第87話 始まったカウントダウン
アルブスの記憶力に関する仮説を思いついた翌日。俺は昨日一日を使って得られた成果を、粘土板に清書していた。
ケデロシオの人口は総勢七十人ほどで、うちアルブスは五十人程度。実際に神経衰弱で実験ができたのはその半分くらいだが、既になかなか面白い結果になっている。
昨日最初に神経衰弱をプレイした若手たちのような、かなりの記憶力を発揮した者がそれなりの人数に上ったのだ。具体的には、実験をすることができた人間の約三分の二といったところか。
そこに男女による差は見られなかった。そもそもの男女比が男に偏っているので、所見者の男女比も男に偏っているのだが……二つの男女比はほとんど値が変わらなかった。だからこの能力については、性差はほぼないとみていいだろう。
ただ、年齢による違いはまだ不明だ。
これについては、ルィルバンプでなければデータを得ることは難しいだろう。ケデロシオは開拓間もない村で、その分年長者がほとんどいないからな。
「……問題は、こういう記憶力を発揮しなかった人間だが」
ひとりごちながら、メモ書きに使っていた小さい粘土板を手に取る。
そこに書かれているものは、記憶力で他より劣ると判定した残り三分の一側の勝率だ。ただし神経衰弱だけではなく、七並べの勝率も一緒になっている。
「……心理戦になると、こっちのほうが強いんだよな」
うーむ、とうなりながら頭をかく。
そう、記憶力で他より劣っていた連中は、一方で心理戦には強かったのである。
これは興味深い結果だ。なぜなら、記憶力に優れた連中は逆に心理戦に弱かったから。まるであちらを立てればこちらが立たず、とでも言うかのような様子だ。
となってくると、この二つの能力はある種の相関関係にあると見ていいような気がする。
いや、まだ結論を出すには早いと思うが……種族全体の傾向として、そういうのがあるという仮説はどうも正しそうなんだよなぁ……。
「しかし極端な種族だな、アルブス。サピエンスに比べるとあちこちとがりすぎてる」
外見や筋力もそうだが、まさかこういう内面的な部分でもそんな傾向があるとは。
そりゃあ絶滅もするだろうよ。記憶力がいいだけで生き残っていけるほど、原始時代は優しくない。もちろん、ある程度は優位に働くだろうが……決定打になるものでもないと思う。
というか、この記憶に関する傾向。初めてアダムに出会ったとき(第五十六話参照)、彼と比べてアルブスは好奇心や探求心が薄い気がすると考えたことがあるが、もしやここにも関係していやしないだろうか。
だとしたらなんというか、アルブスはサピエンスよりも随分と動物的な気がするが……。
そう考えると、前世でアルブスが絶滅したことは必然だったとすら思えてくる。好奇心や探求心に欠けると言うことは、創意工夫に繋がらないということでもある。それはサピエンスと相対するときにおいては、とてつもなく不利だろうし……。
「……俺ごときじゃ絶滅回避は無理だな、こりゃ。とりあえず俺が生きている間はそこそこに繁栄させられるかもしれないけど……」
そこで、ついため息が口をついて出た。
転生した当初、俺は死にたくないと思ってあれこれあがいていた。それから少し経つと、一人でみじめに死ぬのも嫌だからと、種族そのものを繁栄させてしまおうと考えるようになった。
今の目標は、家族に囲まれて穏やかに死ぬことだ。そしてそれはたぶん、今の感じなら叶えられるとも思っている。
しかしその先となると、どうなってしまうだろうか?
なんだかこの感じで行くと……まだわりと絶滅しそうじゃないか?
