第74話 ヒトVSヒト

 恐らく、ゴウの鳴き声に最初に反応したのはチハルだろう。俺も狼の言葉がわかるが、関係はチハルのほうが濃厚だ。

 だから今し方入ろうとしていたせんごう小屋から、彼女がいの一番に飛び出してきても特に驚きはしなかった。


「あっ、父さん! ゴウが敵が来たって!」

「ああ、わかってる。視察はいったん中止だな」


 と言葉を交わしたところで、バンパ兄貴が現れる。

 兄貴もまた、この十年で狼の声の機微をある程度わかるようになっている。だからだろう。その顔はいつになく真剣で、同時に言い知れぬ威圧感がにじみ出ていた。


「戦えるものは全員、大至急で武器を持て!」

「したら狼の声のほうへ走るス! なるはやで!」

「とりまこの村にいるモリヤの人たちが最初は防いでくれるはずなんで!」

「武器を持ってないやつは、女子供を守る方向でよろしゃーす!」


 兄貴に続いて、三人組が指示を出す。

 意外と様になっているじゃないか。伊達に三年間、村長はしていないと言ったところか。


 四人の指示によって、戦えるだけの力を持った屈強なアルブスメンズたちが一斉に散開した。その中にはダイチの姿もある。


 うん……なんというか、負ける気がしない。だってクマもトラも、平気で倒しちゃうんだもんなぁ……。

 思えば俺が丸太を武器として使ってみたのが発端ではあるんだが……我ながら鬼に金棒を与えてしまったとつくづく思う。


「父さん、ボクも行くよ! ゴウが戦ってるなら、ボクだって!」

「は!?」


 だが、さすがに娘にそんなことを言われたら、俺も目を点にするしかなかった。


「いやいやいや、それは危な……あー、あー……」


 なので反射的に反対しかけたのだが。

 よくよく考えれば、敵のすぐ近くにゴウはいるんだよな。チハルはあいつに乗れるほど仲がいいから、あっちに行きたいという気にもなるか。

 単純に負けん気を発揮していて、男への対抗心を燃やしているという点もあるとは思うが。


 うーん、どうしよう……。

 ……ええい、考えてもどうせ結論なんて出ない! ここはできる人に任せてしまえ!


「わかった、わかった! その代わり、兄貴の命令には絶対従うこと! いいな!?」


 必殺、他力本願!

 兄貴なら大丈夫だ! 何があっても娘を任せられる!


「うん!」

「よし! ……ということで、兄貴。すまんがチハルを頼む」

「任せておけ!」


 さすが兄貴! 俺にできないことを平然とやってのける!


「ではチハル、走るがついて来れるな!?」

「もちろんだよ!」

「よし、行くぞ!」


 その掛け声で、兄貴とチハルが駆けて行ったが……。


 え、チハルのやつ、兄貴の走る速度についていけるんだ? 身長差、八十センチは軽くあるんだけど!?


 魔術って……すごいんだな……。


「あれが天使の本気……」

「パネェ……マジパネェ……」

「惚れてまうやろ……」


 ……三人組はほっとこう。


「俺はアルブスの男みたイな活躍できナイし、避難のほうニ回るべきカナ?」

「え、あ、そうだな。そう言う点では俺もあまり戦いの役には立たないし……そっちに回ろう」

「ソラはお父のいるところに行くです」

「ああ。まずは村の外延部に近いところにいる連中からだな。行こう!」

「オッケーイ!」

「はいです!」


 そしてソラルを肩車した俺も、アダムと共に走り出す。

 三人組が、そんな俺たちに慌てて追いすがってきた。


 ただ、さっきはああ言ったが、敵に近いであろう村の外側のほうから避難を優先させるべきだよなぁ、やっぱり。

 となると、俺たちが向かうべき場所も、敵がいる方向ということになる。だから戦いに行った面々を追いかける形になるのは、仕方がないことなのだ。


 別に、娘が心配だからというわけではない。もちろんそれがあることは否定しないが。


 そう心の中で自己弁護をはかった直後、村の外側から鬨の声が聞こえてきた。中には、狼の吠え声も混ざっている。


「始まったスね! 今のうちに村の奥まで避難させるスよ!」

「アイン、集合場所はどこにする?」

「事前に決めてたとこがあるス! みんな知ってるはずなんで、とりま促すだけで行けるはずスわ!」

「わかった!」


 本当、意外すぎるくらいしっかり治めていたんだな。

 なんでこいつら性癖がおかしいんだろう……。天は二物を与えずということなのか……。


「お父……あれ、あれ……!」

「んん? ……って、うわ……っ!?」


 とりあえず外延部での避難誘導を一通り終わらせたところで、ソラルが血相を変えて声をかけてきた。その状態で外に向けて指差している。


 何事かと思ってそちらに目を向けて、理解した。なるほど、これはキツい。


「敵って、人間だったのかよ!?」


 思わず声が裏返る。


 そう、俺たちアルブスが戦っているのは人間だった。全裸であり、髪も髭も伸びるに任せている様は、原始人という言葉がまさに相応しく思える。

 だが最も注目すべき点は、相手の耳だ。戦闘中で、常に動いているためはっきりと確認したわけではないが……その耳は、丸かった。


「まさか、昔爺さんの群れを襲ったっていう人間か……!?」


 北の大地に暮らしていたディテレバ爺さんの群れ……今のモリヤ一族は、丸い耳の人間たちに住処を追われてルィルバンプにやってきた。かれこれ十四年は前のこと(第九話参照)だ。

 そして逃げてきた彼らは、将来やってくるかもしれない丸耳の人間に備えるために警備、防衛を担うモリヤ一族となった。以降そうしたことは起きないまま今に至っていたのだが……ここに来て、遂に出くわしたということか。


