第89話 二十一世紀への挑戦 上
さて、帝王切開をすると決めた俺がまず行ったのは、ナイフの調達だ。
メメのお腹を切り裂くのは業腹だが、それをしないことには始まらない。そしてどうせやるなら、切れ味のいいものでできるだけ手早く済ませてしまいたい。色んな意味でな。
というわけでナイフだが……ここは貴重な鉄器を遠慮なく使ってメスを作ることにする。
十年前に落ちてきた隕鉄以来、鉄の調達はあまりできていない。なのである程度残して、あとはそこらで調達できる青銅がここでの金属器のメインだ。
このストックを、惜しむことなく使う。これでメスを作る……もとい、アダムに作ってもらう。
使っていいのかって?
構うものか。どうせ鉄の使い道がわかる人間はほとんどいないんだ。ここで使わずいつ使う。
「形はこんな感じで……大きさは……」
メスの形状を伝えると、アダムは早速興味深そうに数回頷いた。
大体の分野に渡って技術を持つ上に、未知のものに対する好奇心が人一倍強いアダムは、こういうときこそもっとも頼りになる男だ。
「フムフム、なるほどネー。普通のナイフとは、ちょと違うンダ?」
「用途が限定されたナイフだからな。特化してるというか」
「一つで色んなコトできたほうが、便利じゃナイ?」
「それも否定しないが、道具ってのは多くの場合、万能より特化のほうが有用なことが多いかな。特に最高の仕事を求められるときなんかは」
「そういうものカナー」
そもそも道具の種類が少ないから、普段の原始暮らしの中では万能系の道具のほうが有用な場面は多い。十徳ナイフがほしいと思ったことは、一度や二度ではないし。
ただ、今回はことがことだ。他に使う予定はないし、何よりできるだけ知っている形に近づけておきたい。ただでさえ知識がないので、できるだけ見知った動きをしたいのだ。
「じゃあ取り掛かるケド……そらるチャンに手伝ってもらっていいヨネ?」
「ああ。ソラルもいいな?」
「はいです。お母のためなら、なんだってするです!」
えへんと胸を張って答えるソラル。
彼女の今回の仕事は、ずばり火力の確保と維持だ。魔術によって薪などのコストを必要としないのだから、適任だろう。
アダム共々、新しいものに興味津々だし、そういう意味でも適任だと思う。
「じゃあボクは?」
「研究室から記録を持ってきてほしい。ものは血についてのものと、お前たちがやっていたバリアの魔術と、それから……」
チハルはあいにくソラルのような魔術は使えないが、前(第六十二話参照)に少し触れた通り、こと念動力に限ってはソラルより上手い。今回はそっち方面で活躍してもらうつもりだ。
「わかった、すぐ持ってくるね!」
大きくチハルが頷いた。
と、そこに、
「やってるな。俺にも手伝えることはないか?」
「兄貴」
バンパ兄貴が現れた。そして、なぜかばつが悪そうに口を開く。
「任せておけと言っておきながら何もできなかったからな……何か少しでも役に立てればいいんだが」
「いや、今回は誰が悪いってことじゃないから。兄貴が自分を責めることないてないよ」
「それでは俺の気が済まない」
相変わらず義理堅い人だ。そういう人だから、みんなから慕われるわけだが。
とはいえここで兄貴の申し出を無下にしても、誰も得しない。素直に何かをお願いしたほうがいいだろう。
「じゃあ、アダムを手伝ってほしい。特に力となると、さすがのアダムもちょっと見劣りするからな……」
「鉄を鍛えるのだったか? なるほど、確かにあれは力がいるな」
「ああ。頼めるかい?」
「お安い御用だ。……ただ、鉄のことは正直あまりわからん。アダム、指示を出してくれ」
「ハイよー、任せといてヨネ!」
アダムとソラルに、兄貴が加わったら怖いものなしだな。色んな意味で。
「みんな、よろしく頼む」
そして俺は、自然とそう言って頭を下げていた。
降ってくるみんなの肯定が、とにかくありがたかった。
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「んう……おはようなのじゃ……」
「おはようメメ。……って言っても、もう昼近いが」
