第75話 第三の人種
二十一世紀の地球において、人間と呼べる生物はホモ・サピエンスただ一種のみだ。
しかしかつて、この地球上には複数種類の人間がいた。それも、同じ時代の違う場所に、同時にである。
彼らは様々な理由で二十一世紀まで生き残れなかったわけだが……。ではいつまで複数の人種が併存していたのかと言えば、二十一世紀からさかのぼることおよそ二万数千年前までは、ほぼ間違いないと言われている。
つまり今俺がいるこの七万年前の時代においては、ほぼどころか百パーセント、世界のどこかにサピエンスとは異なる人種がいると断言できるはずなのだ。もちろん、前世で記録に残っていなかったアルブスは除いたうえで、だ。
だから実のところ、いつかどこかで、まったく見たこともない人種と遭遇する可能性はあった。この時代の人口から言って確率はかなり低かったが、それでもゼロではなかった。
そう言う意味では、今回サピエンスでもアルブスでもない人種と遭遇したのはある種の奇跡なのだが。それはそれとして、こんなところでいきなり遭遇するとも思ってはいなかったわけで……正直驚いている。
というのも、だ。
「頭が大きい……。しかも後頭部が膨らんでいて、前後に長い顔……。大きくて高い鼻に……眉のある部分がひさしみたいに突出している……これって……」
ネアンデルタール人……だよなぁ……?
もちろん、俺の知識はあくまで一般人が知りえる程度のものでしかない。二十一世紀で生きているネアンデルタール人に遭うことなど絶対にありえないから、化石から推測された、世間で一般的とされている情報が正しいかも定かではない。
しかし少なくとも、今俺たちの前で後ろ手に縄を打たれて転がされている連中は、俺の知識の中にあるネアンデルタール人の特徴とほぼ一致する。
それでも間違いないと断言できないのだけども……かといって、いつまでも呼び名がないのもやりづらい。ここは暫定的にだが、こいつらをネアンデルタール人と呼ぶことにしよう。
……ネアンデルタールという名は化石が発見されたドイツの地名に由来するので、この場合呼称としては相応しくない。
だが、他の名前にしたらしたでややこしいのも事実。
なのでいささか強引かもしれないが、前世の知識をそのまま当てはめることにする。
彼らはネアンデルタール人。そうと決めた。
「やはりアダムたちとは違うのか?」
「たぶんだけどな……兄貴もそう思ったのか」
「まあ、見た目からしてな……」
そう言って、捕虜を一瞥するバンパ兄貴。
うん、確かに。顔、というか頭の造詣が骨格レベルで違うもんな。顔つき自体も、ネグロイド系サピエンスのアダムとはまた結構違う。
肌の色は白。ただし、日焼けが進んでいるのだろう。全体的に赤みがかっている。この雰囲気は、コーカソイドのそれに近い。
体格はといえば、がっしりとしていてサピエンスよりも立派だ。男のアルブスと通じるところもあるが……アルヴスと比べるとどうしても劣って見えてしまう。
何せ、身長がアルブスほど大きくない。サピエンスと同程度か、下手したら小さいくらいではないかと思う。
また、髪の毛や髭、あるいはその他の体毛が伸びるままになっている点は、アダムと同じだが……その色は金、あるいは茶といったところだ。
これも、俺たちアルブスの毛の色とはかなり違って、くすんでいるので劣って見えてしまう。この辺りは、外見にやたら気合を入った種族のアルブスと比べることが間違っているだろうが……。
アルブスって、やはりとんでもない生物なのだなと改めて思う。個体の強さが半端ない。これで絶滅したのだから、世の中わからないものだ。
いや、今でも男女比は男にだいぶ偏っているから、絶滅の理由は明らかなのだけども。
ちなみにネアンデルタール人たちの美醜については……うん、個性的と言うに留めておこうか。
「それじゃ、交渉してみる」
「頼む」
とりあえず見た目からわかることは大体見たので、本題に入る。
まず俺は、能力の有効範囲内に入るため、単身ネアンデルタール人たちに近づいた。
当たり前だが、ものすごく警戒される。というか、半分以上に怯えられた。
そうだな、男のアルブスって怖いよな。でも俺はアルブスの男としては、底辺レベルの強さしかないんだ。だから大丈夫だよ……。
……っと、来た来た。頭の中に、まったく見知らぬ知識が涌いて出てくる。
ものすごく久しぶりに味わうからか、違和感がすごい。ゼロからイチが生まれるって、わけがわからないよな。
……って、語彙少なっ! 違和感の正体ってこれか!?
