第73話 製塩見学
ケデロシオに着いた日は、主に歓迎の宴などで一日が終わった。すべきことは翌日から始まる。
まずは三人組と共に、視察のメンバーを案内する。と言っても目立ったものはあまりないので、メインはやはりカスピ海と製塩になる。
最初に案内する場所は、何と言ってもカスピ海だ。ケデロシオの景観を構成する最大の要素と言っていい。
湖畔に立ってみると、原野とはまた違った雄大さを感じることができるのだ。この光景には、さすがに全員が圧倒されていた。
「あの水の向こうには何があるですか?」
とはソラルの質問だったが、全員が同じ疑問を持っていたらしく、俺は一斉に視線を浴びた。
「陸地があるよ。ここはとてつもなく大きな水たまりみたいなものだからな」
「誰か住んでるカナー?」
「さあ、どうかな。いるかもしれないし、いないかもしれないし。詳しくは行ってみないとわからない」
メメがいれば、湖の向こうも見通してくれるのだが。今回は留守番なので、どうしようもない。
「……ねえ、それより父さん。あれって何してるのかな?」
チハルが指差したのは、湖畔で漁をしている男たちだ。使っているのは投網になる。
「魚を獲ってるんだよ。昨夜出た食事は魚が多かっただろ? あれはああやって獲っているんだ」
「へぇー、あんな獲り方があるんだね!」
チハルが目を丸くしながらも、楽しそうに言う。周りの大人たちも似たような反応だ。
うん、ルィルバンプでは教えてないからな。魚以外にも食料が相応にあるから必要性が薄いし、そもそも近場の川はあまり魚が多くない。
その点、世界一広大な塩湖であるカスピ海はさすがに魚が豊富だ。沖までは出られないので浅瀬にいるものしかまだ獲れないが、それでも今のところは十分だ。
まあ、前世の知識にはないやつも結構多いから、実は内心でびくびくしているのはここだけの話だけども。カスピ海の生態系なんて、日本に住んでいたら知る機会も知ろうとする機会もなかったからな……。
ちなみに、生食は推奨していない。俺の中にある元日本人の心が「刺身が食いたい」とうずくこともあるが、安全が第一である。醤油もないし。
「……ん? なあ、ギーロ。あっちには女ばかりで何かしているようだが、何をしているんだ?」
と、ここでバンパ兄貴からの質問。
……なぜ村長の三人組ではなく、俺にするのか。いや、なんとなく理由はわかるけども。
ともあれ、兄貴が示したところには確かに女ばかりが集まって、池に何かを入れていた。
「ああ、あれは……いや、実際に見てもらったほうが早いな。アイン、次はあっちを案内してくれるか」
「りょッス」
距離としては目と鼻の先なので、数十秒の移動だ。
そこは、カスピ海から水を引く形で作られた生簀である。カスピ海で獲れる魚を養殖するために、去年造った施設だ。
ただしまだ実験段階なので、広さはさほどでもない。小さめの田んぼくらいだろうか。
水を循環させるために、カスピ海とは取水口と排水口で繋がっている。もちろん、魚が通れないように木と網で作った柵がそれぞれには設けられているが。
「ここはスね、魚を育ててる場所なんスよ」
「ルィルバンプでギーロさんが食べられる植物を色々育ててるじゃないスか」
「あれの魚版スわー」
「と、いうことは、今中に入れていたのは……」
「餌スね。魚も何か食べないと生きていけないスから」
「なるほど、そういうことか」
そう、先ほど女たちがしていたのは、ゴミ捨てでもなんでもない。餌やりだ。主に人間が食べないもの、食べ残したものなどが使われている。
そして餌やりだけならさほど力は必要としないので、ここは女たちに任せている。やれることが少ない女にとっては、これだけでも結構嬉しいらしい。
「……よくこんなことできるよなぁ」
水しぶきを上げながら餌を奪い合う魚を遠巻きに眺めながら、ダイチがつぶやいた。
どうも彼は魚類が苦手らしい。味がどうこうではなく、見た目が。
彼のためにも、魚介系の邪神がこの地球にいないことを願うばかりだ。
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続いてやってきたのは、本日のメインディッシュ。塩田だ。
場所としてはやはり湖畔になる。製塩のためにはどうしても塩水が必要になるから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
そもそもの話、いくらアルブスの男が怪力とはいっても、水を運ぶ距離は短いほうがいいに決まっている。
そしてもっと言うならばここ、俺の別荘のすぐ裏だったりする。これは単純に、何かあったときに俺に連絡を入れやすくするためだな。俺も駆けつけやすい。
ということで塩田だが……。
「……でっかいネー!?」
「ほんとだー!」
アダムとチハルが声を上げた。他のメンバーは絶句しているようだ。
そこに広がっていたのは、流下式塩田である。
数十メートルに渡る流下盤と、そびえたつ
ただ、実は今日は稼働していない。作業しているときはさらに圧巻の景色になるのだが……村人が全員、常に製塩に従事しているわけではないので、使われない日もある。今日がまさにそうだ。
「これでもだいぶ小さくしたんだけどな」
「ウソー!?」
「マジだ。色々足りなくってな」
たとえば流下盤。通常の流下式塩田なら複数備えているはずの設備だが、今は一つしかない。枝条架だって、俺が知る二十一世紀のものに比べたらごくごく小規模だ。
