第4話 奈落の底から伸びる癒しの手
紀佳がM半島の野戦病院へ来て二日目。
「さて、今日も頑張ります!」
紀佳は今日も自らの責務を果たすために、病室へ足を踏み入れた。
「っ…」
何度目にしても慣れない光景だ。
血まみれになって横たわり、うめき声を上げて苦しむ、床一面に敷き詰められた大勢の兵士たち。部屋中に漂う、血と汚物と薬の匂い。
正直言って紀佳は、こんなところに毎日通っていたら気が狂いそうだとさえ思っていた。
だが、この現状を変える力を持つ者が、この場にただ一人だけいる。
「私の力で…!みんなを!」
陰陽師の司祭へ神託を与えた怪しげな神様から授かった神通力。その力を行使できるマジカル・メディコの一人である萌乃紀佳。
彼女だけが、ここに横たわる兵士たちの傷を癒し、この地獄のような空間に救いを与えられるのである。
「おや、紀佳殿!今日も精が出ますな!」
紀佳に声をかけたのは、メガネをかけた青年であった。
「えっと、あなたは…」
「昨日、一番最初に両腕の傷を治して貰った者ですよ!江曽羅琴 綴(えそらごと つづる)と申します!」
「あ、ああ…!あの、物書きになりたいと言ってた…!」
「ええ、危うく両腕を切断されるところでした!いやあ、よかった…これで夢を諦めずに済みますわ!あなたは癒しの魔法使い…いや天使だ!感謝、啓礼です!ハッ!」
「えへへ、良かったです!天使って、そんな…天使はさすがに言い過ぎですよぉ、でへへぇ~」
自分が癒した兵士に感謝されること…それは、紀佳にとって何よりもの喜びであった。天使とまで言われ褒められた紀佳の顔は、嬉しさでほころんでいた。
「さて、あっしはそろそろ行きますよ」
江曽羅琴はそう言うと、野戦病院から去っていった。
「…よっし。私も、頑張らなきゃ!」
紀佳はさっそく、横たわっている兵士のもとへ歩み寄る。どうやら兵士は左腕に銃創が空いているようだ。このままでは破傷風になる危険性もあるが、本日紀佳の魔法で治療を受ける予定であったため、腕の切断などの処理は行われていないようだ。
「ぐ…うぅっ…」
兵士は苦悶の表情を浮かべている。
「安心してください!今、傷をふさいであげますからね!」
紀佳が兵士に触れようとすると…
「触るなッ!!!!!」
「!?」
なんと、兵士は紀佳に対して怒鳴ってきたではないか。
「え、ど、どうしたんですか?ち、治療するんですよ?なにか失礼なことを…」
「治療なら…あっちの医者にやってもらう。だから必要ない」
「な、なんで?何でですか?私ならすぐに傷を癒せるんですよ!その腕の穴も治ります!早くしないとそれ、破傷風とかになっちゃうかもしれないし…」
「だから!!!あっちのヤブ医者にこの左腕は切り落としてもらうっつってんだろがッ!!!」
「え…え…?」
紀佳はただひたすら困惑している。なぜ自分の治療を受けようとしないのか…兵士の心理がさっぱり分からなかった。
「う、腕を、斬り落としてもらう?そんな必要ないです!私なら、腕を斬らなくても治せるんですよっ!」
「うるせえ!!俺に触るな!!触ったらブチ殺してやるッ!!!ぺっ!!」
「きゃあっ!!?」
兵士は紀佳の顔に唾を吐きかけた。
「う、え、ええっ…ど、どうすれば…」
紀佳はあたりをきょろきょろと見まわしている。まさか治療を拒否されるなどとは思わなかったからだ。
「どうした」
そこへ、藍野軍曹がやってきた。
「ぐ、軍曹殿!この人が、なんでか分からないけども、私の治療を受けたくないって言ってるんです!どうすればいいんですか…!?」
「…貴様、名は何だ。名乗れ」
軍曹は治療を拒否する兵士に名を尋ねる。