 そう思って目を凝らしてみると、確かにモリヤの男たちの攻撃が激しい。親の仇とでも言いたげに(実際そうである者もいるかもしれない)、丸太を振り回している。


 ……あ、一人の男の頭がザクロみたいに砕けた。オーバーキルすぎる……相変わらずどんな攻撃力だよ……。


「あ……、ソラル、大丈夫か? ちょっとどころかかなりキツい光景だが……」

「大丈夫です。ずっと見たいとは思わないですけど……」


 ソラルが顔を伏せる。気丈な子だが、これはやはり子供の情操教育によろしくない。


 となると、チハルを行かせたのはまずかったか。まさかまだ成人もしていない子供に、人殺しをさせるなんて……。


「……余裕そうだな、あいつ……」


 と思ったのだが、チハルはなんということもなさそうに戦っていた。


 なんだあれ。魔術があるにしても、なんでああも元気なんだ、あの子は。むしろ生き生きしているような……。


「天使!!」

「さすが俺たちの天使!」

「ヒューッ!」

「お前らはいつの間にいたんだよ!?」


 暴れまわるチハルを見て、三人組が喝采を上げていた。なんでも避難は全部完了したから、ここまで様子を見に来たそうだが……。


「俺ら、一度本気のちぃちゃん見たかったんスよねー」

「超パネェ強さしてるみたいな? 予想あったんスよー」

「予想通り越して超ヤベェスわー」


 こいつらと同意見なのは癪だが、確かにあればヤバい。


 いや、他の連中の暴れっぷりに比べればかわいいものだとは思うよ。他の連中、リアルに無双系のゲームみたいだし。

 戦況? 完全なワンサイドゲームですね……。


 ただ、チハルは唯一の女で、しかも子供だからな……他とは際立ってヤバく見えるのかもしれない。


 最大の要因は、あいつが騎乗しているゴウだ。猛獣の狼は相当な恐怖を与えるのだろう。高速で跳び込むゴウに、ほとんどの相手がひるんでいる。

 で、そこにチハルの木剣が振るわれるわけで……なんというか、むしろ相手がかわいそうだ。


 ひるまない相手もたまにいるようだが、その場合チハルはゴウから飛び降り、ヨ○ダスタイルの特殊な剣術を振るう。物理法則を無視したあのトリッキーな挙動は、初見ではまず対応不可能だろう。


 おまけに、あいつの木剣はただの木剣ではない。アステカのマカナと同様、木の板に青銅の刃を挟み込んだ剣(アステカの場合黒曜石だが)なので、一発でも食らえば人間などひとたまりもない。


 ……お父さん、去年娘の誕生日プレゼントに剣を贈ったの、今ちょっと後悔しているよ……。


「……ちぃーっ!! 後ろーっ!!」

「ぅおあ!?」


 突然頭上でソラルが叫んだ。普段の彼女からは想像もつかない大声だったが、まさかこれも魔術か?


 ともあれ、大声で指摘したソラルだったが、音は意外と遅い。チハルがそれに気づいたときには、既に彼女の後ろには大きな石が迫っていた。


「……チハル!!」


 俺も一歩遅れて声を上げる。チハルの目が驚きで見開かれる――。


 ――が、そこに丸太が飛来した。丸太はチハルに迫っていた石を叩き落とし、地面に突き刺さる。

 それを投げた人物は……。


「ダイお兄、いい仕事したです!」


 そう、ダイチだった。彼は丸太を投げた勢いもそのままに、チハルに石を投げたらしい男に殴りかかる。

 恐らくは全力のパンチ。それを頬に喰らった相手は、漫画みたいに派手に吹き飛んで行った。


 彼はその後、ゴウに乗りなおしたチハルと何か言葉を交わすと、すぐに丸太を拾い上げて戦いに戻っていく。

 そっけない態度にも見えるが……あれは彼の照れ隠しとか、そういうものだろうな。シャイな子だし。


「……ふうぅー……心臓に悪いよ、まったく……」


 そこで俺は、海よりも深くため息をついた。

 同時に気がつく。全身から出る冷や汗がすごいことに。


 まあ……娘が目の前で大けがをしそうだったんだ。こうもなるだろうな……。


「ギーロ、ここにいたか」

「兄貴」


 手でとりあえず額に浮かんだ冷や汗をぬぐっていると、血まみれの丸太を抱えた兄貴がやってきた。


「すまないが、お前の力を借りたい。連中がなぜここに来たのか、聞き出したいんだ」

「あ、ああ……わかった。……戦いは、もう?」

「ひとまずな。既にほとんどが逃げ出したところだ」


 早っ!?


 ……い、いや、単に襲ってきた人数が少なかったのかな。明らかにこちらの戦力が過剰すぎたし……。

 うん、そうだ。きっとそうに違いない。そうだと言ってくれ!


「そうか……まずは一段落か。それなら俺が動いても大丈夫かな」

「ああ。先ほど何人か捕まえたから、ついてきてくれ」

「わかった」


 捕虜を取れたのか。アルブスの攻撃力でよくそれだけの手加減ができたなぁ。


 しかし捕虜が取れたなら、その先は確かに俺の仕事だ。アダムのときもそうだったが、俺の言語自動修得はこういうときに真価を発揮する。

 向こうにも恐らく、向こうなりの言い分もあるだろうしな。それがわからないからこそ、人はいがみ合ってしまうわけだし……。


 ということで、戦いの喧騒も薄れ始めた戦場の端を移動し、捕虜の下に向かったのだが……。


「こいつらだ。ギーロ、すまないが頼む」

「任せろ……って、こいつらサピエンスじゃないぞ!?」


 間近で見た彼らの姿は、サピエンスともアルブスとも異なっていた。

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