第5話

 返事がない、ただの屍の様だ。

 というのは嘘にしても、疲労以外で体がピクリとも動かないという体験を現在進行形で始めて体験した僕は先生の言葉を鵜呑みにして思考するならかなり不味い状況だったのではなかろうか。

 あれから何時間経ったのかは知らないけれど、僕は縄を解かれても地面に突っ伏したままだ。痛みが引いて一応は思考に時間を割けるようなったのは空が茜色を通り越して満天の星空と化してからだったけれど、それは動けるようになる訳じゃなかった。

 その間感じていた痛みは形容し難い、目に見えぬ気の乱れに伴った痛みというのは物理的な痛みも勿論あるのだけれど、魂的な痛みがより深刻だったように思う。

 手の届かない体内が痛いのにそれは臓器でなく、どうしても届かない所にある何か。厳密にいえば魂とも別物なのだろうけれど、僕には丁度良い言葉がそれ以外に見当たらない。

 兎にも角にもとんでもない痛みが全身を巡っていたという訳なのだが、これが本来感じているべき痛みだというのなら、未だ出会ったことのない同郷人の現状は洒落になっていない。

 痛みを感じないから危機にすら気付けないというのは本当に怖い。

 レベルを上げれば落ち着く、というのが先生というプロの診断結果だけれどこんな歪みまくりの状態で未知の大地へ送り込む様な存在は決して良い存在ではないだろう。

 元々、善意からだとは思っていなかった。だけどこうなってくると明確な悪意が有っても何ら不思議は無いという話になってくる。

 あの妖精は目的なんてないと言っていたけれど、僕達……プレイヤーにとってはそうじゃないのかもしれない。

 ……あぁ、後はステータスを確認しなきゃだな。

 気の乱れの裏付けになってたって事は変化がある筈だし。


Name:キノハル Job:モンク Level:1

 HP(体力値):89

 STR(筋力値):21

 INT(魔力値):69

 VIT(耐久値):17

 AGI(敏捷値):32

 LUK(幸運値):199

Bless: 『ハトホルの加護』

Skill:〈気功〉〈気功操作〉


 うん……何だこりゃ。

 体力値と筋力値の低下が深刻なのはさて置き、日本じゃ絶対鍛えようのない魔力地が群を抜いてて、幸運値が倍近い。いや、耐久値は三倍以上なんだけどさ。

 加護はさっきクエストクリアで手に入れたやつだな。


『ハトホルの加護』

 LUK+100


 幸運値の高さはどうやら加護の恩恵か。

 加護について、取扱説明書で調べてみたところによれば加護の恩恵はその行いによって変化するらしいので、この幸運値百アップが初期値で上がったり下がったりするのだろう。

 良い事をするか、悪い事をするかでNPCの態度が変わるカルマシステムみたいなものだろう、けど幸運値とか多少上下しても変わらんだろうし、気にする必要も無いか。


 これが本来あるべき僕のステータス、という事になるのか。

 体力と腕力に難があり、多少すばしっこい奴とか今時男子代表みたいなステータスだな……。

 圧倒的筋肉不足。まあ腹筋とかプニプニだしなぁ。


 後はスキル。てっきりスキル欄が空っぽになるかと思いきや、〈強撃〉は消えたけど〈気功操作〉が増えて数は変わらずだ。先生の言葉通りなら、この二つは今の俺が使えるべきスキルって事だよね。

 まあ実は、この辺の感覚は自分が一番分かってる。

 成程、確かにスキル欄に表示されていたスキルは不自然だったのだろう。


「はは……達人にでもなった気分かな」


 体内を巡る気の流れを感じ、それを早くしたり遅くしたり手に集中させてみたりといった程度の事は拳を握る位の感覚で出来る。

 というのも、激痛と共に巡る気の流れとそのありかをこの短時間で忘れらる訳が無く、それと同時に先生の行った僕の体内の気を操作する気色悪い感覚を自分で再現しようとして出来てしまったというだけの事だ。

