第67話 ギーロとチョコレート工場
平穏に日々は過ぎ、四月になった。
寒さはようやく和らぎ始め、緑の気配が近づいてくる頃。そろそろ夏、秋に向けて農作業の準備を本格的に始めなくてはならない。
とはいえ、俺は基本的に技術開発、指導を担う立場なので、今はもうあまり農耕に携わっていない。
農耕知識、技術の大半は既に村全般に流布が済んでおり、人手が足りないときや相談されたときなどに、顔を出す程度がほとんどである。
というわけで、農作業で俺がすることというと、今後村に広めて行こうと思っている植物の研究や生育実験の要素が強い。あるいは品種改良のための作付などか。
今のルィルバンプ村で育てている作物はいくつかあるが、来たる氷河期の本番に備えるためにも、寒さに強くて大勢を養っていける作物を見つけることは重要なことだ。
まあ、今俺が身を置いている氷河期の最盛期は、五万年くらいあとのことなのだが……。
それまでにも1500年~3000年周期で気温が乱高下する(学術的には「ダンスガード・オシュガーサイクル」と言われる)ので、備えておくことに越したことはないだろう。
と、いうわけでみんながせっせと農作業に精を出すのを尻目に、俺はいつもの研究所へと足を運ぶ。
いつも通りウサギたちを見て回り、ゼロ番の能力に変わりがないことを確かめたあとは、そのまま研究室を通り越して南の森へと足を踏み入れる。
もちろん踏み入れると言っても、奥へと入るわけではない。目的地は浅部だ。奥まで行って死にかけるのはもうこりごりだよ。
昔からこの森の恵みにあずかってきた俺たちだが、森の様子は最初の頃とあまり変わっていない。
これは資源の枯渇を懸念して植樹や除伐などの管理を行っており、手つかずの原生林にまで手を出す必要がまだほとんどないからだ。
十年前に始めた森の管理は、今では一つの部族が立ち上がって行われている。彼らのおかげで、森の浅いところは里山としての形態をなしていると言っていいだろう。
そんな森の浅部に、俺の実験農園はある。少し移動で時間を食うが、今試している植物に最適な生育環境がまだはっきりしていないから、どうしても本来の生育地……森の中でやらざるを得ないのだ。
「二人でこうやって何かするのも久しぶりじゃのぅ」
「そうだなー。子供たちに囲まれてるのは幸せだけど、お前との時間が減るのも事実だからな……」
「じゃなー。仕方ないけど、でもたまにこうやって昔みたいに二人でいる時間は取れるから、わしはそれで満足じゃよ」
「かわいいやつめ」
「じゃろー!」
……と、俺の上で満足げに笑うのはメメ。今日は久しぶりに、彼女と一緒だ。
今日は村全体で狩りが休みなので、バンパ兄貴とサテラ義姉さんが子守を買ってくれてな。こうして二人で出たというわけだ。仕事といえば仕事だが、デートみたいなものだな。
二人にももちろん子供はいるが、俺たちも兄貴たちのために子守を引き受けることはある。兄貴だけでなく、ガッタマやアダムたちと融通し合うことだってある。この辺りはお互い様で、ある意味習慣だな。
そしてこれは、俺たちだけの習慣ではない。村全体の習慣だ。
また、俺が始めたわけでもない。村の生活にある程度ゆとりができたころ、誰からともなく始まった。
しかし俺はこの習慣、大いにアリだと思う。
子育てがサピエンスよりは楽とはいえ、アルブスの女は小さい。だから子育てはやはり重労働だ。たまにはそこから完璧に離れて、のんびりする時間は必要だと思うんだよ。
それが夫婦の時間を確保する形になっているのは、余暇にできることが多くないからこその必然だろう。娯楽が少ないから、夫婦でデートを楽しむ習慣になっているのだと思う。
……ということで、今日はメメとデートだ。テシュミとは半月くらい前にしたので、入れ代わりになる。
まあ、俺は仕事込みなのだが……メメは俺が作業している様子を見ていることが好きだし、俺もメメと話しながら作業をするのが好きだ。
なのでこれはデートなのだ。普段は退屈な道中も、彼女といると楽しい時間だしな。
