第69話 妊婦さんは大事にしよう
転生してからずっと調べ続けてきた結果、アルブスの妊娠期間は大体五か月から七カ月くらいと見られる。つまり、最初の頃に出産したサテラ義姉さんは、平均的な妊娠期間だったわけだ。
ここ数年は栄養状態が改善されたからか、半年未満で出産に至るケースは減っている。ないわけではないが、昔ほどではないと言ったところだ。
しかし、妊娠中のプロセスはおおむねサピエンスと変わらない。妊娠期間全体が短い分、それぞれの間隔が平均して四週から八週くらいの振れ幅で、サピエンスより早いことは間違いないが……。
たとえば、サピエンスの妊娠初期は十五週までだ。この間見た目は平時とさほど変わらないが、つわりだったり味覚の変化だったり、あるいは精神的な不調が起こる。
この状態が、アルブスだとおよそ十週までくらいになる。症状はサピエンスとまったく変わらないので、対処もまったく同じだ。
このため、サピエンスより早いタイミングで妊娠の各状態を推移するが経過内容は大体同じ、と考えてもらって構わないと思う。
なので、その間は家族みんなで妊婦をサポートすることもサピエンスと一緒だ。少しの油断が命取りになる原始時代だからこそ、そのサポートはやや過剰になりがちではある。
しかし妊娠初期は母体も胎児も特に不安定なので、何かあってはいけない。この時期に生じた問題が、出産するころには増幅して致命的になることだってある。
そんなことは起きてほしくない。というより、絶対に嫌だ。今やメメは俺にとってそれだけ大事な人なのだ。
というわけで、俺はメメが安定期に入るまでは過剰な彼女第一主義者となる。
常に近くにいれば、よほどの事態でもない限りは俺の血でなんとかなるのだから。
……あ、誤解のないように言っておくと、これはテシュミが妊娠しているときでも変わらない。
ただ、テシュミは今妊娠していないので、どうしても優先順位が下がってしまうというだけだ。
もちろん、チハルとソラルのときのように、同時期に二人が妊娠しているときは同時に相手するつもりだ。あのときはものすごく大変だったので、それはちょっと遠慮したくはあるが……。
「はい、あーん」
ここは自宅とは別の場所。出産対策として、妊婦が寝泊まりするためにここ十年で用意した病棟だ。産婦人科というにはお粗末だが。
そこで寝床に座ったメメに、俺は食事を食べさせる。
彼女はにこにこと笑いながら、それを口に含んだ。
「あーん……、んー、おいしいのじゃー。今日は誰が作ってくれたんじゃ?」
「今日は驚くなかれ、なんとチハルとソラルだ。成長したもんだろ」
「なんと! あの二人ももうそんな大きくなったんじゃなぁ」
出来栄えから、あの二人が調理したとは思わなかったようだ。
気持ちはわかる。あの二人、極めて対照的ではあるが、料理が壊滅的という点においてはまったく同じだから……。
「前回メメが妊娠したときから、少しずつ覚えたんだよ。前回は他の子たちのお守りしかやることがなかったから、もっとお母さんを助けてあげたいんだとさ」
「そうかー……嬉しいのぅ。二人のためにも、元気な子を産まねばならんのぅ」
上の娘二人の気持ちが嬉しかったのか、メメは聖母のような笑みを浮かべた。それから視線を落とし、そっとお腹をなでる。
彼女のお腹は少し膨らんでいた。妊娠中期……安定期まではもう少し、かな?
「それはもちろん頼みたいけど、まずはお前が元気でないと」
「わかっておるよ」
言葉を交わしながら、俺も彼女のお腹に手を伸ばす。彼女の手に自分の手を重ねて、一緒にお腹をなでる。
現段階で胎動を感じることはないが、それでもなんとなく、子供の存在を感じられる……気がした。
こういうとき、男は実感を持ちづらいものだ。子供が実際に生まれて、自分の手で抱けるまでお預けだから、もどかしい。
「……でも、妊娠初めの頃はギーロがずっと世話してくれるから、嬉しいんじゃよ。病気のときもしてくれるけど、そういうときって気にしてる余裕なんてないからのぅ」
「まあな……最近は本当、二人の時間も少なくなったから……」
「テシュミもおんなじこと言うておったぞ」
「知ってる、前回言われた」
「それに、子供たちもな」
「……それは初耳だぞ」
病気になると親が構ってくれるから嬉しい、という心理だろうか?
俺の子供たち、俺からの遺伝で全員軒並み超健康だからなぁ……。確かに妊娠でもしないと、俺が常に傍にいることはないだろうが……。
「ソラルはギーロと結婚したいって言っておったしのぅ」
マジかよ。
色恋沙汰にまるで興味がない娘だと思っていたが、そういうことなのか。
いや、確かに十歳になっても俺と風呂に入りたがるから、どうかとは思っていたが……。
「お、お母! そ、それは言わないでほしいですぅ!」
珍しくソラルが慌てて、会話に割り込んできた。顔が真っ赤だ。
というか、聞いていたのか。いつ来たんだ?
