第65話 ウルフライダー
さて、同日の昼下がり。
無事バンパ兄貴たちが帰ってきたので食事も済ませたところで、俺はチハルを伴ってアダムの工房へと再びやって来た。
それから今後の狩りにも影響が出ないとも限らないので、兄貴にも顔を出してもらう。ついでに、日課を終えて暇だからか、ダイチもついてきた。
「ヤー、みんなよく来たネ! 歓迎するヨー!」
「こんにちは、アダムおじさん!」
「どうも」
アダムがにこやかに出迎える。そんな彼に、チハルとダイチが言葉を返す。
最後に兄貴がアダムと握手を交わした。
「やあアダム。今日はまたギーロと一緒にいいものを作ったと聞いて、見に来たぞ」
「いいモノ……ウーン、いいモノかナー、アレ?」
「おや、自信がないのか?」
「出来はいいって自負してるヨ! デモ……上手く使えるのかドウか、正直わかんないネ。ギーロの考えることだカラ、大丈夫だとは思うンだケド……」
「ああ、なるほど。つまりいつも通りということか」
「マ、そうトモ言うネ」
ひどい言われ様である。いや、気持ちはわかるけども。
俺は人類が積み重ねてきた歴史が、その有用性を証明している道具だけを作っているだけなのだが、この世界にはまだそんな積み重ねはないからな……。
「えへへ、楽しみだね、ダイ兄さん」
「叔父貴のやることはいつも突拍子ないから、俺は不安だぞ。昔森の奥まで行くとかって言って無茶したって聞いてるし……」
「えー、今回は道具だから大丈夫でしょ? 使い方間違えなきゃいいんだよ!」
「だといいんだけどな……」
ダイチの目が疑わしい。
少年よ、その疑う心はある意味貴重だ。なんでもかんでも信じてしまうのも問題だからな。
君はそのまま、俺や兄貴に意見や疑問をぶつけられる大人に育ってくれると、おじさんは嬉しいよ。
ただ言い訳をさせてもらうなら、森の奥まで行ったのは是が非でも欲しいものができてしまったからで……いや、その話はまた後にしよう。
「よし、それじゃアダム、例のものを……と、その前に、チハル」
「え、なぁに?」
「ゴウをここへ呼んでくれ」
「え、なんで?」
「説明はあとでするが、ゴウにも関係あることだからだ」
「ふぅん……? よくわかんないけど、わかった!」
チハルは少しだけ首を傾げたが、すぐにこくりと頷き、外に顔を出した。
そして、
《ゴーーーウ! 来てーーーっ!》
そのまま狼の声を真似て吠えた。
これは俺のような、言語自動修得によるものではない。あれはチハルを始め、子供たちにはまったく遺伝していない。
だが、チハルはもっと小さいころから日常的に狼と一緒に行動していたので、彼らの言葉を細かいニュアンスまで覚えているのだ。俺も少し教えたが、大部分は彼女の努力の結晶と言える。
要するに、これは彼女の純粋なスキルというわけだな。
《どしたーーー!?》
すぐさま返事の鳴き声が村に響き渡る。それも複数。
三回目の鳴き声が聞こえたころ、工房の中に一匹の狼が飛び込んできた。
《どした兄弟! 何かあったか!》
なんて、狼らしからぬ鳴き声を上げながら。
初めてここに来たときのことが忘れられないのか、それを見たアダムが思わずといった様子で一歩あとずさる。
一方俺と兄貴は動かないが、ダイチは警戒した様子を見せた。
しかしチハルはと言えば、狼を正面から受け止めて、全身で楽しそうに毛並を堪能し始める。完全にペット感覚だ。
この狼こそ、チハルがよく乗ってその辺りを走り回っている狼である。
名前は
《ボスが呼べって言った!》
《ボスが! わかった! ボス! どした!?》
チハルに言われて、ゴウは兄貴の前にちょこんと座った。
その様は、リキを髣髴とさせる。こういうところを見ていると、性格も遺伝するんだなと思ってしまう。
だが、彼にかしずかれた兄貴は困惑顔で俺を見た。すまんな。
何と言っても、十年経ってもなお、狼たちにボスと認識されているのは相変わらず兄貴なのだ。ボスが呼んだと言われれば、彼らはまず兄貴の下に来る。
もちろんそうされても、兄貴に狼たちの意図するところは伝わらない。さすがに十年、共に狩りをして生活しているので、わかる部分も出てきてはいるが、完璧ではない。
なので、やはり俺が通訳なのも、相変わらずだ。
《ボスの命令、お前、兄弟乗せる》
《わかった!》
ゴウは祖父に負けず劣らず、犬じみた狼だ。尻尾を振り振り、チハルの前にスタンバる。
この十年間、それでいいのかと思った回数はもはや数えきれないが、今回はこいつのこういう性格がやりやすい。
ゴウ以外の狼は普通に相応の警戒を示すし、懐いて来る気配がないので、リキとゴウが特別なんだと思う。