 恐らくだけど、気を知覚さえ出来れば操作する事は難しくないのだろう。

 先生みたく他人の気をいじるという訳じゃないのならそれこそ自分の体なのだし。

 これが〈気功操作〉。

 ただ、〈気功操作〉なんて攻撃にも防御にもなり得なさそうなスキルはβテスト版『NTG』には無かったし一体どんな役に立つのかは未知数だけれど、モンクが得るべきスキル的には必須技能だろう。

 ……いや、厳密にいえば僕が行けたところまでにはなかった、かな? まさかあの短期間でネトゲのキャラレベルをカンストさせれる訳もないし、四次職業には届かなかったんだからもしかしたらバフ的な位置づけであったのかもしれない。

 知らないけどね。それに、先取り出来ていたのだとしてもあんな痛みと引き換えなら誰もいらんだろ、少なくとも僕はいらん、強制だったから副次効果にやったぜと思うだけだ。

 〈気功〉は回復魔法的な位置付けだったけど……気を循環させて自己治癒能力を向上させるスキルっぽいが今の俺がやると逆に激痛がぶり返す。間違いなく。

 言うなれば今の僕の気は穴こそ開いていないがズタボロの血管に血液を流しているようなものだし。

 痛いのは肉体じゃないんだ……むしろ逆に流れをゆっくりにしないと辛過ぎてヤバい。


 気の流れをゆっくりにすれば痛く無いなら動けるんじゃないかと問われればそんな訳はない。

 僕は〈気功操作〉を使えるようになったと言ってもド素人だ。微塵も体を動かしていない状態だからこそ代わりに気を操作出来ているのであって、歩きながらとか立ち上がるのに体を使うのなら気の流れは当たり前に揺らぐしなまじ操作出来てしまうせいで必要も無いのに使う場所に気を集中させてしまうような無様を晒してしまうのだ。

 否応なく、立ち上がる為にベストを尽くす男になる訳だ。


「キノハル」


 上から声が聞こえた。

 この声はルシアだ。


「……何ぞ」

「師匠が意識を取り戻してるなら夕食を突っ込んで来いと言っていたのだけれど……」

「やめて。……あ、いや。やめなくていいや。ひっくり返して突っ込んでくれていいよ」


 別に触られるだけでヤバいとかそういう訳じゃないし、喋っても大丈夫なんだから口を動かすだけなら大丈夫、の筈。

 気を正常に戻すのに伴い、無為に浪費された気が少なからず有ってエネルギー補給は必須。食事を摂ったら多少は回復する……筈。

 全部感覚的なものだからなぁ……やってみないと何とも言えない。

 一応、体力と気の残量は数値化されているけれど肉体的には万全のせいで体力は満タンという事になっている欠片も信用できない数値だ精々目安位にしかなるまい。

 まあ気に関していえばその目安においてもレッドゲージなんだけどさ。


「晩御飯は何?」

「肉よ」

「……何の?」


 この森、猪とかそういう食事に適した動物は生息してない筈じゃ。

 具体的にいうと、いかにも訓練用という感じの生きた案山子みたいなモンスターしか居なかった気がする。

 いや、ゲームじゃなくなってモンスター以外の野生動物も存在するとかそういう話かな?


「……肉よ」

「いや、何の!?」


 見た目は……普通? 暗くて色とかよく分からないけど。

 え、案山子肉? 案山子肉なの?

 あいつ、食えるところあるの!?


