第6話
「ふぎゃっ」
朝、僕は突如として額を襲った鈍痛で目を覚ました。
慌てて体を起こすと狭いテント内で出来る限り距離を置いたルシア先輩が居た。
「……何?」
「な、何でもないわ」
出会ったばかりの女の子と床を共にするというラブコメの神様が仕事をした様な体験をした僕なのだけれど、相手が超年下なので何も起こりませんでした。
精々、額が痛い位だ。……何で痛いの。
それは兎も角として、こんな狭苦しいところに態々長居してもあれなので訓練前に顔でも洗おうという事になり、川の冷たい水で寝惚けた頭を覚醒させてテントの方へ戻ると師匠が出て来ていた。
「何事も無かったか?」
「何がです?」
「いや、出会い頭から随分と言い合いをしていたからな。同じテントに押し込んでみたものの、内心どうなるものかと不安だったんだ」
「「あぁー……」」
と、二人揃って納得の声を上げて見たものの、正直その心配は的外れと言わざるを得ない。
「あれは単なるスキンシップですよ」
「そうです、距離感を図っていただけと申しましょうか」
「なんとなーく見た瞬間に『むっ、こやつには我のノリが通じるやもしれぬ』と思ったから初対面らしからぬ態度をとってみたっていうか」
「あぁ、私もそんな感じね」
「まあ先輩はもうちょいお淑やかならな、とは思ったけど」
「キノハルが見たまんま女の子ならよかったのにとは思ったわね」
こいつ相手ならここまで言っても大丈夫だろう。
この程度の事はジョークに過ぎないと理解を得られるだろう。
そういう、おおよそ時間を掛けなきゃ得る事の出来ない距離感の計測が恐ろしく容易であったと言えばいいのだろうか。
初対面での悲鳴は結構本気であげてしまったけれど、流石に本気で初対面の年下の少女を覗き呼ばわりしない。僕もいい大人で、何より男なんだし仮に悪気があったとしても何か害されたとかでもない限りは注意で済ませると思う。
というか本来はコミュ障な僕である。
今回は例外中の例外であったというか、正に運命か神の悪戯というレベルでルシア先輩との波長の親和性が高かったが故の立ち振る舞い。初対面にして僕達はまるで家族の様であった。
故に多少の暴言が暴言足りえず、コミュニケーションが円滑に進んだ。……それに伴い、距離感を図り終えた以上はよりルシア先輩との間に遠慮とかデリカシーとかそういうものが失われていくだろう事が予想されるのだが、くれぐれも交流とセクハラを履き違えた勘違いおじさんにならない様気を付けて行こうと思う。
「そ、そうか……私には理解できないが」
「というか先生、そんな理由で年頃の少女と男を同衾させちゃ駄目ですよ」
「そうですね、師匠らしからぬ不適切さがあったように思います」
僕だったから……いや、僕とルシア先輩の組み合わせだったから何事も無かったけれど、下手したら十八禁展開だよ。初日は大丈夫でもいずれ決壊するって。
「あぁ、そうだな。じゃあ明日からキノハルは私のテントで寝ると良い」
「いやそれはちょっと……」
「それはどういう意味だ?」
「師匠、私は気にしませんから大丈夫です」
それなら外で寝ます。いや本当に。
そっと顔を逸らした僕を師匠が無理やり向き直らせようとするが、是が非でも目を合わせなかった。
いや悪い意味じゃないって……邪な意味だって……言わせないで察してよ。そういうところだよ先生。
ルシア先輩に宥められ、先生が渋々追及することをやめて漸く訓練の話である。
「キノハルは修行というと何を思い浮かべる?」
「え……ランニングとかですか? 後は……滝行?」
「走ることは重要だな、滝行は……何でするんだ? 何の役にも立たんだろ。滝に打たれている暇が有るなら水泳の訓練をした方が余程有意義だろう」
「まあ……そうですね?」
でも定番じゃないですか……滝行。
「しかし私はまだお前達に走れなんて言わない。何故ならそれよりも先に体力を使ってすべきことがあるからだ」