流下盤については、かなりの敷地を必要とする上、極めて緩やかな勾配をつけるのが難しい。おまけに手間、ということで一つしか造れなかった。
枝条架のほうは単に資材不足だ。本来は竹の枝葉を用いる枝条架だが、この周辺に竹はない。チョコの木の枝葉で代用できたが、使える期間が短いせいで交換頻度が高い。そもそもあれは木の数も絶対的に足りない。
そうしたこともあって、繰り返しが重要なここでの工程はかなり大変だ。本来、流下式塩田はポンプなどで塩水をくみ上げるのだがそれもできないので、余計である。
おまけにカスピ海の水は海水より塩分濃度が低いようで、繰り返さなければならない回数も多い気がする。
これらについては今後の課題だ。今の人口ならどうにか賄える量が作れているが、今後人口が増えていくと村人全員に製塩を常時させなければならなくなる。そんなことをしたら他の食料を手にする手段がなくなってしまうから、早めに何とかしたいところだ。
「ちなみに原理はわりと単純だ。水は熱や風で蒸発するから、塩水の水分を蒸発させることで塩だけを取り出すという寸法だな」
「ナルホドナルホド」
「……でもそれ、すごく大変じゃ?」
「まあな。だからこそこの設備で、流下盤と枝条架の仕組みは……」
聞かれるままに説明しながらちらりと他に目を向けてみるが、残念ながらこの仕組みを理解できているのはアダムとソラルだけらしい。チハルに至っては目の焦点がずれ始めている。
まあ、これについては仕方あるまい。アダムとソラルが規格外なだけだ。
なので、とりあえず二人はこのまま俺が引き受けることにして、残りのメンバーは三人組に任せよう。
この先にはまた別の、濃度を上げた塩水を煮詰めるための釜がある。そこに連れて行ってもらう。
「でもシショー、わざわざこんな色んなモノ作らなくてモ、なんとかなるんじゃナイ?」
「その通りなんだが、そのためには元の水の塩分濃度が低いのが問題でなぁ」
俺だって、これだけ大規模な工事をしようと最初から考えていたわけではない。むしろ、一気に文明の段階を飛ばしての流下式塩田は、最初は選択肢から外したほどだ。
しかし第一候補だった天日塩田と、第二候補だった揚浜式塩田は使えなかった。理由は、カスピ海の水の塩分濃度が海水より低いから。
この二つの方式は、状態はどうあれ天日干しが行われる。そのため日照量と時間が重要なのだが、塩分濃度が低い水から塩を作るには、必要な日数がどうしても増えてしまう。
結果として、途中で雨に降られる可能性が上がる。このため、断念せざるを得なかった。砂漠じゃあるまいし、何十日も雨が降らないなんてことはありえない。
次いで入浜式塩田を考えたのだが、あれはそもそも潮の満ち引きが起こる海辺でなければできない。なので作ったはいいが、どうにもならずあえなく失敗となった。
ちなみにそのときの名残が実は先ほどの生簀だったりするが、それはここだけの話だ。
「……というわけでなぁ。この流下式にするしかなかったんだよ」
「……大変です」
「いやホントにネ……」
「一時期、アダムに大量の木枠とか木桶を造っもらっていたのは、実はここのためだったりする」
「ア、そーなんダ? 道理で見覚えあるナーって思うハズだネ」
昨日、アダムだけでなくエッズにも感謝と言っていたのは、まさにここに繋がる。
エッズがアダムにモノづくりの基礎を教えていなかったら、アダムは恐らくここまでの職人にはならなかった。
とすると、ここの設備を造れるレベルの人間はいなかったわけで。だからこそ、エッズは間接的ながら塩田製作の立役者の一人なのだ。
「じゃあ、次に行くか。次は釜だな。工程としては
「アイヨー」
「はいです」
ということで次の場所へ移る。
「釜があるのはあそこだ」
「大きい家です……」
「一つすんごく大きイ家あるナーて思ってたラ、釜があるンダ?」
「いやー、あれ見た目は大きいけど、中はほとんど空っぽでな……」
歩きながら、二人に説明する。
流下盤と枝条架を通して塩分濃度を上げた塩水は、かん水と呼ばれるのだが。煎ごうは、このかん水を煮詰めてさらに塩分濃度を上げる、という工程だ。
具体的には、釜に入れたかん水をひたすら煮詰め続けるという作業になる。これが都合二、三日もの間ぶっ通しで行われるのだが……。
煮詰めるということはつまり、火を使うと言うことだ。
そして植物ばかりでできた竪穴式住居は当然、下手をするとすぐ燃える。天然アスファルトでコーティングしてはいるが、ダメなときはダメだ。
だからこそ、煎ごうをする場所は大きく作った。うっかり燃え移ったりしたら目も当てられないが、できるだけ燃えるものから距離を置くしか延焼対策がなかったというわけだ。
その分、内装は殺風景にならざるを得なかったのだが……。
「……ん?」
説明の途中で、思わず言葉を切ってしまった。ついでに足も止まる。
「……今、ゴウの鳴き声が聞こえなかったか?」
「うン、聞こえたネ」
「はいです。あの鳴き声は確か……」
振り返って二人と顔を突き合わせたとき。
ソラルが頷いて、ゴウの鳴き声の意味を言おうとした、まさにそのときだった。
《敵だーーっっ!!》
先ほどよりも大きな鳴き声が、ケデロシオ全体に響き渡った。
「……なんだって?」
二回目にしてそれを正確に理解した俺は、思わずつぶやいていた。
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