「は、はっ…!名は息肝 宣(いきれば よろし)です!」
「息肝。きさま、なぜ治療を拒否する?」
「あっ…そ、その、私は戦っても弱いので!私なんかよりも!他の兵士を治療した方が!我が国の勝利に結びつきやすいかと存じたためです!」
「屁理屈を言うなァアァッ!!」
「ぐぎぃっ!」
なんと藍野軍曹は、腕の傷を踏みつけた。
「あ…あがあああああッ!!!がああああああッ!!!!」
「きさま、我が国の男児にあるまじき情けない言葉だな!そんな上辺だけの嘘が誰に通じると思った?心底腐った奴だ」
軍曹は、息肝の腕をぐりぐりと踏みつけている。
「ぐ、軍曹殿!おやめください!息肝さん痛がってます!」
紀佳はあわてて軍曹を止めようとする。
「息肝、上官命令だ。今すぐ魔法衛生兵の治療を受けろ。さもなくば今、この場で殺す」
軍曹は息肝へ拳銃を突きつける。
「ひっ!?わ、わかった、わかりました!受けます!治療を!」
息肝は青い顔をしている。
「…いいんですね?それじゃあ、治します!はああ…!」
紀佳は息肝の肌に触れ、魔力を行使する。腕に空いた銃創は完全に治癒した。
「…痛く、なくなった…」
「よかった、これでもう大丈夫です!もう、遠慮なんかしなくていいんですよ、息肝さん」
「ッ…」
息肝はせっかく腕の傷が塞がったというのに、嫌そうな顔でうつむいている。
「…え、えっと、次の人ー!」
紀佳は次々と兵士たちを治療していった。
昼休み。
「…どうして、嫌がるんだろう…。私の治療を…」
廊下を歩く紀佳は頭を悩ませていた。あれから十数名の兵士へ治療を施したが、半分以上が、治療を受けることに対して明らかに嫌がるような反応をしていた。一体なぜなのか…理由は分からない。
「おい、てめえ…さっきはよくもやってくれたな」
「え…」
紀佳が顔を上げると、正面に息肝が立っていた。
「あ、息肝さん!腕はもう大丈夫ですか?」
「ああ、すっかりよくなっちまったよ…。てめえのせいで、なッ!」
なんと息肝は、紀佳に治療してもらった左手で、紀佳の頭に思い切り拳骨をした。
「きゃうぅっ!!?」
帽子に覆われた紀佳の頭からごちんと大きな音がした。本気の拳骨が紀佳の頭蓋を揺らした。
「いっ…たあああいいいいいいっ!!!!痛いぃっ!!」
紀佳は頭を押さえてうずくまった。
「てめえさえ、てめえさえ!!ここに来なければッ!何が癒しの魔法使いだッ!クソガキがッ!」
息肝はうずくまる紀佳の背中を、何度も左手で殴りつける。一発一発の拳骨が本気の一撃である。軍隊で鍛え上げられた兵士の太い腕が、何ら鍛錬をしていない十四歳のか弱い少女の身を何度も打つ。
「あうっ!!ぎゃうぅっ!いだいいいぃっ!!やべでぐだざいいいいっ!!がふっ!やだぁ!やめてえええっ!!」
「はぁ、はぁ…」
息肝は紀佳を殴るのを止めた。
「うっ…ああっ…あああっ…!いたい…っ!いたい、よぉっ…!なん、でぇっ…!」
紀佳は頭と背中と腰を何度も殴られ、地面に倒れ伏している。
「はぁ、はぁっ…クソが…。てめえが天使だと?ふざけんな。天使どころか魔女だよ、てめえは。てめえなんか、ここに来なきゃよかったんだ。今の事チクったら、マジで撃ち殺してやるからな」
息肝はつかつかと靴を鳴らして去っていった。
「う゛っ…ぁ、あ゛…あ゛ぁあっ…いだい…いたい、よぉっ…!うぅぅうぅっ…!」
全身がずきずきと痛む。軍隊でしごかれた軍人である息肝に何度も本気で殴られた少女の体は、紀佳が思っている以上に深く傷ついている。
どうして。
どうして、傷を癒してあげたのに、こんな仕打ちを受けなくてはならないのか。
「ぐ、う、う…」
紀佳は、魔法を使って殴られた痛みを癒せないかと試みたが…
