第56話 セカンドインパクト
〈すげぇー!? なんだこれー!?〉
ガッタマが運んできた水がめを見て、アダムが驚きの声を上げた。
何をそんなにと一瞬思ったが、そういえば土器はこの時代にはオーパーツだった。彼のリアクションは至極正しい。
〈これは水を入れておくためのものだ。……とりあえず、ほら。飲めよ〉
目を白黒させたままのアダムに、俺はやはり土器で水をすくって渡す。
〈ほあ!? い、いいの!?〉
〈これくらいはどうってことない。うちは川から水を引いてるからな〉
水路を引いた最大の理由はトイレなのだが、トイレがかかっていない上流部分は普通に生活用水として使える。毎日大活躍してくれているのだ。
〈こ、これもすっごいな! 固い! なんで水がこぼれてこないんだ!?〉
〈ちょっと土の味がするのが欠点だけどな〉
〈んぐ……っ、んぐ……っ、ぷはぁー! 本当だ、土くせぇ! でも水おいしい!〉
〈そりゃよかった〉
結構なみなみと水をくんだのだが、一気に飲んだか。よほどここまでの道中が過酷だったのだろうな。
〈これすごいなぁ……ざらざらしてる……きれいな音がする……〉
アダムの旅路を想像して勝手に冷や汗をかいている俺をよそに、彼は器をあらゆる手段で堪能していた。
表面を撫でてみたり、軽く叩いてみたり、じっくりと中をのぞいてみたり。
まるでどこかの鑑定団みたいだ。
〈なあなあギーロ、これどうなってるんだ!? 俺でも作れる!?〉
〈やり方がわかっていれば誰でも作れるよ。簡単に言ってしまえば、土を焼くだけだからな〉
〈土を焼く!? なんだよそれ、そんなことしてなんでこんなふうになるの!?〉
〈あー、説明すると長くなるんだが、土のとある成分が熱によって異なる分子構造に変化して……〉
〈わー!? ちょっ、待って待って、何言ってるのかさっぱりわからないよ!〉
そりゃそうだろうな。具体的な化学変化を説明しても理解できないだろうし、かといって何か話をでっちあげるのも面倒だったから、あえて科学の話を全開にしたのだ。わかるはずがない。
むしろ理解できたとしたら、ほぼ確実に俺の同類だろう。その可能性は薄そうだが。
〈……わからないけど、でも、何かすごいことが起きてるんだね! すごい! どうやったらこんな風になるんだろう……!〉
それでも諦めきれないのか、アダムは再び器をなでた。
〈そんなに驚いてくれたら、作ったかいがあったというものだ〉
〈え!? これギーロが作ったの!?〉
〈まあな〉
〈すげぇ!? じ、実はギーロってすごい人!?〉
〈そんなことはない。ただ、人から教えてもらった知識を使っているだけだ〉
〈よ、よくわからないけど……でも、なんだかすごそう!〉
だからそんなことはないのだが。
まあいいか。すごいやつ扱いは慣れている。
とりあえずまだまだ土器に興味津々のようなので、土器談義に付き合おう。
具体的には粘土のこととか、野焼きのこととか。作り方を中心に。
肴はもちろん酒もないが。水を酌み交わしつつ。
〈へぇーっ、すごい! やってみたい!〉
〈機会があればな〉
俺の話を聞いたアダムの目は、きらきらと輝いていた。素直でわかりやすい少年だなぁ。
これほどストレートに好奇心を炸裂させてくれる子供は、前世ではあまり見たことがない気がする。生まれる時代が違ったら、もしかしたらひとかどの科学者になっていたかもしれないな。
〈ねぇ、じゃああれは? あれは何? どうやってできてるの?〉
土器が終わったと思ったら、今度は竪穴式住居がターゲットになった。なるほど確かに、これもこの時代ではオーパーツだ。
……というか、この群れにあるものは大半がオーパーツだな。アダムにとって、目に映るものすべてが新鮮なのだろう。
だとしてもすごい好奇心だよなぁ。アルブスの仲間は誰一人こんな反応をしなかったぞ。
彼らはそこにある事実を前に驚きはしたが、細かい原理は知ろうとしなかった。理屈は技術白書に書いてあるから、いざとなったら参照してくれればいいけど……。
アルブスはそうした探究心に欠けるのだろうか?