「思えば初めてギーロと一緒に何かしたのは、森でじゃったなぁ」
「懐かしいな。もう十三年……いや、十四年か? くらいは前になるか」
ディテレバ爺さんにけしかけられて、薪集めにメメを押し付けられたんだったな。
当時はメメの舌打ちの意味がわかっていなかったし、ロリ体系のアルブスの女なんてとんでもないと考えていた。だから余計な事をしてくれたという気持ちが、なかったとは言えない。
けれど、あれがなかったら俺とメメの関係は今とはまた違っていたかもしれないのも、間違いないと思う。あの配慮が無かったら、俺がメメを意識することがあったかどうか……。
「じゃのぅ。あの頃のわしはよくわかっておらんかったがのぅ」
「まあ今のチハルたちくらいの歳だったもんな。面白い親戚のおじさんくらいの感じだったんだろ?」
「うー、まあ、そうじゃな……。でも、あの頃からギーロのことがずっと好きじゃったのは本当じゃぞ?」
「マジかよ。すまんな、全然気づかなくて」
「ええんじゃ、自覚してなかったころからギーロは大事にしてくれたしの」
えへらと笑って、メメが俺の頭にすりすりと頬ずりしてきた。
その動きに合わせる形でちらりと顔を上げれば、髪の毛の隙間からのぞく目と目が合って、次いで額に軽くキスをされる。
かわいいだろ。これ、俺の嫁さんなんだぜ。
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さて、到着した俺の実験農園。現在ここに植えられているものは一種のみで、樹木だ。
一定間隔で植えられているそれらは、周りに植わった森の木よりも背丈が低い。小さいものでは二メートル程度。一番大きいものでも、五メートルあるかどうかといったところだ。
外見は、非常に奇妙な形をしている。根元から伸びた幹はすぐに左右に分かれ、ぐにゃりと弧を描いて上に伸びているのだ。
上部まで行くと二つの幹は再び合流を果たすが、重みでたわんで先端部が触れ合っているだけで連結はしていない。その形状は、正面から見るとまるでハートのようである。
そして枝は幹で描かれたハートマークの内側部分にしか存在せず、それも無数に生じた葉によって姿が見えない。
葉は小さめではあるが平たく幅広で、冬が近づくとかわいらしいピンクに紅葉したのち落ちるので、分類としては落葉広葉樹になるだろうか。
そんな葉の中にひっそりと、小さく控えめな白い花が点在している。花の見た目はスズランが一番近いが、下を向いてたり、五百円玉より一回りくらい大きいサイズだったり、連なっていないなど、違いも大きい。
これを奇妙と言わずして、なんと言おう。こんな奇怪な木など、前世ではまったく見たことがない。
今までは初めて見た動植物であっても、必ず「○○のような」と形容することができた。二十一世紀の地球には存在していないとしても、近しい種は何かしら見知っていて、存在を推測することができたのだが……。
こいつに関してはまったく当てはまるものが存在しない。おかげで最初発見したときは、何が何だかわからなかった。
「ほあー、これがチョコレートの木かの? 実は何度も食べたけど、木を見るのは初めてじゃ」
居並ぶ木々を見たメメが、感慨深げにこぼした。
「そういえば、ここに連れてきたことはなかったか。そう、これがチョコレート……チョコの木だ」
彼女に肯定を返しながら、俺も再び木――チョコの木を見た。
そう、俺はこの奇妙な形の木に、チョコレートと名付けた。
由来は至極単純。実の味が、どう考えてもチョコレートだったからだ。
初めて実を口にしたときは、木を見たときをはるかに上回る衝撃を受けたものだ。もう二度と食べられないと思っていたチョコレートの味に再会できた、ということももちろんだが、そんな味のものが存在することが何より驚きだった。
そもそもチョコレートというものは、実として木になるものではない。チョコレートの材料としてカカオの名前は有名だが、そのカカオがそのまま食べられるわけないのだ。
