第64話 サピエンスといっしょ
カイコとスズメバチの巣箱の掃除を一通り終えて、空を眺める。昼飯までもう少しと言ったところか。
微妙な時間ができてしまったな。今から何かをするには足りないが、何もしないとなるといささか持て余す。
バンパ兄貴たちが戻ってくれば話は別だが、今日はまだ帰ってきていない。少し手間取っているのかもしれない。
「うーん、どうするかな。ゼロ番と戯れるか……」
ゼロ番を落とさないように伸びをしながらひとりごちる。特に生産性はないが、たまにはそういうのもありかな。
などと思っていると、できなくなるのはある意味でよくあることか。
俺はこちらに小走りで近寄ってくる人影を見つけて、頭上で手を振った。
「シショー!」
「ようアダム、どうしたんだ?」
サピエンスのアダムだ。彼が俺の前までやってきた。
あれから十年が経ち、恐らくは二十代半ばと思われるアダム。サピエンス的には全盛期とも言える時期であり、その体格はだいぶよくなった。
十年前はまだ幼さを残していたが、今では立派な大人だ。背丈はエッズくらいだが、身体つきはかなりの筋肉質で、サピエンス的には相当なマッチョだろう。顔も精悍になった。
さらに言えば、整える道具があまりないこともあって、髭が顔の下半分を覆っている。髭はアルブスにとって縁のないものなので、その様はだいぶ特徴的に見える。
「前にシショーから頼まれた、例のアレが完成したヨー!」
「例のアレ? ……ああ、アレか! なんだ、遂にできたのか!」
「そうデース! デモちゃんとできたかどうか、シショーに見てほしいネ。ソレに、実際に使ってみて、細かいところの調整もしたいヨ!」
「なるほどなるほど、大事だな、うん! そうか、遂にここまで来たか……」
アダムとうんうんと頷きあう俺。これはどうやら、半端な時間を潰すにちょうどいい話が舞い込んできたようだな!
「よしわかった、すぐにアダムの工房に行こう。早速見てみたい」
「了解ネー!」
片言で笑顔を浮かべるアダム。彼にやはり頷いた俺は、ソラルに断りを入れてこの場を離れることにした。
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アダムとハヴァは、今や完全にルィルバンプの一員として定着している。外様中の外様であるが、アルブスたちはやはりそうした警戒心が薄いようで、アダムたちに隔意はないまま今に至っている。
そしてアダムはこの村の中で、モノづくりを担うなかなかに重要な立場にある。彼は多くの工作を、平均以上の水準でこなすことができるのだ。
確かに彼以上の結果を出せる職人はいるのだが、皮なめしも、土器作りも、木工も、建築も、すべてを一人で賄える人材は彼しかいない。俺のような器用貧乏ではなく、文字通りの万能タイプということだ。
特に木工と建築については、村でも屈指の実力者である。それがどれほどのものかといえば、日本の建築技術の一つである木組みを行えるレベルに王手をかけていると言えばおわかりいただけるだろう。
釘を使わず、削った木同士を絶妙に組み合わせることで、強度を担保するという木組みは、熟練の宮大工などにしかできない技だ。アダムはそれをもう少しで体現してしまいそうなのである。
しかもアダムのすごいところは、創意工夫でそれを半ば自ら編み出した点だ。
もちろん、とっかかりとして俺の前世知識があったのは間違いない。小麦作りが軌道に乗ったころ、保管のため本格的な高床式倉庫を作りたかった俺は、木釘くらいしか使えない状態だったこともあって、未来の到達点として木組みについて少し説明したのだ。
だが俺は前世で大工だったことはないので、概要しか知らなかった。だから倉庫作りに導入されることはなかったのだが……。
その過程でアダムは木組みに興味を持ち、挑戦するようになったのだ。何事にも関心を向ける知的好奇心と、持ち前の向上心ゆえだろう。
日ごろはアルブスの身体能力で隠れがちだが、サピエンスもやはりすごい生物だとつくづく思ったものだ。特に頭脳労働と実行力については、アルブスの誰よりも優れているように思う。
そんなこともあって、ここ十年間で俺は一人で何かをするという機会が減った。何らかの道具を必要とした場合は、大体アダムの協力を仰ぎ、彼の頭脳と技術力を借りることが常となったからだ。
おかげで棚や机はもちろん、食器の類に至るまで完成させることができた。正直言って、俺だけでは絶対に無理だったろう。
そんなアダムだが、俺のことをなぜか
そりゃまあ、俺の性知識は何万年も先を行くものだし、そもそもサピエンス用のものではあるのだが。だからと言って、そっち方面で師匠扱いはどうにもきまりが悪いよ。いや、一応俺の知識全般について尊敬されているらしくはあるけれども。
第一、俺の夜の体力は超治癒力で身体の負担が限りなく少ないことと、次弾装填速度がおかしいことが由来なのだ。なんのサポートもなしに、ハヴァ一人を相手に十年で九人も(今も残っているのは五人だが)子供を産ませたアダムのほうが、よっぽど夜の帝王だと俺は思うぞ。
「ハイ、これが完成した鞍ダヨ」
「おぉぉー、さすがアダム! ちゃんと仕上がってるじゃないか!」
アダムの工房で、彼に手渡されたもの……鞍を見て、俺は思わず声を上げた。
