第93話 敢然と立ち向かう
「ソラル、そのまま切り開いた部分を固定しておいてくれ」
「わかったです」
メスを構え、子宮のどこを切り開くか考えながら言葉を交わす。
スズメバチの制御、胎児の行動抑制と二つの役割を任せているソラルには悪いが、ここでもう一つ役割を追加する。
切り開いた部分が閉じないよう、広げた状態で固定しておくのだ。
普通の手術なら
「切るべきは確か……下のほうがいいんだったな。この辺りを横に切るんだったか」
前世の記憶を反芻しながら、メメの体内に遂に手を入れる。さあ切るぞ……と、その前に、ちょうど子宮の手前にある臓器をそっとどかす。
サピエンスとアルブスの構造が同じなら、これが膀胱のはずだ。当然切るわけにはいかない。
「ソラル、ここもこの状態で固定しておいてほしい。できるか?」
「はいです、まだいけるです」
「よし、任せた」
チハルのように高度な魔術を使い込んでいないからか、ソラルの口ぶりにはまだ余裕がありそうだ。いいぞ、余裕があるのはいいことだ。
そして今度こそ、子宮にメスを入れる。俺の記憶が正しいなら、その前に子宮を覆う膜……漿膜をはがすはずなのだが……同時に俺の記憶には、そのためにハサミを使うと残っている。
うん、ハサミなんて複雑な器具をこの時代に以下略。仕方がないので、ここでもメスで行くしかない。
だが。
「……次のメスを!」
「はいです!」
くそう、予想以上に手間取った! 確かにこれはハサミのほうがやりやすい!
メスはこれで四本目……崖っぷちが見えてきた。
……いや、まだ慌てるような時間じゃない。この四本目で、すべて終わらせてみせる!
いよいよ子宮そのものにメスを入れる。このすぐ下にはもう胎児がいるので、普通なら傷つけないように慎重になる場面だが……俺はあえて気にせず踏み込む。
何度も言っているが、俺の血を引く子供は俺の超健康と超回復力を全員が兼ね備えている。頭をぶち抜くような致命傷でもなければ、赤ん坊であってもすぐ治る。だから気にする必要などない。ないったらない!
……焦っていることは認める。認めるが、ここまで来たらもう、俺のチートな遺伝子を信じるしかないじゃないか。
そのまましばし、子宮を切り開くことに集中する。高速で劣化していく刃に焦りが募り、時折ミスってしまう。悔しいが、これが俺の実力ということだろう。
だが現実は厳しい。畳み掛けるようにマイナス要素が襲ってくる。
「ご、ごめん父さん……も……無理……」
バリアの使いすぎで消耗していたチハルが、遂に限界を迎えてくずおれた。そのまま仰向けに倒れる。
「ちぃ!」
「ありがとうチハル、ここまでよく頑張ってくれた! あとは任せてゆっくり休め!」
倒れ込んだ娘を即座に介抱したい衝動にかられるが、ここで俺が手を離すわけにはいかない。それはソラルも同様だ。仕方なく、そのまま放置する。
というのも、チハルが倒れたことでバリアが解け始め、早くもメメの身体から出血が始まったからだ。前世で調べた知識より、出血量が多い。これはやがてもっと広がっていくだろう。もはや一刻を争う。
ここまで来たら、仕方ない。効果が発揮されると手術の邪魔になるから、できるだけ最後までやりたくなかったが……。
「メメ、口を開けてくれ!」
「ん……!」
勢いよく口の中を噛み切り、出てきた血を口移しで飲ませる。位置関係的に、結構無茶な体勢になるが仕方がない。
「うー……血の味はやっぱり、慣れないのじゃ……」
「その点についてはすまんとしか!」
にじむ程度ならともかく、結構な量を飲ませたからな……そういう感想も出るだろう。
けれど、これが一番効率がいいんだよなぁ。ゲームみたいな回復魔法がほしいよ、まったく。
ともあれこれで、バリアが解けたことで発生した出血を補える。失った血と同量の血が即座に復活することはないが、普通にしているよりは圧倒的な早さで血が造られるはずだ。
しかしさっきも言ったが、これで同時に手術で切り開いた部分も治っていくことになる。出血をこれ以上増やさない意味でも、ここからはさらなる速度が求められる。
「うわっ、お、お父!」
「……っ、やっぱり重要なところほど飲ませてすぐに治り始めるか……!」
子宮を切り開くために俺が悪戦苦闘している中、漿膜の端のほうが早くも治り始めた。取り掛かった子宮もだ。これほど間近で血の回復力が発揮される光景を見る機会は俺もさほど多くないが、改めて見るとまったく馬鹿げている。
ただ、この事態は予測されていたことだ。事前にウサギで実験していたからな。この状況はウサギでも起こったから、起こるだろうという予測を立てることは容易だった。だから備えがないわけではない。
「ソラル、練習した通りに頼む!」
「は、はいです!」
俺の指示を受けて、ソラルが固定していた開腹部をさらに押し拡げた。それなりに勢いを乗せたその行動によって、治り始めていた部分の回復が一時的に停止する。
回復が順次進むのであれば、それと同等のダメージを与えることで回復を停滞させる。それが今日までの実験で俺がたどり着いた答えだ。
もちろん、かなり強引な手段であることは間違いない。他にいい方法があるなら即座に放棄するレベルである。だが、この短期間ではこれ以上の策が思いつかなかったのだ。ある意味で、ここらが俺の限界なのだろう。
一応、ブルーメタルメスの実験と並行して行ったこの実験では、実験台のウサギたちは一匹も死なずに済んでいるが、ウサギとメメが同列なはずもない。当然、チハルが倒れる前にすべてを終わらせることが最良だったが……現実はやはり、そんなに甘くはないらしい。
この状況で救いといえば、バリアが解けたことで魔法が乗らなくなったブルーメタルメスが、劣化しなくなったということくらいか。
まあ、途中まで使っていたから、この四本目は既に相応に劣化している。五本目、最後の青銅製ブルーメタルメスに切り替え、一気に子宮を切り開く!