狼たちよりも豊かではあるが、アルブス語と比べるとものすごく乏しい。アダムたちサピエンスの言葉と比べても、結構乏しいぞ。
これで会話をするとなると……。
『俺タチ、敵、チガウ』
こんな感じで、完全に片言になってしまうのだが。
いや、これはこれで原始人らしいなとは思うが……この程度の語彙で意思の疎通を図るのは難しい。これは難航するかもしれない。
『!? オマエ、俺タチ、ワカル!?』
しかし、俺の懸念とは裏腹に、一人の男が驚きながらも反応してくれた。
とりあえず、言葉の習得自体は問題なくできているわけなので、そこはひとまず安心かな。
けれど……なぁ。ここからどうやって説明するかなぁ?
『ワカル。ダカラ、ハナシ、スル』
無難なのはこのくらいの答えかな……。
と思っていたら、
『タノム! シヌ、イヤダ!』
ものすごく必死に懇願されてしまった。
まあ、それもそうか。アルブスの男たちの戦闘力を嫌と言うほど見せつけられれば、そうもなる。何せリアルマッ○マックスだ。
それにいくら弱肉強食の過酷な原始時代とはいえ、好き好んで死にたいやつは誰もいないだろう。生きて虜囚の辱めを云々という概念も一切ないだろうし。
彼らがそういうつもりなら、少しは話も聞きだしやすそうだ。
『オマエタチ、俺タチ、オソッタ。ナゼ?』
まず何はともあれ聞きたいのは、この点だ。
彼らにそのつもりがあったのであれば、俺たちは彼らを明確な敵として対処しなければならない。
しかしこれが、彼らと俺たちの文化、知識の違いから来る擦れ違いなら話は違う。誤解を解く必要が出てくるし、場合によっては共存も視野に入れて考える可能性も出てくるかもしれない。
だからこそ、最初の意思確認は重要だ。
そしてその返事はと言うと……。
『オソッタ、チガウ! オマエタチ、オソッタ!』
おっと……これはまたややこしくなりそうだぞ、と。
とはいえ、まだまだスタートラインに立っただけだ。もっと話を聞きださなければ。
ということで、内心でため息をつきつつ、あれやこれやと質問攻めにした結果、彼らは全員が、俺たちに襲われたという認識でいることがわかった。
尋問をしている最中に、集まってきた連中が引っ張ってきた他の捕虜たちも同じ認識だったので、間違いないだろう。
ただ、襲われる直前に俺たちからも何かよくわからないことを言われた、という認識であることもわかった。
なので次は、こちら側が実際にどういう対処をしたのかを調べなければならない。
「この中で、彼らと最初に接触したのは誰だ?」
「あ、俺たちだ」
俺の言葉に反応したのは、三人の若者。いずれもモリヤ一族で、ケデロシオに住んでいるメンバーだな。
「ゴウが最大限の警戒をしていたから、来てみたらこいつらがいたんだ」
「畑を踏み荒らしてこっちに来たから、警告したんだけど」
「止まらなかったから、攻撃した」
……と、いうのが彼らの言い分だった。
なるほど。よくわかった。
これはつまり、やはり言葉が通じなかったがゆえの悲劇ということでよさそうだな。
その推測は、その後の尋問で確信へと変わる。
「まとめると……こういうことになる」
ということで、わかったことを全員に説明しよう。
まず、ネアンデルタール人たちがここに来たのは、二つの必然と一つの偶然が重なった結果だ。
必然の理由だが……まず一つは、彼らが非定住者だから。つまり食料を求めてあちこちを動き回っているので、俺たちとの接触はそう言う意味では必然というわけだ。
もう一つは、彼らは移動の最中に、夜でも明るい場所を見つけたから。それを追ってここまで来たのだという。
彼らが見つけた明るい場所。これはもちろん、火だろう。俺たちは、火を神聖視する文化を持っている。だから第二の村であるケデロシオでも、火は常に焚いているのだ。
ネアンデルタール人にとっても、火は既知のものだった。だからこそ、もしかしたら仲間がいるかもと思ったのだという。