「自分が死んだあとのことなんて責任を持てるものでもないが……」
アルブスに生まれ変わってもう十年以上が経って、俺も相応に情が移っている。これだけやってきたのだから、絶滅してほしくないという思いもある。
あとは野となれ山となれと流してしまうのは、どことなく後味が悪いというか……。
「……できることとしては、やっぱり技術白書や全史黒書の精度を上げるくらいかなぁ……」
創意工夫が苦手でも、指針があれば……ある程度道筋がついていれば、なんとかなるのではないだろうか。
そしてそれなりのところまで文明が発達すれば、とりあえず種族としての絶滅はおおむね避けられるのではないだろうか。
……今度ルィルバンプに帰ったら、一度最初から全部見直してみるかな。何かしら抜けとか不備もあるかもしれないし。
……とはいえ、最大の壁は知識がどうこうというより、寿命だろう。書くべき情報が多すぎる。
「生きている間に全部終わらせたいところだな。できるかどうかはわからないけど」
というか、そもそも技術白書にしても全史黒書にしても、二十一世紀初頭以降どうなるかがわからないから、途中で止まらざるを得ないのだけども。
文明の行き着く先がわからない以上、どうやったところで二つとも未完で終わらせるしかないんだよなぁ。
そういう意味では、この二つの本が限界まで書けたとしても、アルブスの滅亡を七万年ほど遅らせるくらいしかできないかもしれない。指し示すものがなくなった途端に文明が瓦解してしまうのでは……ってこれ、ある種の超古代文明説だな。
後世の人間にとってはロマンかもしれないが、後世に託す側としてはやはり滅亡はしてほしくない。二つの本は、最後をどこで切るか、どうやって終わらせるかをしっかり考えておいたほうがいいかもしれない……。
《っしゃーおらあぁぁー!!》
「……は?」
粘土板を前にうなっていたら、彼方から狼の鳴き声が聞こえてきた。しかも聞き覚えのある鳴き声だ。
「……遂に俺の身体にも不調が来たかな……。ゴウの声が聞こえた気がするけど……」
それもなんというか、ランナーズハイ的な、ハイテンションなのにどこか切羽詰まった様子がある声で……。
いやいや、さすがにそんなことはないだろう。ホームシックをこじらせた幻聴に違いない。
ゴウがいるのはルィルバンプで、ここはケデロシオだ。いくら匂いを追跡できる狼とはいえ、一匹だけでこの距離を移動するのは……。
「父さぁぁぁーーん! いるーーッ!?」
だが、今度はチハルの幻聴が聞こえた。明らかに俺を呼んでいる。
「父さぁぁぁーーん! どこーーッ!? 」
「……まさかこれはリアルか!?」
しかも声が近づいてくる。
俺は信じられないと思いながらも、慌ただしく家の外に出た。
「あっ、父さん! いたぁ!」
「チハル!?」
リアルだった。家を出たところで、狼……つまりはゴウに乗ったチハルとばったり出くわした。
そして彼女は、ゴウに騎乗したままこちらに突っ込んで来て……。
「やったー会えたー!!」
「ごっふぅ!?」
勢いを一切殺すことなく、むしろさらに加速をつけてゴウの背中から飛び込んできた。
俺の動体視力や運動神経は並み以下なので、砲弾と化したチハルを見てかわすなどできるはずもない。かといってよけるという選択肢もあり得ず、さりとて俺が受け止めきれる速度を超えていた。
結果として、俺は腹に娘を食らって吹き飛ぶという、ギャグマンガみたいな姿を披露することになった。
「ち……チハル、す、少しは加減をだな……」
「ご、ごめんね!? ここまでずっと走って来たから、つい……!」
「他のやつにやるなよ……。特に今のはわりと冗談抜きで砲弾……あー、いや、マンモスに突進されたみたいな威力あったから……」
「は、はーい」
ちなみに砲弾を食らったことはないが、マンモスに突進されたことはある。原始人をやっていたらきっと誰もがそれなりに遭遇しうる事態だろうし、別に何もおかしくはない。おかしいのはそれが治る俺の身体だけだ。
……いや、それはともかくだ。
「……それで? なんでここまで来たんだ? 見た感じ……」
立ち上がりながら周囲を見渡してみるが、他にそれらしい人影は見当たらない。チハルがいるなら、少なくともソラルはいてもおかしくないと思ったのだが……。
「……お前……と、ゴウしかいないみたいだが」
「あっ、うん! ボクとゴウだけで来たんだ! それが一番早く父さんに知らせられるからって! ダイ兄さんなんかはすごく反対したけど……ホウレンじじいがとにかく急げって言うから……」
「……とりあえず、お前たちだけということはわかった」
質問に答えてくれたのはいいが、それだけじゃ済まなさそうだな? 何やら不穏な空気を感じるぞ。
「……まあ、中に入れ。どうも長くなりそうだ」
そう思って、チハルたちを屋内に入れようとしたのだが。
「ダメっ! そんなことしてる場合じゃないんだ! メメ母さんが危ないんだ!」
と血相を変えたチハルに言われてしまったら、確かにそんな悠長なことは言っていられない。
気がついたら、俺はチハルの両肩をつかんで恐喝するような体勢になっていた。
「……どういうことだッ? 今、メメが危ないって言ったか!?」
「う、うん!」
だが、チハルはそんな俺におびえることなく、はっきりと頷いた。
そして直後に、はっきりと……言った。
「メメ母さんが……このままだと、し、死んじゃう、って……」
――心臓が止まるかと思った。