ちなみに、リキとリンはまだ生きている。
生きているが、さすがに十年も経つと相当に老け込んでしまった。二十一世紀ならそれでもかなり元気なのだろうが、何せ原始時代だからどうしても限界がある。最近はあまり動くこともなくなってしまった。
とはいえその分、のんびりと兄貴の家の近くで余生を過ごしているが……。
「……え、父さん、どういうこと?」
「まあまあ、そう焦るな。……アダム、例のものを」
「はいヨ」
視線を一身に浴びながら、俺はアダムから鞍を受け取る。瞬間、その場の視線が、俺から鞍へと移った。
《ボスの命令、動くな》
《おう!》
そして兄貴の名前を笠に着つつ、ゴウに待機命令。
この隙に、俺は鞍を彼の背中へと取り付ける。
狼の身体は、馬とは違う。なので、要となる部分の構造はともかく、身体に取りつける部分は馬具としての鞍とは変えてある。
具体的には、二十一世紀で言うところのハーネスのような構造になっている。その背中部分に、鞍が取りつけられている感じだ。
これはできる限り動きやすさは残しておきたかった、ということもあるが、狼の身体の構造上、これ以外に妥当な形が思いつかなかったというほうが大きい。
それから手綱の類は、今回はない。今のところチハルとゴウの関係が上下ではなく対等なので、従えさせるようなものはないほうがいいかと思った結果だ。
なに、細かい制御は念動力でなんとかしてくれるだろう。他の女に使えるようにするときにどうすればいいか、まるで無策だが……それはそのとき考えればいいや。
「……よし、と。こんなところかな。アダム、お前から見てどうだ?」
「うン、この辺りチョット緩めたほうがよさそうかナ。逆にこことここは締めたほうがよさそうダヨ」
ふむ、悪くないな。
じゃあゴウのほうはどうだ?
《重くないか?》
《余裕!》
《痛いところは?》
《ない!》
……問題なさそうだ。
じゃあ、アダムには今指摘してくれた部分を修正してもらおう。
大丈夫、何もないように押さえておくから。
「……父さん、これっ、もしかして!」
そこに、我慢しきれなくなった様子でチハルが食いついてきた。
「たぶんお前が考えている通りだ。ここに乗るんだよ」
「やっぱり! 乗るための道具なんだね!」
「ああ。そのまま乗るより、こっちのほうが楽に乗れるはずだ」
「すっごーい! じゃあ、今までより速く走れるかな!?」
「たぶんな」
「わぁーっ、楽しみ!」
チハルの後ろに、ぶんぶん揺れる尻尾の幻が見える。そんなに嬉しそうにしてくれると、俺も嬉しいよ。
「叔父貴、こいつただでさえすごい速度で走るのに、もっと速くなったら危ないじゃないか!」
おっと、ここでダイチから反論が。
言いたいことはわかるが、ここまで来たプロジェクトをやめる理由としては弱いな。
「そこは使い方の問題だな。何も常に最高速度で走るわけじゃないんだから。その辺りの制御はチハルにはできるよ。そうだろ?」
「うん、大丈夫! それに、ボクとゴウは兄弟だもん。話聞いてくれるよ!」
「だ、そうだ」
「いや、そ、そういうことじゃなくて……!」
ダイチはチハルのほうを見て、せわしなく目を泳がせている。たまに頭をかいたりして。
そこまでうちの娘を気遣ってくれるのは嬉しいのだが、こういうときは素直に言わないと伝わらないと思うぞ。
それに、気遣いは加減を間違えると束縛になる。察してほしいという気持ちは前世の経験から理解できるが、やめておいたほうがいい。
……まあ、素直に言っても気づかない可能性があるのがチハルという子なんだけども。
「うーむ……これはすごいぞ。色んなものが変わるかもしれない」
そして一方で、一を聞いて十を知るのが頼れる兄貴だ。どうやら、動物に騎乗するという行為の利点を正確にとらえたらしい。本当にこの人は原始人なのだろうか。
「ど、どういうことだよ親父?」
「いいかダイチ、狼の走る速度は瞬間的には俺たちより断然速い。それに乗って移動できるとなれば、狼と似たような速さで移動できるということ。となれば、今まで狩りについてくるときに負担がかかっていたチハルの移動は問題がなくなる」
あ、やっぱり身長差から来る歩幅の違いは、チハルへの負担になっていたのか。チハルは大丈夫だと言うし、いつもケロッとした顔で帰ってくるから気にしていなかったが……まあ当たり前か。
たぶん、念動力を駆使して移動についていっているのだろう。よくよく考えると本当にとんでもない娘だな。
「それに、獲物を追いかけるとき、追い込むときも優位に動けるだろう。逃げるときも同様だ」
「に、逃げるときも……なるほど、そうか……」
