第三部 幻想の萌芽
第59話 ルィルバンプの朝
その日、俺は日課の監視で物見櫓に登っていた。
いつものようにメメを肩車して、群れの周辺を一通り眺めてもらう。
「今日も特に異常なしじゃな。北のほうにマンモスが見えるけど、狩りに行くにはちょっと遠いのぅ」
「そうか……こっちに来てくれると飯に困らないんだが」
「あちらさんの気持ち次第じゃからの。そこは仕方ないのじゃ」
「違いない」
肩をすくめるメメに同意を返して、くすりと笑う。
が、同時に吹きすさんだ風に、身体を震わせる。
季節はまだ三月初旬。朝のこの時間はやはりどうしても寒いのだ。
それに、年々気候が冷えてきているから余計だ。作物の実りにも多少影響が出始めているので、気のせいではない。
テシュミたちと出会った十年前に比べると、寒い日が増えた。時期的に今の地球は氷河期なので、それもおかしなことではないが……。
「とりあえず降りようか。このままここにいたら凍えちまう」
「うん、それがいいのじゃ」
俺の提案に、メメはするりと肩車を解く。そのまま俺の首筋にすがりつく形でぶら下がった。
彼女をそこに維持したまま、俺は櫓から降りる。これももう慣れたものだ。
降りながら、はしごの隙間から群れが見える。
家の数は十年前の倍近くに増え、あちこちから煮炊きの煙が上がっていた。周辺を走り回る子供の数はそれなりにあるし、火加減を見ながら糸を紡いでいる女や、飯をよそに狩ったばかりの獲物を燻製にしている男も見える。
いやはや本当、十年で随分と様変わりをしたものだ。群れは本当に大きくなった。今では「
人口はこの群れだけで百七十人。もう群れではなく、村と言っていいだろう。ルィルバンプ村だ。史上初の自治体である。
やはり狩りだけでなく、農耕と畜産にも取り組んでいることが大きいのだろう。服飾も毛皮と麻の供給体制が一通りできあがっており、全員が服と防寒着を複数持つに至った。
となれば必然、人口は増えるというわけだ。
「はーい、今日もおつとめご苦労さんです」
櫓から降りたところで、テシュミが出迎えてくれた。
十年経ってやはり相応にくたびれたところが出てきているが、それでもやはり美というステータスに種としての能力を多く割いているアルブス。予想される実年齢に比べると格段に若々しく、美人だ。サピエンスではこうはいかないだろう。
いまだにアサモリ一族の巫女として現役という事情もあり、引き締まった体型が維持されているのもポイントが高い。
「苦労っていうほどのことはしてないんだけどな。力を使ってるのはメメだし」
「ふふふ、言葉の綾、言うやつですよぉ」
「……お前さんたち、この会話まったく飽きんよな……」
くすくすと笑うテシュミをなでていると、俺にぶら下がったままのメメが呆れた様子で口を挟んできた。
このツッコミもいつも通りだ。俺は笑って、メメに軽くキスをした。
「もう、すぐそうやってキスする。いい加減それでごまかされる歳じゃないんじゃからな!」
そう言いつつも、むすーっと唇を尖らせた彼女の顔は赤く染まっているし、口元が緩んでいる。メカクレさんな髪型が変わらないままだが、この辺りのわかりやすいところも本当に変わらない。
そんなメメも、十年前の美貌をしっかりと維持している。普段から重労働をしていないからか、はたまた単純に若いからかはわからないが、テシュミよりもだいぶ若く見える。
サピエンスではマジでこうはいかない。ふっ、妬みたければ妬むがいい。
ちなみに俺は、十年前と変わらないどころか同じと言われる。十年で一切変わらないということはさすがにないはずだが、傍目には不老に見えるらしい。
……超健康のチートのせいだろうなぁ。何せこの十年間、本当に一切の病気をせずに過ごしてしまったし。
しかしこのチートが不老不死なのか、いわゆるエルフのようにクッソ長命になっているのか、それとも単純に健康すぎて若く見えるだけなのかは、まだわからない。わかるときは俺が死ぬときだろう。
「それじゃ朝ご飯にしましょ。子供たちもみんな待ってます」
「おう、そうだな。そうしよう」
「ご飯なら仕方ないのじゃ。食の恨みは恐ろしいからのぅ」
というわけで、いつものようにメメを肩車し、テシュミをお姫様抱っこして家路に着く。なんということのないいつもの一コマだ。
この十年間、こんな感じで平穏な毎日だった。
もちろん何もなかったわけではないが、子供が生まれたらそちらにもだいぶ時間を割かなければいけなくなったし、あれもこれもと色々とやっていたら、気づいたら十年経っていたという思いだ……。
「ただいまー」
そして家に辿り着いた俺たちを出迎えたのは。
「「「「「「おかえりー!」」」」」」
六人の子供たちである。
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小麦の栽培が軌道に乗ったのは、四年ほど前だ。メメの力で見つけてきた別種の小麦とのかけ合わせがうまくいったようで、その年から収穫量がだいぶ増えたのである。
そして小麦が手に入れば、俺が未来から持ち込んだ知識をさらに振るえる。結果として、ルィルバンプの食生活はだいぶ種類が豊かになった。
まあ、今は一番蓄えが少ない時期なので、質素にしてはいる。それでも、子供たちに食べさせるものがないという事態は、幸いにして今のところない。
