も空気を読んで、死んだヤクザを見て見ぬフリし、誰も死体を見ても悲鳴を上げなかった。

 深町さんは空気を読んで、誰にも何も言わずに棺桶に戻って行った。

 借金取りの子分らしき男も空気を読み、死んだ親分の男を担いで会場を後にした。

 住職さんも空気を読み、読経を続けた。


 みんな、空気を読んで、お通夜は再開された。



「はぁ〜」


 お通夜の後、空気を読むのに疲れた私は、トイレに入った途端、大きなため息を漏らした。


「こんなのいつまで続けるんだ?」

「明日までの辛抱ですよ」


 私の隣で用を足していた部下が言った。


「どういうことだ?」

「明日になれば、火葬場で焼かれますから、そうなれば本人も本当に死にます。それまでの辛抱ですよ」


 え?


 私は、ゾッとした。


 つまり、明日、深町さんは生きたままで焼き殺されるってことか……。と、心で思ったが、私は空気を読んで、部下にそれを言う事が出来なかった。


 私の心臓はドキドキと大きく鼓動し始めた。

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