チハルに運び込んでもらった大量の資料を元に、あれこれとやっていたところでメメが起きた。今言った通りそろそろ昼だが、完全に爆睡していたようだ。
それを見て、整理を手伝ってもらっていたチハルが、「ご飯持ってくるね」とだけ告げて病棟から出ていった。
「……ほんとじゃ。寝すぎたわい……」
大あくびをかましながら、後ろ頭をかくメメ。
恐らく、ここ数日はろくに眠れていなかったのだろう。基本的に太陽と共に寝起きする生活をしていると、昼まで寝るなんてそうそうないのだ。
命に関わる事態だし、それについて何かを言うつもりはないけども。
「本当によく寝てたよ。いい寝顔を見せてもらった」
「ちょ、恥ずかしいことせんでくれ!?」
「ごちそうさまでした」
「も、もー! またそうやってわしをからかう!」
「いや、かわいくてつい」
「あうう……」
俺の言葉に、メメが両頬に手を当てて赤くなった。相変わらず、ストレートな褒め言葉に弱い子だ。そしてわかりやすい。
そこがかわいいのだが。ついでにからかいたくもなるのだが……。
「ご飯持ってきたよー!」
「おう、ありがとう」
そこにチハルが戻ってきた。土器ごと食べ物を運んできているが、やはり念動力って便利だなと改めて思う光景だ。
「えへへ、せっかくだから父さんとボクの分も持ってきちゃった。一緒に食べてもいいよね!」
「ああ、構わないけど……他の子たちは?」
「サテラおばさんとか、ケイジャおばさんとか、ハヴァおばさんたちと一緒に母さんがなんとかしてたよ」
「そうか……あとで礼を言っておかないとなぁ」
「まったくじゃのぅ……わし、迷惑かけてばっかじゃ……」
「誰かが悪いわけじゃないんだから気にするなよ……って、兄貴にも言ったな、これ」
思わず苦笑する。みんな責任を感じすぎだよ。
「はむ……うむ、そうするのじゃよ。……それで? そう言うギーロは、またなんか難しいこと考えとるんじゃな」
「お前に何かあったら、俺は生きていけないからな」
「…………」
あ、また赤くなった。今のはからかったわけではなく、心からの本音なのだが。
……でも咀嚼はやめないのな。そんなに腹が減ったか。
いやまあ、それは俺もなのだが。
「え、ちょ、二人ともそんなに食べるの? ボク結構持ってきたつもりだったけど……」
「あ、すまん。今ずっと魔術を使い続けてるから腹が減って仕方ないんだ」
「あー……」
俺の言葉に、目を遠くしながらも頷くチハル。
そう、俺は今、メメの痛みを消すために常に魔術を使っている。おかげで腹の減り方が尋常ではない。
最初チハルたちの魔術を説明したとき(第六十二話参照)にカロリーを消費するらしいと言ったかと思うが、まさにそのせいである。魔術のコストがカロリーのみというのはあまりにも低コストだが、やはりずっと使っていると堪えるものだ。
……ちなみに今回初めて知ったが、魔術は眠るなどして意識を失うと、効果を失うものとそうでないものに分かれるらしい。ゲーム的に言うと、アクティブスキルとパッシブスキルみたいな違いだろうか。
チハルたちが使う念動力は、使用者の意思がはっきりしていないと使えないらしい。反面、俺の痛覚遮断はパッシブスキルのようで、俺が眠っていてもメメを守り続けることができた。
より正確に言えば、バフデバフ系の一定時間効果を発揮するタイプかな。それも任意で効果の出方を調整できる、やたら融通が利くやつ。これもチートの一種だろうか。
まあ、いずれにしても、朝起き抜けに超空腹になっていることに変わりはないと思うが。
「じゃあもっと持ってくるね」
「すまん」
「ありがとうなのじゃよー」
苦笑しながらチハルが再び出ていった。
……メメの空腹は俺のように恒常的なものではないが、まあ、余ったらもらってしまおうかな。
「もぐもぐ……それで? 今度はどんなことをしようとしておるんじゃ?」
「ん……帝王切開だ」
「テイオーセッカイ?」
食べ物で頰を膨らませたまま、メメが首を傾げる。
……食事中にしていい話かな、これ。
いやでも、どういうことなのかは教えておくべきか。インフォームドコンセントは大事だ。
「……気分が悪くなるかもしれないが、聞いておいてくれ」
「ん……うん」
「帝王切開というのはぶっちゃけて言えば、妊婦の腹を切り裂いて、赤子を取り出す出産方法だ」
