第94話 おおぞらをとぶ

「よーし、それじゃあ実験始めるですよー!」

「おーう」


 いつもよりテンションの高い様子のソラルに返事をしつつ、俺は彼女を肩車する。

 そんな俺たちの目の前には、革の寄せ集めが横たわっている。


 もとい。革で作られた気嚢きのうが横たわっている。


 そう、いよいよ飛行実験のときが来たのである。天気が悪かったり、帝王切開による出産という大イベントが挟まって、さらに史上初の双子の養育でなかなか時間が取れていなかったが、秋も間近になって、ようやく落ち着いて取りかかれる運びとなった。


 とはいえ、今回の実験は第一回目。いきなり人を乗せて実験などできるはずもなく、まずは気嚢を浮かべてみようという段階だ。

 正確に言えば、飛ぶと呼べるくらい高空まで浮かべてみよう、だな。ちなみにごくごく低空であれば、気嚢の気密性確認の段階で既に成功していたりする。


「あんなでっかいもんがホンマに浮かぶんか? どうも俺には信じられへんわ」

「そうだな。しかしあの二人なら、本当にやってくれるような気がする」

「うむ。それに、どうせなら成功してほしいのが俺の偽らざる本心だ。色々な意味でな」


 順に、ギャラリーと化したガッタマ、エッズ、バンパ兄貴である。エッズは是が非でも実験が見たいということで、今回スケジュールを合わせて帰郷している。


 各々思うところをそのまま口にしている感じだが、兄貴がキラキラした目でこちらを見ている様には思わず笑いがこみ上げてくる。

 兄貴、ああ見えて空を飛ぶというソラルの実験に村で一番積極的だったのだが……つまりは兄貴にもソラルと似たような願望があったらしい。


 まあ、兄貴の場合は単に空を飛ぶとかどうこうだけでなく、周囲の偵察などで利用したいという考えがあるようだ。その辺りはさすがに、ずっと俺の業績を肯定し、いかに活用できるかを考えてくれていた兄貴らしいと言える。


「父さんー! ソラー! がんばってねー!」

「ふふ、成功を祈ってますー」

「二人とも無理はダメなのじゃよー!?」


 チハル、テシュミ、メメと、我が家の女性陣もギャラリーとして声をかけてくる。嬉しい限りだ。


 帝王切開をしたメメだが、少なくとも今はとても元気だ。万能薬、俺の血でゴリ押した手術だったが、何はともあれ何事もなくてホッとしている。嬉しい誤算もあったし、今となってはあの一連の出来事もいい思い出になりつつある。


 そんなメメと、それにテシュミの手には、あのとき産まれた双子が抱かれている。あれだけ騒がせてくれた二人だが、今は周りの喧騒などどこ吹く風でおねんねだ。将来大きくなりそうなふてぶてしさである。

 ちなみに、どちらも女の子だった。一卵性なのか二卵性なのか、判断に困るところだ。もう少し成長してくれば、見た目でそこそこ判断できるかもしれないが……。


「コッチはいつでも行けるヨー!」


 ギャラリーより近いところで、アダムが声を上げる。彼は気嚢が浮かびやすいように、状態を整える役目だ。気嚢を手にして、準備万端といった様子。


「お父、それじゃ行くですよ!」

「ああ、いつでもいいぞ」


 ソラルが宣言する。そしてすぐに、魔術を使い始めた。


 今回彼女が使うのは、このためだけに開発した新魔術だ。俺にはよくわからない謎の理論で、謎の浮揚ガスを作り上げるというものになる。


 なぜそんなものができたのか。これは話せば長くなるので色々と端折るのだが、ヘリウムガスを作ろうとしたらなんかこうなったらしい。

 いや本当、本当なんだって。俺は至って正気だ。原始人嘘つかない。


 ソラルが言うには、ヘリウムを作るのは超難しいらしい。なんでも、ものすごく神経を使うとかで。

 そのため、できる限り効率よくヘリウムを作ろうと試行錯誤していたら、ヘリウム並みの浮揚力を持つ謎の物質が出来上がったらしい。


 こいつの奇妙なところは、念動力やバリアと同じく、使用を停止すると徐々にだがガスも一緒に消えるところにある。普通、魔術で作り上げた質量があるものは魔術を止めてもその場に残るのだが(もちろん火は燃焼物がない場合は消えるが)。

 ある意味、インスタントヘリウムとでも言うべきその場限りの謎ガス。今の所は特に問題や事故は起きていないので、今回はこれを使用することになったわけである。


「おお……!?」


 誰からともなく、そんな声が漏れ聞こえてきた。気嚢にガスが溜まり始め、少しずつだが浮かび始めたのだ。

 鎌首をもたげるように、少しずつ立ち上がって行く気嚢。そのバランスを、アダムが必死に取っている。


「ふむ……とりあえずは問題なさそうだな」

「です。続けるですよ」

「ああ」


 そう話す間にも、気嚢は膨らんでいく。その速度はかなりのもので、これまでの小規模な実験時とは違う。


 やはり俺のブースト魔術は、相当な影響力があるようだ。この規模になると、特に顕著な気がする。ここまで来ると、さすがに少しは神様とやらを信じてやってもいいような気になって来る。今後も使い続けるだろうし。