だとしたら、俺が死んだあとの技術進歩はものすごく遅くなるか、最悪衰退して暗黒時代に入るかもしれないな……。
〈そういえばギーロ、不思議だったんだけどさ〉
〈なんだ?〉
〈この群れにはどうして女がいないの?〉
〈ん? いるだろ、大勢……って、そうか。お前たちにはそう思えるか〉
〈?〉
アダムの興味の対象が、周りのものから俺たちそのものになった。
そして問われて改めて思う。彼はサピエンスなのだろう、と。
〈いや、でかい男と小さい子供しかいないって思っているんだろう?〉
〈あ、そうそう! すごいね、ギーロは俺の考えてることまでわかるんだ!〉
〈そこは単純にお前より長く生きているからさ〉
アダムが素直なやつということもあると思うが、それについては言わないでおこう。
それはさておき、アダムにはやはり、大男と子供しかいない群れに見えるようだ。サピエンスらしい感覚だ。
〈信じられないと思うが、あそこにいる女はみんな大体大人だ〉
〈えーっ!? そんなまさかぁ!〉
うんうん、サピエンスならそう思うよな。
わかるぞ。その感覚を前世から引きずり、つい最近まで後生大事にしていた身だからよくわかる。
けれど、違うのだ。俺たちはサピエンスではない。外見上の違いはさほどないが、耳と、男女の性差は決定的な違いだ。
〈アダム、俺の耳をよく見てみな〉
〈耳?〉
首を傾げるアダムに、俺は耳を向ける。ついでに指で示す。
〈……あれっ? とがってる!〉
〈だろう。俺たちはお前とは違う生き物なんだよ〉
〈……???〉
きょとんとして、わからないということを全身で表すアダム。
しかし他に説明のしようがないから、伝えるのが難しいな。
えーっと、彼らの言葉に存在する動物で言うと……。
〈……ネコとトラっているだろ〉
〈え? う、うん。それがどうしたの?〉
〈あいつら見た目は結構違うけど、実はほとんど同じ生き物なんだぜ〉
〈えーっ!? そんなバカなぁ!〉
〈本当だって。木に登る身のこなしとか、身体つきを思い出してみろ。大きさが違うだけでそっくりだろ?〉
〈……そ、そう言われてみれば、そんなような気も……〉
〈それと同じだ。俺たちとお前たちはすごく近いけど、違う生き物なんだ〉
〈そ、そうなんだ……〉
言い切った俺に、アダムは腕を組んでうーんとうなった。納得できていないようだ。
まあ、言葉だけではわからないのも仕方ないな。実際に近縁種の動物をそれぞれ捕まえてきて、解剖実験でもできれば理解してくれるかもしれないが……それは無理というものだ。
それにしても、彼らサピエンスは既にネコと遭遇済みなのか。興味深い話だ。
前世の地球各地でペットとして人気だったネコの原種は、リビアヤマネコと言われている。二十一世紀でもアフリカ北部から中近東周辺にかけて生息しているネコで、俺たちが今いる地域にかなり近い。
アダムたちが南からやって来たことを考えると、この時代から実際に該当地域に生息していたのだろう。
しかしネコ、ネコか。農耕を拡大していく予定でいる身としては、将来的に穀物を保存するための番人としてぜひほしいところだ。
ネコが飼われ始めた最大の理由は、保存可能な財産である穀物をネズミなどから守るため、というのが最有力なのだから。
ネズミは穀物を食い漁るだけでなく、病原菌の媒介者でもある。ネコにはぜひともこの群れにいついてもらい、将来の鼠害を防いでいただきたいものだ。
「ギーロ、待たせたな」
「兄貴。どうだった?」
話し合いは終わったようだ。バンパ兄貴が代表して俺たちのところへやってきた。
表情は悪くない。どうやら、兄貴の望む結論が出たようだ。
「ああ。彼らが望むならうちの群れに置いてもいい。もちろん働いてもらうが」
「そりゃそうだろうな」
働かざる者食うべからずは、この時代の根源的なルールだ。