「それは……?」
「模擬戦だ」
「いきなりですか?」
「いきなりだ。そしてずっとだ」
「ずっと!?」
「厳密にいうと技の指導も織り交ぜるから模擬戦九割技一割といったところか」
「り、理由を伺ってもよろしいですか?」
指導者によっては口答えも許さなかったりするけれど、先生はそんな風ではないというか、どちらかというと疑問を抱くことを推奨している風だからどんどん質問できて良いけれど、訓練を始める前から常識を覆らされ続けている。
「昨日言っただろう、すべきことは基礎作りだと」
「基礎作りなんですか? 模擬戦が?」
「逆に何が疑問なんだ? 戦いに用いる筋肉は戦いでしか付かないぞ」
「それは……そうかも?」
「空を切って拳が強くなるものかよ。お行儀の良い道場武術で救えるものなど無い」
何であれ、明確な指標とマニュアルが欲しくなってしまう僕としてはその言葉を全肯定する事は出来ないけれど、成程と納得もした。
極端過ぎるとは思うけれど、確かに僕はスポーツをする為にここに居る訳じゃない。どんな形であれ殺生を目的とした術を得る為にここにいるのだ。
「それに、我々はモンクだ。怪我は容易に治せるし仮に四肢が捥げてもなんとかなる」
「え……くっつくんですか?」
「いや、生える」
まじかー……。少なくとも今の僕は全然出来る気がしないな。
「まあ四肢が捥げる程激しくなるのは普通に何年か後だろうな。流石に生やせない時からそこまで無茶はせんよ」
「あ、そりゃそうですよね」
「骨折程度は日常茶飯事だろうがな」
「…………」
そっとルシア先輩の方を見ると、処置無しといった風に首を振った。
骨折が当たり前って怖すぎる……。
「取り敢えずやってみるか?」
「えっ」
「ぶっちゃけ言葉で言われても分からんだろう? 一度やってみて、それから朝食にしようか」
そんなラジオ体操みたいな感覚でやるものなの?
でも逃げてもどうせ今日から毎日やる事になるんなら一回やってみても変わらないか。
「分かりました」
「よろしい。直ぐ済むからルシアは朝食の用意を始めておいてくれるか」
「分かりました」
朝食の用意は僕がしたかったが、話の流れ的に無理だろうしルシア先輩は目でエールを送って早々に行ってしまった。
「というか弟子対弟子じゃないんですね」
「雛が雛から学べる事無かろうが。それに下手に実力の近い者同士で模擬戦させるのは事故が怖い」
「成程です」
弟子が一人しかいなかったから止む無く弟子対師匠の構図であった訳でなく、そうでなくては訓練として成り立たないという事か。
事故っていうのは、殺してしまうとかそういう事だろうか。
「取り敢えず、センスを見たいから向かってきてくれるか」
「はい」
「此方はキノハルに見えない攻撃はしないから、対処する努力は怠るなよ」
「はい」
「模擬戦だから合図と共に開始する。準備は良いか?」
「大丈夫です」
僕は軽くステップを踏み、胸の前で構える。
柔道や空手の経験が無い僕はどっしりとした構えに馴染みがなく、どうしても少し齧っただけのボクシングスタイルになる。
ただこれが好材料になる気はあまりしていない。
「では尋常に、始め」
「フッ!」
様子見なんてしても無駄だと分かっている以上、先手必勝だ。
一気に距離を詰めてジャブを繰り出す。
「拳が軽い。非力であるとか、それ以前に腰が入っていない」
やっぱりか。
分かっていた事ではあるが、僕の拳はどうしようもなく軽い。
分かりやすく才能が無くて辞めたのがボクシングだ。ジムのコーチにも言われていたことで、改善が見れなかったのだ。
拳の回転速度はなかなかだと言われたが、これで倒れる奴はいないとも言われた。
「フッ」
「回避はまあまあ」
拳が軽くなると分かった上でステップを踏むのは攻撃を避ける為だ。
先生の様子見である事が一目瞭然な拳位は躱せる。
