第3話 癒しの魔法は更なる殺戮のために

「なっ…とく…っ…納得、できませんっ!ワケを…分かるように説明してくださいっ…!軍曹殿っ…!」

紀佳は目に涙を溜め、上目遣いで藍野軍曹を見ながら問いかける。

「いいだろう、お前みたいなガキでも分かるように説明してやる」

軍曹は一度ため息をつくと、紀佳を睨んだ。

「萌乃魔法衛生兵。お前は一体ここへ、何をしに来た?答えてみろ」

「はっ…はい!我が国の兵士さん達の傷を癒して、命を救うためです!」

「違う!きさまは根本的に考えが間違っている!」

軍曹は紀佳の胸ぐらを掴み上げた。

「えぇ…!ほ、ほかに何があるっていうんですかぁっ…!」

「貴様は、我が国の兵士の命を救うために来たのではない!…敵国の兵の命を奪うために来たのだッ!!」

「え…?えっ!?」

「きさまのベルトの飾りは八つか…。仮に一つの飾りの輝きで、致命傷の兵士なら一人、腕や足に銃創を負った兵士を八人癒せるとしよう」

「致命傷の者を優先して治癒すれば、一日に癒せる兵士の数はたったの八人だ。だが、軽傷の者を優先すれば、八人×八個の飾りで、計六十四名を癒せることになる」

「え…で、でも。それじゃあ、致命傷を負った人が死んじゃうじゃないですか!」

「ならば、最前線で戦っている者はいくら死んでもいいというのか?」

「え…っ…?」

「戦とは数の勝負だ。六十四名が最前線に復帰すれば、それだけ大人数で敵国の兵士と戦える。当然我らは人数で優位となり、死傷する兵の数は減るだろう」

「だが、たったの八人しか戦線復帰しないのであれば…!戦況は優位にならない!故に死傷する我が国の兵の数は増える一方となる!くだらぬ感傷に流され、目の前のたった八人しか癒さなかったせいでな!」

「え…え?」

紀佳はきょとんとしている。軍曹の説明が理解できなかったようだ。

「チッ…今の説明が理解できなかったならば、貴様には何を言っても無駄だ。とにかく上官命令に背くことは許さん」

「ご、ごめんなさい…。頭悪くって…っ」

あたふたしている紀佳の様子を見て、医師が口を開いた。

「嬢ちゃん。この場は、私が指示した者だけを癒してくれ」

「…わ、わかり、まし…」

紀佳が頷こうとする直前に、腹に穴の開いた兵士が弱々しく声を出した。

「ぐん、そう…おいしゃ、さん…たすけ、て、くださ、い…。俺、には、体の、弱い…妻と、赤ん坊、が…故郷、に…」

「!!!」

紀佳は目を見開いて、危篤状態の兵士の方を振り向いた。

「た、助けます!今すぐにっ!絶対死なせませんからっ!」

紀佳は反射的に身を乗り出し、兵士の体へと手を伸ばした。

「上官命令に背くなッ!!!」

紀佳の腹部に、軍曹の膝がめり込んだ。

「あぐぅっ!!」

紀佳はがくっと膝をつき、腹を押さえてうずくまった。

「げほっげほっ!えほっ!ごほっ!ぁっ…げええっ!!!」

苦悶の表情を浮かべて涙を流す紀佳は、口からげぼげぼと胃液をぶちまけた。

「貴様、軍人というものが全く分かっていないようだな!軍隊の命令に部下の納得など要らんのだッ!特別な力を持っているからと言って、特別扱いされると思うな!三下の二等兵がっ!!」

軍曹は、うつ伏せになってうずくまっている紀佳のミニスカートをめくり、尻を丸出しにした。…大勢の負傷兵たちの目の前で。

「きゃあっ…!?」

紀佳は手で尻を隠そうとしている。魔法衛生兵は癒しの魔法を使うためには、衣装の上にも下にも重ね着はできない。つまり紀佳はミニスカートの下に何も穿いていないのである。

