第63話 動物実験

 先ほどは実験動物小屋を一つのくくりでさらっと説明したが、実のところ実験動物小屋は一つではない。複数の動物を、ある程度距離を置いて別々の小屋に収めているのだ。

 そしてその小屋も動物一種につき小屋一つというわけではないので、全体で見ると大小さまざまな小屋が複数、研究室に併設されていることになる。ものによっては「併」と言えるほど近くないけども。


 で、今のところ俺が飼っている実験動物はウサギ、スズメバチ、カイコの三種類になる。


 このうちウサギは、最初に村で家畜化したウサギ(三十一話参照)と同じ種だ。以前も言った通り、二十一世紀のウサギとは違う点もあるが、ウサギと断言していいと思う。

 サテラ義姉さんたち女性陣が食用に育成していたウサギの中から、数匹を分けてもらって現在に至る。


 一方のスズメバチとカイコは、二十一世紀で見られるものとは様々な点で差異がある。なので、今まで俺が遭遇してきたすべての動物と同じく、原種、もしくは近縁種か何かだろう。

 だからスズメバチやカイコという命名は、あくまで俺の主観によるものだ。それぞれの名称は俺の知っている二十一世紀のスズメバチ、カイコに似ているから、というだけの名称に過ぎない。

 なので、前世で定義されていた法則に従って厳密に区分したら、もしかしたらまったく異なる種である可能性は否定できない。まあ、その辺りは後世の生物学者がなんとかするだろう。


 さてそんな俺の実験動物たちだが、お察しの通り、遠くに置かれているのはスズメバチだ。地球上の生物の中でも比較的危険度の高いこの生き物を、よもや村の真ん中で飼うわけにはいかない。村の外れの研究所の、そのまた外れで飼っている。


 多くの人は、俺のこの決定を聞いたら驚くだろう。しかし食に対して異常な執念を燃やす日本人は、スズメバチを食う地域もある。だから飼うという行為自体は別におかしくもなんともないのだ。

 中にはあえてスズメバチを育てる人もいるし、なんなら育てた巣の重さを競うコンテストすらある。

 競った後は、もちろん食う。日本人をなめてはいけない。


 まあ、俺は村の大半から狂人扱いを受けたけども。変人扱いで留めてくれたのは、バンパ兄貴とメメ、テシュミ、それにアダムくらいのものだ。

 だが、俺はこのスズメバチに可能性を感じている。狂っていると言われても気にしないぞ。


 ……と、ここまで語っておいてなんだが、連中は食うために飼っているわけではない。前提は実験用なのだから。

 いや、もちろん(?)食うこともしているが、それが一番ではないのだ。


 ただ、今はまだ冬。なので実は、スズメバチは一匹も活動していない。カイコもだ。変温動物である彼らはこの時期、冬眠の真っ最中なのだ。

 なのでそちらについては、申し訳ないが季節が巡ってからということで大目に見ていただきたい。


「ウサギの健康状態はー……っと……」


 独り言をつぶやきながら、ウサギ小屋の中身をチェックしていく俺。


 見るべきポイントは、彼らの健康状態だ。

 中に収められているウサギは、オスとメスに分けた状態ですし詰めになっている。これは研究のためにあえてやっていることだ。


 もちろんそんな状態が続けば、ウサギたちはストレスなど様々な要因で体調を崩す。場合によっては、ケンカして互いを傷つけあうこともある。

 実際、今日も二匹のウサギが他のウサギの下敷きになってぐったりとしていた。


 ……が、これが俺の目的だったりする。目で見てわかるくらいに衰弱してくれていないと、観察がしづらいからだ。

 いささか非人道的にも思うが……それを言ったらマウスやラットはどうなんだということになる。人間の都合で申し訳ないが、あまり深く考えないでいただきたい。


「……えーと、今日は一番と七番か。この二匹は定着なし、と……」


 粘土板にメモして、ぐったりしている二匹のウサギを小屋から出す。次いで、ウサギ小屋の真ん中にある空の小屋へと運ぶ。


 俺がそこで手を放しても動く気配がない。結構参っているようだ。

 その二匹を眺めながら、小屋に設置しておいた小刀を手に取る。


「……よいしょっと」


 そして小刀で、左手の人差し指を深めに切りつけた。それなりの勢いで血があふれる……が、俺の身体に痛みは走らない。

 俺とてこの十年間、ただ研究だけに費やしていたわけではない。痛覚遮断の能力……魔術は有効範囲が広がっており、自分にも適用できるようになったのだ。おかげさまで妙な度胸だけはついた。


