第88話 女殺しの子供たち
多胎児。簡単に言えば、一つの母体から同時に育って生まれた子供たちのことだ。
一番人数が少なく、確率が高いのは言うまでもなく双子だが、それ以上もある。二十一世紀の世界では、各種技術の劇的な進歩もあって、三つ子以上も決してありえない話ではなくなっていた。
確かアメリカかどこかの統計で、年間の多胎児出産のうち一パーセントに満たないものの、五つ子以上の出産例があったとかいう話を見たことがある。
また記録では、サピエンスが出産できた最大の多胎児は十つ子だとか。日本ではとある六つ子が有名だが、あれはあれで意外とあり得るのかもしれない。事実は小説より奇なり、とはよく言ったものだと思う。
ともあれそんな多胎児だが、今さっき言った通り双子が一番多い。
双子には一卵性や二卵性など、性質の違いがいくつかあるが、この際それはどうでもいい。何はともあれ、サピエンスという生物種が一定以上のそれなりな確率で多胎児を妊娠することは間違いないのだ。
しかし、それがアルブスに当てはまるとは限らない。サピエンスとは異なる生物なのだから、むしろ法則性は異なって当然だろう。
そして転生してからの十四年間、村では一度も双子以上の子供が生まれなかった。だからアルブスでは多胎児は生まれないのだろうと、漠然ながらそう思い込んでいた。
だが、どうやらアルブスに多胎児は発生するらしい。過去のデータなどないし、確率がサピエンスと比べてどうか、という疑問もあるが……ないわけではないのだろう。
というか、チンパンジーだって双子が生まれるのだから、あり得ないなどと断じられるはずがない。
何より、長老の言う「女殺しの子供たち」と言う言葉からは、その可能性しか思いつかない。
つまり何人かは不明だが、とにかく複数の胎児が今、メメのお腹の中にいて。そして彼女の身体がそれに耐え切れず、悲鳴を上げているのだろう。
妊娠は病気ではない。生理と共に、生物の雌性が持つ身体の一機能でしかない。病気ではないからこそ、どれだけ俺や子供たちの血が万能薬であろうと、メメの不調が治ることは絶対にないわけだ。
実際、生理に伴う不調に対しては、俺や子供たちの血でも効果を発揮しない。一時的な改善は見られるが、原因がそのままだからすぐに元の木阿弥なのだ。
今回の事態も、少し治ったように見えて治らないのは、そういうことなのだろう。
「そして、子供を多く孕んでしまった女は死ぬ。必ず死ぬ。だから『女殺し』なのだ」
全速力でルィルバンプに戻ってすぐ。メメを移した病棟に詰めていた長老に問いただせば、俺の推測通りの説明のあとに、そんな答えが返ってきた。
予想通りではあった。今まで散々言ってきた通り、アルブスの女は小さい。サピエンスで言えば子供程度の大きさしかない。
だから彼女たちが妊娠して出産が間近になると、サピエンス的にはものすごく背徳感というか、罪悪感を覚える見た目になる。小さな身体の、お腹だけがやたらと大きく膨れるのだ。
だが、胎児が一人でもそうなるということは、多胎児だったときどうなるかというと……死ぬ。つまり、そういうことなのだろう。
なるほど、「女殺しの子供たち」とは言い得て妙だよ。
「俺も久しぶりに見た。最後に見たのは、俺がまだ子供のときで……それから一度も見たことがない」
空を仰いで、長老が言う。
彼の実年齢はわからないが、俺が転生したときから既に長老だったこの人の子供時代と言えば、最低でも三十年は昔のことだろう。アルブスにおける双子は、それほど発生しづらいものなのか。
……そんな低確率を、よりによってなぜメメが引かなきゃならないんだ。メメが一体何をしたというんだ!
なんで……なんでメメが死ななきゃいけないんだ……!