「ほら、口を開けなさい」

「ねえ待って! せめて何の肉か教えてから食べさせてよ!」

「大丈夫よ、常識に囚われなければ美味しくいただける。これはそういう類のものだから」

「それ全然大丈夫じゃなもごぉ!」


 干し肉なのか手掴みで持ったそれは無慈悲にも口に突っ込まれた。

 歯ごたえが動物のそれでなく、干し草を丸めた物のようなモソモソとした喉に引っかかる食べにくさに加え、味は肉と言われれば肉、という如何にもな謎肉の味わいを、塩で纏めただけ。

 文化的だった朝飯と打って変わり、昼、晩と味付けが塩のみで辛いとかそれ以前にもうちょっとこう……心に優しくできませんか。


「ちょっと、私の手まで食べないでくれるかしら」

はらへほほへへふへはへふはへへなら手を抜いてくれませんかねぇ!」


 伝わったかは定かじゃないけれど、是が非でも全部食わそうという意思の感じられる手使いのせいで危うくルシアの手まで食べそうになっていたようだ。

 こんな肉を水も無く押し込まれたら窒息死するんですが。


「それ飲み込んだらテントに運んであげるわ」

「ふぁい」

「テントが二つしかないからこれから弟子は一つのテントを二人で使う事になるわ。けど変な気は起こすんじゃないわよ」


 ないわー。歳幾つ離れてると思ってんだ。

 親と子程は離れてないにせよ、ルシアに欲情したら僕はロリコン確定だろう。

 とか、口には出さなかったけど顔には出てたらしく乱暴に運ばれて、受け身が取れないから痛い思いをした。

 いや、本来一人で使う筈のテントに入れてもらえて感謝してるんだよ? 乱暴に、とは言っても気に入らなくてもテントに入れないとかすることも無くちゃんと運んでくれた訳だし、感謝しない方がおかしい。

 でも先生には最初から森の地面に放置しないでテントに突っ込んどいて欲しかったと苦言を申したいところだけど。


「……二人入ると大分狭いわね」


 そうな、一人なら少し余裕がある位の広さでも二人居たら凧部屋とどっこいの人口密度だ、部活の合宿を思い出す。

 まああの時の男臭い空間とは打って変わって、森と女の子の匂いで満たされているのだけれどね。これで汗臭いとかだったら少女への幻想がぶち壊されていただろうけれど、水浴びとかその辺の事は抜かりないようだ。

 それに狭いといってもこの中で過ごすのは基本寝る時だけになるだろうから大丈夫かな。


「今日はアレだけど、僕は出来るだけ隅っこに寄って寝るから追い出すのは勘弁ね」

「そんな事しないわよ」

「僕、寝相が良い事には自信があるんだ。朝までピクリとも動かないよ」


 しかも、寝息も凄い静かです。無音にして不動のキノハルとは僕の事。


「そう……私は、まあ人並みよ」

「はは、蹴っ飛ばしたら嫌だよ?」

「分かっているわ。任せなさい」


 あれ? そう意気込まれると不安なんだけど本当に大丈夫だよね?

 さっきからフラグが立つ度に物凄い速度で回収されるのを繰り返してるんだけどそれは別にフラグじゃないんだよね?


「明日は何時位に起きるの?」


 多分寝て起きた位で漸く体に自由が戻りそうなんだよね。


「何時、って決まりは無いわね。けど起きたら即修行開始って感じよ」

「そうなの? てっきり日が昇る前から晩までやるものかと」

「師匠の方針だと、起きる事の出来た時間で疲労感を図って修行の内容を修正するのよ」

「へぇ……」


 動物的には逆に健康的かもね、体が必要としている睡眠をキッチリとる訳だし。


「……まあ、早朝からやっても夜まで持たないっていうのも理由の一つらしいのだけれどね」

「へ、へぇ……」


 修行しかしないなら別に何時に起きても変わらないとか怖すぎる……。


「じゃあさっさと寝た方が良い感じかな」

「そうね、私も寝るわ」


 明日の事は明日考えればいいよね、今日はどうせ何も出来ないのだし。

 何か……色々考えなきゃいけない事はあるんだろうけど、そんな心的余裕はなかったなぁ。


「おやすみなさい、キノハル」

「おやすみなさい、先輩」


 こうして僕の『NTG』での一日目は呆気なく終了した。

 呆気なく終了するのが人生でなくてよかったと心から思う。

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