 さて、そうやって出てきた俺の血。もはやおなじみ、万能薬である。

 こいつを一番のウサギに与える。


 当たり前だが、動く気力のないウサギだ。そしてそもそも草食動物だ。血を飲むなんて普通はしない。

 しかしそれでも飲ませる。強引にでも飲ませる。一切動かないので、少し手間取るが……問題はない。


「……ふう。これでよしと」


 血を飲ませ終わったあと、人差し指に目を向ける。既にその傷はふさがり始めており、血はほとんど止まっていた。相変わらずとんでもない超治癒力だ。


 この血の効果により、一番はすぐに元気になるだろう。それは過去の実験データから明らかであり、実際しばらく様子を見ているだけで、不調がなかったかのように動き出した。これまた相変わらずの効能である。


 なぜこんなことをしているのかと言えば、当初は俺の超治癒力の効果範囲を調べるためだった。


 きっかけは、チハルたちが生まれて一年くらいのころ。体液によって治癒効果に差があることに気がついたことである。細かい経緯はちょっとアレなので省くが。


 この程度を調べるために、ウサギを飼い始めた。まさか村の仲間に血液だのなんだのを飲ませるわけにはいかないから、妥当な判断だったと思う。

 で、現在は対人での効果は大体解明が済んでおり、次の段階にいるというわけだ。


 ちなみに効果の差についてだが、今のところ血液が一番効果が高い。特に経口摂取した場合は劇的で、傷はおろかあらゆる身体の不調がたちどころに治る。とんでもない代物である。


 逆に一番効果が低いのは尿だ。効果がないわけではないが、血液に比べたら月とスッポンくらいの差があった。それでも軽い切り傷程度なら一日で治るから、化け物じみていることには変わりがないけども……。

 マジかとお思いの皆さん、大マジである。俺も驚いたよ。


 話を戻そう。


 ともあれ次の段階というのが、哺乳類以外での実験である。昆虫にも手を出しているのは、そういう理由だ。

 それが一段落したら、植物相手にも試していこうと思っていたのだが……。


 この哺乳類以外での実験を始める直前、俺はとんでもないことに気がついてしまった。なので今は当初の予定は二の次で、そのとんでもないことについての調査がメインになっている。


「ゼロ番は……今日も超元気だな」


 一番と七番のウサギを入れた小屋をいったん離れ、その発端となったウサギの下へ向かう。


 そいつは、一匹で専用の小屋を与えられている。さらに、体格は他のウサギを圧倒する。軽く一回りは大きく、比べる相手によっては二回り以上もの差がある巨体。原器がないので目測になるが、一メートル近くはあると思う。

 このため、彼はある意味でウサギたちの王と言えるかもしれない。餌などは他と変わらないのだが。


 そのゼロ番。俺が小屋を覗き込むと同時に、まるで犬のようにはねながら顔を寄せてきた。狼と違い、彼らには言語自動修得が働かないのでよくわからないが、懐かれているのは間違いないだろう。

 小屋から出してやれば、まさに犬さながらに飛びつき、俺の肩に乗って俺の顔に身体を摺り寄せてくる。かわいいものだ。


「お前との付き合いももうそろそろ九年目だな」


 ウサギには声帯がないので犬や猫のような鳴き声は上げないが、それでもゼロ番は嬉しそうに鼻を鳴らした。


 そう、こいつはウサギにしては長生きである。一般的なウサギの寿命は五歳から十歳と言われているので、まだ常軌を逸した数値ではないが、俺には分かる。こいつはいずれその域に達すると。