正直、これだけでも喧嘩慣れしてない僕からして見れば褒めて欲しい位の成果なのだけれど、そんな甘くはないのだろう。
最低でも、ゲーム内で求められた程度の事は出来る様にならないと話になるまいて。
「くっ」
恐らく避ける必要すら無いだろう僕の拳を、師匠は避ける。
右、左、左、下、右。利き腕の拳を当てられるように、右手での牽制を入れてのラッシュだが、ガードさせるところにすら至れない。
逆に、先生の拳が徐々に僕を掠め始める。
先生が何かをした訳ではない、僕の動きが鈍くなって行っているのだ。
まだ二分も経っていないというのに早くも息切れを始め、集中力も落ちてきている。
「もうへばってきたのか。体力は赤点だな」
痛いのは嫌だ、そんなのは当たり前でそれを回避しようとして攻撃を躱すというのが心的負荷となり疲労を促進させているというのは勿論あるが、殴られるのが嫌なのと同じ位殴る事にも抵抗があるのだ。
何の躊躇も無く女を殴れる男がいたらそれはただの屑だと思う。
それはモラルとかそういう、人間であれば持つべき常識で、軍人は職業上の都合から訓練によってそれを矯正する。武術の世界ですら男女混合でやる競技の方が珍しいだろう。
故に僕はこれから軍人と同様に今迄の常識を矯正しなければならないのだろうが、そんな簡単に感覚は変わらない。それこそ昨日急にやる事が決まって今日すぐになんてのは無理だ。
でも僕は殴れないなんて言わない。
殴らないなんて言わない。
殴りたくないとも、当然言わない。
そういう事を言って良いのは強い奴だけ、というか塵にも劣る弱者の主張なんて通らなくて当たり前なので口にする必要がそもそも無いと思います。
「ここまでか」
「へ、っはぁぁぁぁ!?」
限界が近付き、腕を掴まれたと思った次の瞬間には視界が回転し、その浮遊感で自分がぶん投げられた事を理解した。
体格差では説明できない力で放られた僕の体は十メートルは軽く飛んだと思われるが、地面なり木なりに叩きつけられるのを覚悟したが、痛みは何時までたってもやってこなかった。
思わず瞑った目を開ければ飽きれた先輩の顔がすぐ近くに有った。
「受け身位取りなさいよ情けないわね。身構えるだけじゃ逆に痛いわよ」
「え、と。ありがとう?」
「別に。準備した食事にぶつかりそうだったから受け止めただけ」
僕は、ルシア先輩にお姫様抱っこされていた。
どうやら食事の準備中だった先輩の方へぶっ飛ばされたらしい。
言葉とは裏腹に優しく地面に降ろして貰うと先生がやってきた。
「キノハルはアレだな。模擬戦以前に人の殴り方を知らなきゃ話にならないな」
「ですよね」
先生は開口一番そう言った。
最後がルシア先輩のお姫様抱っこである時点で不甲斐ないところを見せたとは自分でも思うけれど、どうやら先生の想像も超えて情けなかったようだ。
「取り敢えずあの逃げる事にばかり特化させたみたいな足踏み、アレやめろ。避けれる速さでしか殴ってないのだから余裕を持って避けようとするな」
「ですよね」
「キノハルには私の動きやすいを押し付けた方が伸びそうだから、そうする事にする。喜べ、特別メニューだぞ」
「わ、わーい?」
あ、あれ? 気のせいかな。流れがなんか不穏だぞ。
「見て覚えろ、なんて優しい事は言わない。しっかりその体に叩き込んでやる」
「せ、先生? 顔が怖いですよ?」
心の底から愉快そうで、それでいて獰猛な獣の様な口端を釣り上げた邪悪な笑みを浮かべて、先生は言う。
「お前、私に似てるよ。一から十まで言われなきゃ分からんのだろう? だけど一から十まで言われれば当たり前の様に理解できる。私がそうで、キノハルもそういう奴だ」
NTG nonfiction -我々がソシャゲに飽きてはいけないたった一つの有り得ない理由。- 白米 @Hakumai
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