第15話 とある大学教授の前世語り
ある日の夜。発掘など諸々の仕事を終えて宿泊先のホテルに戻ったら、生きる伝説様がテレビに釘付けになっておられた。
ここは地上世界で、彼女は今は天上世界にいるはずなのだが。
まあ、現代の魔術をぶっちぎりで超越した技を複数持つ彼女のことだ。なぜここにいるかはあえて触れるまい。
「ただいま。何をそう熱心に見てるんだ?」
「あ、お父。おかえりです。日本のドキュメンタリー番組ですよ」
「ほうほう……ああ、これか。ここのは全体的にクォリティ高いし、面白いよな」
映っていたのは、日本の国営放送制作のドキュメンタリー番組だった。主に動物を扱うもので、日本人としての記憶がある俺としては、日曜夜の某ダーウィンを思い起こさせる番組である。
あの世界のN局と違って国営放送だから、あれよりもっと固くて動物メインのわりに某スペシャルみたいな語り口だけれども。
「今日のテーマは?」
「エルヴンヒメスズメバチです」
「おー。そういえば今週から、魔獣シリーズとかなんとかってやってたっけか」
最初にエルヴンヒメスズメバチをチョイスしたディレクターは分かっているな。世界最古の魔獣だから、魔獣をテーマにするならやはりエルヴンヒメスズメバチからだろう。
来週はエルヴンオオカミかな? その次はユニコーンが来るかエルヴンノスリが来るか……。
「でもこうやって改めて見ると、なんだか不思議です」
「ん? 何がだ?」
言いながら、俺の荷物を甲斐甲斐しく片付ける伝説様。
こういうところを見るにつけ、現代人に真実を暴露するのがまったく躊躇われる。国の上層部はどうするつもりだろうか。俺個人としては、このまま歴史の闇に葬ってしまったほうがいいような気がしているが……。
「人類については滅びないように色々手を尽くしてきたですけど、スズメバチがあの頃とほとんど変わらないまま7万年も残り続けるなんて思ってなかったですよ」
「あー……それは確かに思うなぁ。あの頃と変わらないものがあるって、少し不思議だよな」
服を緩めてベッドに座りながら、同意する俺。
そう、このエルヴンヒメスズメバチという種。こいつらはかつて氷河期のあの時代、俺が森で発見して以降、蜂蜜に実験に明かりにと大活躍したあのスズメバチなのだ。
こいつらの何が驚きって、その生態がほとんど変わっていないことだ。厳密に言えば種全体のサイズや毒性など、あの当時とは異なることも相応にあるのだが、基本的な部分が変わっていないのだ。シーラカンスほどではないが、十分に生きた化石である。
おかげさまで、彼らは今でも人類……主にエルフの良き隣人だ。
さすがに蜂蜜目的での養蜂はミツバチの発達でかなり衰退しているが、軍では今でも彼らは現役であり、間違いなく世界一のアサシンだ。マギア因子の移植にも欠かせない。こんな風になるとは、あの頃はまったく思いもしなかったものだ。
『彼らの最大の武器。それは他の蜂と同じく毒針です』
テレビが、エルヴンヒメスズメバチをアップで映し出す。メス、それも形状から言って兵隊蜂だ。
さらに映像はアップになり、蜂の尻先にあるえぐい形状の毒針を映し出した。
7万年前より進化した部分の一つだな。毒を注入するまでは絶対に離さないという意志を感じる、かなりえげつない形である。かつての穏当な形状を知るのは、現代には3人しかいないだろう。
『この毒針に刺された生き物は、9割が死に至ります』
ナレーションが淡々と言う。が、一切誇張のない言葉だ。
「……9割? 昔に比べて殺傷力上がってないです?」
「いいところに気づいたな。その通り、ぐぐーんと上がっている」
かつての時代も彼らの毒はなかなか強力だったが、決して致命的なものではなかった。
アナフィラキシーショックなどの危険性はもちろんあったが、言ってしまえば普通のスズメバチの範疇を超えたものではなかったのだ。いや、マギア因子から作り出された魔法毒が普通の範疇かどうかはさておき。
