第12話 とある歴史の裏舞台:太陽を喰らう狼
彼女は、それを「痴話喧嘩」と評する。
遺された記録、伝説、神話。そうしたものを総括した上で、ではない。この世でただ一人、なおも生存している目撃者であるがゆえに。
その真実を知れば、「そんなことで」と言う者もいるだろう。あるいは、「あり得ない」「信じがたい」、場合によっては「おかしい」などと口さがなく言う者もいるかもしれない。
けれども彼女は、当事者ではない連中のそんな感想など一蹴するだろう。
お前たちには関係ないです、と。
人が持つ気持ちは、正負に関係なくその当人のみが持ちうるものである。他人がどうこう言おうが、その人が苦しければそれ以上のものはないし、逆もまた然りだ。
だからこそ、どんな些細なことであっても当人たちが些細だとは思わなかったからあの結果になっているのであって、外野がどうこう言うものではない。
それが普通ではない相手に恋をし、想いを募らせ、そして悠久の時を生き続けてきた彼女の感覚だった。
とはいえ。
繰り返すが、内容の是非はともかく、それが痴話喧嘩であることは間違いない、とは彼女は思っている。
言ってしまえば、男が力づくで女を手に入れようとした。そして無事返り討ちに遭った。ただしその喧嘩の規模が尋常ではなかった。
それだけの話なのだから。
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後世に最終氷期と呼ばれる時代。その中でも比較的温暖な時期に、太陽王国は産声を上げた。
いまだ生まれたばかりの王国は、しかし優秀な王の手によって順調に育っていた。
その最大の功労者にして、王の選定者。そして同盟者でもあった名も無き女は、番の狼と共に家族の群れを率いて各地を放浪する生活に戻っていた。
空が不定期に呼び出してきて、そのたびにたくさんの重い粘土板を運び出さなければならないという仕事はある。
あるにはあるが、空はあくまで女の自主性に任せてくれていたし、誰も入れない格好の棲家も提供してくれた。何より、女に万が一のことがあったときは群れの面倒も見てくれると言ってくれたから、これくらいは構わないと思っていた。
あの堅苦しい人間たちとの共同生活を終えて、今までずっと着ることを我慢していた服を脱ぎ捨てられたのはひどく嬉しかった。煩わしい二足歩行もやめた。彼女を縛るものはもう、何もない。
あとはただ、いつ死ぬとも知れない老いた相方と共に、自らが静かに眠る予定の場所に定めた
その、はずなのだが。
今、群れを後ろにかばう女の前には、一人の男が立っている。
金とも銀ともつかぬ、不可思議な輝きを放つ剣を持つ男。女が王に選定した、建国者にして人の世の頂点。太陽王グライ=ア・ライオがそこにいる。
「一目見た時から――」
王が言う。
「――あなたのことが心から離れなかった。朝の月のような白い肌、雲一つない空のような瞳、太陽のように輝く黄金の御髪……どれをとっても、あなたは僕の理想の女性だった」
情熱的な言葉が連なる。
しかし女には、その多くが理解できない。人として生まれながら狼として育った女には、そうした美辞麗句は理解の埒外にあるのだ。
それでも女にとってグライアは戦友であり、人間の中では親しくしてきた相手である。耳を傾けるくらいのことはするし、報酬次第ではグライアの話に乗ることもしてよいとも思っている。
だが、そんな戦友相手に女は警戒心を隠さない。グライアの瞳に、情熱を通り越した危険な色が見えるからだ。女は野生の勘で、それを敏感に察知していた。
「諦めようとは思っていたんだよ? でも……あなたの家族であることが聖地へ入る条件だと言うなら、これは利用しない手はないと思って。だから、だからあなたに想いを告げたのに」
言葉はよくわからない女だが、敵意ならどれほど些細なことであってもよくわかる。人間特有の善意でできた敵意も、長く人間の隣にいたことで察知できるようになっていた。
だから女は、狼のそれと寸分違わぬ唸り声を上げる。グライアの言動の端々から滲み出る、人間特有の敵意を敏感に感じ取って。
「なのに、あなたは狼を選ぶんだね。……どうして、とは聞かないよ。あなたはどこまでいっても狼なんだってことだろうから」
グライアが目を伏せる。視線の先には、王権の証。空が女に遣わし、女がグライアを王にした、太陽を宿す神の剣。
その煌めきをもたげさせて、彼は一つ呼吸を深くつく。
「……でも、それだったら。僕が力づくであなたを手に入れてもいいってことだよね? それが野生の掟なんだろう!?」
そしてグライアは叫んだ。感情の赴くままに。
その姿は既に青年期を迎えたものながら、少年のような気配を色濃く宿していた。王が王ではなく、一人の男に戻った瞬間である。