「……あう、あの、お、お父……」
「ソラル。さすがに無理だ」
「あ、あうう……」
アルブスの価値観に完全に馴染んだ俺だが、さすがに娘にそういう感情はわかない。かわいくて大事な娘ではあるが、それとこれとは別なのだ。
父親として、娘に好かれるのは嬉しいことだが……俺の好きはあくまで父性愛なのだ。
……しかし相当な落ち込み方をしたので、感情的な方面からは諭さないほうがよさそうだ。
ソラルなら科学知識があるから、遺伝の話も理解できるだろう。
「いいかソラル、お前が嫌いというわけじゃない。ただ、生き物は親子で子供を作ってはいけないんだよ」
「ううぅ……どうしてですか、ソラはお父のこと、大好きです!」
「親子で子供を作ると、ちゃんとした子供が生まれないんだ」
急きょ近親相姦による遺伝子の濃縮と、その弊害について講義することになってしまった。最終的には納得はできないものの、理解はしてくれたようだが。
……厳密に言えば、一世代目でいきなり遺伝子に問題が生じる可能性はさほど高くないのだが、それは言わないでおこう。
「じゃあ、ずっとお父のそばにいるのはいいですか?」
「え? ああ、まあ……それはいいけど……」
「じゃあそうするです! どこにもいかないです!」
「……えーっと……」
妙な方向に決意を固められてしまったらしい。
俺はどうしたものかとメメに顔を向けたが、笑いながら首を振られた。
それを許可と見たのか、腕にソラルが絡みついてくる。
「……まあ、それがお前の幸せっていうなら、強くは言わないよ……」
なので、俺はため息をついた。
つまり諦めたわけだが、まあ、たぶん周りが独身であることを許さないだろう。
他でもない俺がそうだったし。そもそも、特殊な力を持つソラルを周りが放っておくはずがない。種の発展のためには、フリーの男女はできるだけいないほうがいいのだ。
それにこれほどかわいい子だ。求婚者は絶えないだろうしな。
「やったです……!」
「……マジかよ」
とはいえ、頬を紅潮させて熱っぽい目で俺を見つめるソラルを見ていると、不安にしかならない。
一時の気の迷いであってほしいなぁ、このファザコンは……。
「まーギーロはいい男じゃから、仕方ないのじゃ」
「……いい男ってのは、兄貴みたいな男を言うんだよ」
「お義兄はなんていうか、方向が違うかのぅ……」
「……前々から思ってたけど、メメって俺のどこがそんないいんだ? いや、自分を卑下しているわけじゃなくてさ、純粋に疑問なんだが」
「んー、なんでじゃろな。好きって断言できるけど、なんでって言われると……」
好きなものは好きだからしょうがない、ということか。
まあ、俺もメメのどこが好きになったかと聞かれれば、即座には答えられない。誰かを好きになるということは、理屈ではないのだろう。
「はーい、話終わったー?」
そこに、妙に芝居がかった調子で咳払いしつつ、チハルが割り込んできた。
彼女を見て、ソラルが何かを思い出したように俺から離れる。そのままチハルに「おめでとう」とからかわれて赤面した。
結構ぐいぐい押しているところを見るに、チハルはソラルのことを知っていたのだろうか……。
「チハルか。どうした? ……というか、ソラルもそうだな。二人して何かあったのか?」
まあ、この話題は一旦やめておこう。
二人のじゃれあいが一段落したところで、雰囲気を切り替えるべく俺から声をかける。
「そうそう。あのね、アイン小父さんたちが来たから、父さん呼びに来たんだ!」
「アインたちが? あー、そういえばそろそろそんな時期だったな」
アインたちロリコン三人組は、現在ルィルバンプにはいない。諸事情があって、アルブス第二の村、ケデロシオに移住しているのである。というか、あの村の実質的な指導者に収まっている。
しかし情報や食料の交換など、様々な理由で彼らは定期的に二つの村を行き来する。この時期……月の半ばは、毎月塩を運び込んでもらっているので、そのためだろう。
けどなぁ……。
「うーん……ここじゃダメか? 今さら俺が出張る必要のあることなんて、そうそうないだろう?」
既に俺が広められることは、大体広めてある。特にロリコン三人組は俺と行動する機会がかなり多かったから、そうした知識はアルブス全体でもトップクラスだし。
そもそも俺は今、メメから片時も離れたくないんだが。
「あ、うん、ボクたちもそう思ったんだけどさ。バンパ伯父さんと父さんに相談したいことがあるんだって」
「相談したいこと……?」
なんだろう。あの三人が言ってくるということは、知識系ではないと思うが……。
そうなってくると、村の運営に関してだろうか? それか、何か許可がほしいとか、そっち方面だろうか……。
「うん。なんか、ミソがどうとか言ってたけど……」
なん……だと……!?
まさかとは思うが、できたのか……!? 遂に……味噌が……!?
「よし行こう! 即行くぞ!」
「おー、ギーロのその顔、久しぶりに見たのぅ」
猛然と立ち上がった俺の顔を見上げて、メメがくすくすと笑う。
そこで俺は、味噌に我を忘れたことを自覚する。
「あ……す、すまん、メメ。俺……」
「ええんじゃよ。今わかったけど、わし、そうやってがんばってるギーロが一番好きみたいじゃ」
「お、おう……ありがとう?」
「どういたしましてじゃよ。じゃから、わしのことは気にせんでくれ。大丈夫じゃから行っといで」
そう言うと、メメはにこりと笑って俺のふくらはぎを軽く叩いた。
できた嫁だよ。俺は幸せ者だ。
「……ありがとう、メメ。愛してるよ。用が済んだらすぐ戻ってくるからな!」
「うん、待ってるのじゃ。いってらっしゃいじゃよ」
「ああ、行ってくる!」
俺はその場に片膝をつき、メメと軽く口づけを交わす。
それから再びすっくと立ち上がると、その勢いのまま屋外へ飛び出した。
「あっ、待ってよ父さん!」
「ソラたちも行くですー!」
待ってろよ、味噌!!
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