掲げたり抱えたり回したりして様々な角度から眺めてみるが、素人の知識では何も問題ないようにしか見えない。
軽い木材で作られているようで、楽々持ち上げられるのもいい。あぶみもしっかり取り付けられている。サピエンスすごい。アダムすごい。
しかも単純に木で作っただけでなく、腰を下ろす部分にはなめした革を張るという気遣いも見える。これは俺、確か言っていなかったはずだが……。
「革張りにしたんだな」
「デース。座るのに使うって聞いてたシ、だったらそのままよりこっちのほうがイイって思ったネ」
「いい判断だ。居住性は大事だからな」
人間は劣悪な環境でもある程度慣れることができるが、そうでないに越したことはない。
特に鞍なんて、これに乗って相応の時間、距離を移動するわけだから、車のシートと同じく座り心地はいいほうがいいに決まっている。
「……デモ、シショー? コレ、作ったはイイけど本当に使うワケ?」
「当たり前だろ、じゃないと作った意味がないじゃないか」
「エェー、ソレはわかってるケドー、やっぱりどうかと思うヨー!」
事前に使用目的を教えているからか、アダムは表情をゆがめてイヤイヤとばかりに首を振る。
まあ、彼の気持ちもわからないではない。動物に騎乗するという行為は、人類が文明を築いて以降に生み出された概念になる。この時代ではありえないのだ。
「狼に乗ろうとか、フツー考えないヨ!」
特に、対象が狼となれば余計、な。
「それは俺じゃなくてチハルに言ってくれよ。俺だって娘が狼を乗り物にするなんて、思ってもみなかったんだからな」
「イヤイヤイヤ、それフツー止めるヨ!? フツーの親なら止めてるヨ!? 『じゃあモット楽に乗れる方法ヲ作ろう』とか、シショー以外が言ったら俺、笑ってたネ!」
「いや、だって実現したら便利じゃないか。女子供も楽になるだろうし……」
「……シショーはそういうトコロ、どっかズレてるよネ……。その発想力はホント、素直に尊敬するヨ……」
「はははこやつめ」
考え方がずれているのは否定しない。完全に馴染んだとはいえ、俺の中には日本人だったころの考え方がしっかり残っているのだから。
だが発想力については、単に未来を知っているからこそでしかない。俺が優れているわけではないのだ。
その点で言えば、子供たちのほうが柔軟だ。俺が思いもつかないようなことをやって驚かせてくれる。
確かにチハルは物心ついたときから、リキ・リン夫婦の子や孫たちと遊んていたものだが。まさか大人になった彼らに乗って俺の前に現れるとは、夢にも思っていなかったぞ。あのときは心臓が止まるかと思った。
まあ驚いたのは最初だけで、大人になっても百三十センチに満たない個体がほとんどのアルブスの女なら、狼を乗騎にできるのではないかと閃いてしまった俺も俺かもしれないが。
何より、念動力で狼を御し、そこらで乗り回すチハルの姿は、新時代の到来を予感させたね。
チハルのように身体強化に魔術を使う女の子たちが、狼に乗って戦う騎士団とかどうだ? 身体の脆弱さを補ってあまりある戦力になるだろうし、何よりロマンじゃないか。
なので俺は、村でも指折りの木工職人であるアダムに頼んで、狼の身体にあう鞍とあぶみの開発を頼んでいたというわけだ。
なお、チハル向けに用意していた鞍だが、本人にはまだ内緒だ。
これは十歳のサプライズプレゼントにするつもりなのだ。ソラルにだけプレゼント、というのは不公平だからな。
まあ、それも今日明かすことになりそうだ。最終的な調整はやはり、騎乗者の意見と体格に合わせて行うべきだろうし。
ちょうどソラルの誕生日プレゼントも今日渡してしまったことだし、いいタイミングだろう。
「……でも確かニ、狼に乗れたら便利なのはホントだネ。アルブス女ハみんなちっちゃいからネ」
「だろう? もちろんそのためには色々越えないといけないものはあるが……チハルは色々と規格外だから、なんとかしてくれると思う」
「もしうまくいったラ、普通の女でも扱えるようニまた何かするんでショ?」
「そりゃあな。道具と技術は不特定多数を豊かにしてこそだからな」
「普通のアルブス女ができるようニなるとは思えないケドね……。俺の子供たちにすら手焼いてるシ」
「アルブスは十年も経てばほぼ大人並みに考えて動けるけど、サピエンスは成長速度が遅いからな……。勝手が違うんだよな……」
アルブスの子育て、意外と楽なんだよ。今俺が言った通り成長が早いから、手のかかる期間が短いのだ。
前世では子育ての情報を知れば知るほど気が重くなったものだが……この辺りは種族の違いがはっきり出ていて、興味深い。
「でも、話戻すけどサ……動物に乗るって考え方は俺もいいと思うンダ。特に俺たち男が乗れるような生き物を見つけテ、育てていけたら超便利じゃナイ?」
「そっちの可能性も模索していきたいな。それができたら、もっと遠くまで行けるし、やれることも増えるだろう。夢が広がりんぐだ」
「イェーヒロガリングー!」
俺の言葉に、アダムが陽気に笑う。
つられて俺も笑ったが、さすがに男のアルブスを乗せられる生物はなかなかいないんじゃないかとも思う。
……黒王号みたいな馬がいたらいいな。マジで。
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