チョコレートは人間が作り出した加工菓子である。カカオの実を発酵、乾燥させたうえで、胚乳のみを取り出し、炒り、すりつぶし、砂糖などと混ぜ……などなど、様々な工程を経て完成する。
だというのにこの木は、そんな煩雑な工程にすがる人間をあざ笑うかのように、チョコレート味の実をつける。
その味わいは完全にミルクチョコレートであり、甘さと苦さが絶妙なバランスで同居する。おまけに中心に存在する種はどこからどう味わってもナッツかアーモンドの味であり……総評すると、控えめに言ってマカダ○アナッツだ。
甘味が極めて少なく、あってもシンプルな果物の味しか得られないこの原始時代にあって、これほど複雑で深い味は他に類を見ない。奇跡の味と言っても過言ではないだろう。
「花がついとるってことは、そろそろ実が収穫できるんじゃよな?」
「ああ。……まあ、春に取れる実は小さいし少ないし、味も少し落ちるが……」
俺が肯定すると同時に、メメが上から覗き込んできた。
「それでも他のものより断然おいしいのじゃ! じゃから楽しみじゃー!」
「……ま、それもそうだな」
にこにこと上機嫌のメメ。思わず苦笑しかけるが、気持ちはわかる。
味わいに乏しいこの時代に、突然流星のように現れたチョコレートの味は、明らかに他よりも一段上だ。メメだけでなく、村のほとんどの人間がチョコレートに夢中なのである。
ただし、安定して栽培する方法がまだわからない。要求する土壌や日光などはおおよそ推測ができるくらいにはデータが集まってきてはいるが、正しいと断言できるところにまでは至っていない。
思い通りに育ってくれないのだ。失敗すると、一切実をつけない。下手をするとあっさりと枯れる。しかし一見同じ条件なのに、大成功して成長した木もある。
正直、よくわからないというのが偽らざる本音だ。前世の知識がほとんど使えないから、絶賛苦戦中なのだ。動植物を人間に都合よく改良した先人たちは、本当に偉大だったんだなぁと現在進行形で思い知らされているところだよ。
とまあそんな植物なので、実の供給量は極めて少ない。
しかしこの木、春と秋で年二回実をつける。今俺が言った通り、春の実は色々と質が劣るのだが、それでも村のみんなにとっては待ち焦がれるごちそうとなっているわけだ。
「今年こそはこいつをうまく育てられるようにしたいが……どうにかならんものか……」
「ギーロでこんなに苦労するなんて、相当に難しいんじゃな、この木……」
「まあな……いまだに答えが見つからなくて困ってるよ」
「この木って、確か見つかってから九年くらい経っておらんかったか?」
「ああ、それくらいだな。アダムたちがうちに来たころに見つけたから……」
「じゃよな、それくらい経っとるよな。はー……本当に苦労しとるんじゃな……」
メメがしみじみと言うが、話が進まない最大の原因はこの木に関する前世知識が一切ないことなんだよなぁ。
そもそも他の事業は、前世に学んだ知識を生かしたものだ。つまり人類ン万年の歴史の中で、誰かが長い試行錯誤を繰り返して出した答えそのものであり、最初から答えがわかっている問題を解いていたに過ぎない。解決までの時間が短いのも当たり前なのだ。
だが、この木は前世に存在しない。つまり、答えどころか手がかりも知らない初見の問題だ。むしろ九年だか十年だかで解決できたら、それこそ天才というものだろう。
ではなぜこの木について何も知らないのかと言えば、単純に二十一世紀まで存続できなかったのだろう。絶滅種というわけだ。
この木、村の南の森のほとんど最奥、山のふもとの樹海の中にあったんだよ。生育に多めの日光が必要な陽樹なのにだ。
恐らくだが、本来の歴史では成長するための日光をろくに得られず、そこから逃れる術も手に入れられず、死に絶えたのだと思われる。
実際、俺が死にそうな目に遭いながらなんとかこの木を見つけたとき、その数は極めて少なかった。寿命で巨木が倒れたことでできた森の穴……深い森の中で例外的に日光が降り注ぐことになった地点に、申し訳程度に十数本が存在するだけだったのだ。俺の推測は、間違っていないと思う。