いや、たぶん、一瞬確かに、俺の心臓は止まったと思う。
チハルの言葉は、それだけの破壊力があった。
「……わかった。すぐに帰る、昼には出る」
だから俺は、そう言って踵を返した。
その声は……自分でもはっきりと感じられるほどに、震えていた。
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俺はそのあとすぐさま準備を整えると、アインやハナたちケデロシオの面々へのあいさつもそこそこに、村を発った。宣言通り、真昼のことだった。
村を出てからは、ルィルバンプを目指してひたすらに走り続けた。
全速力と行きたいところだったが、もちろんそんなことはできるはずがない。前世の長距離走に関する記憶を掘り起こしながら、できるだけ一定のペースを保ったまま走り続ける。
そんな俺の隣を、チハルを乗せたゴウが並走する。子供とはいえ、人ひとりを乗せた状態で並走し続けられる体力は、さすがと言ったところか。
そうやって二人と一匹で、ルィルバンプに走る。メロスもかくやといったハイペースで走り続けた。
ただ、さすがに子供を連れて夜中も走り続けるわけにはいかない。ゴウのこともあるし、俺だって本来体力に自信にあるほうではないから、どうしても休憩は必要だった。それに、走りながら深刻な会話はいくらなんでも無理だし……。
というわけで、休憩および夜営の時間は事情を聞く時間となった。
「あのねっ、父さんがルィルバンプを出た三日後にねっ、いきなりメメ母さんが倒れたの! えっと、気絶したとかそんなんじゃなくて、身体が痛くて痛くて立ってられなくって!」
初日の夜。焚火とその周りで横になったゴウをしり目に、俺の膝に座ったチハルが切々と語る。
わかってはいたことだが、話を聞けば聞くほど焦りが募ってくる。
「身体が痛い……? ケガをしたとかではなくか?」
「うん、そういうのはまったくないんだ……」
「……ということは、病気か」
とは言ったが、身体が痛む病気なんて種類が多すぎて特定などできない。
まあ、この際病気が何なのかはどうでもいい。どうせ病気なら、俺の血を飲ませれば解決する話だ。
そう思って、ようやく俺の心は少し落ち着いたのだが……。
「ううん、それが病気じゃないみたいなんだ」
そうは問屋が卸さなかった。
「……どういうことだ?」
「絶対病気だよって思ったから、ボクもソラも血を飲ませたんだよ! でも全然痛みが消えないんだ! だからたぶん病気じゃないんだよ!」
「……なんだって?」
血でも治らなかった、だと? そんなバカな。俺と俺の子供たちの血で治らないものがあるなんて!?
……いや、その前に、だ。
「待て、その前に、なんで血を飲ませたんだ?」
「え? だって父さんやボクたちの血は万能薬なんでしょ? ソラが言ってたよ?」
「…………」
ば、バレていたのか。できるだけ知られないようにしていたはずだが……。
「え……えっ、あの、ち、違うの?」
「い、いや……違わない……違わない、が……ソラルはそれをどこで?」
「いろいろって言ってたよ。きっかけは父さんがホウレンじじいに血を飲ませたの見たからって……」
「……マジか……」
見られていたのか……。
……そういえば、俺が血を長老にあげるときとかに、チハルとソラルがひそひそと話をしていたが……あれはそういうことだったのか?
周りに聞こえないようにしてくれていたのは、子供たちなりの配慮なのか、それとも俺の行動から自然と察してくれたのか……。
「あの……えっと、もしかして、知らないほうがよかった……?」
「あー……いや、まあ……まあ、今はいい。今はそれどころじゃないから。その話はあとにしよう」
そうだ。そういう話は、すべて終わってからだ。
……もちろん、大団円に終わってからだとも。メメを死なせてなるものか。
「……それで? 血を飲ませても治らなかったと」
「あ、うん……。や、でも、えっと、ほんとはまったく治らないわけじゃないんだ。血を飲ませてからちょっとはね、大丈夫になるんだ。でもしばらくするとまた痛い、痛いって……」
「…………」
またよくわからない症状だな……。
いやまあ、痛覚自体は生来人間(というか、ほ乳類全般)が持っている生き物としての機能の一つであって、病気ではない。その機能自体は血でどうにかなるものではないから、痛みが収まらないこと自体はわからないわけではない。
それでも何もなければ痛みなど生じないわけで、その原因部分は俺と俺の子供たちの血があれば治せるはずなのだが……。
「でね、誰もどうすればいいのかわかんなくって……でも話を聞いたホウレンじじいが、このままだと死んじゃうからとにかく父さんを呼び戻せ、って」
「……長老が? そういえば、ケデロシオでも長老が急かしたみたいなことを言っていたが……」
「うん。ボクはよくわかんなかったんだけど……なんか、女殺し? の子供たち……とか、なんとかって……」
「子供……『たち』……?」
それは……まさか、もしかしてとは思うが。
いやでも、確かに。そうだったとしたら、病気ではない痛みの意味も、説明できる。
そういうことか? そういうことなのか?
転生してからの十四年間で、一度も見たことがなかったからアルブスではないものだと思っていたが……。
あるのか。
アルブスでも。
ある、のか。
――多胎児が。
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