第62話 ソラルの魔術

「いってきまーす!」

「気をつけろよー」


 ということで、バンパ兄貴に率いられて狩りに赴くチハルを見送る。


 傍らにはダイチがいるが、こちらは納得した顔ではない。決着は止められるし、自分の意見は通らないしで不満なのだろう。

 まあ、諦めるがよい若者よ。民主主義などという概念はまだ存在しないのだ。すべては実力者の鶴の一声で決まる。


 しかし……毎度のことだが、むくつけき大男たちの中に一人だけ子供が混ざっている構図は、言い知れぬ不安を覚える。何かおかしなことをされてないといいのだが。

 あとそれとはまったく別に、足並みがそろうのだろうかという心配もある。男のアルブスと女で、しかもまだ子供のチハルの歩く速度は相当な差があると思うのだが……毎回よくついていくよな、あの子。たくましいと褒めていいのかどうか……。


 ともあれ、出発してしまったからには俺が出る幕はない。兄貴がなんとかしてくれると信じている。


「……さて、じゃあ行くか」

「うん」


 残った俺は、ソラルを連れて目的地へと足を向ける。


 道中ソラルは、抱きかかえられていた体勢からのそのそと俺の身体を伝い、肩車の体勢へと移行した。そして俺の頭部にぽてんと顎を乗せて、ご機嫌である。

 このポジションを好む辺り、ソラルは確かにメメの子供だと思う。


「お父、今日は何するです?」

「まずはいつも通り研究所だ」

「はいです」


 研究所とはその名の通り、ものを調べるための場所だ。

 対象は様々だが、ともあれ俺が調べ物をするための場所として作った場所ということは間違いない。二十一世紀の知識をこの時代に落とし込むにあたって、やっておかなければならないことはたくさんあるからな。


 ただ、諸事情があって村の外れにしか作れなかったので、何かするためには出勤を要する。村が大きくなっていく過程で様々な配慮をしなければならなくなった結果なのだが、元日本人としてはこの出勤という行為には思うところもある。

