閑話 今ではないいつかに、ここではないどこかで 終

 いつぞや帝釈天と天照大御神が顔を合わせた、小さな応接室。そこに今、一柱の神と、一人の人間が相対していた。


 片方はこの空間の主。日本地域の主神にして太陽の女神、天照大御神その人だ。

 一方の人間は、というと――。


「よかったら何か食べてく? ”神殺し”のほしいもの、何でも用意させるけど」

「いらぬ。神々の飯を口にして、二度と戻れないところへ連れて行かれるのは御免じゃ」

黄泉戸喫ヨモツヘグイなんてさせないってば……まあいいけど」


 齢十にも満たぬ童の姿でありながら、その青と赤の瞳に並々ならぬ決意と殺意を宿すもの。

 そう、地球神たちの鬼札、”神殺し”だ。


 彼女は動きやすいように改造された左前の装束をそのままに、あぐらをかいて天照大御神と相対している。

 そこに羞恥心はかけらもなく、また神々に対する敬意もない。彼女にとって神々とは、余計なことを増やす面倒な相手であり、ときに殺す相手でしかないのだ。


 天照大御神もそれを理解しているからこそ、不用意なことはしない。

 ただ、いかな”神殺し”と言えど、天照大御神を殺しうるだけの力はない。今はまだ。ゆえに天照大御神は、今回思うところがあって、自らの領域に”神殺し”を招いた。


 ”神殺し”も、彼我の力量差は理解している。殺すことができずとも、深手を負わせて逃げおおせるくらいのことはできたが、特に拒否する理由もなかったので、呼ばれて今に至る。


 ただし、理由はなかっただけで、決して長居をしようとは思っていないようだ。


「それで? わざわざわしを神域に留めて何をさせるつもりじゃ?」

「別に面倒なことを依頼したりとか、そういうわけじゃないわよ。したら、場合によっては連合憲章違反だし」

「相変わらず、地球神は面倒な規則を後生大事に守っておるんじゃな。守っておるから、死なずに済んでおる神もおるわけじゃが」


 くく、と歯を見せて”神殺し”が笑う。

 そこに含まれた意図を察して、天照大御神は肩をすくめた。


 ”神殺し”の不敬を咎めたりはしない。天照大御神はゼウスと違って懐は広いし、何より畏まられることを彼女も嫌っている。ざっくばらんにやり取りがしたい性質なので、そのまま話を進める。


「まあ、そういう神のルールはどうだっていいのよ。今回あなたを呼んだのはね、こないだのニャルラトの件にちょっと関わることでね」

「ふむ」


 しかし、ニャルラトの名を聞いた瞬間、”神殺し”の目が細くなった。同時に、研ぎ澄まされた刃物のような殺気がかすかに漏れ出る。


 それを柳に風と受け流しながら、天照大御神は説明を始めた。


「実はニャルラトのせいで、一つまったく歴史の異なる世界線が生まれそうなのよね。ニャルラトが加護を与えまくった個体が、絶滅する予定の種族を繁栄させてるおかげで。

 でも、ニャルラトに対しては全然信仰が集まってなかったみたいなのよね。それどころか、私たち日本神を中心に、旧来の地球神に信仰が集まってるくらいで」

「良いではないか。何も不満はあるまい?」

「不満はないけど、理由がはっきりしないと不気味でしょ。私たちも納得したいのよ。納得はすべてに優先するッ」

「神の口から漫画のセリフが出るとは思わんかったが……まあ、言わんとしていることはわかる」

「でしょ? で……一応、大体のところはもうわかってるのよ。すべての発端はもちろんニャルラト。でも……私たちが気づくよりも前に、誰かが手を打っている、ってね」

「ふむ」

「でしょ、”神殺し”? あなたが手を加えたのよね?」


 今度は天照大御神の目が細くなった。殺気とはまた別の、神聖なオーラが文字通り刃物のようにして”神殺し”を貫く。


 だが、”神殺し”は動じない。ただ不敵に笑ってみせると、一言。


「左様」


 とだけこぼして頷いた。


「やっぱり。……よく気づいたわね? 私が言うのもなんだけど、ニャルラトの隠蔽は極めて完璧に近いものだったわよ? それに、貴女が本来いる世界線でもなかったでしょうに」