〈アダム、話がついたぞ。お前たちが望むなら、俺たちはお前たちを迎え入れてもいい。どうする?〉
〈えっ、いいの!?〉
〈ああ。やることはしっかりやってもらうが、やれるなら問題ない〉
〈……よかった、本当によかった……!〉
俺の説明を聞いている最中から、アダムはぼろぼろと泣き始めてしまった。
今までそんなそぶりは見せなかったのだが……群れから追放されて、決死の覚悟で山と森を越えて来たのだ。我慢していたのだろうな。
そんな彼の肩をそっと叩き、俺は笑って見せる。
〈ようこそアダム、俺たちの群れへ。歓迎するよ〉
〈う……っ、うう、ありがとうぅぅー!!〉
感極まったアダムが、俺に抱きついてきた。
俺にそちらの気はないが、まあ、これくらいは許してやろう。
アルブスの男にハグされることに比べれば、全然痛くないし。あれは一種の地獄だ。
ただ……とりあえず、あとで水浴びしようと思う俺だった。
アダムに至っては水浴びだけでは多分足らない。試作段階の石鹸もぶち込んでやろうと思う。
なぜかと言えば、恐らく相当な期間、水浴びすらしていなかったのだろう。アダムの体臭や汚れは相当なものだったのだ。
面と向かって話しているときも実は気にはなっていたのだが……この至近距離はかなりきつい。仕方ないけども。
アルブスは俺が清潔を奨励しているので、原始人にしてはみんなそれなりに小奇麗なんだよ。悪臭を漂わせているやつなど滅多にいない。
だから二十一世紀の人間の感覚で見ても、普通に好印象を抱けると思う。元々アルブスは外見に種族ステータスの大部分を振っているところあるし。
〈……と、とりあえず、アダム。嫁……あー、つがいの女も呼んできてやれ。いつまでも森の中はつらいだろう〉
〈あっ、う、うん、そうだな! ぐすっ、ありがとう! 呼んでくるよ!〉
多少落ち着いてきた頃合いを見計らって改めて声をかければ、アダムはガバッと顔を上げて、大慌てで森へ走って行った。
……サピエンスの女か。メメとテシュミには悪いが、少し期待してしまうなぁ。
何せ自己暗示込みだったとはいえ、転生してからずっと深刻なおっぱい不足だったのだ。メメとテシュミを愛していると今ははっきり言えるが、それはそれである。
おっぱいは大きいほうがいいという俺の持論は、今でも変わらない。たとえアルブス的にはそれが特殊性癖であっても、前世から引き継いだこの性癖はもはやどうすることもできないのである。
おっぱいの大きい美人だといいなぁ。アルブスでは妊婦でもなければおっぱいは絶対にぺったんこだからな……。
〈ギーロ! お待たせ!〉
〈おう……〉
まだ見ぬ巨乳美人に俺が想いを馳せていると、アダムが戻ってきた。
彼に目を向ければ、彼の隣にはサピエンスの女……。
おん、な……。
…………。
〈これが俺のつがい! ハヴァって言うんだ! かわいいだろ!〉
〈あの、助けてくれるみたいで……本当にありがとう!〉
「…………」
…………。
「……ギーロ?」
〈ギーロ? どうした?〉
はっ。
「悪い兄貴、〈すまんアダム〉
い、いかん。ついうっかり絶句してしまった。絶句どころか思考も吹っ飛んだ。今、俺、完全にフリーズしていたよな。
うん。
色々言いたいことがある。できた。人の目がなければ今すぐにでも叫びたい。
しかし今、それを表に出すわけにはいかない。俺は唯一の通訳なのだから。
〈あー、っと、えーっと、と、ともかく、何はともあれ、二人ともようこそ、かな?〉
〈うん、よろしく!〉
〈お世話になります!〉
俺のしどろもどろな言葉に、アダムとハヴァが口々に言う。
〈ぅあー、っと、まずどうするかな。腹も減ってるだろうけど……そうだな、とりあえず二人とも、身体洗おうか!〉
そんな二人に宣言して、俺は水路のあるほうを指差したのだった。
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