 決して遠くはないのだが、こう……サラリーマンの悲哀を思い出すというか。

 いや、だからといって自営業を羨ましいというのは違うということは、わかっているつもりだが。


 話を戻そう。


 研究所は二つに分かれている。竪穴式住居と高床式の小屋だ。

 前者はいわゆる研究室で、資料や記録が置いてある。俺が書いた技術白書や全史黒書もここに所蔵している。

 一方の後者は、実験用の動物を飼っている動物小屋だ。なので、こちらは人間用には作られていない。


 俺はまず、研究室に入る。この研究室は見ての通り竪穴式住居なのだが、見た目はともかくその規模は普通の家よりも大きい。床面積で言えば、恐らく倍くらいはあるだろう。

 また、採光用の窓が設けられているのも異なる点だ。文字を書いたり読んだりする機会が多いので、これは必須だったのだ。


 それでも、窓を全開にしたからと言って明るさが担保されるわけではない。やはり竪穴式住居という構造上、明るさを求めるには限界があるのだ。

 だが、俺には頼もしい娘がいる。


「ソラル、頼むよ」

「はい、任せるです!」


 中に入り、窓をすべて開けてもなお薄暗い研究室の中で、俺はソラルに声をかけた。

 彼女は嬉しそうに了承を返すと同時に、天井に向けて手をかざす。その状態で、しばらく目を閉じていたが……。


「えいっ!」


 やがて声と共に、彼女の手のひらに火が生まれた。周囲に日光とはまた異なる明かりが注がれる。

 火はそのまま彼女の手から離れ、ゆっくりと上昇していく。ほどなくして、研究室の天井にぎりぎり届かない辺りまで辿り着くと、そこで静かに停止した。

 高い位置についたことで、火が生み出す光は万遍なく室内を照らすようになる。これにより、室内の様子が完全に露わになった。


 壁際には、記録を書き込むための文机。また、それと並んで粘土板が多く置かれた本棚もある。一角には、頻繁にここについてくるソラルのための勉強机も存在する。

 他にも実験を行うための机や、素材を収蔵する棚、道具を並べた棚など、様々なものがある程度整然と置かれている。ここが俺の仕事場だ。


「よし。ありがとうな、ソラル。今日もうまくやれたな」

「はいです。えへへ……もう失敗はしないのですよ」


 一仕事を終えたソラルの頭をなでると、彼女はにへっと相好を崩した。それに合わせて、頭上の炎も嬉しそうに揺れる。


 そう、これこそがソラルの魔術だ。何もないところから火を生み出すという技は、まさに魔術であろう。


 驚いたか? しかしこれだけではないぞ。

 この魔術で生み出された火はもちろんものを燃やすが、可燃物と接触しても燃えないように調節できるのだ。おかげで純粋に光源として使うことができる。

 維持には相応の集中と、それからカロリーを要するらしい点がネックではあるが、それは逆に言えばいつでも消すことができると言うことでもある。有用性は明らかだ。


 彼女は他にも水を生成したり、熱を加えたり奪ったりできる。いかにも魔術師らしい魔術師と言っていい。世界初の魔術師様である。


 この点は、身体能力を補佐することが中心で、物理的な戦闘力に魔術を使うチハルとは実に対照的と言える。性格もそうだが、この姉妹は本当に何もかもが正反対だなと思う。


「じゃあ、ソラはいつも通り本を読むです。お父、がんばるですよ」

「ああ、ありがとう」


 軽く額にキスをして身体を放せば、ソラルはにっこり笑って本棚へ駆け寄っていった。


 俺はそんな彼女の背中を、ある思惑を持って眺めやる。

 ソラルはしばらくどれを読むか思案していた。しかし、やがて技術白書の一節、飛行技術について書いた粘土板を手に取る。

 彼女は第一巻を手に取り、無言で眺めていたが……やがて目を輝かせて俺のほうに向きなおった。


「……お父! これ、いつ作ったですか!?」

「ああ、ついこの間な」

「ま、まだ時間かかるって言ってたですよね!? 技術白書はまだ近世だとかなんとかって!」

「まあそうなんだが。ソラルがずっと欲しい欲しいって言ってたからな、この冬を使ってそれだけ先に書いたんだ。ちょっと早いけど、十歳の誕生日プレゼントさ」

「ほ……ほわあぁぁぁーっ!?」


 俺の言葉に、ソラルは奇声を上げながらもぴょんこぴょんこと周辺を跳び回った。さらに粘土板を両手で頭上に掲げると、くるくると回る。


 どうやらサプライズは成功したようだ。あんなに喜んでもらえると、俺としてもがんばったかいがあるというものだ。


「あああああっ、ありがとうです! とっても嬉しいです!」

「いいんだよ。かわいい娘のためだ」

「ふわあぁぁぁん! お父、大好き!!」


 今度は粘土板を抱えて抱きついてきた。俺とソラルのサンドイッチになった粘土板の角がみぞおちにジャストミートしたが、これくらい気合で耐えてみせる。


「お、お父、ソラ、がんばって勉強するですよ! それで、いつか絶対空を飛ぶです!」

「おう。その時は俺もつれていってくれ、楽しみにしてるぞ」

「はいです!」


 何度も首を縦に振るソラル。

 それから大急ぎで勉強机に向かうと、本棚から飛行技術の粘土板を念動力で次々に引っ張っていく。机の上はすぐに粘土板で一杯になり、ソラルはそのまま本の虫となった。


 彼女はご覧の通り知識欲が旺盛で、俺の研究所に来ては技術白書を読み漁るということをもっと幼いころから続けている。もはやこれは彼女の習慣と言っていいだろう。


 最初は子供……しかも原始人が読んでも理解できるわけがないと思っていた。だがソラルはわからない点があると、しつこいくらい質問をぶつけてきて、自分が納得できるまでやめようとしなかった。

 あまりにもソラルがあれこれ聞いてくるので、俺は作業を中断するどころか、ソラル相手に家庭教師をすることになったのだが……。


 子供の理解力がすごいのか、ソラルの出来がいいのか、それはわからない。けれども、彼女は多くの知識をどんどん吸収し、俺が驚くペースで科学への造詣を深めていったのである。