しかし現代の彼らの毒針……そこから注入される毒は、世界最強の毒である。これを食らって無事な生き物は、世界中を探してもエルフしかいない。
彼らの毒の恐ろしいところは、対象を選ばないところだ。小柄な生き物など、1分もあれば大体は。象やユニコーンなどの大型生物であっても、5分持つかどうかである。シロナガスクジラですら6分ちょっとが限界と言われている。
さすがに微生物を殺すのは無理だが、それは狙って針を当てられないというだけで、毒そのものを摂取させれば連中はほぼ即死する。
そしてエルフであっても、エルフ因子が機能停止して以降なら普通に死ぬ。なのに魔術で完全に統制できるのだから、エルフが古くから彼らを軍事目的で使ってきたのもむべなるかな、である。
彼らは間違いなく人類と並んで、有史以来もっとも多くの生物を殺した生物だろう。
「あー……」
「……『あっもしかしてあれのせいかも?』みたいな顔をしているが、あえて何も聞くまい」
「はいです」
大方エルヴンオオカミのときみたいなあれやそれだろう。彼女のせいか、それとも師匠とか言う謎のババアのせいか。あるいは意図的か偶発的か程度の話で。
できれば順当な進化の結果であってほしかったよ。
……いや、このオーバーキルすぎる毒が自然発生したとしたら、それはそれで嫌だな。どっちもどっちか。
『しかしこの毒が、実は我々にとっては非常に重要な役割を果たすことになります』
ナレーションが途切れ、別のVTRが始まった。どこかの研究所を映しているようだ。
……ということは、アレか。
「ああ、そういえば毒がマギア因子の移植に必要って話ですっけ」
「大正解」
俺が頷くと同時に、画面では何やら複雑な機械が稼働している様が映し出される。マギア因子移植剤の製造機だ。
「マギア因子移植剤の原料、エルヴンヒメスズメバチの毒なんだよな。細かい原理は文系の俺にはわからんが、ともあれ彼らから抽出した毒素を加工して作られる」
「あれはすごい発明ですね。サピエンスが魔術使ってるのを初めて見たときは本当に、すっごく驚いたですよ」
「同感だ」
できれば前々世にあってほしかったよ。
まあ、あれもまた飛法船と同じく科学と魔術の子供だから、どちらが先かといえば先にマギア因子ありきなのだが。
『副作用をほとんど克服したマギア因子移植剤は、彼らの協力あってのものなのです』
ナレーションが言う。
うん、その副作用って死なんだけどな。ついでに言えば、「ほとんど」と言っている通り、現代でも体質如何によって年に十数人が移植剤で死んでいる。子供の時分に摂取しようものなら危険性は跳ね上がるし。
「ちなみにな」
「はいです?」
「最初期の移植ってのは、単に彼らスズメバチに刺されることを言った」
「え? それって死んじゃうんじゃ……」
「おう。だから当時のサピエンスやドワーフで魔術が使えるというのは、本当に運のいい、一握りの選ばれしものの証だったんだ。講義でも毎回話すんだが、当時の移植成功率は1割に満たない。それ以外は死あるのみだ」
「ひええ……当時のサピエンスたちはそれでよく移植を頼もうって思ったですね……」
「それだけ魔術が魅力的だったんだろう。今の移植剤は、そうした人々の尊い犠牲の上に成り立っている」
『というわけなのです……』
テレビの説明を先取ってしまったが、それはそれとして。
彼らの毒が強化されなかった場合、果たしてマギア因子の移植はできたのだろうか? などと思わなくもない。毒と薬は表裏一体であり、マギア因子の移植はその強い毒性あってのことなのではないか、と……。
もしできなかったとしたら、世界の歴史はまた相当に違うものになっていたのだろう。エルフ一強が崩れないことになっただろうから。
あと、彼らの話になるともう一つ思うことがある。