「ここ最近は標的をニャルラト一本に絞っておるからな。自然、彼奴に詳しくなっただけのことよ。百年を数回重ねれば誰でもできるようになろうて」

「いや……そんな簡単に言わないであげてね。普通の人間がその領域に至るまでに、一体何万年かかることやら」

「そんな才能の塊を作り出したのは一体どこの誰やら」

「さあ、誰かしらね?」


 己が生まれた理由など薄々察していると言外に匂わせた”神殺し”だったが、天照大御神はすっとぼけた。

 もちろんそれは”神殺し”にはお見通しだし、天照大御神も承知している。ただ、ここでその話題を続けることは、趣旨に反するからしないだけだ。


「で……さ。ここからが本題。問題の個体に植え付けらえた加護がどうだったのか。それがどう書き換えらえたのか。この二点を知りたいのよね」

「そのためだけにわしをここに招いたのか。神も案外暇なんじゃな」

「お母様とモンスターをハンティングするくらいには」

「超暇じゃな!? ……わし、よもや野良で神と共闘とかしておらんじゃろうな……」


 思わずと言った様子でツッコミを入れた”神殺し”を見て、天照大御神は薄く笑う。

 それを見た”神殺し”は、誘われたのだと気づいて咳払いした。


「ふん……まあよいわ。元と後とで、その差じゃな」


 そして言葉と共に、二人の間に半透明の立体映像が現れる。

 溶鉱炉に転落した男の姿と、原始時代で奮戦する男の姿。そして、それらの魂と肉体に関する情報の列挙であった。

 肉体においては似ても似つかぬ両者だが、魂の形は同じ。それこそ一卵性の双子かと思われるほどに、ほとんどが一致していた。


「まず、知っておると思うがニャルラトは魂を複製して、原始時代に送り込んだ」

「うんうん。目的は外系神階同盟に都合のいい世界線をもう一度作るためよね。奉仕種族も用意してね」

「うむ。この際、魂には真理の記録アカシックレコードに接続し、情報を検索、取得する加護を植えこんでおった」

「あー、お母様が転生特典選ばせるときに『超鑑定』とかとセットで取得を勧めてるやつね」

「マジか。まあ、恐らくそうなんじゃろうが。ただ、この加護には一つ細工があってな」

「ニャルラトのことだから、超ヤベェ何かでしょ?」

「加護が発動するたびに、ニャルラトに信仰が届く」

「おおう」

「おまけに代償は精神じゃ」

「本当に超ヤベェ何かじゃん。使えば使うだけ正気を失ってくってことでしょ?」

「左様。ヤバかろう?」


 うげー、とばかりに表情を崩す天照大御神に対して、”神殺し”が頷く。


「じゃから破壊しておいた」

「また簡単に言うわねー。加護は魂に根付くから遺伝とかしない代わりに、除去はもちろん破壊も極めて難しいはずなんだけど。……いや、その技をどこで手に入れたかは知ってるけどさ?」

「うむ。というわけで破壊しておいた。したが……さすがに原始時代に飛ばされた人間が、何の知識もなしというのはどうかと思ってのう」

「あら優しい」

「やかましい。それで、そやつが生前に見聞きした情報を、忘れていたものも全て含めていつでも引き出せるように記憶領域を増やしておいたのじゃ。魂をいじくりまわすのは得意ではないから、肉体のほうにな」

「……あー、なるほど。あれってそういうことなのね」


 納得顔で、天照大御神は数回頷く。


「あやつ、無駄に多くの情報を見聞きしておったようじゃからな。生まれてから死ぬまでに見聞きしたもの、すべてを思い出せるようしてやればなんとかやっていけるじゃろうと思ってな」

「ハイ正解、大正解。彼は今ヴュルム氷期の入り口にあって、服と革と土器と祭祀と青銅と農耕と灌漑と裁縫と……とにかく時代先取りまくりな技術を実現させてます」

「やりたい放題じゃな。そりゃあ歴史も変わるわい」


 そんな小説を読んだことがある、と付け加えて”神殺し”も苦笑いした。


「でもさー。肉体に足された大規模記憶領域って言うけど、それっぽい器官は見た目にはないわよね。まさかとは思うけど、魔粒器官の機能を流用してる?」

「お、さすが主神じゃな。目が肥えておる。その通りじゃ」

「やっぱりか……」


 天照大御神は、躊躇ない肯定を見て深刻な顔をした。


 魔粒器官。それはかつて始まりの世界線において、すべての生物が生まれながらに持っていた細胞小器官である。これによってその世界線では、すべての生物が幻想の力を……すなわち魔法を行使することができた。