「おー……」


 そうこうしているうちに、遂に気嚢が完全に地面から離れた。そのままぐんぐんと空を登って行く。


 この段階で、周囲は完全に静まり返った。リアクションできる範囲を超えてしまったのだろう。気持ちはわからないでもない。

 今日はほぼ無風。空に浮かぶ気嚢の姿は、さながら要塞のようでもあった。


「……成功です?」

「そうだな。ひとまずは、だがな」


 ソラルに応じながら、気嚢を見上げる。


 飾り気も何もない、いろんな革をただツギハギしただけのルックスだ。けれども、それがむしろ似合っている気がする。そして何より、それがとてつもなくカッコいいものに見えた。

 取り繕っていない、ありのままのカッコよさとでも言えばいいだろうか。なんとなく、そんな気がした。


「ここまで来たら、あとは推進力だな。風を起こしてやれば、かなり動けるはずだ」

「ですね。……まだ無理ですけど」

「同時に使えないもんなぁ」

「です……」


 謎ガスの魔術は、ヘリウムを作るよりは簡単とはいえ相当な難度があるようで、使用中は他の魔術が一切使えないのだとか。推進力を得るためには、その辺りの問題を解決する必要があるだろう。


 しかしそうだとすると、このプロジェクトもまただいぶファンタジーなものになるな。帝王切開も相当にファンタジーだったが……。


 それはそれで、別に否定はしない。既に俺が相当に歴史を変えているのだ。今さらそれに魔術が加わったところで、大した差などないだろう。

 むしろ、魔術を軸にした文明や文化がこれから起こっていくのだとしたら、もっとやれと言いたい。俺がその行く先を見ることはないだろうが、そんな地球が一つくらいあってもいいじゃないか。


「……あ、お父」

「なんだ、どうした?」

「もう限界です」

「いきなりかよ!?」


 ちょっといい雰囲気だったのに! 締まらないなぁ、まったく!


「おーいみんな! ソラルがエネルギー切れだ! 気嚢が墜ちるから離れてくれ!!」


 謎ガスが、魔術の行使を止めると同時に一気に全部消えるわけではないのが不幸中の幸いだ。しかし時間は少ないので、俺は慌てて叫ぶ。


 それを受けて、ギャラリーたちは一瞬ぽかんとした顔をして、次いで隣の連中と数回顔を合わせて……それから、大慌てでその場から離れていった。コントか何かか。


 ……とかなんとかやっているうちに、気嚢が墜落した。勢いよくとはいかなかったが、それでも多少の砂埃が巻き起こる。


「……ソラル、まずは魔術の精度を上げるのが先決っぽいな」

「はいです……ショージンするです……」


 吹き抜ける砂埃から顔を守りながら言えば、気の抜けた声が降って来た。

 やはり相当なエネルギーを短時間で使い切ったらしい。魔術文明ができるとしたら、この辺りがネックかもしれないな。


 まあ、それはともかく。


「……おーい、みんな無事かー?」


 砂埃をかきわけて、みんなが逃げたほうへ足を向ける。やがて砂埃を突き抜けると、無事そうなみんなの姿が見えてきた。


「……無事そうだな」

「おかげさんでな!」


 ガッタマが、さながらツッコミのようなノリで応じた。彼に笑って手を振りながら、周りを順繰りに見やる。


「メメ、大丈夫か?」

「ん……大丈夫じゃよ。ちょっと大きめの石を踏んづけただけじゃから」


 その中で、メメが一人だけ足を引きずっていた。足元には、わずかだが血が滲んでいる。


「……そうだな、大丈夫だと思うが……」


 俺は念のため、彼女を抱き上げることにした。赤ん坊はチハルに任せて、と。

 ソラルを肩車しつつのお姫様抱っこだが、人間意外とやればできるものだ。


「ぎ、ギーロ」

「いいんだよ、俺がこうしたいんだ」

「……じゃあ、よろしく頼むのじゃよ」


 最初は逡巡したメメだったが、俺がウィンクすると察したように、にっと笑い返してきた。いつものように髪に隠れた瞳は見えないが、きっとその青い瞳は、いたずらっぽく笑っているのだろう。


「よしみんな! 今日はこれでおしまいだ! 次の実験までお開きだ!」


 周りから向けられる「また始まった」みたいな視線を吹き飛ばすように、俺は宣言する。

 それを受けて、みんなが三々五々に散っていく。もう終わりかみたいなブーイングもないわけではなかったが、アルブスは基本的にみな聞き分けがいいので、こういうときはあまりこじれない。


 そんな彼らの背中を見送りながら、俺はメメの足裏を観察する。


 そこでは……石によるらしい傷口が、高速で治っている真っ最中であった。


「……メメ」

「んー?」

調?」

「んー……ふふふ、あの日からずっと、絶好調なのじゃよ。病気も怪我もないのじゃ!」

「そうか……」


 メメの、にんまりとした笑顔を見て……それから俺は空を仰ぐ。

 いやー……まさか、実験用ウサギのゼロ番と同じように、超治癒力がメメに発露するとは思っていなかったよ。


「へへ……こんな嬉しい誤算は、初めてだよ」


 原始時代の空は……前世のそれと変わらず、どこまでも抜けるように青かった。

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