閑話 今ではないいつかに、ここではないどこかで 4

 そこに景色という概念はなかった。

 大量の色が乗ったパレットをぶちまけたような極彩色が、ただただ広がっているだけの場所。

 神々はここを時空の狭間と呼ぶ。ありとあらゆる世界、時間の中間地点であり、すべてに繋がるがゆえに何もない。そんな場所だ。


 時空の狭間はその性質上、異なる世界と世界を、時間と時間を隔てる海のようなものだ。普通なら進むことはできないが、準備さえ整っていれば可能である。


 このため異世界の神々との交流自体は、どこの世界でも行われている。

 新しい世界の神々が、教えを請うため旧い世界を訪ねることは日常茶飯事だし、管理する世界に欲しいものが生じなかった場合に、異世界から融通してもらうこともままあることだ。

 もちろん考え方、利害の不一致から、世界同士の戦争に発展することも珍しくない。そうなれば、神々以外も時空の狭間を行き来する。


 しかし昨今は特に、人材の融通が一種のブームである。

 それ自体はかつても行われていた行為だが、流行とも呼べるほどに頻度が増した理由は、伊弉冉命イザナミノミコトだ。彼女が開発した魂の強化技術により、神々が世界へ干渉する手段が増えたのである。

 特に、彼女は己が開発した技術の一切を秘匿せず、完全なオープンソースとしてすべての神々に公開した。結果として神々は今、転生ブームとでも言うべきムーブメントの真っ最中にあるのだ。


 ただし、これによる問題もないわけではない。

 技術が完全公開されているため、参入するハードルが異様に低い。だからこそ、悪神や邪神と呼ばれるような存在の介入も招いてしまっている。

 無断で異世界の魂を拝借し、世界間戦争に発展した例もある。開発者本人である伊弉冉命もその害を被ったことがあり、その結果一つの世界から神が一掃されたことは界隈でも有名である。


 今回のことも、ある意味でそうした被害の範疇と言えなくもない。


 そう考えていた天照大御神に、否と答えたのは彼女の母にして他ならぬ技術開発者、伊弉冉命だった。


「つ、使われたのは、あくまでふ、古い技術。アナ、アナログ。あ、あの魂魄に、き、強化……に、人間で言うところのチート、は、ない。だ、だから、妾たちも、す、すぐには気づけなかった」


 狭間を眼下に眺める、地球神連合の一拠点。忘却の川の渦中にたたずむ伊弉冉命が言った。


「すなわち、魂魄の強化転生技術が確立されるより以前からあった技術が使われたのだ。既に廃れかけたこの技術は、多くの神々から気にされなくなっていた。その油断をつかれたのである」


 彼女の言葉を継いで、重々しく言葉を紡いだ男は、ゼウスによく似た顔立ちの美丈夫。ギリシア地域の死神、ハーデスだ。伊弉冉命にとっては齢でも職歴でも先を行く、偉大な神である。


 ハーデスが続ける。


「神が開発した特殊な器に、使命を与えた特殊な魂魄を入れるという手法だ。使徒として確実に動いてくれるが、非常にコストがかかるために、創造神かそれに匹敵する力がなければできない手法でもある。地球における人類種も、始原の神たる世界の管理法則YHWHがこの手法で生み出した」

「”始まり”のアダムとイヴですな。滅びのときトバ・カタストロフを乗り越えようと必死に努力する彼らを見て、彼らこそ世界の覇者たる霊長に相応しいと……」


 天照大御神の隣で、死神たちの報告を聞いていたオーディンが口を開いた。


 彼にハーデスが頷き、それを見たゼウスが腕を組んで唸った。


「ならば此度の所業、その始まりの御業の模倣ということか」

「然り。サピエンスと同時代。彼らとは別の、滅びに瀕した種族に使徒を作り、自らの信徒たる奉仕種族として確立、版図を拡大せしめる。後年、両種を争わせることで我々に対する侵攻となす。かくなる方針であったと推測される」


 ゼウスに応えたのは、ジャッカルの頭を持つ逞しい男神。エジプト地域の死神、アヌビスである。


 彼の言葉を受けて、その場にいたすべての神々が顔をしかめた。


「不遜なことを。しかもその手法が取られたということは……ニャルラトによって作られたあの器の力、遺伝するのではないか?」

「だろうな……完全に不覚だ」

「まったくもって。まさか同じ方法で二度も後れを取るとは」


 ハヤブサの頭を持つ男神、ラーが言うと同時に、四本腕の青い男神、ヴィシュヌがゆっくりとかぶりを振る。


「カカカ、かつて世界を大きく乱された時も同様の手口であったというのに。わしらの目も案外節穴ということかのう」


 若い男の姿でありながら、老獪に笑って見せる神……伏犠ふっきの言葉に、複数の神々がぎろりと目を向ける。


 しかしそれ以上のことはしなかった。いや、できなかったと言っていい。

 彼らも、自分たちの失態を理解しているのだ。伏犠はただ、真実を語ったに過ぎない。


「ま、とはいえ今の状況は、かつてに比べれば格段にマシっちゅーものよ。なんせ本格的な改変が始まる前に気づけたわけだからのう。あのときはサピエンス誕生前にイスだの、エルダーシングだの、ヴーアミ族だの、ディープワンだのがあちこちに蔓延って、目も当てられん状況であった」