 なぜか? 答えはシンプルだ。


「じゃあゼロ番、すまんがいつものやるぞ」


 理解しているかどうかはわからないが、一応一言かけておく。

 そして俺は、先ほど自分を切った小刀を、ゼロ番の前脚に軽く突き立てた。


 当たり前だが、そんなことをすれば血が出る。しかし、ゼロ番は痛がるそぶりを見せない。俺の痛覚遮断が、こいつにも相応に働いているのだ。

 しばらくそのままゼロ番の動向を見守る俺だったが……。


「……今日も無事作用、と」


 ごく短時間でゼロ番の傷が癒えていく様を眺めて、粘土板に丸を書きこんだ。


 そう。このゼロ番、超治癒力を持っているのだ。しかも傷が治るだけでなく、病気にもならない点まで一緒だ。

 ついでに言うなら……。


「はいよ、七番。舐めておけ」


 ゼロ番を抱いたまま先ほどの小屋に戻り、ぐったりしていたもう一匹……七番のウサギにゼロ番の血を与える。

 するとこちらも、俺が血を与えた一番のウサギと同じく(やや遅れてではあるが)再び動くようになった。


 そう、ゼロ番の血は万能薬と化しているのだ。俺のそれよりはかなり劣るが、治癒効果を持っていることは間違いない。

 だがこれは先天性ではない。俺から受け継いだものである。


 俺は先ほども言った通り、ウサギを意図的に弱らせ各種体液を与えて治癒効果の程度を観察していた。このとき、一見体調不良になっていないウサギは経過観察がしづらいので、体液を与えず単に異常なしと記録するに留めていたのだが……。

 あるときを境に、ずっと異常なしのまま体液を与えなくなったウサギがいた。それこそがゼロ番である。

 最初は単に運がいいやつだと思っていたのだが、それが半年も続けばさすがに不審に思う。そしてある日、意を決してゼロ番(当時は十番だったが)に傷をつけたところ……たちまち治ったというわけだ。


 いやぁ、愕然としたね、あのときは。まさかと思ったよ。

 だが、何回やっても結果は同じだった。

 これこそが、俺の気がついた「とんでもないこと」である。


 しかしゼロ番の身体に、劣化版とはいえ俺と同じような超治癒力が宿ったというこの発見は、単にそれだけにとどまらない。

 俺の超治癒力は、遺伝以外でも他者へ移植できる可能性がある。この事実を他の人間が知ったらどう思うだろうか? 嫌な予感しかしないぞ。


 前世の地球でこんな体質の種族が現れたら、乱獲されかねない。そしてそれは、俺によって変わる可能性がある今の地球であっても否定できない。何せ既にサピエンスの実在は確実だからだ。

 二十一世紀ならまだ多少はマシだろうが、二十世紀だった場合はほぼアウトだろう。それ以前となると、乱獲は確実だと思う。かつてサピエンスだったからこそわかる。サピエンスはそういう一面を持つ生き物だ。


 そういう意味でも、見つけてしまった事実はとんでもなかった。


「……にしても、超治癒力の定着はお前だけで、他は全然起きないな」


 ゼロ番の頬肉をプニりながら、ひとりごちる。


 先ほども述べた通り、ゼロ番との付き合いはまもなく九年目になる。その間多くのウサギを見てきたが、俺から超治癒力が定着したウサギはゼロ番ただ一匹のみである。

 その確率、実に三百十二分の一。分母は今もなお増え続けており、最終的にどうなるかまるで予想もつかない。


 まあ、ソシャゲで狙った最高レアリティを一発で引き当てる確率のほうが格段に低いわけだが……。

 超治癒力がソシャゲ並みの確率でしか手に入らないとなると、ますます乱獲がヒートアップしそうでわりとシャレにならない。

 なので最近は、知らなくてもいいことを知ってしまったかもしれないと思っている。知らぬが花とはよく言ったものだ。


 ちなみに、ずっと試してはいるが、ゼロ番から超治癒力の移植が起きたことは一度もない。さらに言えば、ゼロ番の子供には一匹足りとて超治癒力が遺伝しなかった。

 この点から言って、俺の身体はやはり特別なのだろう。俺の子供たちから、さらに次の世代に遺伝するかどうかは今のところ不明だが……。

 ともあれ、体液由来で俺の超治癒力を受け取った個体からは、他にそれを拡散させることはないだろうと思っている。そこはまだ救いと言えるだろうか。


「さ、て、と……次はカイコの巣箱だな。たまには掃除しないと」


 俺はゼロ番を抱えたまま、別の方角に顔を向けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る