「よし……! 子宮が開いた……!」
ようやくここまで来た。まったく、我がことながら手際が悪いったらない。
だが、ここまで来たらあと少しだ。俺は遂に姿を見せた胎児を、複雑な心境のまま眺める。
卵膜によって覆われているため、全容がはっきりと見えるわけではない。メメの身体が小さいこともあって、なおさらだ。
しかしそれでも……二人の胎児が、狭い卵膜の中ですし詰めになっている様子ははっきりと見て取れた。
おまけによほど窮屈なのか、互いに互いを押しやろうとしている様まで見える。胎児のくせに元気だが、これは超健康の遺伝のせいかな。今のところ、その動きはソラルが念動力で押しとどめているが……。
うん。
なるほど。
アルブスの小さい身体で双子を妊娠すると、こうなるのか。そりゃあ母体が死ぬはずだ。なんだこれ、ラッシュ時の新宿駅じゃあるまいし。
「……子供産むって、大変ですね……」
そんな光景に思うところがあったのか、ソラルが顔をしかめながらつぶやいた。
俺も似たようなことを考えていたので、
「そうだな……命がけだ……」
と応じたのだが。
「うーん……お父の子供は産みたいけど、なんかいろいろ考えちゃうです……」
「……うん。今のは聞かなかったことにする」
さらっと爆弾発言をしてくれやがった。勘弁してくれ。
大体、どこの世界に好き好んで実の娘と……いたわ。元の世界にいたわ。もちろん醜聞ではあったけれども。そういう話、各地でいろいろあったわ。サピエンス怖い。
一説では、インキュバスやサキュバスはそういうところから生まれた化け物という話もあったな。親や神父など、普通であればそういうことをしないはずのことをする人間が出たときに、それはそういう姿を取って姦通する化け物がいるのだという話で辻褄を……。
って、今はをそんなことを考えている場合ではない。いかんいかん。
俺は首を振ると、改めて胎児へと目を向ける。そして、彼らと外を隔てている卵膜に、そっとメスの刃を立てた。
すると穴の空いた卵膜から、羊水が溢れ出す。溢れ……。
あふ、れ……。
「……あっさりとまったですね……」
「自重しろ俺の血!!」
即刻塞がりやがった! 確かにさっき血を飲ませたけども! 他の場所の治療が不調だからって、卵膜でその超回復力を発揮しなくたっていいじゃないか!
「くそっ、もはや容赦しないぞ!」
予想以上の回復力に、思わず三流の悪役みたいなセリフが口をついて出た。
同時に、今度はメスを、それなりの勢いで卵膜に突き立てる。ついでに、口を広げるべくメスを動かす。すると今度こそ、羊水が勢いよく溢れ出た。
しかし自然に流出するに任せていたら、また先に口が塞がりかねない。さっさと胎児を娩出してしまおう。
羊水の流出が控えめになってきたところで、切り口の中に手を伸ばす。そうして、二人いる胎児の片方のそっとつかんで引っ張り出す。
ここはさすがに慎重にならざるを得ない。メメ最優先であることは何度も言ってきたし、子供への配慮が足りない発言もたくさんしてきた俺だが、別に殺したいと思っているわけではないのだ。命が助かるなら助けたい。ただメメの無事が前提というだけだ。
しかし……いくら俺の血で赤ん坊も元気とはいえ、アルブスの赤ん坊は本当に冗談みたいに小さくて脆い。まして、この子たちはこちらの都合で陣痛が起こる前に出産に臨んだのだから、アルブス的にも未熟児。男のアルブスが少し力加減を間違えただけで、潰れてしまいそうなのだ。
メスによる切り傷はまだしも、手で触れることによる圧死や内部損傷のほうが正直何倍も恐ろしい相手なのである。
「……ふう……」
一人取り出すだけでも、かなりの精神的疲労だ。それでもなんとか一人目を引きずり出し、ソラルに預ける。
彼女は、すぐさま念動力で赤ん坊の顔に付着していた羊水を手早く取り除くと、傍らに置いてあった布で包み込んだ。
こういう脆いものを取り扱うときも、念動力は便利だ。バリアも含めて使えば、大抵のものを除外できるし。
一方それを尻目に、俺は二人目の娩出に取り掛かる。何はともあれ急がなければならない状況に代わりはない。一人目の性別すら、気にする余裕がなかった。
「おぎゃあああ! おぎゃあああ!」
元気に泣き始めたし、気にしなくてもいいだろうと判断した、というのもなくはないが。
「よし……これで、最大の壁は乗り越えたぞ……!」
一人取り出して隙間が広がったからか、二人目の娩出は比較的スムーズに終わった。
俺自身が慣れたとは思わない。それほどあっさり習熟できるような器用さは俺にはない。