 おかげで年齢に見合わない頭脳を持つに至った。恐らくだが、今のソラルには最低でも中卒程度の理科と数学の知識があるだろう。

 何せ彼女は、ものが燃える理屈も、水の化学式も、熱の仕組みも、完璧ではないにしてもある程度理解しているのだから。


 しかしソラルが先述の、いかにも魔術らしい魔術を使えるようになったのは、こうした科学知識を身に着けて以降だったりする。それまではむしろ、チハルに比べて魔術が不得手という印象すらあったくらいなのだ。

 今となってはその評価は完全に逆転している。先ほどチハルは「身体能力を補佐することが中心で、物理的な戦闘力に魔術を使う」と言ったが、この表現は正しくない。

 実際のところは、ソラルのような魔術はほとんど使うことができない。あくまで念動力の範疇に収まることだけなのである。


 ではなぜ二人の魔術の腕にこれほどの差があるのか? 二人の違いは一体何か?

 と考えれば、答えはおのずと出てくる。所有している科学知識の有無だ。


 ソラルは知識の習得に熱心で、俺からいろんなことを学んだ。身体を動かすことより、本を読んでいることを好むような子なのだ。

 一方のチハルは、知識の習得にはまるで無頓着だった。身体を動かすことが大好きで、男の子と一緒にあちこちを駆けまわるのが好きな子だった。


 そしてさっき言った通り、ソラルは科学知識を身に着けるまではチハルより魔術が苦手だった。

 だがそれは逆に言えば、科学知識を身に着けたことで、今までとはまったく異なる魔術を使えるようになったとも言える。


 実際、ソラルにどうやって魔術を使っているのかを聞くと、「念動力のもとを急速に酸化させている」とか、「念動力のもとを水分子に変換している」とか、「念動力で運動エネルギーの移動を操作している」と返ってくる。科学に基づいて魔術が運用されているのだ。


 科学知識の有無こそが魔術の幅を左右していることは、明らかだ。

 あとは他の子供たちにも科学知識を教えてみて、魔術の幅が変わったらこの仮説は確定させていいだろう。

 まあ、それはもう数年先のことになるだろうけども。


 で。


 世界初の魔術師となったソラルの夢は、空を飛ぶことだ。自分の名前の由来でもある空を、自由に飛び回ってみたいのだという。

 だから、彼女はずっと空を飛ぶための方法を俺に聞いていた。


 しかし、俺は前世のテクノロジーの進歩に合わせて、ほぼ前世の時系列順に技術白書を書いていた。そして今になっても、技術白書はまだ近世くらいまでの技術にしかたどり着けていない。

 おかげでソラルはずっとお預け状態だったのだが……さすがにこれ以上待たせるのはどうかなと思って、ついがんばってしまった。比較的自由に使える時間が多い冬の間に、一念発起して書き上げてしまったよ。


 まあ、十歳という節目のサプライズプレゼントにしようと思い至ったのは書き始めてからだが。

 あれだけ喜んでくれたのだから、結果良ければなんとやらだろう。


 とはいえ、技術白書に書き込んだ技術や知識は、専門家から見たら歯抜けもいいところだろう。

 特に航空力学の類は完全な専門外で、基礎の基礎や、あるいはウィキ先生などでたまたま読んで覚えていた部分などがほとんどなのだ。これではたしてソラルが空を飛べるかとなると少し……いや、かなり怪しいのではないだろうか。


 もしもそんな中でも何かしらの答えにたどり着けるとしたら、間違いなくソラルは歴史に名を残す天才と言えるだろう。今からその成長が楽しみである。


「これが子供の成長を喜ぶということなんだろうなぁ」


 完全に知識の海に沈みこんでいるソラルを後ろから眺めて、俺はぼそりとつぶやく。

 前世ではほとんど考えたこともなかったが、親になるっていいものだなぁと思う。


 とはいえ、俺も負けてはいられない。俺は俺で、研究を進めないとな。


「……よし、やるか」


 俺は気合を入れると、メモ用の粘土板を片手に実験動物小屋へと足を向けた。


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