「だ、めだ…っ」
癒しの魔法は発動しなかった。紀佳は修行中に司祭から告げられた言葉を思い出した。マジカル・メディコは、自分自身の傷を癒すことはできないということを。
「もう…やだ…もうやだああっ…おっかさん…!わあああんっ!わああああっ…!」
紀佳は体の痛みと心に負った傷の痛みから、廊下にうずくまりながら泣いた。
「ん?お、おい、大丈夫か?しっかりしろ!」
先ほど紀佳が治療した兵士のうちの一人が、廊下に倒れている紀佳を見つけて駆け寄った。
「ひぐっ、ぐすっ、やめ、やめてくだざいっ!なぐらないで!たたかないでぇっ!」
紀佳は兵士を見てひどく怖がった。ぶるぶると震え、目からはとめどなく涙を流している。
「紀佳ちゃん!?だ、誰かに殴られたのか!?いったい誰に!?」
「うぅっ、ぐすっ…!い、いえない、です、い、いったら、うちころ、され、るっ」
「…そういうこと、か…。しっかりしろ、今軍医のとこに連れてってやるからな!」
兵士は紀佳を抱きかかえて運んだ。
「…ぐすっ、ひぐっ…。あ、あの、すんっ…お名前、聞いても、いいですかっ…」
紀佳は痛みと涙を必死にこらえながら、兵士に名を尋ねた。
「ああ、俺か。角碁 極(かくご きまる)だ。よろしくな」
「…角碁さん…っ。ぐすっ…!…わたし、どうして、どうしてっ…」
「…考えなくていいよ」
軍医は紀佳を診察し、重度の打撲と診断した。
だが、打撲であっても癒しの魔法は使える。
紀佳は背中の痛みと戦いながら、その後およそ四十名ほどの兵士の傷を癒してから、魔力を使い果たしたことによる疲労で床に突っ伏した。看護婦の一人が紀佳をベッドへ運んだ。
その晩、紀佳は背中の痛みのせいでろくに眠れなかった。
翌日。
紀佳が憂鬱そうに野戦病院へ足を運ぶと、トラックで大勢の負傷兵や、兵士の死体が運ばれてくるのが見えた。紀佳は負傷兵たちの様子を見た。
…すると。
「…え…」
…死体の山の中に、見覚えのある三人の顔があった。
「あ…。う、うそ…っ」
江曽羅琴 綴。物書きを目指していた青年。
息肝 宣。治療を拒否し、紀佳をしこたま殴りつけた兵士。
角碁 極。紀佳を軍医のもとへ運んだ兵士。
…その全員が、死体となっていた。それだけではない。紀佳が治療を施した何人もの兵士が、再び負傷兵となって運ばれてきたり、物言わぬ死体となっていた。
「後送!後送させる兵士はいるか!」
トラックの運転手がそう言うと、看護婦や衛生兵たちが、野戦病院の中から大勢の兵士たちを運んできて、トラックへ乗せた。運ばれてきた兵士たちは、脚や腕が切断されていたり、目がつぶれたり、頭をやられかけた者たち…。『戦えなくなった者』たちばかりであった。運ばれてきた兵士たちの多くは涙を流している。
「では港へ出発する!」
兵士たちを乗せたトラックは去っていた。行先は「港」と言っていた。
「…あ、あ…」
この瞬間、紀佳は理解した。
なぜ息肝が、あれほどまでに治療を拒否した上に、自分を憎み、罵倒し、殴り続けたのかを。
「そう、いう…こと、だった、の…っ」
なぜ癒しと救いを与えるはずの自分が、魔女などと呼ばれたのかを。
「私が、来なきゃ…!生きて、帰れたんだ、国にっ…!息肝さんたちはっ…!」
紀佳はがくんと膝をついた。気付いてしまったのである。
自分は、負傷兵へ救いを与える天使ではない。
生きて帰国できるはずだった彼らを、再び死の淵へと叩き落す、死神だったことに。
癒しの魔法少女達が衛生兵として激戦地に赴いてみた結果 タマリリス @Tamalilis
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