蛇足 - 正の●●走性

 魔物と言えどボルボックスも生物──それが清水の見解。


 彼は先行研究によって四十五度──蛋白タンパク質変性の起きる温度付近でボルボックスの遊泳は停止し、細胞が死滅することを知っていた。

 そして一細胞だけでも死滅すれば、そこを起点に全身が崩壊し、不定形な中身をぶちまけることも──


 そしてそれら知識と予測に基づいた彼の特攻──強大な熱エネルギーによる細胞破壊は成功し──命と引き換えに魔物を打倒せしめた。


 しかし二つ、清水は勘違いをしていた。


 彼はこのボルボックスのもつ性質を『正のクリスマス走性』と判じた。


 実際それは十二月二十五日、クリスマスにおいては間違いない。けれど完全な正解ではない。


 それではまだ半分なのだ。


 魔女が魔であると同時にヒトであるように、ボルボックスもボルボックスであると同時に魔なのである。


 生物がATPの化学エネルギーを必要とするように、魔物は代謝に魔力を必要とした。

 魔力とはすなわち心の命のエネルギー──心の拠り所として、人々の気持ちの矛先に溜まっていくもの。


 つまりは『正の魔力走性』。


 ボルボックスは魔力を得るべき標的に他の魔や人そのものではなく、人の気持ちが向けられる季節の行事イベントを見出していた。


 清水は気付いていなかった。


 駅ビルの中でボルボックスはクリスマス用品だけでなく、正月用品も取り込んでいたことに。

 街を泳ぎながら気の早い誰かが出した門松かどまつ注連飾しめかざりをも取り込んでいたことに。


 クリスマスを迎えた人々の心はかすかに、これが終われば次はお正月だと──心の向きを変えていたのだ。


 その次に標的になるとすれば──節分、バレンタイン、お花見──次々と年中行事は続いていく。

 それらに人々が思いを向ければ順繰りに、ボルボックスは行事を襲い、貪っていったことだろう。


 けれどもう魔物は消えた。これで一安心──本当に?


 ボルボックスはライフサイクルを終えるとき、その内側で育った娘細胞ゴニディアを放出する。通常であれば四から十六個の子供を内側にはらんでいる。


 清水は気付かなかったのだ──その圧倒的スケールの違いに。わずか五ミリの娘細胞ゴニディアの存在に。


 本来は巨大と評されるべき大きさだというのに──十センチメートルを超えた時点で、その全長と比した娘細胞ゴニディアの小ささに、清水の目は見逃していた。


 二十メートルを超えた巨大なボルボックスの中では、約五百億の娘細胞ゴニディアが育っていた。


 魔物ボルボックスは清水によって壊された細胞を起点に崩壊していく。

 そしてその中身、新たな娘ボルボックスを夜空へと産み落としていった。


 聖夜の空にボルボックスは廻る。


 くるくる、くるくる、左回りに。


 少しずつ現実を、侵食しながら。

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クリスマス・ボルボックス 沃懸濾過 @loka6ikaku9

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