……この間(第六十五話)、ダイチが俺のことを「森の奥まで行くと言って無茶した」と言っていたのは、実はこのチョコの木を探すためにやらかしたことだ。
いや、だって仕方ないだろう? 元日本人として、チョコレートの味がするものがあると知ったら何が何でも手に入れたいと思うじゃないか。
まさか樹海の奥の奥にあるとは思っていなくて、リアルに何度か死にかけたが……それだけの危険を冒した価値はあると今でも自負している。
ちなみに、チョコの木のことが発覚したのは、アダムとハヴァのおかげだ。南の山を越え、森をも越えてやってきた二人は、この森の中で見つけた「ものすごくおいしい木の実」を村に到達したときにも少しだけ持っていたのだ。
お礼にとその実をもらって食べた俺は、即座に木を探すことを決意。今までずっと避けてきた森の中へ突撃した、というわけだ……。
「……お? あそこ、一つだけ実ができてるな」
昔のことを思い出しながら、チョコの木を一つ一つ確認していると、気の早い実を見つけた。
「本当じゃ! ってことは、これから続々チョコの実ができてくるんじゃなっ?」
「だな。今年の春はどれだけ集まることか……」
ちなみに、今までで最高の収穫高は去年の秋の百三個だ。今の村の胃袋を支えるには、まったく足らない。
「……ま、それはもうちょっとあとのお楽しみだな。こいつはとりあえず、研究者の特権として俺たちでいただいちまおう」
「やったー!」
俺がにやっと笑ってチョコの実に手を伸ばせば、メメが諸手を上げて喜んだ。
そんな彼女のためにチョコの実を割る。表面は少し厚めの褐色の皮に包まれていて、食べるにはそれをすべて取り除く必要がある。みかんみたいな感じだ。
だが肝心の中身は、硬さや密度、舌触り、色に至るまでチョコレートにそっくりでな。割ろうと思ってもうまく割れない。
なので口に含んで噛み砕き、お姫様抱っこのスタイルに変わってもらったメメに口移しで渡すことにする。
「ん」
「んー……」
そして唇と唇が触れ……そうになった、その瞬間だった。
「……っ!? うっ、うぇっ、げほっ、ごほっ!」
「メメ!? どうした!?」
いきなりメメがえずき、盛大に咳き込んだ。
突然のことに思わずチョコの実を飲み込んでしまったが……メメが苦しそうに顔を歪めているのだ、そんなことを言っている場合ではない。
とりあえずその場に降ろして、少しでも楽になれるよう背中をさすってみる。最悪の場合、自分の指を噛み切るなりして、血を分けることも考えないと……。
「えふ……っ、おふ……っ、う、ううぅー……」
「だ、大丈夫か? とりあえず少しは落ち着いたみたいだが……」
「うー……うう、心配かけさせてごめんなのじゃ……」
「何を言ってるんだ、お前は大事な嫁さんだ。それにお前に万が一のことがあったら、俺は……」
「ぇうー、けほっ、ありがとなのじゃ……」
涙目のまま、メメが俺の首筋に両手を回す。そのまま顔に顔を近づけてくるが……。
「……ぅえっ、う、あぅー、や、やっぱしそういうことかー……」
「な、なんだ? 一体どうしたんだよ?」
顔を近づけてむせるとか、俺から何か嫌なにおいでも出ているのか?
まさか加齢臭? だとしたら滅茶苦茶ショックなんだが……。死ぬぞ、俺……。
「ち、チョコの木に近づいたときから匂いが気持ち悪いって思っとったんじゃ……」
「……んん? なんでだ、お前いつもチョコの匂いが好きで、チョコの実も大好物だったじゃ……はッ?」
好きなものの匂いが急に受け付けなくなる?
その症状、心当たりがあるぞ。ここ十年で、何度も目にしてきた症状だ。
メメも同様に心当たりがあるのだろう。俺に向けてこくりと頷いてきた。
「……まさか、メメ……」
「うん……できたんだと思うのじゃ……」
どうやら、天国のディテレバ爺さんに報告することができたようだ。
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