7万年前、蜂蜜はほしくとも強い攻撃性と厄介な毒を持つスズメバチに関わろうというやつはいなかった。だから俺以外の人間が刺されたという話はほとんど聞かなかったし、そんな何度も刺してやろうなんて思いもしなかったわけだが。
けれども、もしかしたらあの時代であっても痛みに耐えさえすれば、アダムやハナたちにも魔術を分けてあげられたのでは……。
そしてそうだったら、古代と古典の間にあるあの戦国時代はなかったのではないか……などと。そう、思うのだ。
まあ、エルフの魔術戦争にフィエン……サピエンスまで参加してしまって、もっと取り返しのつかない事態になっていた可能性もあるだろうけれども。
「……でも不思議ですねぇ」
「今度はなんだ?」
「だって、現代の魔獣ってみんなスズメバチの毒を使って因子を移植した品種改良の結果ですよね? つまり人為的に生み出された種なわけですよ」
「そうなるな。その方法は目下のところロストテクノロジーだが」
「じゃあ、最初からマギア因子を持ってたこのスズメバチって、何者です?」
「それは……」
確かに。言われてみれば、なんでだろう。
7万年前、彼らを使役していたときは考えもしなかったが、俺たちエルフですら、俺という特異点がなければ恐らくマギア因子を獲得できなかった。そして魔術は習得できず、そのまま歴史の闇に消えただろう。
にも関わらず、彼らは最初から自前でマギア因子を持っていた。使いこなすだけの頭脳がなかったからこそ前々世では絶滅したのだろうが、それでもそんな生物が野生にいたというのは不思議以外の何者でもないな……。
いやまあ、エルヴンヒメスズメバチが神話時代からマギア因子を保有する種だった――当時の俺たちがそれを知るすべはなかったが――ことを知っているのは、毒針の形状と同じく現代では3人しかいないだろうけれども。
「お師匠なら知ってるですかねぇ……」
「お前の師匠って何者だよ、マジで。神を殺したとかいうお人は、アカシックレコード的な概念でも使いこなせるのか?」
「…………」
「…………」
なぜ黙る。目を背けるな。
おい。
おい!?
『次週「エルヴンオオカミ」。お楽しみに』
などとやっていたら、いつの間にか番組は終わっていた。終盤は考えがまとまらず、ぼんやりと眺めているだけになってしまったな。再放送、録画しようかな?
「……けどお父。ソラ思うです」
「んー?」
「昔のならともかく、今のあの体格で『姫』はないと思うですよ。小柄な種に名付ける単語じゃないんですか、『姫』って?」
「お前の言い分は正しい。至極正しい」
かつての世界における和名と同じく、この世界でも学名の「姫」は主に小さいことを示す語だ。俺がそう教え、文字に遺し、現代までそう伝わっている。
しかしエルヴンヒメスズメバチは違う。時代を経て大型化しており、今では普通のスズメバチより若干大きいくらいなのだ。
にも関わらず姫と呼ばれるのは、要するに由来が違うのである。
というのも。
「でも仕方ないだろ、学名の名付け親が女王蜂が好きすぎる人だったんだから」
「……ナナシといい、エルフって実はとんでもない変態種族なんです?」
「俺は知らん! 俺は悪くない!」
暗黒時代の最初期。マギア因子をより安全に移植する方法を模索した某博士はまったく偉大な人だった。女王蜂を用いて移植実験を行い、無事成功。研究に新たな道筋を示したのだから。
しかし彼に関する逸話は、狂気の一言に尽きる。何せ女王蜂の針で尿道を……。
……いや、これ以上はやめておこう。マジでやめておこう。これ以上がガチで存在するし。
うん。ノクターンですらちょっと躊躇われるような逸話のオンパレードなんだ!
「あれ、でも昔お父も女王蜂にかなり好かれてたような」
「やめてくれ! 俺にそんな趣味はない!!」
どこの誰が好き好んでスズメバチと致すものかッ!!
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