「おおおっ…」

部屋の床中に寝転がっている負傷兵たちの視線は、紀佳の尻に釘付けになった。中にはズボンの中に手を突っ込んで小刻みに手を動かしている者もいる。

「貴様の傲慢な態度ッ!改めろッ!反省しろッ!ケツの青いクソガキがッ!!蒙古斑をアザで十倍に広げてくれるわッ!!」

軍曹は紀佳の尻に何度も何度も平手打ちを繰り返した。

「いたいぃっ!いたいですぅっ!ごめんなさい、ごべんなざいぃっ!!もうやめでぐださいいっ!!いうことききますからああっ!!!」

紀佳がそう泣き叫ぶと、ようやく軍曹は平手打ちを止めた。

「ひぐっ…ぐすっ…!うわああああああんっ!!わぁああああああんっ!!!」

紀佳は大声で泣いていた。平手打ちの痛みもあったが、危篤の兵士を救おうとしたのにそれを咎められて叱られたことや、大勢の男性たちの目の前に尻を晒された羞恥などが混ざり合い、感情の波となって紀佳を痛めつけた。

「もう一度だけ言うぞ、三下。そこの致命傷を負った兵士は無視し、軽傷者から順に癒せ。軍隊命令だ。…いいな」

「ぐすっ…はい、わかりましたぁっ…!」

紀佳は比較的軽傷の兵士へ近づき、そっと手を触れた。

「み、す…て、ない、で、く、れ…」

危篤の兵士は紀佳の足首を掴んだ。

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ…!ぐすっ…!あなたは、治せないんですっ…!ごめんなさいっ…!」

紀佳は軽傷の兵士を魔法で治癒しながら、危篤の兵士へ何度も謝った。本当は救いたい。目の前の哀れな人間の人生を、死の淵から救ってあげたい。だが、それができない。させてもらえない。

「ぅ…」

やがて、軽傷者を治癒している最中に、紀佳の足首を握る力はなくなり、弱々しい声も止まった。

「あ…ぁああ…ぁああああっ…!ごめんなさい、ごめんなさいっ…!」

見殺しにしてしまった。救えたはずの命を。救いたかった命を。…国のために立派に戦った一人の人間の人生が、まるで蝋燭の炎のようにあっけなく消えた。


「はぁ、はぁ…」

数時間後、五十七名の軽傷者の傷を癒した時点で、紀佳のベルトの飾りはすべて黒くなった。これ以上はもう癒しの魔法が使えないということだ。

「あっ…う…っ」

紀佳はその場にどさりと倒れてしまった。どうやら、八つすべての力を使い果たすと、起き上がれなくなるほどの疲労困憊に襲われるらしい。

「ご苦労だった、萌乃魔法衛生兵。今日だけで、五十七名の兵士が戦線復帰できるようになった。貴様の働きで、我が軍は優勢となるだろう。…こっちの部屋で寝ていろ」

藍野軍曹は紀佳をお姫様抱っこして、ベッドのある部屋に向かって運んだ。

「あ、ちょっ…」

だが、ミニスカート姿の紀佳をお姫様抱っこするのはマズい。軍曹は気づいていないようだが、今の紀佳は周りの兵士たちにお尻が丸見えになってしまっている。

「お、おぃ見ろよあれ…」

というか、兵士たちに思いっきりガン見されまくっている。

「う、ううぅぅっ…」

自分を見る兵士たちの股間がテントのように盛り上がっているのに気づき、羞恥に顔を紅く染める紀佳。この後連れていかれるというベッドのある部屋で、変なことをされなければよいが…と不安に思わずにはいられなかった。


藍野軍曹は、紀佳をゆっくりとベッドへ寝かせた。

「…よくやったな、萌乃魔法衛生兵。今日は一日、お勤めご苦労だった」

「…え…?」

まさか労われるとは思っていなかった。

「貴様の、目の前の命を救いたいという考えは…正しい。こと戦場の火から隔離され、安全に護られた日常の中だけではな」

「ただ…しい?」

「ああそうだ。大体、敵兵だろうが何だろうが、大勢の人間同士が殺し合う場に、正しさなどあるだろうか?」

「…」

「貴様のいた日常で正しかったことが、戦場では間違いとなる。日常では間違いでしかないことが、戦場では正しいことになる。さっさと戦場の思考に慣れることだ」

「…戦場の、思考…ですか?」

「いいか、戦っているのは、人殺しをしているのは兵士たちだけではない。兵を支援する者すべてが皆等しく人殺しだ。あそこで働いていた医師も。兵士共の相手をする慰安婦も。水や食料を補給する輜重兵も。どいつもこいつも全員が人殺しだ。当然、貴様もだ。萌乃紀佳」