「……確かに、ヒューペルボレア、ムー、アトランティスといった、我々が関わっていない文明や種族の跋扈は、まさに悔恨の極みだった。あの時に比べれば、事前に察知できただけでも上出来だ」


 飄々と続けた伏犠に、ゼウスがしぶしぶといった様子で同意する。


 文明はおろか、知的生命体発生以前に、縁もゆかりも一切ないはずの外系神階同盟の神々によって作りだされた種族を植え付けられ、世界的な侵攻を受けた大事件。

 世界その物を上書きされかけたことから、「オーバーライト戦争」と呼ばれたあの騒乱は、いずれの神々の記憶にもはっきりと残っている。


 絶対時間にして既に万年単位の過去のことだが、その侵略を押し返すまでには多大な労力と時間を要した。

 乱れに乱れた世界の歴史を限りなく自分たちの既知に近づけ、さらに外系神階同盟由来の存在に対抗できる存在を作り上げていく。言葉でも大変なこの一大事業を強いられたのだ。


 最終的に外系神階同盟の手の者は、長年の苦労の果てに地球神連合が生み出した”神殺し”によってほとんどが絶滅させられた。”神殺し”が下級神ではあるものの、外系神階同盟の尖兵長だったクトゥルフを完全に打ち滅ぼすにまで至ったことは、予想外の成果ではあったが。


 ともあれ当時と同じ状況に置かれていることを、すべての神が理解した。同時に、二度とあんなことは御免だと気持ちを一つにする。

 あのときほど、現世に介入してはならないという掟を恨んだときはない。黙って話を聞くに専念していた天照大御神も、当時の苦労を思い出してそっとため息をついた。


「しっかし……だとするとおかしいことが見受けられるのう。そうであろう、天照の」


 そこに突然伏犠から話を振られて、天照大御神は目を丸くした。視線が彼女に集まり、一気に居心地が悪くなる。


 けれども、マルチタスクには定評のある天照大御神だ。いきなりのことではあっても、話の流れは完璧に把握している。


「ええ、伏犠様の仰る通り。恐らくはニャルラトの手で原始時代に飛ばされたはずの男の複製体からは、なぜか私を中心とした日本神の信仰ばかりが集まっています。かの者の手が入っているのだとしたら、そんなことはありえないはず」

「信仰を根こそぎ奪いつつ、世界その物をまるっとかっさらうのが連中の手段だからのう。ではなぜそんなことが起きとるのかっちゅー話だが……」


 天照大御神の受け答えを聞いて、伏犠が伊弉冉命へ視線を戻した。


「ひぅ……そ、そ、それを聞くために、こ、ここに集まってもらった……。や、やつの動きは、ほ、捕捉してるから」


 怯えた様子で伊弉冉命が答えた……その瞬間のことだった。


 彼らが眼下に眺める時空の狭間に、巨大な黒い影が横切った。自在に伸縮する触腕とかぎ爪、手を持った肉の塊。這い寄る混沌と呼ばれる、外系神階同盟の頭脳……ニャルラトである。


「それ今だ! 捕らえるぞ!」


 その姿を確認すると同時に、ハーデスが動いた。そこにいた神々も、全員が彼の言葉にはっとして力を行使する。


 待ち構えていた地球神、ほぼ全員の力を一つにしての捕縛だ。さすがのニャルラトも逃れられない。

 ほどなくして、彼は地球神連合の領域に引きずり出された。

 顔のない顔と、地球神たちが沈黙のまま対峙するが……。


「はー、そういうことでやがりましたかー。そりゃぁワタクシたちのところまで信仰が届きやがらねぇはずですわー」


 出し抜けにニャルラトが声を上げた。地球神の誰とも違う、おぞましい声だ。


「やっぱり同じ手は二度も通用するはざァないということですねェー。だーからワタクシはやめたほうがいいと何度も申し上げくさったってのに……アザトース様はホント、救いようのないバカでやがりますわー」