「さらに言えば、短い時間で長い距離が移動できるだろう。なら、情報を早く届けられるはずだ。ケデロシオ村とのやり取りも、うまくやればもっと円滑にできるはず……」
「さすがすぎるよ、兄貴」
「やはりそういう意図があったか」
俺に付け加えられることは、せいぜい数頭の狼で車を引かせて、ものを大量輸送するくらいだ。ほぼパーフェクトだよ。
……まあ、犬ぞりの要領で、狼チャリオットなんていうのも考えはしたけども。そういう物騒な使い方は、この時代にはいらないだろう。
「ヨーシ、こんな感じカナー。サ、ちはるチャン、乗ってみなヨ」
「ありがとうアダムおじさん!」
と、そうこうしているうちに調整が終わったらしい。いよいよだな。
「チハル、そこに紐と平らなものが垂れ下がっているだろ? それに足をかけて乗るといい」
「これ? これに足を……わっ、なるほど! これ便利だね!」
俺の言葉に素直に従って、ひらりとゴウにまたがるチハル。普段から慣れているからか、その所作はよどみがなくて軽やかだ。
「だろう? 乗っているときもそこに足をかけておけばふんばれるようになるから、お前が得意にしている跳び上がったりとかもできるようになるはずだ」
「本当!? とーう!」
続けた俺の説明に、チハルは早速とばかり跳躍した。念動力のアシストがあるので、あっという間に工房の天井にまで届いてしまう。
「すごいすごい! これ、すっごいよ!」
そしてはしゃぎながら、万有引力に引っ張られて戻ってきた。
その際に、二段ジャンプの要領だろう。ひょいと落下の軌道を調整して、元通りゴウの背中に着地した。前世の物理学者に助走をつけてぶん殴る所業である。
「よし。それじゃ走らせてみるか?」
「うん!」
ということで、一路工房の外へ……、出るや否や、即刻ゴウを走らせるチハル。
ダイチがあっと声を上げて追いすがろうとするが、既にチハルはゴウともども手の届かないところへ走り去ってしまっていた。
「……いつもより速いな」
「兄貴もそう思うか。行けると思うか?」
「ああ、俺は行けると思う」
「そうか、じゃあひとまず成功かな?」
「二人とも呑気に話してる場合じゃないだろっ!?」
「ただいまー!」
「うわぁ!?」
ダイチが俺と兄貴に声を上げた直後、彼の真後ろからチハルが戻ってきた。ある程度のところで自制したようだ。いい子だ。
「どうだ?」
「父さん!! これ!! すっごいよ!! 前より速いのに全然落ちないの!!」
「そ、そうか。気に入ってくれたみたいで何よりだ。色々と案を考えたかいがあったというものだ」
「これっ、これ、ボクがもらっていいんだよね!?」
「もちろんだ。お前のために作ってもらったんだからな」
「本当にいいの!?」
「ああ。少し早いが、十歳の誕生日プレゼントさ」
「わあぁぁーい!!」
気づいたら、目の前にチハルの輝く顔が迫っていた。念動力ジャンプで飛び込んできたな?
しかし俺は慌てない。でんと構えて、彼女の身体を真正面から受け止める。
「ありがとう父さん、大好き!!」
追撃のキスの嵐ももちろん受け止める。
かわいい子のためなら親はなんでもできるものだが、やはりそれで喜んでもらえるというのは途方もなく嬉しいな。こんな経験ができただけでも、転生してよかったとつくづく思える。それがたとえ、何もない原始時代であっても……。
……ダイチ、あまり恨めしそうな顔をするんじゃない。言うなればこれは、父親の特権というやつだ。
「ふふふ、大事にするんだぞ」
「うん!! ……ねえ父さん、ボク、その辺走ってきていい!? もっとゴウと走りたいの!」
「あまり遠くまで行くんじゃないぞ。それから、日が暮れる前には帰ってくること。できなかったらメメのお説教だ。いいな?」
「う、うん! 絶対守る!」
「よし、いい子だ。じゃあ行ってこい」
「はーい!!」
俺の言葉を受けて、チハルは俺の身体をジャンプ台にしてゴウの下へすっ飛んで行った。
……結構な脚力だ。胸元が少し痛むぞ。すぐ収まるけどさ。
「よーし、ゴウ! 行こう! おんおんおーん!!」
《おっしゃー!!》
そして一人と一匹は、俺たちが見守る中で風になった。
やがて彼女たちの姿は視界から消え……そこで、アダムがぼそりとつぶやく。
「……乗った状態で不具合あるカどうカ、聞けなかったんだケド……」
「……あっ」
そして俺も風(の、できそこない)になった。
運動不足の身にのしかかった急激な運動で、俺が死にそうになったのは言うまでもない。
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