「わたし、が…ひとごろ、し…」

「その覚悟をしないという選択肢は、貴様には存在しない。人殺しになる覚悟を決めろ、萌乃二等兵。そうでなければ、貴様はここではやっていけん」

「…軍曹どの…」

「なんだ」

「私は…わたしは…。傷ついた人を、助けるために…ここに、来たんですっ…」

「個人の望みなど知った事ではない。ではさっき死んだ兵士は、自ら死を望んでここに来たとでもいうのか?」

「そ、それは…」

「…四日後、ここへ魔法衛生兵がもう二名増員される。貴様と共にあの寺で修業していた者だ」

「…!」

「どれだけ傷を癒しても、次から次へと負傷兵は続出する。今日はたったの五十七名しか治癒できなかった。一人ではまったく手が回らんだろう」

「…」

「よく休み、明日に備えろ。医者の不養生とあっちゃ堪らんからな」

「…はい」

「何が正しいか分からなくなったら、そいつらと話してみろ。一人では分からんことも、話をすれば答えが出るかもしれんからな」

藍野軍曹は扉を閉め、部屋から出ていった。

「…」

紀佳はベッドの上でごろんと寝転がっていた。

「…」

そして、今日あった出来事を、ひとつひとつ思い出し…

「うっ…うぅうっ…!ぐすっ…ひぐっ…!」

見殺しにしてしまった兵士達への申し訳なさから、しくしくと泣き、枕を涙で濡らした。そして心の疲れからか、そのまま泥のように眠った。


翌朝。

紀佳は朝食を終え、野戦病院へ出向いた。

「おはようございまーすっ!」

そして、元気よく看護婦たちへ挨拶をした。へこんでいても仕方がない。自分にできることを、精いっぱいやろう。紀佳はそう決めたのだった。

「お、昨日のカワイ子ちゃんか。ゆうべは助かったぜ。俺を覚えてるか?」

天然パーマの兵士が、紀佳に話しかけてきた。

「え、えっと…どなたでしたっけ?」

「忘れたのか?昨日、俺の顔の上、跨いでいったろ」

「え、あ、ああ…」

「俺は矢部村 牟裏(やべむら むうら)だ。 よろしくな」

握手をしようと手を差し出したこの兵士は、どうやら昨日紀佳が手術台へ向かう際に、やむを得ず顔の上を跨いだ兵士のようだ。

「よ、よろしくお願いします。昨日は大変失礼なことをしました」

紀佳はぎゅっと右手を握り返し、ぺこりと頭を下げて謝った。

「いやいや~、失礼だなんてとんでもない。いいもん見せてもらったわ。この右手の銃創も塞がったしなぁ」

「よ、よかったです!もう痛くないですか?」

「ああ。調子は最高だ。昨晩はあんたに跨られたこと思い出しながら、しこたまこの右手を使いまくったよ」

「???そ、そうですか。それは何よりです」

紀佳はぽかんとした表情でこくこくと頷いた。きっと銃の整備か何かのためにしこたま右手を使ったとでも思っているのだろう。

「今日もがんばんなよ、魔法衛生兵ちゃん。えーと、紀子ちゃんだっけ?」

「の、り、か!紀佳です!激励ありがとうございます!」

紀佳はぺこりとお辞儀をした。

「そいじゃ、さっさとお仕事行ってきな」

「はい!」

紀佳はくるっと回り、矢部村に背を向けた。

「ああそうだ、それと」

そう言うと、なんと矢部村は紀佳のミニスカートを後ろから捲りあげた。

「…きゃああああああああっ!?」

紀佳はとっさにお尻を隠し、スカートをぎゅーっと押さえた。

「ははは、お尻にアザ残ってたぜ、嬢ちゃん。昨日の張り手は強烈だったな!」

矢部村は笑いながら、すたすたと向こうへ去っていった。

「~~~~っ…!うぅ、男の人に、こんなに…見られるなんてっ…」

顔を真っ赤にする紀佳。

「神様…。なんで私のマジカルドレスに、腰巻の下に穿くものをつけてくれなかったんですかっ…」

紀佳はため息をついた。今後が思いやられるようだった。

「でも、あと三日…。三日すれば、一緒に修行したお友達に会えます!それまでの辛抱ですっ…!いろいろ悩み聞いてもらおうかなー…」

ひとまず、三日後に無事に二人の魔法衛生兵が増員されるのを心待ちにすることにした。

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