逆に偶然というのは、食料を求めた彼らがケデロシオの方向へ進んだという点だ。いくら夜の火が遠くから見えるとは言っても、地平線の問題がある。
一定以上まで近づかないと、そもそも見ることはできないのだ。しかし見えるくらい近くまで来たという点は、偶然と言っていいだろう。
「じゃあどうして彼らとの戦いが発生したのかと言えば、彼らが農耕を知らなかったからだな」
その言葉に、兄貴を始めある程度歳を重ねた者たちが納得した表情を見せた。若手は大体不思議そうな顔をしていたが、理解できたやつらが補足してくれたようで、すぐに同じく納得したようだ。
「わかったようだな。そう、農耕をやっていない連中からしたら、俺たちが作った畑はただの草むらでしかないってわけだ」
「確かに、俺たちもただの草なら踏んだりする」
誰かが言ってくれたが、まさにそういうことだ。
そして畑は村を囲む形で作られているので、村に入ろうとしたらまず畑にぶつかる。ネアンデルタール人は、その中を一直線に進んできたというわけだ。
俺たちは移動をさまたげないよう、入口と道はちゃんと設けているのだが……知らない相手にそんなことを言っても仕方がない。
「その上でだが、俺たちと彼らは言葉がまったく違う。だから俺たちの警告は通じなかった。だから攻撃が加えられて、あちらも反撃してきて……戦いになった。これが今回のことの経緯だ」
そう締めくくったところで、全員からなるほどーと言う感じで頷かれた。
「なら、その点をしっかりと言い含めておかないとな」
「その通りなんだが……行き違いがあったとはいえ、殺し合った事実は消せないんだよな」
俺の言葉に、兄貴が顔をしかめた。俺もたぶん、似たような顔をしていると思う。
俺たち人間は、基本的に仲間の死を嫌う。特に他者の手で仲間を害された場合は、苛烈な報復すら可能にしてしまうのだ。
兄貴もそれがわかったからこそ、顔をしかめたのだろう。自分が同じ立場だったら許せるかと言えば……普通は許せないだろうから。
なお、俺たちに被害はほとんどない。数人が軽いけがを負ったくらいである。
この点も余計こじれそうなんだよなぁ……。
「……どうしたものか……」
「最悪の手段ではあるが、皆殺しと言う手も……」
「それはダメだ」
「知ってた。一応言ってみただけだよ」
俺だって、まさか兄貴がそんな過激なことをするなんて思っていない。
しかしこの手段が採れないなら、手段は残り二つ。
相手をここから追い払うか、取り込んで支配するかだ。他にもあるかもしれないが、俺の頭で思いつくのはその二つしかない。
手段を選ばなければ、この二つはさして難しくないとも思う。既に圧倒的な戦力差を見せつけているので、彼らも今更抵抗はしないだろうから。
だがもし後者……支配を選ぶのであれば、それはいばらの道になる。力で完全に屈服させるか、懐柔するかにもよるが、そもそも生き物が簡単に他者に服従するなんてありえない。
だから俺は、追い払ってしまえば後腐れなく楽だと思う。
それに実際に彼らと会話してわかったのだが、彼らはどうやら、いくつかの音を発声できないらしい。恐らく、咽頭辺りの構造がアルブスやサピエンスと違うのだろう。
だから彼らネアンデルタール人との意思の疎通は、恐らく黒アルブスやアダムたちのときより困難になると思われる。そういう点でも、俺は彼らを追い払いたい。
……けど、なあ。
わかっている。わかっているんだ。
兄貴は、きっと簡単なほうは選ばないって……。
「なんとか彼らと和解することはできないだろうか?」
ほらな。
まったく、毎度ながら仕方ない兄貴だ。
でも、まあ、そんな兄貴だから信頼できるし、味方をしようと思えるわけだが。
「……わかった、やってみるよ」
だから俺はそう答えると、再びネアンデルタール人たちに向き直った。
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