 それを多く、大きく行使できる存在はやがて己の存在を進化(生物学的なそれではない)させ、不老となって、世界の根幹を担うようになっていく。そんな時代が、確かにあったのである。


 だがある日、それは唐突に終わりを迎えた。すべての生物から脈絡なく魔粒器官が消え、世界から幻想は死に絶えたのだ。


 理由は、死亡した魂を生き返らせたことで、世界に深刻なバグが生じたためと言われている。世界の管理法則YHWHが禁じた死者蘇生に何者がが到達してしまい、しかも使って見せたからだと。

 けれども、それがなぜ幻想の死に繋がったのか。詳細は、今の地球神たちもほとんどが知らない。ただ、真理の記録アカシックレコードに記載を残すのみの存在となって、今に至るだけだ。


 そんな存在を、”神殺し”は引っ張り出してきた。この世から完全に抹消された存在を。

 だから天照大御神はそれまでの調子を消して、”神殺し”に言い募る。


「わかってる? あれは最悪、この世界に深刻なバグを起こすのよ。それを修復する方法が結局見つからなくて、始まりの世界線が放棄されたくらいのバグを」

「わかっておるよ。じゃから同じものではない。参考にして、一定以上のことはできんようにした超劣化版じゃ。心配なら、神々で改めて調整してくれて構わん」

「そうさせてもらうわ。どうせ人の身であれの完全再現は絶対できないけど……劣化版とはいえ、再現に不備がある可能性は高そうだもの。……はあ、また仕事が増えるのね……」


 悪びれることなく言い放った”神殺し”に対して、天照大御神は盛大なため息でもって応じた。

 そして複数の仮想画面を表示させると、どこへともなくメッセージを送り始める。


 ”神殺し”は、その様を興味深そうに見つめていたが……。


「……ま、まあ、それはとりあえずよしとしましょう。よくはないけど、とりあえず」


 ほどなくして、天照大御神は戻ってきた。


「で、よ。肉体のほうにそれを……疑似魔粒器官とでも呼ぼうかしら? それを入れて、記憶領域にしてるってことは、よ? あの複製体の子供たちが使ってる魔術は、それ由来ね?」

「そうなるじゃろうな。あやつは身体に入れられた疑似魔粒器官の大半を、記憶領域として使うようにわしが調節してある。ゆえにあやつに魔法然としたことはほとんどできんが……疑似魔粒器官自体は遺伝する。そして本来疑似魔粒器官は、そういう現象を起こすほうが向いておるからのう」

「ですよねー。……まあ、あれくらいならまあ、いいか……。魔術的な概念が発達した場合の地球世界とか、私も興味あるし……」


 ――いいんだ。


 ”神殺し”はそう思ったが、藪はつつかないことにした。


「ってことは……ああ、なるほど。複製体が他人の能力を強化してるのも疑似魔粒器官の効果なわけね。記憶領域に使っていない残りの部分がそんな能力になってるんだ」

「他の部分をあらかじめこうと調整した記憶はないぞ。それはあやつが生きておる中で目覚めさせた、あやつ自身の力であろうよ」

「それで目覚めたのが自分じゃなくて他人のための能力、ってのもなんか面白いわね。複製元が歩んだ人生的に、そういう発想はしそうにないんだけど」

「複製元と複製体は同一人物ではない。原始時代での経験が考えを変えたんじゃろ。原始時代にいきなり飛ばされたと思っておるのじゃから、変わらずにはいられなかったというほうが正しそうじゃが」

「ですよねー」


 うんうんと、なぜか訳知り顔で頷く天照大御神。


 その態度を見て、”神殺し”は出歯亀かなと思ったが、やはり藪はつつかないことにした。


「……じゃあ次だけどさー。彼が持ってる言語自動修得能力は? あれは疑似魔粒器官じゃ無理でしょ?」

「ああ、あれはニャルラトがつけておった加護じゃな。あれにも不穏な効果がついておったから破壊しようと思ったが……こちらは単に時間が足らなんだゆえ、不穏な効果だけ破壊して手じまいにしたんじゃよ」