「おぎゃあああ! おぎゃあああ!」
一人目と同じ手順で、ソラルに二人目を任せる。そうして二人分の泣き声が部屋中にこだまする中、俺はメメに声をかけた。
「メメ、なんとかうまくいったぞ」
「うん……元気な声が聞こえるのじゃよ……! 早く抱きたいのじゃ!」
「それはもうちょっと待ってくれ……まだお腹を閉じる作業が残ってる」
「あ、うん、そうじゃな。痛くないから、あんまりそんな実覚がないんじゃよな……」
「そこは仕方ない……。よし、ここから先は俺一人でもなんとかなる。ソラル、赤ん坊をサテラ義姉さんたちのところへ頼む。それとついでにダイチにチハルを任せてくれ」
「わかったです! でも、できるだけすぐ戻ってくるですよ!」
ソラルはそう言うと赤ん坊たちを空に浮かべたまま外へと駆けて行った。それから彼女と入れ替わりに、ダイチが中に入ってくる。
「うわっ血生臭……! ち、チハル、大丈夫か?」
「あはー……あんまりー……」
「ダイチ、すまんが見ての通りだ。俺はまだ手が離せないから、チハルを頼む。お前にしか頼めない」
「……! わ、わかったよ。まったく、仕方ないなぁ!」
とか言いつつ、少し嬉しそうなのはなぜだろうな、少年。いや、聞きはしないけども。
せっかくだ、この機会に進展させてくれ。君がヘタレでないことを祈る。
かくして、分娩室の中には俺とメメ、そしてスズメバチだけは残った。スズメバチの青い光の中で、俺は最後の仕上げに取りかかる。
「……ここまで俺の血はほとんど使わなかったから、一気にやっても大丈夫だろう」
俺はそうつぶやくと、メスで己の腕を切り裂いた。当然、相応の出血が起こる。が、別に気が狂ったわけではない。
何度も言うが、俺の血は万能薬。これさえあれば、大抵の問題はゴリ押せる。
「まずは胎盤を取り出して……」
詳しくは知らないが、これによって子宮の収縮を促すらしい。場合によっては収縮剤を投与することもあるようだ。
娩出直後でどういう認識がされるかは不明だが、ともあれこの収縮剤の代わりを俺の血に担ってもらうわけだ。
もちろん、止血と傷口の治療という意味もある。経口摂取が一番血の効果が高いことは既に述べたが、こと外傷に限って言えば、傷口への塗布が経口摂取と同等の治療効率を発揮するのである。
つまり手術後の治療においては、俺の血で対象の体内を軽く洗うのが一番なのだ。効果についても、所要時間についてもだ。それは今日までの実験で判明している。
まあ、長期スパンで見たとき、本当に一番かはまだわからない。たかだか数日の実験でしかないわけだし。そもそも他人の血が体内で混ざり合うとよくないということは、前世では常識的な話だったし、その辺りの問題がないとは限らない。
ただ、なんとなくだがその点については大丈夫なような気がしている。根拠はないが、まあ俺の血だし……。
とはいえこのあとのことは、平成の時代の帝王切開よりよほど気が楽なことには変わりない。すべての場所に渡って縫合の必要がないのだから。
あ、でも体内にものが残っていないかの確認はしないといけないが……これも現代日本に比べて使った道具が少ない分、手間と言うほどではない。
やがてしばらく経ってソラルが戻って来た頃には、既にメメの身体は元通りと言ってもいいくらいには回復していた。
「……こうやって見てると、やっぱりソラたちの血っておかしいですね……」
とは、戻って来たソラルの弁。全面的に同意である。
「メメ、身体は大丈夫か?」
「ん、今のところ大丈夫なのじゃよー!」
手術を終えて、およそ一時間くらいだろうか。完全にメメの身体から傷が消えたのを見て尋ねれば、いつも通りの笑顔とともに、こっくりと頷く彼女の姿があった。
それを見た瞬間、全身から力が抜けたような気がした。今までの努力が報われたような、そんな気がして。
わかっている。まだ油断はできない。経過を観察していかなければならない。産後に何かある可能性は、依然としてあるはずだから。
そう、わかっている。わかっているのだが……きっと、緊張の糸が切れたのだろう。
「よかった……本当に……。お前が無事でいてくれて、本当に……よがっだ……」
涙が溢れるのを、止められそうになかった。
メメはそれを見て驚いていたようだが、すぐにふっと微笑んで、俺の身体を抱きすくめた。
彼女の身体が温かい。それが何よりも嬉しくて。
俺は、ソラルの前だということも忘れて、メメを抱きしめたまましばらく泣いていた……。
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