「…………」
ぽん、と長老の骨張った手が俺の肩に乗せられた。だが言葉はない。文字通りかける言葉がないのだろう。
これがメメじゃなかったら、もう少し他のことを考える余裕もあっただろう。
アルブスでも、白系と黒系で二卵性双生児の出生率は差が出るのかとか……一卵性双生児の出生率はサピエンスと同じ四パーミルなのかとか……そんなことを。
これが身内のことになると途端に心が乱れるのだから、人間とはまったく身勝手な生物だと思う。
もちろん、思ったところで冷静になれるはずがない。俺は長老を振り切るように、視線を移す。傍らで横たわっていたメメと、視線が重なった。
これまで痛みと戦っていて、乱れた髪の隙間から覗く彼女の目が、力なく揺れている。
おまけにその顔、身体は、俺がケデロシオに行く前と比べると、明らかに弱り、細くなっていた。あの健康そうな柔らかさは、だいぶ鳴りを潜めている。どれほどの負担がかかっているのか、察して余りある。
常時立っていられないほどの痛みというものは、それだけのものなのだろう。もちろんもっと直接的に、栄養の大部分を胎児に持っていかれている、ということもあるだろうが……。
「……まだ痛むか?」
「んーん、大丈夫じゃ。ギーロのおかげでもう痛くない」
俺の問いにメメはそう言うと、儚く笑った。
その言葉に、ひとまずほっと息をつく。最初のころから何気なく使っていた、痛みを消す魔術がここで活躍するとは思っていなかった。
ただ、完全に安心するなどできやしない。これは単に、痛覚を麻痺させているだけでしかないのだから。
「これならなんとか産めると思うんじゃよー。がんばって元気な子を産むから、……じゃから、そばにいておくれ。ギーロがいてくれるなら、わしは……」
「ああ、もちろんだ……何があってもそばにいる。絶対、絶対になんとかしてしてみせる」
メメの手を取って、そう告げる。
だが……告げたはいいが、俺の内心は不安でいっぱいだった。
痛覚を抑えただけで、本当にちゃんと出産できるのか? その疑念が頭から離れない。
なぜって、俺の血を引いた子供は、どんな怪我も病気もしない超健康優良児だ。その特徴は生まれたときからあって――恐らく、胎児のときから存在する。
であるならば……仮に双子であっても、通常の赤子と同じくらいの身体に育ってから生まれようとするのではないか? そう、思ってしまったのだ。
普通なら流れてしまうような胎児側の不調など、起こらないだろうから。それは依存先である母体に何か起こっても、変わらないはず。
だとしたら……と、そこまで考えて、俺はぶるりと震えた。
メメの栄養という栄養を奪い尽くし、やせ細った彼女のお腹を突き破って生まれてくる双子。そんな光景を幻視してしまったのだ。
――エイ〇アンじゃあるまいし。
そう考えて、首を振る。恐ろしい幻想を振り払うように、勢いよく。
けれども、どんなに考えまいとしても、俺の脳裏から嫌な想像が消えることはなかった。
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「……備えよう」
俺がそう決意したのは、ルィルバンプに戻ってきて半日後。メメと顔を合わせたその日の夜のことだった。
きっかけは、久々に痛みのない夜でぐっすり熟睡していたメメのお腹が、外から目で見てわかるほどに動いたのを見てしまったからだ。
なんというか、「ぼこん」とか、そんな感じの擬音が見えた気がしたよ。
そのときはもう、全身の血の気が引くのがはっきりとわかった。それくらい、生理的に受けつけない……なんというか……。
おぞましい……そう、おぞましいと感じてしまったのだ。
あれは、成長させてはいけない。させてしまったら、きっとメメを殺して生まれてくる。
そんな根拠のない確信が、俺の思考を支配した。
もしそんなことになってしまったら……俺はきっと、その子供たちを愛せない。きっと憎んでしまう。メメの命を奪って生まれてくる命を、許容できる自信がなかった。
俺にとって一番は……この世でもっとも優先すべきことは、
「メメ……愛してるよ。だから頼む、頼むから、死なないでくれよ……」
この愛しい嫁の無事だ。彼女の命を脅かすなんて、神にだって許させはしないからな!
そのために、
「――帝王切開。それしかない……!」
夜闇の中、眠り続けるメメの傍らで、俺はそう決意したのである。
妊娠が不調の原因であるならその原因である胎児を取り除いてしまえという、平時であれば絶対に考えないだろうやり方だ。だが今このときの俺の精神状況では、これが最善の方策に思えた。
まだ会ったことのない、顔も知らない、名前もつけていない子供たちには悪いが……彼らの優先順位はメメには劣るのだ。
だが、もちろん見殺しにするつもりはない。あくまでメメの命が第一なだけだ。だから備えよう、というわけだ。
……ただ、決意したのはいいが、帝王切開手術ができる気など、正直言ってまったくない。
当たり前だ。俺の前世で、そんなことに関わる機会など一切なかったのだから。産婦人科医でないだけでなく、身近で出産を見る機会すらなかったのだから、わかるはずがない。
一応、昔(第二十六話参照)少し触れた通り、彼女が一時期いたとき……あのときに先走って出産について調べまくったから、帝王切開についての知識も皆無というわけではないが……。そんな生兵法以下の知識で一体どれほどのことができるものやら。
「おまけに道具もないし……」
一応、金属器はあるから切除などはとりあえずできるだろうが……逆に言うとそれしかない。消毒も煮沸がせいぜい、布も十分ではなく、わずかでも知識のある人間は俺だけ。挙げ句の果てにほぼぶっつけ本番だ。
これで帝王切開とか、前世のあらゆる分野の医者全員が俺をぶん殴って止めるだろう。あまりにも無謀すぎる。
俺の血が万能薬足りえるから、縫合や傷口からの感染などに気を配る必要性が限りなく低いことだけが、前世に勝っている点か。それも必要な量によっては俺の命に関わるから、限度はあるが……。
ともあれこの無謀を、胎児が育ちきるまでのわずかな時間でどれだけ無謀から遠ざけられるか。それが今の俺の課題だ。
もちろん、どれだけ無謀だとわかっていても、やめようとは微塵も思わない。これ以外にメメを助ける方法がないのだから。
そして翌日。俺は早速行動を開始した。メメのそばから離れられないから、人を使ってだが……。
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