「時間が足らなかった?」

「うむ。あまり長々と時間をかけると悟られる可能性があったからな」

「察した。そりゃしょうがない」


 それに、あったほうがよかった能力だし。


 そう付け加えて、天照大御神は頬をかいた。


「……じゃあこれが最後なんだけどさ」

「うむ。超健康とも言うべき体質についてじゃな」

「そうなんだけど……でもこれはこうして図で見たらすぐわかるわね。SFで言うところの、ナノマシン的なのが体内を循環してるからよね? しかもこれも遺伝するやつ」

「左様。ニャルラトが寿命十倍とかわけのわからん加護を魂に植え付けておったから、破壊してやった。地球上の生命体の寿命なぞ、百年程度あれば十分じゃからな。健康を維持するだけに留めておいた」

「それが代わりのナノマシンね……。いいけどさぁ、これって異世界の技術じゃない?」

「まあな。じゃが、いいんじゃろう?」

「まあ、うん……。私たちもやってることだしね……」


 異世界から技術を持った人間を派遣して、文明や文化に刺激を与えて変革を促す方法は、昔からよく行われている。最近は伊弉冉命イザナミノミコトの影響で、転生するパターンが多数を占めているが。

 それがあるからこそ、天照大御神も強く言えない。ましてや”神殺し”は、規格こそ桁外れではあるが地球人なので、地球神が直接手を下すことも難しい。


 仕方がないので、天照大御神はその話題をぶった切ることにした。


「……はあ。まあ、大体わかりました。気になるところもあるけど、おおむねよくやってくださいました、ってところね」

「そりゃどうも」

「できればこれからもお願いしたいところなんだけど……」

「それは言われずともやるさ。わしの存在意義は母なる地球を守ること。邪神どもの好き勝手にはさせぬよ」

「頼もしいわー。頼もしいついでに、今まさに生まれつつある新しい世界線も守ってくれるとありがたいんだけどなー?」

「手前でなんとかせい……と言いたいが、同じ地球である以上は仕方あるまい。とはいえ、常に張り付いているわけにはいかんぞ。どこかの死神のせいで地球のある世界線が多すぎるんじゃ」

「貴方神になればいいのに」

「心にもないことを言うでないわ。それに神になったら、制約が大量について動きづらくなる。そんな不自由は御免じゃよ」


 ひらひらと手を振って、”神殺し”がため息をつく。

 それに対して、天照大御神はしかと頷いて同意した。


 彼女には理解できるのだ。神だからこその自由と共に、神だからこその不自由さも。

 ”神殺し”は人の身でありながら、神だからこその自由をほとんど持っている。そんな人間にとって、神だからこその不自由など、まさに枷でしかないだろう。


 何より、その状態に陥った”神殺し”は、神を殺す自由を失う。それは天照大御神たちの本意ではない。

 地球神たちにとって、”神殺し”はまだまだ使い続けなければならない札だからだ。


「……さて、話は以上か? 終わったのなら、いい加減帰りたいのじゃが」

「あ、うん。そうね、もう大丈夫よ。長々とごめんなさいね」


 天照大御神の言質を得て、”神殺し”は遠慮なく立ち上がった。

 そして己の背後に空間の裂け目を作ると、天照大御神を横目に一瞥する。青い左目が、天照大御神の視線と重なった。


「まあ、たまにはこんな日もありじゃろう。頻繁に呼び出されても困るがな」

「わあ、もしかしてツンデ……あっ、ちょっ、そこは何かリアクションしてから帰るところじゃないの!? 無言って! そういうの神様どうかと思う!」


 声をかける間もなく退去された天照大御神の声が、応接室にこだまする。しかし返事は来なかった。


 そのまますぐに静寂に支配された応接室で一柱、天照大御神がくすりと微笑む。


「……あの子、あれでやっぱりツンデレさんよねー。ニャルラトに対抗するだけなら複製体から加護を全部消せば足りるのに、わざわざお土産残してるんだもの。まあ、連中に敵対する私たちの強化にも繋がるから、って理由はあるとは思うけどさ……」


 そしてそうつぶやいた天照大御神の顔は……いつもの軽い調子とは異なって、慈愛に満ちた女神の顔だった。


「さてと、新しい世界線の観察に戻りますか。一応、私があの世界そのものの主神になっちゃいそうだしね」


 ……が、それも一瞬。


「はー、働きたくないでござるー」


 表情を崩して、天照大御神は一瞬にしてジャージ姿に変わった。


 しかし、主神がそんなだらけた姿であろうと、あるいはしっかりとした姿であっても、世界は巡る。時間は廻る。それは人の世も、神の世も変わらない。


 今ではないいつかに、ここではないどこかで。


 物語は常に回り続けている――。

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