対して女は、身構える。そして空から教わった、魔術を放つ。
言葉を持たない女が、己の意思を相手に届けるための魔術。空が念話と呼んだそれで、親子ほども年の離れた相手に淡々と告げる。
『くるならこい』
もはや問答は無用であった。
女の言葉に、様々な感情を弾けさせながらグライアが駆ける。
同時に太陽剣を介して、彼の体内のマギア因子が一斉に励起した。この世の法則に従いながらも、そのほとんどを飛び越えて、破壊の力が顕現する。
轟音を置き去りにして降り注いできた一条の輝きは、聖なるいかずち。太陽剣に認められたもののみが扱い得る、膨大なエネルギーを有した天空よりの一撃。
文字通り光の速さで落ちてくるそれを見送りながらも、グライアは確信していた。これで女が倒れるはずがないと。
事実、それを証明するかのように直後、遠吠えが鳴り響いた。
女の声だ。だが人の声ではない。魔術の乗った、魔狼の咆哮だ。
周囲の土や石が、煙となって同心円状に吹き飛ぶ。
「ああ……美しい……!」
雷をものともせずに現れた金色の人狼を見とめて、グライアは嘆息を漏らした。
人のフォルムはそのままに。しかし毛で覆われた全身に、生じた尾、鋭く強靭な鉤爪を持つに至った手足は、間違いなく人ではない。
それでも頭は人の形を、女の顔を保っていた。ただし、全身を覆う毛は顔はもちろん耳まで広がっており、傍目には人のような形をした狼にしか見えないだろう。青い瞳だけが唯一、変身前と変わらない特徴と言えようか。
これが女の魔術。後世、変身魔術という術派の元祖と呼ばれる魔術であり、空をして「そんなんありですか……」と言わしめた一つの究極魔術である。
「アオオオオーン!!」
女が吠える。直後、空気が裂けた。
その衝撃に女は疾駆で続く。音を超えて、地獄の門たるあぎとにグライアを落とさんと、猛然と。
かくして、太陽と魔狼の戦いは始まる。
太陽は狼をその手に収めんと。狼は太陽を跳ね除けんと。
両者の戦いを見届けたのは、女の率いる金色の狼たちと、いつの間にかその場に現れていた乳児だけだった。
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「……とまあ、そんな感じだったですね」
「グライアってヤンデレだったのか……」
というのもなんだか違うような気もするが。
一目惚れの女にずっと手が出せなくて諦めかけていたところに、降って湧いた口実に乗っかって告白したら見事振られて略奪愛に走るとか、初恋こじらせすぎた中学生か何かか。
「伝説なんてのも、蓋を開けて見たらこんなもんなんじゃのー。わしらも似たようなもんじゃしなぁ」
「それを言っちゃあおしまいだが……」
ド正論すぎて何も言えないじゃないか。
そりゃあ公式記録から記述が消されるわけだよ。こんなエピソード、恥ずかしくて載せられるはずがない。
しかも負けてるし。グライアってチート級の魔術師だったはずだが、やはり好きな相手に遠慮してしまったのだろうか。
「や、わりと全力出してたのにボッコボコだったですね。思わず途中で止めに入っちゃったくらいには」
「ナナシどんだけ強かったんだよ」
「たぶん今だったとしても相当強いと思うです。他人のマギア因子からも魔術使えたですし。並みのヴシルナイト程度なら
「最低でも七ツ星級か……」
下手しなくとも、下位のヴシルマスターも普通にやられそうだ。魔王かよ。
いや、暗黒時代に実際に魔王と呼ばれる宿命の子が出てくるけれども。
「いやー、超魔術の副作用が世界規模で起こるだろうとは思ってたですけど、あんな規格外が生まれるとは思ってなかったですよ」
「お前のせいかよ!?」
まさかとは思うが、歴史の大事件は大体こいつのせいじゃないだろうな!? 俺はそんな子に育てた覚えはないぞ!?
というかお前、自分を棚に上げてナナシを規格外と言うのか? たぶんお前が史上最大の規格外だと思うんだが!
「えー、お父も大概だったと思うですけど……」
「俺なんてささやかだっただろ!?」
超健康と痛み止め、他人の補助に、あとは前世の記憶の完全保持くらいしかなかったじゃないか。
7万年の時を超えて現代まで生き抜いたお前に比べたら、かわいいものだろう。どちらが主人公かは言うまでもないだろうよ。
「……ミミ、その目はなんだ?」
「いやー? わしみたいな普通の人間からしたら、どっちもどっちじゃと思っただけじゃよー」
「…………」
「…………」
確かに、チートを持っていない人間から見ればそうかもしれないけれども。
しかし納得がいかないのも事実な訳で……俺たちはなんとも言えない表情を浮かべて、顔を合わせることになった。
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