「……は?」
ぶっちゃけた俺に、メメが素っ頓狂な声を上げて固まった。
まあ、そりゃそうか。そんな発想、この時代にあるわけがないし。
しかし硬直しているのをあえて見逃し、話を進めようと思う。
「もちろん普通はしない。普通に出産するのが難しいときに、緊急的にする方法だ」
「…………」
「今のままだと、恐らく子供が生まれるよりも前に、メメの身体が耐えられなくなる。だからそうなる前に、子供を取り出そうと……そういうことだ」
「…………」
いかん、まだ硬直している。インパクトが強すぎたか。確かに今回、腹を切り裂かれるのはメメだし……。
「メメ?」
「あ。あ、あー、うん……その、なんていうか……」
視線を左右に泳がせ、口ごもり、そのあと控えめに上目遣いになったメメは、続けて、
「……まじ?」
とだけ言ってきた。その顔色は、少し悪い。
その様子に、ばつの悪さを覚えながらも俺は断じた。
「大マジだ」
直後、メメの瞳が見開かれた。……ような気がした。
「……そ、それ……やらにゃいかんのかのぅ……」
「わかってる。だからなんというか、俺が今やってるのは備えだよ」
「そ、そうか」
ほっと安堵の息をつくメメ。
……昨夜の段階で、既に俺の中では帝王切開は確定事項ということは黙っておこう。騙しているみたいであれだが、自分の命より子供を優先していいと言われたら、互いの優先順位の是非で口論になるだろうし……。
個人的には、ある程度早い段階で帝王切開に挑んでおきたいのだが。確かに自然分娩で行ける可能性もまだ否定はできないものの、分娩中などに「やっぱ無理!」となって帝王切開に切り替えるのとでは、俺たち周囲だけでなく、メメ本人にとってもだいぶ負担に違いがあると思うのだ。
うーむ、どうやって説得するべきか……うーむ……。
「にしても、ギーロが備えていてくれるなら、万が一何かあっても安心じゃな」
「え……あー、うん。絶対に助けてみせる」
「うむうむ、わしは信じておるのじゃよ!」
「おうとも」
……今までほとんど失敗してこなかった分、信頼が重い!
答えたはいいけど、で、できるかな……マジで……。この原始時代に帝王切開で母子ともに救うって、難易度ルナティックどころの騒ぎじゃないぞ……!
いやでも、まあ、それでメメの精神状態が安定するなら、俺はいくらでも大口を叩くさ。そもそも諦めるつもりなど毛頭ないし、いざとなったら俺はやるしかないのだ。
「ただいまーご飯追加持ってきたよー」
「おう、ありがとうな。チハルももうちょっと食っておけ」
「え? ううん、ボクはもう結構おなかいっぱいだよ」
「いや、昼からはお前にも魔術を練習してもらうつもりでいる。いつもより早く腹が減るだろうから、食べておいてくれ」
「え? ほ、ホント? ボクにもできること、あるの!?」
「ああ。恐らくだが、今回の件はお前が重要な役割を担うことになるはずだ」
「え、えーっ、ボクが!? ソラじゃなくって!?」
「ああ。……いや、ソラルももちろん重要だが。俺の見立てでは、お前のほうがより重要度が高くなると見ている」
「そ、そうなんだ……!?」
魔術らしい魔術が不得意な自分にスポットが当たるとは思っていなかったのか、妙に感動した様子でチハルは両の拳を握り締めた。
それからキリッと表情を引き締めると、一回大きく頷いて飯に手を伸ばす。
「うん、ボクがんばるよ!」
と言って、がっつこうとしたようだが……十数秒後にはもうげんなりしていた。
うん……まあ、なんというか、あれだな。思っていた以上に満腹だったらしい。
仮に食べ過ぎても、俺たちの超健康体質は体調不良を許しはしないが……入らないものは入らない。
「あっ、でも魔術を使いながら食べれば行けるんじゃ……!?」
そして遂には目的と手段が逆転し始めた。本末転倒である。
「いや、それは意味がないから……やめておきなさい」
「……はーい」
そしてチハルは、残念そうに食事を切り上げた。
……俺もそろそろ、飯は終わりにしておくか。
さあ、練習を始めよう。魔術の力と、科学知識を融合した手術の練習だ。
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