「いただきます」
「「いただきます」」
「「「「「「いただきまーす!」」」」」」
俺が言うのに続いてメメとテシュミ、子供たちが順に声を上げる。そしてすぐさま食卓が騒がしくなった。
普段から家の中では日本語を使っているので当たり前ではあるが、食前のあいさつは日本そのままだ。材料そのもの、調達した人、料理した人……すべてに感謝するこのスタイルを導入するつもりはなかったのだが。やはり元が日本人だからか、自然とやってしまう。
それを見ていたメメとテシュミが真似するようになり、そのまま習慣として根付いた。子供たちはそんな俺たちを見て育っているので、これが普通だと思っている。
まあ、俺に近しい人にも伝播しているから、今となっては村の過半数くらいはやっている気がする。
これに紐づいて合掌という行為も広まっているので、アルブスのジャパンナイズはかなり進行している。
「まーしかし、もっといろいろ味を増やしたいんだが……」
ぼそりと日本語でつぶやきつつ、朝食を手に取る。
白褐色の平らな塊……パンである。手触りは硬めだが、思ったよりは硬くないと思う。
これで一応、酵母が入っている。焼成時、多少なりとも膨れているはずなのだ。オーブンがなくて全体を均等に焼けてはいないので、そういう意味でも仕上がりは二十一世紀のパンにはかなり劣るが。
このパンで茹でた玉ねぎと塩漬けの肉を挟み、いただく。結構おいしいものだぞ。
パンに必要な酵母の供給源は、五年ほど前に見つけたブドウだ。
ブドウは保存食として干しブドウに加工するのがメインなのだが、さっきも言った通り小麦の栽培が進んだからな。ここでパンを作らないと言う選択肢は俺にはなかった。
もちろん最初はひどかった。年単位の試行錯誤を重ねることにはなったが、後悔はしていない。
何せありとなしとでは食感や風味も結構差が出るのだ。どうせ食べるならおいしいほうがいいのは当たり前の話で、最終的には誰からも支持される研究成果として今日に至っている。
ただ残念なことに、このパンと合わせる食べ物があまりない。せいぜい塩漬けした肉や野菜を付け合わせるくらいだ。
たまに干しブドウを入れてブドウパンにすることもあるが、それくらいしかバリエーションがない。パンと言えば色んなものと組み合わせて味を楽しめるものなのに、これではあまりにももったいない。
前世でよく食べた焼きそばパンなどの総菜パンや、小腹が空いたときにおやつ感覚で重宝していた菓子パンなどが特に作りたいのだが……あいにくと、俺にパン作りの専門的な知識はない。どうすればいいのかさっぱりだ。
なのでせめて、肉をよりおいしく味付けして合わせられるように、今は調味料の開発を進めているところである。
と言っても、原料になるものが手に入らなくて、四苦八苦しているのが現状だ。砂糖も酢も醤油も味噌も、人類の偉大な発明品だよな……。
「まーた難しいこと考えとるのぅ」
あれこれ考えていると、横からメメに指摘された。
「ギーロは頭いいけど、だからってこういうときでも考えすぎるのは悪い癖じゃぞっ」
「そですよぅ。ご飯のときくらい頭空っぽにして、のんびりしましょ」
「すまんすまん。でもつい色々考えちまうんだよ……できることはないかって」
「それで暮らしが豊かになるのは嬉しいんじゃけど、わしらはもっとギーロと普通の話も……」
メメがかわいらしく愚痴り始めた、そのタイミングだった。
食卓の端にある水差しがふわりと宙に浮き、彼女の目の前を横切り始めた。
「……コラーッ! ご飯の最中に魔術は使うなって言ったじゃろがー!」
その水差しをかっさらって、メメが噴火した。
「うひゃーっ、ごめんなさいー!」
「今日という今日は許さんのじゃ! 何度も規則を破りおって!」
メメがずいっと水差しを差し出してきたので、俺はそれを黙って受け取る。
そして俺の苦笑を背中に受けながら、メメは下手人である長女(第一子)……
チハルはメメの剣幕に怯えた様子を見せるが……懲りないなぁ、あいつ。何回メメを怒らせたら気が済むのやら。
「
「何度も言わせるのはこの口じゃなぁ!?」
「
「そういうときは誰かに頼めばいいじゃろうがー!」
メメがチハルのほっぺをつかんでぐりぐりする。アルブスの女としては大柄なメメと、まだ子供のチハルなので、サピエンスでも一応は母親に怒られる子供に見えるかな?
ただ、腕力や体力から言って、チハルがメメを振りほどけないわけはないのだが、説教となると意外と大人しく受け入れるので少し面白い。
原始時代でほっぺぐりぐりを見ることになるとは思わなかった、ということもあるけども。
ちなみにこのやり取りは、日常茶飯事である。
一週間に一回くらいは起こるし、単にチハルが怒られているシーンというだけならもっと頻度は高い。お転婆ないたずらっ子なのだ、チハルは。
「
まあ、なんだな。
そうやって涙目で懇願されても、俺に言えることは一つだけだ。
「今のはチハルが悪い」
「ふへぇぇー!!」
俺の答えを聞いたチハルは抗議の声を上げながらも、無抵抗のままメメの折檻を受け続けたのだった。
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