 そして人間が聞いたら即刻発狂しかねない声音で、ぐだぐだと愚痴り始める。

 とても敵陣で一柱、敵に包囲されているとは思えない態度だ。


 だがそれも当然。今ここにいるニャルラトは、本体ではない。遠隔操作のドローンのようなものであり、いくらでも替えが利く。

 本体に比べれば格段に性能は落ちるが、それゆえ殺されようがどうしようが、ニャルラト自身は痛くもかゆくもないのだ。


 それを理解しているからこそ、地球神たちも下手には動かない。それで自爆でもされたら困るからだ。


「やはりお前の仕業だったか!」

「はいはーい、ワタクシでやがりますよー。いつもニコニコ、あなた方のそばに這い寄る混沌たァ、ワタクシのことでやがります」

「ハッ、顔のない顔でニコニコもないだろうに」

「ニャルコさんと呼びやがってくれていいんですよ?」

「それ以上はいけない!」


 なぜか血相を変えるゼウスに、ニャルラトがけらけらと笑った。


 大きく一つ咳払いして、仕切り直すゼウス。


「……お前たちの目論みはすべてお見通しだ。ロキに化けて魂魄を複製したことも、その魂魄を原始時代に飛ばしたこともな」

「で、やがりましょうなー。結構苦労して潜入したんですがねー。チートもばっちり仕込めたと思ってたんですが……残念でならねぇですよ」

「……何?」

「えっ?」


 再度場に沈黙が満ちた。


 ニャルラトと地球神たちの前提がずれている。

 伊弉冉命は、複製された魂魄にチートはないと言った。だが、ニャルラトはつけたと言った。


 どちらが正しいのかと地球神たちは考え、ニャルラトもまた何かおかしいと察して探りを入れようとした――が。


 その刹那、伊弉冉命の漂う気配が変わった。やる気モードにだ。


「今よ!」


 彼女がどこへともなく合図を送る。

 すると間髪を入れず、ニャルラトの身体が青い光の花によって拘束された。グレイプニル以外の拘束具をことごとく破ったはずの彼が、完全に地面に縫い付けられる。


 あまりにも突然のことに、伊弉冉命以外の全員が目を見張った。


「やっと捕まえたぞ」


 そこに幼女が現れた。左前に整えられた、スカート状の改造和服を着込んだ幼女だ。

 ニャルラトを踏みつける形で舞い降りたその姿に、やはり伊弉冉命以外の全員が驚愕した。


「バカな!?」

「この領域に人間だと!?」

「いやあれは……そうだ、間違いない!」

「や……ッ、やーやー久しぶりでやがりますね”神殺し”! まさかこんなところでお会いするたァまったく奇遇!」

「やかましい」

「ぼぎゃん」


 やけに親しげに話しかけたニャルラトを、”神殺し”は再度踏みつけた。今度は勢いよく、それこそ穴を開けるほどの勢いで。


 同時に、その踏みつけた足から幾重にも青い藤の花が伸びて、ニャルラトの身体を締め付け始める。


「どうせその身体は化身アバターじゃろう? 実験台にしてやるゆえ、そのまま死ぬがよい」

「ちょーッ!? せっかく久しぶりにお会いしたってーのにそりゃねぇんじゃないですー!?」

「うぬと会話することなぞ何もない。失せろ」

「ひでェーッ!? ……って、あ、え? ちょ、これアバターなのに本体にもなんか痛みがきやがるんですけど!?」

「うぬら用に開発した新しい技じゃ。とくと味わえ」

「……コラァー地球神ども! あんたらが育てやがってんでしょコレ!? なんとかしやがりなさいよ! いくらなんでもやりすぎじゃねぇですか!?」


 だが彼に対する返事は、伊弉冉命の中指が立てられた左手だけであった。


 そう言っているさなかにも、ニャルラトを締め付ける藤の花は止まらない。核兵器を何発ぶち込まれようが傷一つつかないはずの彼の身体に、花の蔓が食い込み始める。


 これは今のニャルラトが本体ではないのだとしても、ただの人間にできることでは断じてない。だというのに、プリンか豆腐にスプーンが入るかのように、あっさりと肉が圧迫されていく。

 目に見える抵抗は、ほとんどなかった。それは通常の空間であれば、惑星はおろか恒星すらも容易に切断できると言っているも同然である。


「アバーッ!」


 やがて、ニャルラトの身体は完全に切断される。絞めつけていたすべての花が同時に切断に至ったため、彼は一瞬にして細切れになった。

 冗談めかした悲鳴と共に、あまりにもあっけなく、あまりにもえげつなく。

 子供にはとても見せられない絵面をまき散らしながら、ニャルラト……の、アバターは消えていった。


 その向こう側にたたずむ”神殺し”の姿は、あまりにもいとけなく可憐だが……神々を絶句させるには十分すぎた。

 虚空を見上げ、アバターを繋げていた神の力の残滓を睨む、赤い右目と青い左目。そこに宿る「邪神絶対殺す」の決意は、あまりにも研ぎ澄まされすぎていたのである。


 その美しい、相反する瞳が放つ意志が地球神に向けられることはない。ないが……仮に向けられた場合を考えて、天照大御神は身震いした。


 ”神殺し”。外系神階同盟に対抗するために地球神連合が総力を挙げ、万年単位で因果を積み重ね、生み出した最終兵器。

 爆竹と一緒に竹筒の中へ放り込まれるカエルのような扱いで、多くの神を十把一絡げに殺せる化け物。そうでありながら、人間の身体を捨てていないもの。

 彼女こそ、現世に直接介入できない地球神の切り札である……のだが。


 ――育ちすぎた。


 この場に居合わせたすべての神が、同じ感想を抱いて心を一つにした。


「さすが地球のいとし子! 見事だったわ!」


 ただ一柱、伊弉冉命を除いて。

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